第9期 #20

猫のドイさん

 案内されるとドイさんは既に来て座っていた。ドイさんは猫だった。課長から聞いた通りだ。
「やあ、君がミキ君かい」
 ドイさんが右前足を僕に差し出す。握手をする。ドイさんの肉球が心地よい。
「さて、ミキ君。今度の新製品なんだが」
 ドイさんがすぐに仕事の話をしだしたので、僕は急いでノートパソコンを開きドイさんに向けた。猫と話すのは初めてなので、何から切り出せばいいのか迷う。一匹と一人は画面をのぞきこんでいたが、こういうときに限ってパソコンはなかなか起動しないものでお互い無口になった。僕は気まずくウィンドウズのロゴなんか眺めていたのだが、ドイさんは誘いをかけてきた。
「今晩どうだい? ミキ君」
 左前足を口の回りでくいくいと動かす古典的な仕草だ。僕はすぐに同意した。取引先のお誘いだから義務的にというわけではなく、純粋に僕の好奇心からだ。


 話す猫が発見されたということぐらいは、テレビや新聞で盛んに取り上げていたので世情にうとい僕でも知っていた。今目の前でその話題の主が歩いている。ドイさんを見失わないように、僕は夕暮れの人ごみをかき分けている。四足歩行しているとやっぱりただの猫に見える。すると僕は猫を追いかけるさえない青年ということになるのだろう、きっと。


 ドイさんお気に入りの店に入った。カウンターに並んで座り、生ビールを頼む。
「猫がしゃべることに驚いたかい?」
「いえ、ニュースとかで知ってましたから」
「じゃあ、私が地球の生まれじゃないってことは?」
 ドイさんはいたずらっぽく私を見ているが、その一言で僕はすっかり混乱してしまった。メディアには厳しい情報統制が敷かれているのかもしれない、そんなことを考え始めた。
 そこにジョッキを持ったママさんがやってきた。笑顔で言う。
「つっちい、また若い子からかっているんでしょ」
 ドイさんはえへへと笑う。
「つっちいが宇宙人なわけないでしょ。どこから見たって猫なのに」
 彼女は自信たっぷりに言い放つ。ドイさんがさらに笑う。何となく一緒に笑うことができず、僕は少しうつむいて一口だけビールを飲む。炭酸がやけにきつく感じる。
 突然僕はドイさんに背中を叩かれた。
「ミキ君、猫背になっているよ」
 姿勢を正す。
「ところで君、彼女は? うちには年頃の娘がいてね……」
 ドイさんの顔は本気だ。ママさんは僕に目配せしている。今日の商談よりも手ごわい難題が今僕に課されようとしている。



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