第7期 #5

 最初の猫が死んだのは、十年前だった。僕はまだ小学生で、親と一緒に住んでいた。社宅だったから、規則が厳しくて、猫は飼えなかった。
 あの日は小雨が降っていた。本降りにはならなかったけれど、とても寒かったのを覚えている。猫は電柱の陰にそっと置いてあった。僕は猫を抱き、家に帰った。そして、さっそく親に見せ、言った。
「ねえ、飼っていいでしょ?」
 ダメと言われるとは思いもしなかったのだ。母親は困ったような顔をしていた。僕は泣きながら家を飛び出していた。傘は持たなかった。細かな雨が身体を濡らした。寒かった。気の良い世話好きのお婆さんも、仲の良い近所のお兄さんも、僕の知り合いの中にはいなかった。仲の良かった友達の家に行こうとして、母親の顔が浮かんだ。友達の母親も「ダメ」と言わないだろうか。僕は友達の家にも行けなかった。
 気がつくと近くの駅にいた。屋根があって、雨がしのげた。しばらくの間ぼんやりしていた。わりと大きな駅で、僕のことを気にする人などいなかった。
 子供だったから、時間が経ち暗くなると不安になった。もう家に帰ろうと思った。猫は連れて帰らなかった。連れて帰れなかった。
 駅にはコインロッカーがあった。僕のポケットの中には、百円玉が何枚かあった。


 僕の両親は今も同じ社宅にいる。だから、ずっと猫は飼えない。高校のときだった。猫は、川辺の草むらで震えていた。
 僕はアルバイトをしていた。だから、金銭的には多少余裕があった。今度は親に報告などはしなかった。コンビニでミルクとタオルを買った。数学のノートを破いて、小さな皿を作り、ミルクを入れた。
 それからまた駅に向かった。百円玉でコインロッカーを鳴らした。
 友達の家にあずけても良かったはずだ。でもたぶん、悔しかったのだ。最初の猫を死なせてしまったことが、とても悲しかったのだ。


 僕は大学に入り、一人暮らしをはじめた。安いアパートだ。動物を飼うことは禁止されていたが、隣の住人は虎柄の猫を飼っている。大家も動物好きのようで、見て見ぬ振りで、黙認している。
 僕はまた駅にいる。コインロッカーの猫は、ひどく弱ってきている。
 最初の猫が死んだとき、とても悲しくて、切なかった。二匹目のときも、痛みに、泣いた。
 三匹目のこの子が死んだら、僕はひどく悲しむだろう。その切なさに、僕は切り裂かれるだろう。
 その痛みを想像したのか、僕の唇は笑みを浮かべていた。


Copyright © 2003 西直 / 編集: 短編