第64期 #17

沼蝦

 新月の夜にヤマトヌマエビが全滅し、水槽の底砂にころりと転がっている様が昆虫のようで薄気味が悪いと思ったが、恭しく新聞紙にくるんで手を合わせた。土に埋めてしまおうかとも考えたが、厳冬期ゆえ分解はされないだろうと火曜日に荼毘に付した。要は燃えるごみの日に清掃車へ投げ込んだのだが、それも手を合わせれば赦されるだろうか。私とてヌマエビを死なす意図はなかったのだし、幾度かの脱皮を経て成長したあかつきには唐揚げにして食べてもよかったのだが、手を下すより早く、勝手に死んでしまった。この突然死は、新月の頃に起きやすいという脱皮不全であるらしい。
 正月が明けきらないうちの新月といえば、正に新たな月であるから縁起がよさそうなものだが、本当のところは満月の対に当たる。月明かりのない夜に脱皮する習性をなぜに身に着けたのか、私には解らないが、六十センチ水槽の水底において彼らが潮汐力の変化を察知していることは理解できる。サカナのような浮き袋を持たない彼らが水中に浮揚できず、手脚の動きを止めれば(手と脚の判別もつかないが)水底に降りていく彼らが底物と呼ばれ、これを大気との対比で書き表せば、空中に浮揚する飛行船と、底物として見上げる人間のようだと思う。違いといえば私が足掻いても空をちっとも飛べないことくらいで(これ以上は金子みすゞの領分)、本当のところは潮汐によって私と彼らは無自覚に影響されている。
 新月の夜に犯罪率が高まるという統計が、直接的には私の犯罪に繋がりはしないが、たとえば脱皮も産卵もしない私が昂奮のあまり自殺や他殺を企図したとしても、理解のつかないことではない。あるいは川に飛び込んでサカナの群れに混じったところで手脚の動きとは関わりなく水底に降りていくことになる。いや本当のことをいえば(などと小説で書くのは妙だが)、私は先述の統計を知っている時点において潮汐に無自覚ではないのだから、ヌマエビはヌマエビ、私は私だ。潮汐、月や太陽の運動に左右されて私が何かをすることはなく、関わった犯罪といえばヌマエビを死なせた程度のことで、それも過失致死であって殺したのではない。ただ、死んだあとにまで底砂に横たわって底物の命を全うすることもなかろう、水面に浮上しなければ、それこそ浮かばれないではないか。
 水槽を眺めながら慣れない一人称を使って小説など書いていると、気が滅入って、エビと一緒に気分も沈んだ。



Copyright © 2008 川野佑己 / 編集: 短編