第7期 #6

バランディオ

 彼の名はバランディオ。口笛のバランディオ。外つ国から来た。
 流れの傭兵。暗殺者。人攫い。ダヴォールの領主。
「よう、ダヴォール侯!」
 戦場では旧知の者からそう呼ばれた。彼は三年前の三帝会戦、王家の三男アスティリオ率いる左翼軍を、敵の夜襲から間髪の差で救ったのだ。それ以来、消息に通じた者の間ではそれが通り名になった。アスティリオから与えられた称号だ。領地も下賜された。しかしその封土は今、彼の手には無い。
「口笛のバランディオが来るよ!」
 彼が後にしてきた邑々では、夕暮れになるとそう言って母親が子供たちを追う。彼の名は子供たちにとって、悪魔と同じ響きを持っていた。悪魔は心を攫うが、バランディオは体を攫う。そして殿上の貴人たちに戦場(いくさば)での従者として、また性の慰み者として売りつけるのだ。彼は邑人たちの訴えで手配書に名を連ねた。士官の道も狭まった。国を出るしかなかった。
 バランディオは夜目が利く。しかも尋常ならずだ。それが彼の取り得だった。夜襲を察知したのも、官憲の手を逃れて国境(くにざかい)を突破したのも、全てはその生来の異能に由来していた。夜行鬼(やぎょうき)バランディオ。いつしかそんな綽名もついた。
 そして新しい王国で、彼はさっそく戦の噂を聞きつけた。飛耳長目のバランディオ。彼は情報収集も巧みであった。幾人か有力な貴族・武人をリストアップし、剣を預けるに足る主人を探した。
「戦斧」と字(あざな)されるナッヴァーロが彼の新しい主人になった。ナッヴァーロはアスティリオ軍と戦い、これを夜襲で散々に蹴散らした。バランディオがアスティリオの用兵・築陣の委細を前もって彼に教えたからである。彼はバランディオを「蝙蝠」と字した。敵からは裏切り者の汚名が浴びせられた。やがて宮廷闘争が起こり、ナッヴァーロに毒が盛られた。バランディオが疑われた。
 口笛のバランディオ、ダヴォール候バランディオ、人攫いバランディオ、夜行鬼バランディオ、飛耳長目のバランディオ、「蝙蝠」バランディオ、裏切り者バランディオ、暗殺者バランディオ。
 バランディオは夜の街道を単騎、奔っていた。第三の天地を求めて。夜間、彼に追いすがることの出来る騎手など皆無だった。闇は常に彼の守護者・協力者だった。雲が割れ、月が姿を現した。彼は自分の領地を見上げた。決して手にすることの出来ぬ封土を。
 月は冷え冷えと彼を見下ろしていた。



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