第53期 #23

ドア

 白い貼り紙。ビルの通路にずらりと並んだドアの一つに、テープで簡単に留めてある。窓は開いておらず、風はなく、誰かが剥がそうとしなければずっとそこに貼り付いたままだろう。
 貼り紙には百文字程度の短い文章が記されており、時折通り掛かった者が覗き込んでいく。読める者もいれば、読めない者もいる。読めない者は一様に首を傾げて通り過ぎるだけだが、読める者は何故かドアを開けて中に入っていく。ドアに鍵は掛かっていない。しかし、張り紙を読めない者には開けることができない。中に入った者が出てくることはない。
 ドアに耳を押し付けてみると、カリカリと何かを引っ掻くような音が微かに聞こえてくる。カリカリカリカリカリカリ……と、延々と続くその音を聞くことになる。
 物心もついていないような幼い頃に聞いた音。不安で曖昧な夢の中で聞いた音。気のふれた音。


 ガタガタとビルが揺れる。床や天井がひび割れ、通路に人の頭ほどのコンクリートの塊が落ちてくる。外で沸き起こった悲鳴が中にまで染み渡り、鮮やかな色の火柱が何本も上がる。幾つかの窓ガラスが割れる。
 それでも、カリカリと何かを引っ掻くような音は続いている。


 火が治まる。悲鳴が治まる。


 貼り紙は変わらずドアにある。ビルは静かだ。しばらくは誰も通路を通らなかったが、あるときヘルメット被り銃を抱えた男が現れる。一人だ。物音のたびに銃を構え、警戒しながらビルの通路を進む。ふと、あのカリカリという微かな音を聞き捉え、周囲を見渡しているうちに、白い貼り紙の存在に気づいた。
 男は書かれている文字を読む。そして、まるでそれが決まっていた事柄であるかのようにドアを開け、中に入る。彼からは、その直前までにあった警戒心が消え失せていた。
 また、ぽつぽつと通り掛かる者が現れる。ドアを開ける者も、開けない者もいる。男もいれば、女もいる。しかし、やはり入った者が出くることはない。
 晴れた日だ。窓から差し込む明るい光がキラキラと埃を照らしている。そんな朗らかな日に、ドアの隙間から、ねっとりとした赤い液体が染み出てくる。
 血のような赤。粘りつく赤。染み出した赤がドアを濡らし、床を、壁を、染め上げていく。ゆっくりと広がっていく。嬲るように、取り込むように、全てを赤に変えていく。
 やがて、カリカリと響いていた微かなあの音が止まる。
 ビルは静かだ。全てが静かだ。もう貼り紙を覗き込む者はいない。



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