第53期 #24

みやび

 当てのない旅は夕飯時に、信州の小ぢんまりとした港町に行き着いた。
 海の見える民宿の一室で箸をとり、目の前の器から海の物をつまむと、甘い香りが口から鼻へ抜けていった。柑橘系の香りで、柚子でも散らしているかと思ったがあれより少し重たくて印象的である。女将さんに尋ねると、
「みやびを散らしてます」
 と、よくぞ聞いてくれたという満足顔である。
 雅を散らすとは粋な言葉だと感心したが、「みやび」はこの町でしかとれない芋の事だそうだ。
「よその人は全然うけつけない味なんです」
 女将さんは誇らしげである。私は後日そのみやびを食したのであるが、ぬめりのある、なんとも甘ったるい食べ物で、一口で食欲が萎えてしまった。この町の人はこれを日に三つも四つも食うというのだから驚かされる。確かにこれは地元の味であった。
 翌朝、海岸縁に祀ってあるという神社を訪ねた。これは、当てのない旅のただひとつ確かな目的である。
 のんびりと参拝した後、港から瓦屋根に挟まれた路地を山の方へあがってゆくと、それまで薄っすら聞こえていた祭囃子が確かなものとなり、現れ始めた露店にはもう人が群がっていた。華やかな賑わいである。
 この賑わいを彩るように、何かが香っていた。香でも焚いているのだろう。それにしても清潔な香りだった。
 人垣が出来ていたので、何の見世物ですかと水飴をなめている女性に尋ねると、すぐによそ者と気がついた顔で、
「お葬式ですよ」
 という。
 悪い冗談だなと人を掻き分けると、路地の真ん中に棺が半ば立てかけられてあり、その中に花々に埋もれた老人の遺体が確かに収まっていた。
 ――すると、この香りは花のものか。
 咄嗟に浮かんだのはそんな場違いな考えだった。それほど、その香りは印象的だった。
「死人の臭いなんです」
 と、私は余程おかしな顔をしていたのだろう、近くの男性が素早く諭すように告げた。
 馬鹿な、と口を開きかけた時、私の頭の中で光が灯った。
 ――みやびだ。
 そうだ。この香りはみやびのものである。その事を男性に告げると、
「この町の人間はみやびをたくさん食べるでしょう。だからなのか、死ぬとこの香りが噴きだすんです」
 といい、こういう香りだから陰気にならないんですよ、と続けた。
 はあ、と曖昧にそれにこたえると、私は棺に向かってしっかり合掌してから、周りの人達と同じように、華やかな祭を楽しむ事にした。



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