第64期予選時の、#15そして私は月光の道をたどり、この場所へ帰ってきた(三浦)への投票です(5票)。
三浦さんの作品は、表現は作品ごとに様々でいくつかの手法を試行されているように思えますが、真摯に学ばれた哲学を基盤にした深みと厚みのある創作は、たいへん勉強になります。いささか知が勝って感じられることもあるのですが、それは読み手の私が理屈で考えようとするからそう思えるのかもしれません。
今期はファンタスティックなリズムとシチュエーションが新鮮でしたが、いつもの深遠な死生観がここでも物語の底辺に織り込まれ、単なるファンタジーで終わらない、三浦さんらしい作品になっているように思えます。(とむOK)
参照用リンク: #date20080131-222757
場面の流れといい、方向といい、とてもバランスが良いと思いました。
なんとなく選ぶんだったら無くはないけどそういう妥協はしたく無いので今期票を入れるのはこれだけ。(長月)
参照用リンク: #date20080129-230028
映画のような情景を、いい写真になるような情景を、つまりある種の「絵」を書こうとしているような気がします。その点でみれば成功してると思います。屍たちが「どんちゃん騒ぎ」をしている風景が眼に浮かぶし、その屍はただの空虚なのではなく、生の“充実”を模索したうえでの空虚なのだということも文章に書いてある(気がする)。
でも、私は写真のような物語、映像になるような物語……に対して(今は)興味がありません。その逆の、物語に写真があり、物語が映画になるほうがずっといいです。ある種の“気分”を書くのではなく、「それ自体、それそのもの」を読みたいです。
「闇夜がふるえている! 鳴動だ! 大鳴動だ!」というのは実に読んでいて爽快な気分になったのですが、そこにあるはずの内容がない気がするんですよ。るるるぶ☆どっぐちゃんさんの作品と比較してみれば、るるるぶ☆どっぐちゃんさんは元から物語を放棄してしまって、単語で音楽をつくっているように思えるので、あそこまで割り切ってあれば別の視点で楽しみますが、この作品は妙に言葉だけドストエフスキーの「未成年」のラストを思いだします。でもそれはドストエフスキー的であっても、“的”でしかない。コマーシャル以上に迫ってこない。そこなんですよ。絵しかない。もっといえば、○○的や○○のような、デザインではなくて、たとえ稚拙であっても作者個人の血が通ったもの(私小説でなく)を読みたいです。
いろいろ書きましたが、投票します。注文(?)をつけたくなるほどの作品に出会えてうれしいです。
(ロチェスター)
参照用リンク: #date20080122-160439