第67期決勝時の、#22ゴドーと歩きながら(三浦)への投票です(3票)。
予選、決勝と二度同じ作品に感想を書く仕組みは作品も投票者もその実力を試されている気がする。活きの良さのみが魅力の作品はしばらく経って読み返すと色褪せてしまう。あるいはどれだけ優れた作品であっても、投票者の表現能力が足りなければ二通りの感想文が書けない。
というわけで、感想ひとつかくのも奥深くておもしろい。
予選でも推した「ゴドーと歩きながら」は三回、四回読んでも面白かった。初読のときは、死んだ後藤君が会いにくるエピソードがよかったと思ったけれど、今読んでみると、
歌を詠む。
地平線上の月はどんどん小さくなっているという。
それを止めるためにそこへ向かっているという。ゴドーは、また空を飛ぶ夢が見たいと思った。
……この部分がなんだかよかった。あえて改行してみるとここは詩である。贅沢をいえばこの部分の意味も教えてほしいものだけど、もともと1000字しか書けない「短篇」において、何から何までも説明されていると、逆にそういう作品には厚みがなくなってしまうとも思うので、この「ゴドーと歩きながら」は、後藤君と麻理のエピソード(わかりやすいメロディ)とゴドーや駱駝の世界(言葉ではないリズム)が絶妙なバランスで配合されているんだな、と感心した。
☆
ここからは…蛇足ですが、「自作解説」について、私はかなり楽しませてもらっています。作者がその作品を自分だけのもの、として私のような読者の誤読を許さない、という場合はちょっと寂しくなりますが、作者も読者の一人となって、「こんな気持ちでかいた(しかし誤読は歓迎)」というスタンスをとってくれるならば、私は作者の自作解説をもっと読みたいです。
特にこの作者(という書き方も失礼ですが)の自作解説はおそらく解説を書くことで作者自身が自分の知らなかった思いに気がついたり、さらなるアイデアが浮んだり、反省点をみつけたりしているような、そんな面白い自作解説を、以前書いてくれたと記憶してます。そういうのはヤボとはいわないと思います。
ここはコンテストサイトなので、勝った負けたは大事だとは思うのですが、出版社主催とはちがった、インターネットならではの「執筆者読者参加型コンテスト」という、ある意味では文芸コンテストの革命を行っている途中であるのだから(5年以上続いている・・・)、従来のコンテストと違うのはむしろ強みだと思います。いずれ長編になるような物語のタネが1000字小説だと私は思っているので、互いのアイデアを持ち寄って盗み盗まれる場(表現をかえると刺激し刺激される場)という認識もありではないでしょうか。目標(のコンテスト等)は皆さんきっと別の場所にあると思います。
参照用リンク: #date20080507-171855
予選投票の際にいささか無駄話を書いた件について、掲示板の方で失礼だとか不愉快だとか批判を受けたようである。私もあんなやり方は本意ではなかったが、投票に記名することは馴れ合いにつながる云々という意見を読み、なんだか自分の今までしてきた事を全否定されたような悲しさを感じた。黙って感想だけ書いて記名しておけばよかったが、(現にそうしていた人々は偉いと思う)余計なことを言わずにいられないのが私という人間である。
ならばしかるべき場所で論ずればよいと言うのはまさに正論で、掲示板に書けという事だろうが、「去ね」と切り捨てられた場所に改めて発言する気にはなれない。ああいう野蛮な、問答無用で相手を圧殺する如き発言に対して、ほとんど批判も何も現れる様子のない今の「短編」掲示板には私はほとんど絶望している。みな某氏に全面的に賛成なのか、あるいは自分に関係ないと放置しているのか。
さらに微妙な所を言えば、以前、「馴れ合い」を忌避している人が他にもいるという話を目にした記憶があったので、西氏も彼の一派かと邪推した。同じような対応を受ける怖れから、掲示板で話をする気にはなれなかった。後すぐにまともに話ができる人だったと思い直したが。
予選の時もそうだったが、一応作品についても語るので許していただきたい。予選でも推したが、この中ではやはり『ゴドーと歩きながら』がよいとおもった。第三段の最後のあたり、改めて論理的に考え詰めてみると何を言っているのかよくわからないようだが、文章のリズムに力があって納得させられる。
『甘い起業計画』もおもしろく読んだ。ただ最後の洒落が鮮やかに決まりすぎて、作品の中にそれまで作られてきたフジシマさんのイメージと、どちらを主に読むべきか、私には測りかねるところがあった。
『川野』は心境小説としてはよくできているように見える。ただしこの手の作品は、作者の人間としての品格も加わって、読者を納得させなくてはならない。現実の中で破滅的・露悪的な行動を取りながら作品だけ行儀よくしても嘘であるし、現実の振る舞いから作品を判断されたくなかったら、作者から全く切れた作品を手がけることである。作者本人には理解されないだろうが一応書いておく。
さて長々と無用の饒舌を弄してきたが、これで一切打ち留めとする。私の語るべきことはもはや尽き果てたようである。(海)
参照用リンク: #date20080505-211550