第64期 #16

頃合

腰田には今朝から気になっていたことがあった。
腰田は朝から後輩の久本と営業の外回りをしていて、その日は雨振りで、傘をさしていたが、久本との付合いはもう二年と長く、腰田の考えることはたいてい久本に言わずもがな通じ、久本の思うことも腰田にはほぼ見当がつくほどで、腰田が年上で三歳差の二〇代の男性同士だったが、今日なども傘をさして歩かなければならない距離が短いときなどは無言で一方は傘をささずにもう一方だけが傘をさし、一本の傘に二人が入るいわゆる相合傘などを自然にして、以心伝心、日常的な行動であれば腰田は久本の手足であり、久本は自分が腰田の肉体の延長のように感じられることさえあった。
そのような間柄であっても、どんな些細なことでも、言うべき好機というものがあって、午前中はその機会がなかなか見つけられずに腰田は気になっていたことを久本に言えずじまいであったが、昼食に松屋で好物のしょうが焼き定食を食べていると、隣の席に座って松屋で一番に安いカレーを食べていた久本が腰田より先に食べ終え所在無さげにしていたので言った。
「梅雨前線と言ったら停滞するものに決まっているな。」
「ぼくが思う停滞するものといったらですね。」
「うん。」
「母親の思考ですね。」
「ほう。」
腰田は今朝のテレビの天気予報で聞いた梅雨前線の停滞という常套句をもう数度繰り返し言ってみたかったが、なにしろ常套句というのは口の中で転がすと自分がよく知らないことでも知ったような気になる心地の良いものなので繰り返したかったが、久本の反応が意外にもよかったので常套句の連呼によってもたらされる快感は我慢することにした。
「ずいぶんと飛躍するね。」
「ええ。」
「それはどんな停滞。」
「うーん。具体的にと言われると言葉に詰まりますね。」
「そうか。」
「すみません。」
久本の会話の続かなさぶりに腰田は呆気にとられたが、気の持ちようしだいで人間は王様にも乞食にもなれるということを父親から聞かされて育てられた腰田は、気を取り直し、新しいトピックを久本に振った。
「ところで川原でバーベキューなんかやるときにさ、川の中で缶ビールを冷やすだろ、あれは格別に旨く感じるな。実はあれにはちゃんと旨くなる科学的な理由があるんだよ。」
「腰田さん、女の子に話す前にぼくに話して話の感触を確かめるの、もう止めにするっていうのは、どうでしょう。」
「うむ。」
「どうでしょう。」
「そうだな。」



Copyright © 2008 qbc / 編集: 短編