第53期 #22

バトン

 からりと晴れた空。青は高くどこまでも突き抜ける色。仰向けに倒れていたら体が浮いているような気分になった。風が吹くと、地に任せた背中のあたりから幸福感に包まれる。この気持ちが何なのか、どこから来るのか僕は知らない。
 土手の上、空と風と地の狭間。普段の自分からは想像もつかない穏やかさ。何もかも洗い流してしまったような、しんと深いところに降り立つような静寂。他人と親密になったり軽口を叩きあったりするのが苦手で、いつも周囲から浮いている。いつでも何か問題を抱えている。心の中で悪態をつきながら、顔は真逆の表情を作る。自分の仕事ぶりに満足できずに自己嫌悪に陥る。どうしたらその繰り返しから抜け出せるのか考えつかない。だからできるだけ長く、そうやって何かに一体化したような安らいだ時間を満喫していたかったが、静寂は破られた。視界を巨大な向日葵が横切り、思わず飛び起きた。
 見えたのは、向日葵を担いだ女だった。そして、普段の僕なら決してしないであろうことをした。立派な向日葵ですねと声をかけたのだ。女は立ち止まりながら振り向いた。向日葵は根ごと引き抜かれ、女が振り返ると根から乾いた土がパラパラこぼれた。女は訳知り顔で僕の方へ、今辿った数歩分の道を引き返して来る。
「はい」
 女は担いでいた向日葵を差し出して来た。受け取れという意味にしか取れない。女の少し長過ぎる髪の毛が、ふらふらと風に揺れている。小さめの顔に、やや吊り気味の猫みたいな目をきらきらさせている。しばらくじっと見つめ合っていた。
 女は、もう一度「はい」と言って、さらに向日葵を僕の方へ近づける。それでも僕が黙って立ったままでいると、半ば押し付けるようにして向日葵を僕に持たせた。
「これね、次はあなたの番。この向日葵を植えなさい。種ができたら、来年の夏また花が咲くようにその種を撒いて、一番立派に育った一輪を根っこごと掘り出して、枯れないうちに次の人に渡すの」
「次の人…?」
「やってみれば分かる。わたしも前の人にそう言われたけれど、うん、本当にその通りだった」
 女は晴れ晴れとした笑顔を残して歩いて行ってしまった。僕は土手に立ったまま女の姿が見えなくなるまで見送った。女の晴れ晴れとした笑顔がいつまでも頭を離れない。この向日葵を女の言う通り次の誰かに渡したらその理由が分かるのだろうか。僕はゆっくりと土手を下り、歩き出した。向日葵を植えるために。


Copyright © 2007 たけやん / 編集: 短編