第7期 #4

浦賀沖で

 ペリー提督が浦賀沖に4隻の船と共に停泊してすぐ。こちらへ向かってくる日本人がふたり。若く見えるがペリーには東洋人の年齢は見当もつかない。
 それにしてもだ。旗艦と蒸気艦と二艘の武装帆船の黒船艦隊に、木っ端のような手漕ぎの小舟で、たったふたりで乗り込んでくるとは。日本人とは勇敢なのか、向こう見ずなのか、バカなのか。

 ペリーは友人のグリーン中佐から日本人の性質について予備知識を得ていた。中佐は、長崎にアメリカ漁船の漂流者を受け取りに行った経験がある。
 「日本の役人には高圧的な態度でのぞむこと。相手が弱いと見るとつけあがり、強いと見ると卑屈になる」

 ともあれ日本人ふたりが乗り込んできた。浦賀奉行所与力の中島三郎助と通訳の堀達之助だ。ふたりは早速ペリーに面会を求めたが、ペリーは会わなかった。友人の言葉を金科玉条としていたから副官のコンティ大尉に応対させた。

 「用向きの如何に関わらず、直ちに浦賀を去るよう」
 三郎助は伝えた。
 コンティは答える。
 「ソレハデキマセン。大統領ノ親書ヲ大君ニ渡スタメ浦賀ニ来マシタ。帰リナサイ」
 三郎助は即座に切り返した。
 「明日は奉行が来るであろう」
 嘘だった。翌日三郎助は義弟で同僚の香山栄左衛門を奉行と名乗らせ、再び旗艦を訪れた。

 栄左衛門は三郎助よりも人当たりがよいこともあってか、参謀長のアダムス大佐と艦長のブキャナン大佐が応対にあたった。
 その間、三郎助は艦艇の隅々まで測り、機関室に入り込んではスケッチをしている。何でも覗き回り根掘り葉掘り聞き回る。

 ペリーは、三郎助の行動を知り驚嘆した。
 我旗艦サスクェハナ号を測っている? そんなことをして何になるのだ? 作ってみる気なのか?

 会談を終え一行は帰っていった。見送りながらペリーは、この先の日本との交渉を思い空を見上げた。空は澄み切っていた。目を陸地に移すと遠くに富士が見える。ここが故郷から遠いことを思い知らされる。それでもこの空は遠く世界中の様々な国と繋がっている。鎖国など止めさせてやる。ペリーには勝算があった。

 日本が大きく変わろうとする時代。初めて「黒船」に乗った日本人中島三郎助。この頃の日本人は外国人に対して萎縮するという素地がなかった。
 三郎助はこの年の大船建造令によって、日本で最初の洋式軍艦「鳳凰丸」を半年余りで完成させている。ペリーはこの時点ではそれを想像することもできないでいた。


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