第67期 #22

ゴドーと歩きながら

 世界のどこかには家という入れ物の中ですっかり歩みを止めて生活している人間がいるらしいぞとゴドーはひさしぶりに再会した仲間から耳打ちされた。その仲間も他の仲間からその仲間も他の仲間からその仲間も他の仲間から。歩みを止めれば沈み込んでゆくのが当然なのに、その人間たちはその家という入れ物は一体どういうものなのだろう。ゴドーは仲間と別れて以来そのことばかりを駱駝の背で眠る時も。空を飛ぶ夢だった。それが答えだった。


 麻里は後藤君の声に目をひらいた。なにも見えない。後藤君の声がする。こんな夜更けにきてごめんなというようなことを言って、後藤君は麻里を散歩へさそう。灯りをつけようとするなら俺は帰らないといけないというようなことも言うので、麻里はパジャマのまま出発する。この時になっても実は後藤君の顔は見えていなかった。麻里が住んでいるところはとにかく灯りがないし月も出ていない。後藤君はシルエットのままだ。どちらからともなく手を繋ぎ、麻里が後藤君から借りたCDの話をすると、それからはずっと後藤君がしゃべりつづけた。好きなミュージシャンのこと。人生で一番感動した本のこと。影響を受けた友達のこと。どこをどう歩いたのかわからなかった。手がどんどん汗ばんでいくことばかり気になってしまった。もう家だった。あがりなよ、とさそったが、来れたらまた来るというようなことを言い残して、後藤君はすっかり闇にとけてしまった。牛乳をコップにそそぎ、ぐびぐび飲みながら、これは夢だよな、と考えないようにしていたことを麻里は考えてしまった。死んだのだ、後藤君は、エレキギターに感電して、そりゃ夢だよ、これは。トイレにいき、手を洗い、すっかり冷えたベッドにもぐりこむと、手を洗ったことを何度も悔やみながら、それでもやがて眠ってしまった。


 ゴドーは仲間の声に目をひらいた。駱駝が復帰できないところまで沈み込んでいた。歌を詠む。地平線上の月はどんどん小さくなっているという。それを止めるためにそこへ向かっているという。ゴドーは、また空を飛ぶ夢が見たいと思った。もううんざりだった。音楽がほしい。パートナーがほしい。歩みを止めていられる、家という入れ物がほしい。しかし、自分を待っているものがあるという感じが、それを拒むのだ。代わりの駱駝が来た。寝床はあるんだ、とゴドーは言った。おびただしい数のゴドーが、闇につつまれて歩きつづける。



Copyright © 2008 三浦 / 編集: 短編