第8期全作品一覧

# 題名 作者 文字数
1 アクロスティックな幽霊 のの字 1000
2 春疾風 小夜 984
3 夢の列車 朝野十字 1000
4 林徳鎬 1000
5 (削除されました) - 446
6 女子高生ミサキのハードボイルド (あ) 1000
7 サラバ愛しき 野郎海松 1000
8 赤い男 Nishino Tatami 998
9 そんなことはどうでもいいんだ も。 998
10 あたしはうさぎ 妄言王 1000
11 パーティー 坂口与四郎 1000
12 川島ケイ 1000
13 エサをあたえないでください 西直 1000
14 猫の背中 赤珠 999
15 我、敵領内に上陸す 山川世界 1000
16 ソング るるるぶ☆どっぐちゃん 1000
17 割引貴族 海坂他人 1000
18 曠野反次郎 203
19 侵食 朽木花織 999
20 決意 フェラッチオセンズリーニ 786
21 散桜花 紺詠志 1000

#1

アクロスティックな幽霊

 与太郎はいわゆる心霊オンチだ。
 皆が理解できないのは、心霊オンチとは幽霊を信じないことではなく、幽霊が出てきてもぜんぜん怖くないというところである。
 手に負えない情緒障害だな、と友人たちは与太郎を面白がり、ひとつの趣向を考えたのだが、それは、彼に深夜車を運転させ、有名な心霊スポットに向かわせることだった。
 外人墓地に近い国道沿いで、「魔の交差点」と呼ばれる場所である。
 猥談をしたりジョークを飛ばしたりしながら、同乗者たちはしばらく成り行きを見守っていたが、これが瓢箪から駒になった。
 かなり前から奇妙な気配を感じていた奴もいたようだ。
 ラップ音が聞こえるよ、とふいにひとりが大声を出したので、全員が、おいおいと、顔を見合わせた。
 なんとも切ないうめき声もどこからか湧いてくる。
 いつもは幽霊など信じていない連中だから、こうなると俄然パニックになった。
 と、その時突然、フロントガラスに多量の血がぶちまけられて、みんなは、昔ここで轢き逃げされた後、何台もの車の下敷きになって身体を引き裂かれて死んだ男がいたという噂を、悲鳴とともに思い出した。
 今まさに、全面、赤く血塗られたガラスの天井の上から、男のちぎれた「頭」だけがずり落ちてきたのは、その怨念で人間を死の世界に引きずり込むつもりだからに違いない。
 見たくもないが、目の前の出来事はどうしようもない現実なのである。
 何ということか、普通の人間ならここであまりの恐怖にハンドルを切り損ね、そのまま交差点に突入して対向車と正面衝突し、大惨事になってもおかしくない場面のはず。
 いや、そうであるからこそ、車を運転しているのが、並外れた心霊オンチだったのが幸いした。
 しかも、与太郎が「大丈夫だ、すぐ明るい場所に出るよ」と落ち着いた声で言いながら、しっかりとハンドルを握りなおしたのには、目の前の幽霊も驚いたのか、瞼を瞬いた。
 考えも及ばぬことであるが、世の中には窓から幽霊が覗いて眉一つ動かそうとはしない男も実際いるのだと全員感嘆し、これで助かると安心もしたのだが、それは束の間のことだった。
 けたたましいブレーキ音とともに、次の瞬間、大型トラックが横から飛び出してきて衝突し、車はぺっちゃんこ、全員あっけなく死亡してしまったのである。
 誰もが凍ったように見つめたフロントガラス。
 与太郎がその時、なぜ赤信号に気づかなかったのかは、謎のままである。


#2

春疾風

 江戸の町家は弱い陽を受け夕闇に沈もうとしていた。風がきつい。弥勒寺境内の雑木が黒く揺れている。
 堅川二の橋通りに行き交う人影は少なく、皆足早に先を急いでいた。お加代は襟元から吹き込んでくる風に肩をすぼめて弥勒寺橋に向かっていた。笊屋とすれ違う。肩に振り分けて担いでいる笊が風に煽られ、今にも崩れそうに大きく揺れていた。山のように担いでいる笊は一つでも転がれば、たちまち全部崩れ風に飛ばされてしまいそうだった。
 お加代は足を止め笊屋を振り返った。笊が崩れるかもしれぬ危うさが気になったのは確かだが、それだけではなかった。笊が方々に散っていくのを見たいような、そうなったときに親切ぶって手を貸してやりたいような、そんな気もした。きっと今の自分もそうなのだ、とお加代は思い当たった。この危うさに裏店のおかみさんたちや勤めている蕎麦屋の親爺さんは気になって仕方がないのだろう。
 お加代の博打好きの亭主の借金はひどくなる一方だった。別れてしまえと周りから言われながらも、その都度お加代は金策に走りなんとか切り抜けてきたが、それも限度があると思えてきた。今朝も飲み潰れて眠り込んでいる亭主の青黒い顔をちらりと見たきり、すぐに家を出てきた。あれから仕事に行ったのだろうか。いや、あんなに酒浸りでは身体に力が入らずもっこも担げやしない、普請場に出てても使いものにならずに追い返されているかもしれない。腕のいい大工だったのに眼病を患ってからは細かな仕事ができなくなった。下働きでしか稼げなくなり、いつのまにか博打場にいってうさを晴らすようになった。借金で困れば酒に溺れてまた逃げるのだ。
 周りから「お加代ちゃんのためだよ」と前置きされてはやいのやいのと説教され「そんなのでは安心して子も産めないよ」とまで言われている。自分もそれに乗せられているのではないだろうか。亭主はなおさら暮らしに嫌気がさしているのではないのだろうか。
 お加代は、風に逆らうでもなく、上手く身体をかわしながら笊を落とさず歩いていく笊屋の姿にはっとした。腰を落とし、足の裏を擦るように巧みに歩いていく。
 笊屋は常盤町の角を曲がっていった。お加代は弥勒寺橋に向かう。亭主と話がしたい、博打場になぜ行くのかではなく、今日は風がきついね、春だものね、と声をかけたくなった。砂埃で傷む目元を袂で押さえ、お加代は先を急いだ。


#3

夢の列車

 東京駅午前八時。のぞみ四五号の発車ベルが鳴った。指定席に向かうと、二列シートを向き合わせて既に三人が座っていた。
「あの――」
「火星の砂さん?」
 微笑を浮かべた四十絡みの紳士が熊八氏、その隣の若者が竜卵氏、対面の若い女性が夢見草氏だった。ネットの友人達は初めて見る顔ばかりなのになぜか懐かしさが込み上げてきた。
 私達は夢見草氏のホームページで知り合った。彼女の夢に関するエッセイや書籍紹介、そしてリンクを辿るうち夢の不思議に魅了されてしまい、掲示板やチャットで意見交換するようになった。彼女は知人にホームページを明かしておらず、結果純粋に夢に興味のある者だけが集まった。中でも熊八氏は博学故に皆から慕われよく質問された。
「ニューロン内の微細構造体が量子力学的効果を発揮し人間の記憶や意識を生み出すという学説があります。脳には未知の能力がある。そして夢にその謎を解くヒントがあると信じてます」
 横浜を過ぎて、私達は熱々のホット・コーヒーとサンドイッチを買った。
「目が覚めちゃいますね」
「ぜひ京都まで行きましょう」
 夢見草氏がやや興奮気味に言った。
「今度実際にお会いする時が楽しみね。私、毎晩枕元にメモ帳を置いて寝るんです。起き抜けにまず見た夢を書き留めます。皆さんのこと、誰より詳しくレポートするわ」
「どういう意味ですか。つまり――」
 熊八氏が手で軽く私を制した。
「無理に思い出さないで。今を楽しみましょう」
 私はようやく思い出した。熊八氏は集合的無意識などの学説を紹介し、人間の脳はテレパシーの能力があると主張したのだった。私達は夢を通じて互いに通話できるのだと。
 一面識もない私達が別々の場所で同時に眠って、同じ夢を共有しようというのが熊八氏の提案だった。私達は時刻表を調べ、架空の旅行計画を共有し、繰返しそのイメージを話し合い、そして昨夜、同じ時刻に眠りに就いたのだった。
「でも、これはぼくの夢だ。さっき隣の車両で父に会ったんです。死んだ父に」と竜卵氏。
「ぼくがあなたの夢を覗いているなら、それは誰の夢だろう?」
「共有してるんだよ」
「どこで?」
「精神世界かな」
「それだとなんでもありだな」
「グヌテラなら? 脳が通話機でそれが繋がるだけで共有できるなら――」
 私達は話し続けた。興味深い話題ばかりが際限なく続いた。
「こんなに楽しい気分は初めてだ。まるで――」
「夢のよう?」
 私達は声を上げて笑った。


#4

いまのふたりの距離だ。
こころが擦れ違えば傷を残す距離。
傷口からはするすると煙が立ちのぼり、息苦しくなる。

曇り空。
車内から、河を挟んだ向こうがわの土手沿いを眺めていた。 
あたりには薄い灰色が張りつめている。
その下で河だけが流れた。
黙って窓を開けた。
「寒い」
「煙草吸うから」
こもった苛立ちが流れていく。
くっきりとした、感情のない外気が入り込む。
雨が降る。
はっきりと感じとれた。

だから、土手沿いの道を小さな女の子が歩いてきたとき、少し驚いてしまった。
河の向こうでその姿は小指ほどにしか見えない。
完全な静けさのなか、あまりにもゆっくりと歩いていた。
なんの意図もなく、まるいものはただ転がるのだというように、ゆっくりなのだ。
どこまでいっても辺りは静かで、女の子はその中心にいた。

その糸を切って、ランナーが路をやってくる。
女の子を追い越していった。
雨が降る、と警告している。
道端の冬の花が、すぐ下を流れる河が、小さな女の子を心配していた。
大きく膨らんだ雨雲は、長い腕を引っ込めようと苦心した。
しかし、それはいまにも大地に触れてしまいそうだった。

ポケットに手をいれ煙草を探す。
そうしているあいだにも、女の子は慌てることなくもとの静けさを繕いはじめた。
あたりに散ってしまったものをたぐりよせ、張りぐあいをちょっと確かめる。
すると、音のない景色が作られた。
女の子だけが歩みを進める。
なにも心配することはないというように。
ぼんやりと願った。
すぐ隣りで、彼女が息をつめる気配がした。

雨粒がフロントガラスを静かに濡らした。
雲は落としてしまった粒を慌てて拾おうとはしない。
じっと抱え込み、我慢していた。
それでも、また一粒、二粒とこぼれ、地面を打った。
もう限界に近い雲は、申し訳なさそうに最後のため息をついた。

「ねえ、早く行こうよ」
いらだった声に、我に返る。
窓を閉めると、見ているうちにも窓は白く曇り、外は見えなくなった。
煙草に火をつけた。
いつも、ちょっとした沈黙にそれは訪れる。
かたちが違うから、ふたりの間で擦れ、腫れあがる。
一日のうちの数十秒。
すぐに忘れるだろう。
薄暗い車内で雨の音だけが聞こえる。
相手を区別して、さまざまな叩き方をしていた。
軟らかい地面を叩く。
車のボンネットを叩く。
胸が少し、苦しくなる。
冷えきってしまった車内に、小さく息を吐いた。
それは薄い紫の煙になってするすると立ちのぼる。
雨は、たしかに降っていた。


#5

(削除されました)

          
          
          
          
          
          
          
          
          
          
          
          
          
          
          
          
          
          
          
          
(先生早く書いてくださいよ)
(だいぶん書いたがな)
(何にも書いてないじゃないですか)
(あら…真っ白やん…あかんシャーペン芯出すん忘れてた)
(どこ見て書いてんですか)
(そりゃ原稿用紙見て書いてるけど、ノってたから…気ィ付けへん)
(いいですよ。じゃあ。書けてないトコはこっちで前後見て適当に埋めますから
 続き書いてください)
(分かった)
          
          
          
          了
          
          
          
(って終わりかよ)


#6

女子高生ミサキのハードボイルド

 学年と組と名前だけ書いて、後は空欄のままの『進路志望調査』をぼんやり眺めながら、休み時間中私はペンをくるくる回している。不機嫌は伝染するもので、そのうちにペンは制御から外れスカートに当り床に落ちる。
 拾おうと思ったその時、窓の向こうの異様な光景に気付く。日差しをさえぎるように黒い雲が急速に集結している。嫌な予感がする。やがて雷鳴が轟き、案の定担任のニシが駆け込んできて私に告げる。
「とりあえず、ミサキ君頼むよ」
 教室の全員の視線が私に集中する。気を紛らわそうと思い、私はニシの趣味の悪いネクタイと奇妙な髪型を見つめる。そしてペンを拾い机の上に放り重い腰を上げる。


 グラウンドに出てみると粗大な怪獣は既に到着している。湿気が辺りを包んでいる。急に黄土色の自動車大の足が振り下ろされる。たちまち地面は液状化する。否応無しに闘いに引きずり込まれる。立ち上った砂煙が顔にはりつくのも気にせずにとにかく駆ける。緩慢な奴は私を見失ったようだ。無意味な咆哮を繰り返す。再度足元に衝撃が走る。何とかかわし、さらに駆け続けて奴の後ろに回りこむ。ちょっとした道具を用いて私も巨大化する。着ている制服ははちきれることなく私の体に追随する。奴が気付いたようだ。上半身を大きくひねりこちらをにらむ。奴の背中は一瞬しか見ることができなかったが、今回もファスナーが付いていたような気がする。


 戦闘は短時間のうちに終了した。私の闘獣一本背負いが決まったのだった。


 グラウンドに横たわっている奴をまたがないよう気をつける。泥が髪の毛にくっつき固まっていたので軽く手で払う。ニシが近寄って来る。二人で教室まで戻る。
「ミサキ君、進路はどうするね」
 ニシの問いかけがうるさく感じられたので、私は投げやりに答える。
「このまま闘獣師を続けるのもいいかも、と」
「とりあえず、それもいいんじゃん?」
 言い終えるとニシは笑い出す。目に怒りを込め私はニシを見下ろす。そこに突然の烈風。ニシの頭髪が乱れネクタイと絡まり合う。怪奇なそれを一瞥してなおも歩き続けると、思わず校舎を踏みつぶしそうになる。建物が騒然となりニシは何かを叫んでいる。元の大きさに戻ってから教室に来い、おそらくそんなことだろう。
 見上げると、黒雲は去り青空がどこまでも広がっている。私の現在についてちょっと考えた後、最近ドキドキしてまへんなあ、とテレビ芸人のように一人ごちてみる。


#7

サラバ愛しき

 アザラシをつかまえました。
 きゅうきゅうと図体に似合わない可愛らしい声で鳴きます。お隣のジョンよりもかなり大きいし重いです。つぶらな瞳です。私は庶務課のアイドル吉良☆由衣さんを思い出しました。おかげでためらわずにナタを入れることができます。バンザイ。
 黙ってしまったアザラシの代わりにきゅうきゅうと口ずさみながら私は手早く解体に取りかかります。愛らしい胸ビレを削ぎ柔らかな腹を割きます。ずるずるっとワタを出して苦労してアバラを折ります。アバラは本当に固かったです。肉は真っ赤です。私はそれをきゅうきゅうと口ずさみながら短冊にします。ボドンとまな板に落して軽く叩きます。塩胡椒を塗りこみます。そしてさくさくっと一口大に分けます。血抜きをしましたがそれでもモノすごい血の臭いがします。
 ぺたぺたとアザラシのほっぺを宥めるように叩いてやると私は熱したフライパンの中へ肉を放り込みます。お中元に贈るような上質のサラダ油を引いたアツアツのフライパンです。アザラシの肉はじゅうと心地よい音を立てて焼けます。レモン汁とブランデーを加えさらに焼きます。やはりきゅうきゅうと口ずさみます。強火で焼き切ります。その間に手早くソースを用意します。
 アザラシの死んだ目が私をじっと見つめています。私はにっこりと微笑みかけます。けれどアザラシは笑いません。愛想のないやつです。私はゴロンと転がしてアザラシの体の向きを変えます。
 香草を添えてできあがり。はふはふっと頂きます。濃厚な肉汁がじゅるじゅるっと口の中に広がります。
 彼は何のために遠く旅してきたのでしょう。何のために? それを言ったら私は何のために生きているのでしょう。分かりません。私は会社をクビになりました。なんだかアハと笑えてきました。笑いは止まらず私は一人でアハウフフと笑い続けました。あんまり笑いすぎたので今度は泣けてきました。私は笑いながら泣いていました。そして結局食べたばかりのアザラシの肉をぜんぶ吐いてしまいました。勿体なかったです。
 味はワイルドでした。クセがあってゴムみたいに固くて量を食べるとしつっこいだろうけど何処となく昔懐かしいほろりとさせられる味でもありました。
 彼はなんで自分が殺されなければならないのかまったく分からぬまま「嗚呼オレ死ぬんだな」とも何とも思わず死んでいったんだろうなと思います。
 いつか私もそうなると思います。

 OK?


#8

赤い男

採石場の崖を背に、4人の男女が現れた。
「イエロー・Ж!」
「ブルー・Й!」
「グリーン・Щ!」
「ピンク・Ъ!」
そして崖の上から、1人の男が飛び出した。
「レッド・Я!」
5人は、組織の戦闘員達を全滅させ、そして人質の少女を救出した。それを見た幹部の男は巨大化で対抗するも、5人の操る合体ロボットの前に敗れた。5人は組織の野望を阻止することに成功した。

基地に戻った5人だが、一人の男が不満を挙げていた。レッド・Яに変身していた合である。「色が嫌なんだ。何で俺が赤なんだ」
「色か…」「それは意外」「何でそんなことを」「馬鹿みたい」他の4人の反応は様々だった。
「ランドセルでも、トイレでも、赤って女物の色だろう?なのに博士は、俺に赤いスーツを押しつけてきた…おっと丁度良かった」合は入室してきた博士の方へ進んだ。「博士、何とかしてくれ!俺は赤が嫌いなんだ」
「何のことかね?合君」
「俺のスーツの色を変えて欲しいんだ」
「急に言われてもな、使えるスーツはあの5着しか無いんだ。1着作るだけでも相当な時間がかかったんだぞ」
「それなら色を塗り直せばいいじゃないか」
「だったらこれを試してみないか?」博士はポケットからスプレー缶を取り出した。「試作品の迷彩スプレーだ。これを使えば好みの色に塗り分けられる筈だ」

翌日、再び組織の戦闘員が河原に現れ、子供達を人質に取った。その時、対岸に4人の男女が現れた。彼らが名乗りを上げた後、合は川の中から勢いよく飛び出した。
「ブラック・Я!」
幹部の女は驚いた。「ブラック・Яだと!レッドじゃないのか!」
「俺はもう、レッドじゃない。ブラック・Яだ!」合は自分の言葉に完全に酔っていた。

戦闘員達は川を越えて襲いかかったが、「ようし、ここはこのブラック・Яに任せろ!」と張り切る合一人によって全滅した。他の4人は人質の救助に回ったが、全員を解放させた時には、幹部の女は合によって打ち倒されてしまっていた。呆然となる4人の前で、合は拳を突き上げた。「見たか!生まれ変わったブラック・Яの力を」
地面に倒れた女は、脇腹を押さえながら唸った。「ええい、こうなったら奥の手だ!」と言うや否や、女は巨大化し、5人に襲いかかった。
「何やってんだ!合体ロボを呼べ!」合は4人に向けて怒鳴った。
十数秒後、上空に5機の戦闘機が現れたが、それを見た合は急に頭を抱えた。
「しまった!、機体を塗り直すのを忘れていた!」


#9

そんなことはどうでもいいんだ

 目を覚ますと、あろうことか隣に若い男が寝てるじゃないか。こいつはいったい誰なんだ。僕は必死に昨晩のことを思い出そうとした。でも、思い出せない。そこで、とにかく男を起こそうと思ってうつ伏せになってる彼の肩に触れた瞬間、心臓が止まるかと思うくらい驚いた。男の体が冷たかったからだ。
 僕が殺したんだろうか。いや、そんなはずはない。どこからも血は出てないみたいだから病気で死んだのかもしれない。とにかく昨日のことを思い出そう。くそっ、思い出せないな。落ち着こう。落ち着かないとダメだ。そうだ、香織と会ったんだ。香織に呼び出されていつもの喫茶店で会ったんだ。バイトだったのに。僕はアイスコーヒー、香織はレモンティーを注文したな。いや、香織が注文したのはミルクティーだったかな。いや、そんなことはどうでもいいんだ。彼女とどんな話をしたんだっけ。ダメだ、思い出せない。なんで昨日のことが思い出せないんだ。とにかく落ち着こう。気が動転してたら思い出せるわけがない。何か嫌な話をされたような気がするな。どんな話だっけ。そうだ、別れ話をされたんだ。他に好きな人ができたって。そりゃないよな。香織が逆ナンしてきたのに。まだ納得できないよ。それからどうしたんだっけ。僕は「別れたくない」って言ったんだ。そしたら、香織は泣いてたな。泣きたいのはこっちなのに。っていうか、僕も泣いてたな。バイトのウェイトレスが変な顔してこっちを見てたっけ。あれは恥ずかしかった。そうだ、僕は「好きになった人って誰?」って訊いたんだ。香織は答えなかったな。でも、絶対あいつに決まってる。香織のサークルの先輩だ。結局どうなったんだっけ。そうか、結局僕と香織は別れたんだ。僕は別れたくなかったけど。香織が「もう駄目なの、ごめんなさい」って言うんだから仕方ないよな。喫茶店を出て、店の前で「バイバイ」って言ったんだ。あんなに悲しい「バイバイ」を言ったのは初めてだ。途方に暮れて帰って来たっけ。途中で買い物をしたような気がするな。何を買ったんだっけ。いや、そんなことはどうでもいいんだ。部屋に帰って来てから、いっぱい泣いたな。きっと、泣き疲れてそのまま寝ちゃったんだ。それじゃ、なんでこの男は僕の隣で死んでるんだ。戸締まりはしっかりしたはずなのに。いや、待てよ。寝る前に何かしたな。何したんだっけ。そうだ、死のうと思って薬をいっぱい飲んだんだ……。


#10

あたしはうさぎ

 あたしはうさぎ。
 バニーガール? ウケ狙い? なんてほざく男もいる。みんなまとめて死ね。あたしって寂しすぎると死ぬなんて噂されてるけど、こんな馬鹿と寝るくらいなら、舌でも噛み切ってひとりで昇天してやる。馬鹿は嫌い。大きければいいと思ってる馬は単細胞だし、十二支じゃない鹿なんて論外よ。
 長く鋭く進化した福耳、徹マンで得た跳ねマン級の脚と赤玉の瞳、ミルク色でシルクの手触りの毛並み。あたしのからだは男を魅了する。男を手玉にとることこそ、あたしの処世術。快楽と金のなる木は男と知れってね。一途な女? 良妻賢母? 男やガキの従属物じゃない。ただの負け犬よ。キャリアウーマン? 男を虜にできない哀れな仔羊ね。犬も羊も十二支だけど、同類にされたくない。
 あたしの優越感は、絶対に揺るがない。
 ある日、ママがぽつりと告げたの。
「実はね…あなたのパパ、本当のパパじゃないの」
 衝撃的だった。誤解しないで。嬉しかったのよ。あんなクズの胤じゃないってわかったんだから。
 そんなことよりも、ママのことが心配になった。月を見上げた。姦通防止法にひっかかった連中の流刑地。あのクズも送還されてる。懲役の餅つき、あと何万回つけば帰って来れるんだろう。来なくていいけど。あたしの出生の秘密が当局に知れたら、ママも月への片道切符だろうな。きっちり避妊してしっかり否認すれば、あんな古臭い悪法、いくらでも切り抜けられるのに。
 生まれてすいません。
 って、なんであたしが謝んなきゃなんないのよ。男に主導権を握らせるから、こういうことになるのよ。
「月に代わってお仕置きよ!」
 あたしはママの左頬を打った。でもママは、右頬は差し出さなかった。
「ひょっとして、ママの不貞を疑ってるの? 娘にそんなふうに見られるなんて…」
 泣き崩れるママの姿に、あたしはさすがに恥じた。
「ごめんなさい、ママ」
「ありえないわよ。ママは処女なのよ。パパとだって寝たことないの」
 おかしなことを言い始めた。
「…つまり、ママも本当のママじゃないってこと?」
「違うわよ。あなたは正真正銘、私の娘よ」
 言ってることが支離滅裂だ。
「…じゃあ、あたしの本当のパパって?」
「天国にいるわ」
 あたしは狂喜した。
 あたしの本当のパパは神様だった。あたしは処女受胎で生まれたんだ。
 あたしが男を求める理由もわかった。無意識のうちに本当のパパに会いたくて、何度も昇天したくなるんだ。


#11

パーティー

 パーティーは中盤だ。
 工藤は前日の徹夜でいつもより早く酔いがまわり、空いたソファを捜して腰を落ち着ける。緑色のドレスを着た女が、工藤の坐る二人掛けのソファに向かって歩いてきた。
「お隣はよろしいかしら」
「どうぞ」
 女は屈み、工藤に軽くくちづけをしてから左に坐る。目を閉じる暇は無く、「浅黒い肌」と記憶された。遠くからは緑色にしか見えないドレスは、よく見るとただの緑ではなく、五色の光を放っていた。工藤は光の謎を解きたく思ったが、女に密着した生地のみに触れることは不可能のようだった。ウェイターを呼ぶ。盆も見ずにグラスを二つ選び、片方を女に渡す。
「ねえ、席を交換しませんか?」
 工藤は黙って立ちあがり、さっきまで女がいた位置に座った。
「当りでしょう?」
 女が脚を組む。深いスリットに女の脚が剥き出しになる。工藤は笑った。
「あら、違いまして?」
「さあ、どうでしょうか」
 女がグラスを持ち上げた。工藤は、いまさら、と思い苦笑しながら乾杯につき合う。女は工藤のいい暇つぶしになった。つまらない世間話などどうでもよく、ドレスがてらてらと光るのを見ているだけでおもしろい。

 パーティーは終盤だ。
 何かを誤魔化す香が焚かれ、会場にいるものの体温は上がる。すべてのソファは人でうまっている。愛の懐の広さに驚く。勢い余ってソファから落ち、床で行為を続ける男女がいる。酒を浴びながら声を荒げるものもいる。パーティー後半から給仕はウェイターからウェイトレスに替わった。あまったるい空気の中、目の前にいる裸の女よりも無表情で酒とオードブルを運ぶ女に惹かれ、給仕服を裂き始めた男がいる。主催者の趣味の悪さに、工藤の笑みがこぼれる。
 緑衣の女はソファでふざけて、ドレスが乱れても気にしない。工藤の肩に手をかけ、何度もキスをねだる。酔いながらもそれ以上のことは求めない。おしゃべりしながら、くすくす笑いながら。徹夜明けの工藤にとっては色々と都合が良い。すでにカクテルからソフトドリンクに移行した工藤は、適当に相槌を打ちながら女の要求のために軽く瞼を閉じる。左手にグラスを持ち、右手でウェイターを呼ぶ。
 無作為に選ばれるパーティーの主催者は席上でのセックスが禁止されている。それがこのパーティーのルールだ。全てを知りながら近づいてきた女に興味を持たないはずはないが、今、工藤が重ねるのはグラスと唇だけ。玉虫色のドレスの謎は解けない。


#12

 気が小さかったから、よくからかわれて、よく泣かされた。とくにタバっちには、もう何度泣かされたことか分からない。
「おまえ泣くとサルみてーだな」
 これは応えた。小学校の高学年になって、そろそろお洒落を意識しはじめたころだ。私はショックで、どうすればいいのか分からなくなって、タバっちの顔をまっすぐに見てしまった。うろたえたようなタバっちと目が合うと急に恥ずかしくなって、すぐ振り返り走って逃げた。それから私は、もう二度と人前では泣くまいと決めた。
 そういえばその頃は、寒さというものをあまり意識していなかったように思う。それから八つも年をとった私には、夜風の冷たさがつらい。白い息を吐くたびに、体から熱が失われていくような気がする。昨日はあんなに暖かかったのに、すぐこんなに寒くなる。
 ようやくアパートに着いた。屋上で止まっているエレベーターを待つのがもどかしくて、三階まで歩くことにした。さいきん足が丸くなってきたから、なるべく歩くようにしないといけない。
 タバっちとは中学も高校も違ったけど、親同士の仲がいいせいで、いまだに私たちにも付き合いがある。こういうのをくされ縁というのだろうか。けど、私は眉毛の太い人が嫌いだから、タバっちなんて絶対にダメだ。だからといって眉毛を剃ったりなんかしたら、もう口も聞かない、目も合わせない。
 財布から鍵を取り出した。ドアを開けると真っ暗で、それは当然なんだけど、ちょっとドキドキしてしまって、あわてて電気をつけた。鍵をかけて、靴を脱ぐと、ふっと力が抜けた。洗濯機に手をかけてそのままじっとしていると、不意に唇の感触がよみがえってきて、たまらなくなって、唇を強くかみしめた。
 台所には今朝の食器が残っていた。浮いた油を見ると嫌になる。朝のうちにやっておけばいいのに、化粧もいいかげんな朝の私には、とうてい無理だ。
 カバンを床に置いて、コートとマフラーを椅子にかけ、ベッドに倒れこんだ。枕に顔を、埋めようとして、唇だけそらした。顔を押し付けて、息を吸い込むと、トリートメントの匂いがした。
 胸がつまる。
 私は何も変わっていない。またどうすればいいのか分からなくなって、逃げてきた。けど、いつだって、悪いのはとにかくぜんぶタバっちだ。ぜんぶぜんぶ、タバっちが悪い。
 もうこらえきれなくて、たまらずに、枕をぎゅっとつかんだ。私の顔は、いまきっと、サルみたいに真っ赤だ。


#13

エサをあたえないでください

 病院からの帰宅途中で透に会った。
 透はガムをクチャクチャやっていた。どうやらまだ禁煙を続けていたらしい。なんか珍しい。
「よう」
「ああ」
 透はガムを差し出してきた。僕は「サンキュー」と受け取った。


「あと半年だってさ」
「何が?」
「命が」
「……誰の?」
「僕の」
「ふーん」
 透はジーンズのポケットからガムの銀紙を取り出した。ちゃんと銀紙を持っているところが透らしい。銀紙にガムを吐き出すと、今度は別のポケットから手品のようにタバコを取り出した。口にくわえ、火を点けながら、「ほら」と透は僕にもタバコを差し出してきた。
「うん」
「ああ」


 僕は煙を吐いた。
 透も煙を吐いた。
 別れぎわ、「禁煙しろよ」と僕が言い、透は「ああ」と頷いた。


「ただいま」
 大根の味噌汁のにおいがした。居間を通り、台所に行く。母さんがグリルで魚を焼いていた。
「あっ、おかえり」
「ただいま。なに?」
「ん? 塩鯖」
 塩鯖は好きだった。
「どうだったの?」
「んー……、あと半年だって」
「そう……。ああ、ご飯よそってくれる?」
「ん」


 味噌汁の上に自分で葱をのせた。箸を持って両手を合わせる。
「いただきます」
「はい」
 まだ熱い味噌汁を啜った。箸で鯖の身を千切り、口の中に運ぶ。ご飯をほおばった。口を動かす。咀嚼する。機械的に。
 ……どうもやばい。味がしない。


 サイレン。
 消防車の、独特の音だった。
「……近いわね」と母さんが言った。
 ここら辺りは住宅街で、家が密集している。マンションも多い。道が入り組んでいるから、消防車でもなかなか奥には進めない。
 だから、もう何人か焼け死んだかもしれない。そして、これからまた何人か焼け死ぬのかもしれない。
 そう思った。
 そうだといい……。そうだったら少しは気がまぎれる。
 ふと、そんなことを思った。


 目を瞑り、パン、と自分の頬を張った。ゆっくりと、ゆっくりと深呼吸をして、気持ちを落ち着かせた。目を開けると、母さんが心配そうに僕の顔を覗き込んでいた。僕はごまかし気味にご飯をほおばった。今度は、ちゃんと味がした。
 ご飯はちゃんと甘くて美味しかった。塩鯖も脂がのっていて美味しかったし、大根の味噌汁も温かくて美味しかった。
 久しぶりにタバコを吸ったことを思い出した。透はいつも通りに無愛想だった。何となく、大丈夫だ、と思った。たぶん、大丈夫。


 焼け死んだかもしれない誰かに対して、「ごめん」と呟きかけて、やめた。


#14

猫の背中

 猫の背中は絶えず蠢いている。それは、この丸っこい生き物がいま正に呼吸をしているからであろうが、寄せては返す海面の波頭のように、それは動きを止めることを知らない。
 猫の背中は案外と丸い。出来の悪いひょうたんのような形をしている。ひょうたんの中央にはちゃんと真っ直ぐに背骨が通っていて、その両側には適度な肉が付いている。
 猫の背中は生命に充ち充ちている。膨張と収縮を繰り返し、それが複雑に組み合わさって、完全な一つの動きを為している。この動きなくして、生物はその存在を維持し得ないのである。
 
 ――ああもう我慢ならん。これほどまでに愛らしく、かつ神秘的な対象を前にして、このまま何もせず引き返すことができようか。いやできるわけがない。

 私は猫の背中をそっと撫でてみた。とたん、この丸っこい生き物は背中の毛をゾクリと波立たせ、迷惑げな視線を私に向けた。悪い悪いと私が優しく背中を撫でてやっても、この生き物の機嫌は直らない。ふんと私を鼻であしらい、それっきりこちらを見ようともしない。どうやら嫌われたらしい。
 このままおめおめと引き下がるのも癪なので、試しに今度はわき腹をちょんと突付いてやった。これはなかなかもって効果があったらしい。この生き物は、一瞬起立をするように背筋をピンと伸ばし、それきり動かなくなってしまった。
 まずい、私は本能的にそう察したが、やはりむこうは生粋の野生動物であり私は一介の高校教師に過ぎないわけで、つまるところ、私は右の手の甲を思い切りがぶりとやられてしまった。
 まあ痛いことは痛いのだが、そんなことはさておいて私を魅了したのは、私の右の手の甲に刻まれた鮮明な猫の歯型である。私はその思わぬ副産物に、高々と右手を掲げ、飛び上がらんばかりに心踊ったのであるが、そこは人間ができているから、アスファルトの上で軽やかにターンを決めることで良しとした。近くにいた餓鬼が怯えたような、見てはいけないものを見てしまったような、なんとも複雑な視線をこちらによこしているようだがまあいい。英雄は常に孤独なのである。
 おまけにもう一度くらいターンしてもいいかしらんと考えつつ、実際にそうしてみたところ、そこにはもうあの丸っこい生き物の姿は影も形もなかったわけである。
 まあそんなわけで、今日のところは科学的探求を一旦止めにして、悪妻とドラ息子の待つ我が家への帰路についた次第である。終わり。


#15

我、敵領内に上陸す

「藁の敵兵すら突けんとは、貴様それでも共和国の軍人か!」
 男は直立不動のまま、上官の罵倒に耐え続けた。
 たかが藁を巻いただけの杭が突けないのである。男は今更のように自らを情けなく思った。祖先を殺し、陵辱、略奪した日帝への憎悪。それを銃剣に込めれば込めるほど、杭が人に思えて来て自然と急所を避けるのだ。
 男は己の女々しさを克服するため、居残り志願して二週間、一心不乱に突いて突いて突きまくった。
 その甲斐あって男は、ひと形を模した杭の急所に銃剣を突き立て、更には敵に扮した兵士にさえ、臆する事なく突進する事ができた。見事、男は己に打ち克ったのである。この程度は勇猛果敢な共和国兵士として当然であるが、日頃の臆病な彼を見知る上官や仲間達は、その努力を称賛した。

「資本主義に毒された日帝の連中は、ひ弱で腰抜けである。厳しい教練に耐えた諸君が銃を手に迫れば、怖気づいて失禁するであろう。自信を持てば必ずやこの訓練は成功する」
 上官の訓辞に男の全身には大力と勇気が漲った。今回の実践訓練は離島とはいえ日帝領内に上陸し、証拠品を持ち帰るという本格的なものだ。
 工作船を韓国南洋に碇泊させ、小型ボートで岸に近づき日暮れを待った。光栄にも一番乗りを任命された男は、暗闇にまぎれ魚雷型の潜航艇で上陸、物陰を利して前進し、ついに民家を視界に捉えた。しかし庭には何もなく、やむなく邸内に忍び込み証拠品を探す事にした。辺りは真っ暗で部屋の明かりだけが煌々と輝いている。
 裏口から覗くと、土間越しに男の子が座っているのが窺えた。なにやらテレビに接続した機器を操作している。その時、奥の部屋から男の子を呼ぶような声がして、それに反応した彼はボールを追う仔犬よろしく廊下を転がり去った。
 男は部屋に上がり込んだ。取り立てて裕福なうちでもなさそうだが、調度品や電化製品は贅沢な物が揃っている。男は証拠品として本棚の漫画をポケットに詰め込むと、子供の遊んでいた玩具に興味を持ち、操作盤を手に取ってみる。適当にボタンを押すと画面内の人間が動いた。更にデタラメな操作をすると、ライフルを発砲し、部屋を右往左往した末に隣部屋の扉を開いた。
「ぎゃぁぁ」
 男は思わず叫び、駆け出していた。
 玩具と思っていた物は精巧な殺人訓練のシステムだったのだ。しかもそれを子供が操作を……侮れず日帝兵士。
 男は湿って股に張り付くズボンを摘みつつ砂浜を走った。


#16

ソング

 あたし達は昔好きだった詩が何一つ思い出せなくなっていたことに気付いたので、取り敢えず自分達で何か一つ書いてやろう、ということになった。
 各自にペンと紙が渡される。
「ルーズリーフなんて随分久しぶりに触ったな」
「黒のペン無いの? なんで俺だけ青なんだよ」
「ねえ、辞書持ってきてよ辞書」
 あたしはソファの端に座り、ルーズリーフと油性の太いマジックペンを片手に考えた。
 部屋の真ん中で誰も観てないテレビがちかちかと光っている。あたしはリモコンに手を伸ばしテレビのスイッチを消す。それと同時に誰かがテーブルの上のグラスを倒し、中身をぶちまける。コーラかペプシか。どちらにせよそれは黒く濁って見えた。チャイムが鳴る。誰か玄関に向かう。大量のピザを抱いて戻って来る。どこの家でもピザを食べる時は絶対に食べ切れ無さそうな量を注文するな、とあたしは思う。コーラ、或いはペプシの跡にピザは置かれ、皆はコーラ、或いはペプシを片手にピザを食べる。
「詩、どう?」
 男の子があたしの隣りに座った。
「うん、そうね、なんだかあれよ」
 あたしは彼にルーズリーフを見せた。
「美しい、って言葉しか出てこないわ」
 彼はあたしが渡したルーズリーフをじっと見つめた。
「美しい、美しい、美しい」
「美しい世界へ」
 あたしは彼に合わせて呟いた。
「良いんじゃないかなこれ。なんだか」
「なんだか?」
「なんだか遺書みたいで良いよ」
 そう言って彼は立ち上がった。何処へ行くのかと尋ねると、帰る、と彼は言った。
「まだ終電があるからね」
「そう」
「まだ終電があるんだよ」
 彼はもう一度そう呟き、一瞬だけ笑って部屋を出た。
 誰かがもう飽きたのか、紙飛行機を作って飛ばした。じっとそれを見ていたがなかなか落ちて来ないのであたしは疲れてしまい目をつぶった。


 目を開けると皆はもう寝ていた。あの名前も知らない男の子以外は誰も帰っていないようだった。床で寝ている。
 あたしは立ち上がりカーテンを開けた。あたしの前に夜が広がった。
 まだ夜は明けていない。
 あたしはそのことにほっとし、そして同時になんでそんなことにほっとするのか、疑問に思った。
 プラスチックと光で出来た風景は夜空を圧倒し、今日も美しく瞬いている。
 あたしは不意に昔好きだった流行歌を思い出した。
(こんな歌が好きだったのか)
 あたしは笑い、そしてもう誰も覚えていない歌を口ずさみながら、夜が明けるのを待った。


#17

割引貴族

 お店で商品を購入し、またはサービスを受けて、割引券を用いる事がある。
 そのたびに微かな後ろめたさを感じてしまう。物の値段というのは元来決まっているのに、こんな紙片で代価の幾何かを割引き、あるいは丸々只にしてもらおうとは、何と卑しい心根であるか。
 券が手に入るには、その店で以前にも飲食をしたとかの経緯があったり、あるいはチラシを保存して切り抜いて来たとか、当方の努力も確かに存在しているのである。しかし店の側から見れば、売れた、よかった、と思った所へ割引を要求されて、残念がっているかも知れない。そう思うと気の毒である。
 しかし実際には、私は割引券をよく使う。しがないフリーターにとって、お金が出ていく量は、とにかく多いよりも少ない方が良いからである。
 毎日暇なので、プルーストの『失われた時を求めて』(ちくま文庫)を図書館から借り出して読んでいる。分厚い文庫で十巻もあって、何なんだこの切りのない無駄話はと初めは閉口していたのだが、退屈しながらも三巻「花咲く乙女たちのかげに」あたりまで来て、この頃ようやく少し面白くなった。作者の発想が何となくそのまま体に浸み込んで来たのであろう。
 この大長編小説は第一次大戦をはさんだ、フランス社交界の最後の輝きを背景にしている。要するに公爵とか男爵とかいう世界である。話者の「わたし」──作者プルーストの投影であることは言うまでもない──は貴族ではないが、やはり裕福な家の出で、避暑地のホテルで祖母とともに一と夏暮らしたりする少年である。
 当然、「どれでも一個百円」という券を後生大事に持って行って、お昼のドーナツを三つ買うような生活とはあまりにも懸け離れている。
 せっかく割引券がある事だしと、一個百四十円するので普段は少し抵抗のあるマフィンやデニッシュ類を次々と取り、そして会計を頼む間際に電光石火の早業で券を取り出して、お盆に載せて出すのが、いつもの私の流儀である。
 ちゃんと店員さんに手渡せば良いのに、変に格好をつけるのが間違いの元で、某日、レジに打ち込んで袋に詰めて、平価で締めて代金を支払うまで、券の存在を無視されてしまった。
 私の方はひそかに、そのまま闇に葬り去ってくれと念じていたのだが、当然そうはゆかず、紙切れを見つけた店員さんは慌てて打ち直し、差額を計算して返してくれた。
 割引券など縁のないような、高貴な雰囲気が漂っていたのであろうか。


#18

 蠅がいつも、ニ、三匹部屋の中を飛び回っていて、この前からずっと気になっていた。
 どこか目の付かないとこで、野菜の切れ端でも腐っているのかと思って、冷蔵庫も動かし、台所を徹底的に掃除してみたのだけど、別に何も腐ってはいなかった。

 相変わらず、小蠅がぶんぶんと飛んでいる。
 僕は思わず、ため息を漏らした。

 そると、生暖かい息にのって、小蠅が一匹、僕の口から飛び出してきた。

 ああ、腐っていたのは僕だったのだ。


#19

侵食

 風景画を描いていたのだがくたびれてきたので手を止める。森の匂いを大量に吸い込み深呼吸、そのついでに絵の対象である沼を覗き込むと、燦燦と輝くお日様が僕の顔を映し出し、ああ水仙にはなれそうにないな思った。
 その時ざぱあと水面の僕の顔が浮き出て、僕そっくりな奴が沼から這い出してきたのである。気になったのは彼が水に濡れて寒そうだということだったのだが、本日下ろしたての僕のジャンパーを羽織らせるには抵抗があり、ただただ二人してぼけっと突っ立っていた。
「なあ、僕と一緒にワルツを踊らないか?」
 やがて開口一番彼がそう言うものだから僕は吹き出して、「やだよ相手が女の子でもないし、ましてや僕の姿をした奴なんて」と答える。すると「分かってないな」と溜息を吐かれた。
「自慰と和姦を同時にできれば気持ち良いじゃないか」
 何だか気味悪いなあ。
 僕は気分改めて絵の続きを描くことにしたのだが、その僕の姿をした奴はなかなか消えてくれないどころか、僕以上に饒舌だった。
「あのなあ、言い方がちょっと可笑しかったようだけれどな。君は普段絵を描いてそれを道端で売っている。しかしこの不景気の世の中ではなかなか売れない、悲しいことに。でもそれでも良いと君は思っている。何故なら君は絵を書くことそのものが物凄く大好きだからだ。言ってみれば自慰で満足しているわけだ。な?」
「煩いよ」
 僕は段々といらいらしてきた。なんで沼から出てきた奴にいきなりこんなこと言われなきゃならないのか。
「まあ厳密に言えば僕と君の立場は違うけれど、でも生活のためとはいえ君も今の状態に和姦が付けば更に良いだろう? 僕は踊りが大好きなんだ。独りでステップなんか踏んだりもできる。でも僕そっくりな君とワルツ踊って軽く汗を流せばより恍惚感が得られると思うんだ、どうだい?」
「黙れよ、もう!」
 僕は無性に腹が立って、怒鳴ったついでにパレットの端の方にあった白い絵の具をぐしゃぐしゃと紙に叩きつける。すると静寂が訪れ、直後に森の中に仄かに甘い匂いが漂い始めた。ふと前方を見ると沼の色が僕の絵と同じように茶っぽい白になっている。指をつけて舐めてみるとそれは確かに居酒屋の安っぽいカルーアミルクだった。
 木立の匂い消し去り、僕の体中染め替えるような甘ったるい匂い。それに痺れて意識が急速に閉じていく。僕は最後の瞬間、ああやっぱり一緒に踊ってやればよかったかもなと思った。


#20

決意

二人の決意は決まっていた。お互いのどうしようもないことは分かっていた。
ここは最初のデートできた思い出のレストランである。
キースはいつも通りに振舞っていたが、いつもより巨大な海綿体の充血に佳代子は気づいていた。
おそらく今日は決意しなければいけない日ということを。
「不倫は嫁に食わせるな」という石田純一の有名な言葉あるくらい不倫は魅力的であり、
一度はまったら抜け出せない一種の麻薬である。佳代子は昔からジャンキーであった。
一度はまったら抜け出せない性格で、以前はまった「ペヤング」では見るもの触れるものに
お湯を注ぎ、湯きりをした。彼女の優れている点はかやくを麺の下にしのばせるので
湯きりの際にかやくがもれないのことであった。特許申請中である。
そんな佳代子とキースの出会いはフリーマーケット。キースが出した誰も買わない五月人形に
、佳代子がガソリンを撒いて放火したのがきっかけである
。燃える人形を鬼の形相でみつめる佳代子をキースが手をとって逃げたときには二人の心は結ばれていた。
いわゆるヒトメボレである。
キースには嫁と子供がいた。キースはそのことを佳代子には打ち明けていなかったが佳代子は気づいていた。
女のカンである。愛は勝つはKANである。でもKANは負けっぱなしである。
そのこともあって佳代子はそのことには触れなかった。草刈正雄のヅラくらい触れなかった。
触れたら壊れてしまう。それが怖かった。この関係が終わることただそれだけが。

食後のコーヒーが運ばれ来た。キースはコーヒを一口飲み込み佳代子を見つめた。佳代子はキースの
言葉を遮るようにいった。
「何も言わないで。分かっているから」
俯いたままの佳代子にキースは涙し、深くお辞儀をした。すまない佳代子。ありがとう佳代子。
さあ行こう。素晴らしい未来のために、走ろう。二人は手を取り合って店からダッシュした。
二人の輝かしい未来のために。


#21

散桜花

 スズ子は不器用な教師だった。それでも彼女の下手なオルガンに合わせてうたった歌は、少年の宝物になった。
「よくできましたね」
 そう言って女が、教え子の坊主頭をなでると、たちまち轟音が響く。両翼の巨大なエンジンが間断なく唸り、プロペラが切り刻むのは九州の南、沖縄へと続く洋上の雲海。搭乗員は各々の持ち場から天空をにらむ。
 ひとり腕を組んで瞑目し、椅子に腰かけていた青年は、彼ら最期の恩人に黙礼して足元の愛機に降り、新兵器の一部と化した。
 青年は「桜花」に魂を捧げたのだ。爆撃機の寸胴に吊り下げられたこの小型飛行機は、国産初の実用ロケットだ。しかし自力では離陸できず、その機体の前部を満たすのは、一・二トンの火薬。
 やがて母機が前傾し、降下を始めた。
「敵機!」
 誰かが叫んだ。青い戦闘機の群れが列を崩して、この特別攻撃隊に踊りかかる。護衛の零戦はない。
 敵と味方、双方の機銃が大気を破った。母機から突き出した銃身が、青い鳥を追う。数度、被弾の音に続いて、機体がかすかに揺れた。爆発音は僚機だ。桜花を抱いたまま火球となって海へ還ってゆく。
 青年は小さな操縦席から仲間を見送った。じきに再会できるだろう。母親とも会えるだろう。母の面影は粗末な墓石だ。だから彼の胸に流れるのは、あの歌だった。脳裏によぎるのは、駅で万歳を叫んだ人。その頬。
 僚機がまた落ちてゆく。一機、また一機。青い鳥たちも必死だ。桜花が母機を離れたら最期、その速力には追いすがる術がない。
「見えた。見えるぞ」通信良好。雹のように打ちつける被弾音の向こうから、機長のだみ声が言った。「頼んだ。俺たちの仇を討て」
 母機は安定を欠いている。青年は操縦桿をにぎって、はるか前方に艦隊の影を見た。
 桜花がふわりと母機を離れた。爆薬の重量に任せて滑空し、大型空母を見定めて飛んだ。ロケットが火を吐いて純白の機体が加速する。遠ざかるその後ろ姿を、最期の恩人たちが水柱で見送った。
 必中、必中、必中――新兵器に宿った若い魂が、繰り返し念じる。弾幕の先に敵の甲板が迫って、声を聞いた気がした。
「よくできましたね」
 銃弾の嵐に片翼が吹き飛んだとき、眼前の空母に代わり、桜花は白く渦巻く海面を一瞥した。
 そして疎開先のスズ子は、川べりで大樹を見上げた。風に散った花びらが一枚、手の甲をかすめて落ちた。不器用な教師は、頬伝うものの意味を知らず、それを拭えもしなかった。


編集: 短編