第64期 #15
歩いていた。いいや、歩かされていた。夜か、闇が、あたりを覆っていた。紐を握りしめていた、私を引いてゆく紐、張ったり、緩んだり、右へ向いたり、左へ向いたり、した、先のほうは闇夜にとけていた。
月が落ちていた、たくさん、ちいさな水たまり、そこに映り込んでいるのだった。見あげたが、なかった、月は。月は、地上のものだった。四角い水鏡が、そこにいる月が、私の足元を、紐が向かう道を照らしている。私の歩幅にちょうどぴったりの水鏡のタイル、そのつらなり、月がたわむ、ゆれる、たゆとう、ぴっち、ぴっち、ちゃっぷ、ちゃっぷ、音が、する。月が、音が、はねる、私は歩いている、歩かされている、が、私の足で歩いている。
悲しまなかった、僕は、彼女が棺にいれられた時も。死は、呼吸するのとおなじ、生きていることの細部だ、息が苦しいときに呼吸を意識するのとおなじ、近しい存在に死が及んだときにだけ意識されるというだけだ。
涙を流さなかった、僕は、涙は真情の吐露などではない、生理現象だ、だから安心した、僕は、なにかしらの形をとってしまうことが、形をとることに意味が生まれてしまうことが、そうならなかったことに、安心した。
彼女は僕だった。僕は彼女だった。わかりあえない、信じあえない、そんな軽口を、僕は軽蔑する。死だけが恋を完成させる法だと、そんな軽口を、僕は憎悪する。
彼女は死んだ、僕だった彼女は死んだ、だから、彼女だった僕も、死んだ。死は、生の細部だ、呼吸しているから生きているのとおなじ、死んでいるから生きているのだ、僕は、生きているのだ。
墓場にいた、私は、いつか見た墓所、地表を覆う十字架の楔、それが打たれた水鏡、そこにうつる月、むすうの月が、かぞえきれない十字架が、それを上回る数の生ける屍が――帰ってきたのだ! 私は! 何も得るもののない、この場所へ!
屍は、徒党を組み、罵り合い、足を引っ張り合い、馴れ合い、励まし合い、囃し、見せびらかし、談笑し、冷笑し、孤立している、その賑やかなことといったら! 闇夜がふるえている! 鳴動だ! 大鳴動だ!
私はそばの屍に呼ばれた、そこには、妹が、弟が、父が、母が、祖母が、曾祖父が、雁首そろえて待っていた。
――今夜は月見!
唄う曾祖父、水鏡に首っ丈妹と弟、馬鹿笑い母と祖母、父踊る。
どんちゃん騒ぎ、
酒も餅も出ない月見、
闇夜を鳴動させる、
どんちゃん騒ぎ。