# | 題名 | 作者 | 文字数 |
---|---|---|---|
1 | 感覚という名の情景 | k-itaru | 1000 |
2 | 見送り | マサト | 739 |
3 | 雲の上の幸せ | 東雲 輪 | 995 |
4 | 涅槃 | 坂口与四郎 | 1000 |
5 | ミッション・イン・ザ・ダーク | 野郎海松 | 1000 |
6 | あるプロポーズ | のぼりん | 1000 |
7 | 数 | 朽木花織 | 1000 |
8 | 傘を広げて | 川島ケイ | 1000 |
9 | 砂のユートピア | 逢澤透明 | 1000 |
10 | ホワイトクリスマス | Nishino Tatami | 1000 |
11 | くたばれホピエンサモス | 紺詠志 | 1000 |
12 | プロ・ドール | ラリッパ | 1000 |
13 | (削除されました) | - | 1000 |
14 | 人の声にその本性が顕れることについて | 海坂他人 | 1000 |
15 | 河童 | 曠野反次郎 | 999 |
私が1番最初に覚えてる感情は音だった。父親に殴られて、レイプされた。そのときの音を鮮明に覚えてるわけではないのに、でも今でも脳内の奥深くにこびり付いてる、そのなにか不鮮明な音が。
私が今1番好きな音は「ドビッシュー」のアラベスク。 これを聴いていつも私は窓の外から遠い空を見上げてる。
其処に何があるかと聴かれたら、まず何も無い。そう答えるしかない、なにも無いんだから。 でもその場所は私の居場所に違いは無い確実に。
今は私は母親と2人で暮らしてる、母親は神経的なノイローゼになり、私が風俗で働いて収入を賄っている。風俗で客を相手にセックスをしても私は本当に何も感じない。 感覚が無い。だからこの仕事は私にきっと向いているんだろう。 そう想う、本当に。私が何も感覚を持ってないのはきっと父親にレイプされたあの日からだろう。そのときから一切の感覚が消えうせた。殆ど。それでもドビッシューのアラベスクだけが私の感覚になっている、不思議な事に。その音は何もかもを包み込み、感情というなの私の持っていない感覚を運んできてくれる、耳から、脳内へ、ココロへ。 錆び付いてギシギシと音を立ててるようなココロにも。その日の明け方に家に帰ると母親が居なくなっていた。私は限りない不安に襲われた、母が1人で何処かへ行くなんて今まで無かったから。
そのまま2日が過ぎていった、そのあいだもこの音だけが私を包み込んでいた。 私はこの時間だけが感覚が戻ってくるような、そんな気がしていた。父親の恐怖のに恐れおののいて音を嫌った私にも、感情という名の音を運んでくれる気が。嫌な予感は的中した、もっとも一昨日に帰ってきた時から大体は嫌だけど予想はついていた。母は赤信号を無視して車に跳ねられて首が取れて死んだそうだ。死体の確認もされなかった、きっとあまりに惨い姿だから見せられないのだろう。
私はその夜仕事を休み、1人で公園のブランコに乗ってみた。
いつから私の人生は狂い始めてしまったのだろう? いつから感覚が消えたのだろう?なぜ父は私を犯したのだろう?そんな情感をアラベスの調べが強く思考を回転させる、強く、強く。でもそんな事を幾ら考えようとも答えなど出ない事を私は誰よりも知っている。そうそれでいい、そのままで、このままで、此処でいい。この音が私に感覚という情景を与えてくれるなら、与え続けてくれるなら。それだけでも私は生きていく。
大きな荷物を脇に置きながら後部座席に腰掛けている息子の姿は酷く頼りなげに見えた。
バックミラーの角度調節を装い、何度も息子の姿を盗み見ながら、「どうだ?あっちに行っても上手くやれそうか?」と父親は息子に話し掛けた。「ああ、何とかやれるよ。」息子はつまらなそうに返した。
早朝の車道は車の数も少なく、無理無く駅に辿りつけそうだ。
「生活が辛くなったら、いつでも帰ってくれば良いから。」父親はそう息子に話し掛けたが、バックミラーに映る息子は、寂しげでも悲しげでもなく、ただ黙って過ぎ行く景色を眺めていた。
「学校卒業したら、こっちに戻って来るか?」父親は沈黙を恐れているかのように、また質問をした。
「さあ、どうかな。あんまり好きじゃないし。」と味気なく答えた。
「正月休みになったら一度帰って来て、向こうの様子を聞かせてくれな。」
「帰って来られるお金があったらね。」息子は初めて軽く笑顔を見せた。
「金なら払ってやるから心配しなくても良いって。一度帰ってこい。」父親は、まだ幼かった息子へ言い聞かせた時のように、静かにそして断定的に言った。
「ああ、うん。わかった。」息子は父親の断定的な言葉に、多少含みを残しながら頷いた。
「可愛い彼女、連れて帰ってくれば良いからよ。」
「その時に彼女がいたら連れてくるよ。」息子は眠そうに欠伸を噛み殺しながら答えた。
父親はハンドルを握りながらも、脇を過ぎ行く銀杏の青々しい木々を非常に頼もしく感じた。
父親の手を離れつつある息子は、猛々しく繁るこの銀杏の青葉のように、まだ見ぬ明日を見据えているかに思われた。息子にとって父親とは枯れ行く銀杏の葉のように映るのかもしれない。
父親は再び無表情な息子の姿をバックミラーで盗み見ながら、ハンドルを握る自分に疲労感を覚えた。
深いまどろみの中、気がつくと私は、とても柔らかい場所に横たわっていた。ひんやりとした心地よい毛布。真上には、青い空にぽっかりと浮かぶ太陽。
私は立ち上り、ゆっくりと歩き出した。ふかふかの地面は私の歩みを助けるように優しく上下に躍動する。歩いているだけで心が安らぎ、自然と軽快な足取りになる。
白い大地と青い空。私のいる場所は、雲の上だった。
やがて人の声が聞こえてきた。私は雲の上で初めて緊張した。用心深く歩みを進めながら、声のする方へと近づいていく。
聞こえてくる声は序々に数を増した。胸がきゅっと痛んだ。それは忘れかけていた感覚、恐怖というものかもしれない。だがそれはとても楽しげな声で、私はそれを聞いているうちに、自然と微笑みを浮かべていた。
近づいていくと、そこには驚くほど多くの人間がいることが分かった。見渡す限りに人の群れが連なり、そこにいる人すべてが幸せそうに笑っていた。
「あ、新しい人が来た!」
一人の少年が叫んだ。
私は不安を覚えた。私はここへ来てはいけなかったのか。彼らの楽しい時間を邪魔したのではないか。
「ようこそ雲の上へ」
少年は私の不安を察したかのように言うと、一片の雲の切れはしを差し出した。私はそれを受け取った。少年の暖かい温もりがあった。少年はにんまり笑うと、私をみんなに紹介してくれた。
月日がたち、私は幸せに浸かっていた。ここではいつも笑いが絶えず、いやなことはひとつもない。私は好きなだけ遊び、好きなだけ眠る。そんな暮らしがどれだけ続いたか。だがやがて、私は不安になった。
私は最初に出会った少年に話した。
―私、帰ろうと思うの。
―なぜ?
―不安なの。
―なぜ?
―ここにいると、私、幸せすぎるの。
―それじゃいけないの?
―不安が欲しくなったの。
―……。
―お願い、帰る道を教えて。
―帰っても、いいことなんてありはしないよ。不幸になるだけだ。ここにいればずっと幸せに生きていける。
―私、分からなかったの。不安や恐怖、それらと向かい合うことこそが、生きるっていうことだと。ここにいると、生きている気がしなくなっていって、やっとそのことに気づけたの。
少年はしばらく考えていたが、やがて一つの方向を指差した。
―ここをまっすぐ行くと、下へ降りる階段があるよ。そこをずっと行くんだ。
少年は別れ際に小さな声でさよなら、と言った。
だが私にはもう、その声は聞こえなかった。
見通しの良い直線を全速力で走り抜け、突き当たりのY字路を左に曲がる。曲がると同時に垣根を二つ乗り越え、他人の庭に進入し、小走りでブロック塀沿いにもと来た直線を逆行し最初の道へ。駅まで走り電車に乗る。無駄かもしれないと思いながら混んでいる車両を選び出来るだけ身を隠そうとするが、そんなことは所詮自分を落ち着かせるためでしかなく、あいつはそんな私を冷ややかに、且ついつものようにだらしのない口元へ二本だけ指を当てる独特の嘲笑をしながら眺めているのだろう。自分が滑稽なのはわかっているが私は止めない。止めるのはあいつだ。走らなければ。
イルミネーションに彩られた通りの人ごみに紛れれば、あいつから逃げられるかもしれない。すれ違う猫背の男達や、手を繋いで歩く親子連れ、甲高い声を張り上げる若者達、身を寄せ合いながら歩く恋人、なんにでも私はなれるがどれにも私は属さない。そう、あいつのせいで。私はあいつから生を与えられ、そのために一人ぼっち。こうやって逃げることも多分あいつの計算どおりでどんな人ごみの中にいようと必ず発見される。逃げなければ。
あいつを撒くためにビルの隙間に入るが、壁に反響する靴音でみつかるのではないかという不安で何度も後ろを振り向きながら、まさかこのビルの上から走る私を観察しているのではないかという恐怖に襲われながら、障害物をかわし走る。妄想だと思えば私もだいぶ楽になるのだが、その発想自体が妄想であり現状から逃げるためにはあいつから逃げるしか方法がなく、夜だというのに唖々、と声が聞こえる暗闇を否定する街には私の隠れる場所は無い。ここから出なければ。
タクシーを拾い運転手を急かすが、スピードはだしてもらえず、後続の車のランプに戦く。タクシーを追い越す車を凝視していたが、あいつがそんなことをするはずがない。怯える私の姿を一番面白く見られる位置にいるのだ。私にはタクシーの運転手以外の呼吸音が聞こえる。あいつの呼吸音だ。その音は私 の息遣いと重なり、私とあいつが同化して私自身が私を楽しく眺めているかのような錯覚に陥りぞっとするが、この寒気は私にしかないもので、あいつどころかタクシー運転手にすら伝わらない。暖房を上げてくれ。
タクシーを降り、少し歩くと岸壁に出た。私は
「最後までついて来たか」
と言って海に飛び込む。
そしてやっとお前から与えられた務めを終えて安らかになれるのだ。
それはコンビニで晩酌用の缶ビールを買った帰り道でのことだった。
運命? いや違う。はっきりとノーだ。偶然が運命の又従兄弟であっても。
立ち並ぶ住宅――シビックが停まっていた――の陰から、白い人影が躍り出て、僕の死角に回り込み、どかっと体当たりしてきた。僕はビニール袋に提げていた缶ビールを、したたか電柱にぶっつけた。僕の手が滑らかな人肌の感触を捉えた。
「ごめんなさい」全裸の女が言った。
「あ、いえ」僕は面食らって答えた。
「困ってるの」
彼女は言った。時刻は深夜零時、季節は冬だった。にも関わらず、彼女は全裸だった。
「どうしたの?」
「とりあえず、人気のない処に連れて行って?」
誓って言うが僕には下心はなかった。とりあえず僕は羽織っていたコーデュロイの上着を脱いで彼女に着せてやり、近くの公園へと向かった。深夜零時の公園には幸い人気はなかった。僕は彼女をベンチまで導き、素肌には冷たいだろうと腰掛けた自分の膝の上に彼女を座らせた。
彼女は僕の両肩にそっと手を置いて、何も言わず何も言わせず、キスしてきた。何度も何度も。僕は仕方なく(仕方なくだ)彼女の腰に両腕を回し、彼女の唇に応えた。やわらかな小さな唇だった。
「追われてるの」
彼女はキスの合間に囁いた。いつの間にか僕は勃起していた。窮屈なジーンズの中で身悶える僕の性器は、彼女の太ももに齧りつかんばかりだった。
「誰に?」
「悪いやつらよ」
「どうして?」
「借金のカタに何もかも取られたの。服もよ。さっき停電があって、それで振り切って逃げて来たの」
彼女は震えていた。恐怖のせいなのか、寒さのせいなのか、羞恥のせいなのか、僕には分からなかった。たぶんその全部だろう。
「あたしを守ってくれるよね? ねえ、何でもしてあげるわ。何でも」
公園の反対側のフェンスの向こうに、二人の男が慌しく走って来るのが見えた。街灯に照らされた彼女の不安そうな表情は、僕に救いを求めて小刻みに揺れ動いた。
「いたぞ!」
僕が迷っているうちに、男たちの方が僕らを発見した。僕は弾かれたように、彼女を抱いて走り出した。心臓がどきどきと早鐘を打った。
「回り込め!」
男たちの革靴の音が前後から僕らに迫ってきた。
「ねえ、あたしを守ってくれるよね。はっきり口に出して言って?」
僕は彼女を見つめた。
「君を守る」
僕は宣言した。行く手を塞ぐ男の顔面に、缶ビールを叩きつけた。そして闇を走った。
木陰の中で、彼はある決意を秘めて彼女を待っていた。
それは彼の熱い思いを抑えるには堪らなく長すぎる時間だった。いや、思い出を振り返るには、あまりにも短かすぎる時間だったかもしれない。
彼の横顔を撫でる木漏れ日がいつの間にか赤みを帯びて淡く儚くなってきた頃、乾いた風の香が、その道のはるか先にやっと彼女を運んできてくれた。その小さな姿は、両手で上手に包みこんでしまなければ、すぐに消えてしまいそうな陽炎のようだ。
彼女の家へ続くこの長い一本道から、今日こそ彼女を奪い去っていくつもりだ。それが長い時間をかけてたどり着いた彼の結論だった。
ところが、彼は急に動けなくなった。彼女の事をその遠景ごとそっくり大切にしたいという思いが、今になって彼をためらわせたのである。
「あら」
彼女は小さな声を出した。
その時、一瞬逡巡する彼の背中をぽんと押した者がいる。天使だったのかもしれない。
気がつくと、彼は彼女の目の前に立っていた。
慌てて後ろを振り向いてみたが、もちろんそこに誰もいるはずがない。そういうしぐさは、まるで初恋の苦しみに胸が潰れそうになっている少年のようだった。
もはや、どこにも逃げられなかった。
「帰ってきてくれないか」
あまりにも唐突な問いかけである。彼女は笑っているしかなかった。
彼はその透き通ったような笑い顔がいつもたまらなく好きだった。
彼らの気持ちはすでに通じ合っている。彼女には彼の言いたい事が分かっていたし、ふたりの間の問題が何なのかも分かっていた。
「君とはいつも誤解の連続の中で暮らしていた。でも君を失って初めて分かったんだ。君ともう一度やり直したい」
「でもあなたは、いつだって逃げているわ」
彼は叫ぶように言った。
「もう逃げはしない。結婚しよう。これから僕の家に来てくれないか。君のこと、父も見たいと……あっ!」
その瞬間。目の前が真っ暗になった。
鼻に焼きごてを押し付けられたような激痛とともに、彼は地面に転がっていた。彼女のパンチが彼の顔面に見事にヒットしたらしい。
「な、なんで……」
「馬鹿にしないでよね。乳揉みたい、なんて言われて、この私がのこのこと、あなたの家へ付いて行くと思ったの」
はっきり言って、誤解をするのはいつも彼女のほうである。いつだって憎みきれない彼女……。
しかし、今は取りあえず気絶しておくしか方法がないな……。
彼は薄れる意識の中でそう思った。
「別れよう」
アタシ、今まで和気藹々とデートしてきて結局それがエンドのセリフなの?って言ったら、彼に、好きな娘できたんだ、って言われた。しし信じらんない!
家に帰るなり即行、親友のトモ子に電話を掛けた。
「あああアタシ、捨てられたんだ!何も悪いことしてないのにアタシ!あいつが悪いのよ!あいつが!もう、もっと早く言ってってカンジ!アタシこのデートのために新しいコートでキメていったのに、結果『好きな娘できちゃった』の一言なんて馬鹿みたいじゃない!」
ものすごい剣幕でがなると、トモ子も「そんなヤツ捨てちゃえ!コッチから!」と一緒になって怒鳴ってくれた。その言葉でちょっとすっとしたけど、2時あたりで「ごめん明日仕事」のガチャリ。消化不良。
(アタシ可哀想)
そう思って携帯のメモリー番号にどんどん掛け捲って、ねえねえ聞いて聞いて。でもテキトーに相槌を打ってくれる人さえ、時間が経つとどんどん数少なくなり、電源を落としている人、出てくれない人が増えていく。その事態にもムカついて、つい最近飲み屋で知り合った女の子にも電話する。
「はい?」
やったー出たー!と握りこぶしでアタシは一気に溜めていたパッションを爆発させた。「あのねあのねちょっと聞いて!」
これこれこういうことでアタシ可哀想でしょう!?ねえ!アタシがこんだけ悲しんでいるんだから、もっとみんなそれに付き合ってくれてもいいじゃんって思うのよねー!
そんな話を延々と続けて、遂に朝日が昇るまで。
するとかなり胸のつかえが下りた気がしたから。
じゃー、またねー、で終わろうとした。
「265回」彼女の声。
え?と数瞬の空白の後アタシが声を出してから。
「あんたが『アタシ』って言った数。途中から数えたんだけど」
冷静な声で言われてしまい。
なんだか悲劇に没入していた自分や、それに伴うあまり知らない人へ熱を上げて語っていた行為や、そういうものが全て恥になってアタシに襲ってきてつまり。
「あああアタシ……」
涙がじわじわ眦に浮かび、鼻水が零れ落ち。
「うん」
先を促すその相槌があまりに優しかったので一気に崩れた。
「アタシのことが嫌いいいい、うわああああん」
「そっか」
彼女の声はあくまで穏やかだった。「アタシも失恋したことあるけど、あんたほどじゃなかったわ」そうしてため息一つ零れ落ちる音。
それをきっかけにアタシはまた、自己愛による恥でひどく崩れていった。
鼻の頭に冷たい滴が触れて、見上げると頬にひとつ、ふたつ、雨が落ちてきたから、傘を広げた。
「たあ子ー」
声のする方を見ると、マキは小さな傘にしがみつくようにして、左右に揺れながら降りてきた。横から風が吹いて、ぐんと流されたマキは、あわてて足を伸ばして地面に着けた。感触を確かめるように足踏みをして、私のほうを振り向いて目を細めた。
「や、ごめんごめん、出かけようとしたらなんか雲行き悪いから、折りたたみ持ってきたの。外出たらいい風吹いてたからさ、せっかくだから風に乗って行こうと思って。そしたら流される流される。こんな傘じゃ、だめね。いやーもうたいへんだったわ」
そう言って悪びれずに笑うから思わずこちらも笑みがこぼれてしまったけど、すぐに頬を引き締め口をとがらせて、「だったらふつうに歩いてくればいいじゃない」と返した。
「そーなんだけど、ま、せっかくだから、ね」
マキはくるりと傘を回した。
「若いねえ、マキは」
しみじみと思ったから、しみじみと言った。年は変わらないのに、マキにはそういう無邪気なところがあって、ときどきうらやましくなることがある。そういえば私はもうずっと、雨のときにしか傘を広げていない。
「じゃあ、どこ行こうか」
マキは大きく目を開いて、私の顔を覗き込んだ。
「チロリ屋行こっ。ほしい帽子あるの。えっちゃんが言ってたんだけど、すごいのよ、それかぶって体重計乗ると、二キロくらい軽くなるんだってさ」
と、楽しそうに目を輝かせる。
「えー、それってずるいよ」
「ん、まあ、いいのいいの。ほら、たあ子にも貸したげるからさ、ね。とりあえず行こう、さあ行こう」
マキは宙に手をかざして、それから傘を前に傾け、つま先立ちをした。二、三歩流されるように歩いて、「よっ」という小さな声とともに地面から足を離した。小さな傘で頼りなく漂うその姿を見ていたら、なんだか楽しくなってきた。
ゆっくり息を吸って、静かに吐いて、すっと、体の力を抜いた。風が吹いて、流されそうになる傘を、体に引き寄せた。傘の動きに身をゆだねて、体を伸ばした。かかとが浮き、つま先が地面を滑り、そして、離れた。ふらふらと揺れる足が落ち着かなくて、体を丸めるようにして傘にしがみついた。
マキがこちらを向いて「おーいいねでっかい傘は」と言った。私はちょっと照れくさくなって、なにも言わずにただ笑った。風が吹いて、体がふわっと浮き上がった。
地面の砂をはらいのけると、龍のような架空の動物の飾りものがあらわれた。よく似た動物が魔よけとして使われていたのを民族学の教科書で見たことがある。
「これがその……」
とぼくはいった。
「ああ地図だよ。少なくとも古文書を解読したナブ・アヘ・エリバ博士はそう訳している。『実物大の地図』と」
マックダンは西の空を見上げて、続けた。
「空気は湿っているし、風も強い。降りだしたら、あっという間だ。着ておいたほうがいい」マックダンはバックパックからレインコートを二着とりだし、一着をぼくに投げた。「向こうの空を見ろ、予想どおり雨季がはじまる。ここは危険だ。移動しよう」
黒い雨雲が西の空を埋め尽くしていた。砂の荒れ吹く乾季が終わり、短い雨季がはじまろうとしていた。
雨が降りだしてから何時間になるだろう。マックダンがいった。
「砂が水を吸った。そろそろだ」
雨はどこまでも激しく降り、風は吹き荒れ、レインコートはただの気休めにすぎなくなっていた。
「さあ動くぞ」
いままで雨に打たれるだけだった砂が、まるで群をなす無数の巨象が一斉に目覚めたように、あちこちひび割れ、動きだした。雨水と溶けあった砂の流れは低い轟音をたて、ぼくのからだを震わせた。
「昔、この地の王が地図職人たちに大勢の奴隷をあたえ、ここに地図をつくるように命じた」
古文書にはそう記されていた。
「とうに滅びたアッシリアの都市の地図をつくれ。ありとあらゆる細部を正確に記した実物大の地図をつくれ、と王は命じた」
砂は地面の傾斜にしたがって一方向に流れていたが、数カ所、流れの向きの違う場所があった。徐々に砂が減っていくと、そこから塔らしきものが現れた。塔の先端には、さきほどの架空の動物が立ち、西の空を睨んでいた。
時の流れを忘れ、ぼくらは砂の流れを見ていた。砂が流れて減っていくにつれ、ひとつの都市が姿を現しはじめた。いま、ここで、神が大地を削り、ユートピアを建造しつつあるように思えた。完成すれば都市は活気ある人々で溢れ、一度滅びた都市の復活に歓声をあげるのだ。
「王がなぜ地図をつくろうとしたか、わからない。本当にこのような都市が存在したのか、わからない。ただひとつわかっているのは王の死後、数百年にわたって人々はこの地図を造り続けた、ということだけである」
この地図にある家々の書棚に納められた本を一冊とってみれば、最後まで読むことができるという。
夜の11時になっても眠れずにいる桜は、居間にあるテレビの電源を入れた。丁度天気予報が終わるところだった。
「…明日は全国的に気温も上がり、ホワイトクリスマスとはいきませんが、過ごしやすい一日になりそうです。以上気象予報でした。…」
その後に続く退屈な深夜番組を漫然と見続けていた桜は、父が後ろに来ていたことに気付くのに時間がかかった。
「あっお父様、何だか今日は眠れなくて」
「まあ明日はクリスマスイブだからな、そわそわした気分になるのは分かるよ。でも子どもは眠るのも仕事のうちだからね」
「ご免なさい、ところで、今年もホワイトクリスマスにはならないそうよ」
桜には「ホワイトクリスマス」の意味は理解できなかったが、父がそれを問い質すようなことをしないことぐらいは知っていた。
「そうか、この頃天気が良かったからね」
父は暫く考え込んだ。本当は考えたふりをしているのかも知れないとは、桜には考えることができなかった。
「よし分かった、何とかしよう。その代わり、明日は7時までに起きるんだよ」
翌朝、約束通り早起きした桜に、父は特別誂えのドレスを着せた。右肩に桜を乗せ、左肩に大きな鞄を抱えた父は、車庫へと向かった。
「お父様、どこへ向かうの」
「まだ内緒だよ」
近所までドライブに行くにしては荷物がいささか大げさすぎる。そんなことぐらいは桜にも理解できた。一体何処へ向かうのか、隣の町か、山の奥か。或いは以前行ったことのある温泉か。桜の想像力で思いつくのはそこまでだった。
少し寝不足な桜にとって、チャイルドシートはちょっとした揺り籠だった。やがて桜は深い眠りの中へと落ちていった。
雲一つ無い青空。そして足下に広がる白い世界。父の腕の中で目を覚ました桜が最初に見た光景だった。
「本当に真っ白…これがホワイトクリスマスなのね」
その白い世界が砂浜であることに桜が気付いたのは、暫く経ってからのことだった。
「綺麗な景色だろう、冷たい雪だけがホワイトクリスマスじゃないんだよ」
父は桜のためにわざわざ南の島へ行く航空券を買い、更にパーティをするためのちょっとしたホテルを予約していたのだった。しかしそんな細かなことは桜にとってどうでも良いことだった。ただ父が「ホワイトクリスマス」を見せてくれたことが、桜にとって一番嬉しいことだった。
二人は大きな鞄の中からクリスマスツリーを取り出し、どこまでも続く砂浜の上に立てた。
「メリークリスマス!」
ホピエンサモスどものやることなすこと、すべてが気にくわない。やつらときたら、なんでか知らないが僕を苦しめる。やつらは僕を苦しめるためだけに存在しているのだ。
これは本当だ。真実だ。ホピエンサモスはいつだって僕を苦しめる。しかも、やつらはどこにでもいるのだ。政治家のほとんどはホピエンサモスだし、僕の学校の先生はみなそうだ。生徒もだいたいそうだろう。両親も……その疑いが濃厚だ。兄キなんか、有名私立高校にかよってるくらいだから、まちがいなくホピエンサモスだ。
この世はホピエンサモスに満ちている。そして僕への悪意に満ちているのだ。証拠を挙げればキリないが、ちょうど今日、コンビニで、やつらの一匹に遭遇した。
そのホピエンサモスは、うまいこと店員に変装して、そ知らぬ顔してレジにつっ立っていたが、僕ぐらいになってくると、一目でそれとわかる。バレバレなのだ。さもヒマぶって手のツメの先をながめているうつろな視線は、まさに若いメスのホピエンサモスのそれだ。
僕はわざと気づかないフリして早足に雑誌を取り、ずんずん歩ってレジのカウンターに本をたたきつけてやった。
そしたらホピエンサモスのやつ、雑誌の表紙を見て、それから僕の顔を見た。
〈中学生でしょ?〉
あえて口にはしないが、そうメスの顔には書いてあった。ホピエンサモスのやりそうなことだ。そうやって暗に僕を苦しめるのがやつらのやりかただ。中学生でなにが悪い? 僕は一度だって中学生になりたいなんて思ったことはない。すべてはホピエンサモスが決めたことだろ?
「八百円です」
しらじらしく言うホピエンサモスに、僕は八百円をくれてやった。そして、けがらわしい手からレシートなんか受け取らず、雑誌をひったくってまた早足にコンビニを脱出したのだ。
もうあのホピエンサモスのことは忘れよう。僕は無事に部屋へ帰れたのだから。ドアにカギをかけて、ベッドに横になると、買った雑誌をひろげてズボンを下ろした。
なんてこった! 僕は見た。どいつもこいつもホピエンサモスのメスじゃないか。スッ裸になって股をオッぴろげて……その黒く塗りつぶされた部分の奥から、次々に新手のホピエンサモスをヒネり出そうとかまえている。未来の僕を苦しめるために!
僕は雑誌を放り投げて布団をかぶるしかなかった。こうもやることなすこと、すべてが僕を苦しめるホピエンサモスなんか、みんなみんなくたばっちまえ。
全身に温風を感じながらも、時折氷柱を飲み込んだような寒気が沸き上がって来る。首を動かそうとした時にだみごえが聞こえた。
「おい、無理に動かすと筋繊維がぼろぼろになるぞ」
視界の隅にぼんやりと大柄な男の姿が映っている。
「今日はパークが休みだから明日までにその体に慣れりゃいいよ。解凍が終わったころにまた来(く)らあ、じゃあな」
そう言い残し男は外へ出て行った。
(ここはどこで、あの男は誰なのか。パーク、解凍、体に慣れる? そして俺は一体誰なんだ)
混乱と同時に強烈な睡魔が襲って来た。
「あ、あそこにドールがいるよ。パパあいつを追い掛けて!」
「ようし、今度は逃さんぞ」
(いかん、見つかった)
砂利をはじき飛ばして急発進したジープは、みるみる距離を詰めて来た。ジグザグに逃げているにも関わらず、林を貫く自動サーチの光りが的確に捕そくして来る。
「まさひろ、今だ、撃て!」
背後に父親の声を聞いた次の瞬間、体が宙に浮き、閃光と同時に焼けるような痛みが背中を襲った。
気が付くとあぐらをかいたカタミミがいた。その向こうでは回収車が廃ドールを運び込んでいる。
「運が良かったな。転倒してなきゃ今ごろお前さんもあいつらのお仲間よ」
そう言うと、穴だけの耳をこりこりと指でかいた。わき腹に手術痕を持つ俺同様、彼も羊水池で培養し必要部分を削ぎ落とした後の残渣なのだ。
「車と同じ方向には逃げない、これ基本ね。九十日も生き延びてきた俺が言うんだから間違い無い。だから――」
枯れ枝を並べての講義が始まった。
「明日は立ち入り検査の日だったよな」
俺はカタミミの話を遮り、決意を込めて尋ねた。
「そうだけど、なんだよ突然に……お前まさか」
俺はうなずき、計画をすべて打ち明けた。
屹立する灰色の塀の前にひとりと四十九体が横一列に並べられた。
「次、二番。何か言ってみろ」
査察官が順次質問してゆくが、この日のために用意された正規のドールたちは、焦点の合わないうつろな目をして何も答えない。
「八番ドール異常なし」
(俺はどうなってもいい。このパークの不正をすべてぶちまけてやる)
俺の前に査察官が立った。
「九番、何か言ってみろ」
「こいつらは替え玉だ。このパークは俺を含めた全員が記憶を移植された違法ドールなんだ」
静まった園内に叫びが木霊した。
ゆっくり振り返った査察官は、園長と目配せすると向き直って宣した。
「九番ドール異常なし!」
僕は森の中で獲物を捜していた。
年寄りたちは「森は変わった」と言う。切り倒した木々を運ぶために、森を裂く道が造られた。密猟者が増え、獲物は年々少なくなっていく。
葉陰の奥に奇妙な光が見え、僕は立ち止まった。身構えていると、白い光に包まれた痩せた男が現れた。
「やぁ。うまくいっているかい」
聞いたことのない言葉だったが、不思議なことに意味は分かった。
「ええと。あまりうまくいっていません」
「それは気の毒に」
僕は言葉が通じて、ほっとした。
「何かお役に立てることはありませんか」
「ありがとう。でも、なぜ?」
白い人の両手と両足には穴が空いていた。
「痛みを見せない人は勇者だと祖父は言っています。勇者の手助けは誉れです」
「勇者、か」
白い人は苦笑した。
「それでは、一つ教えてくれないか。君は何を信じている?」
「難しいですね」
僕は考えた。
「両親は自分を信じていれば間違わないと言います。そうなれるように僕は努めています」
「そうか」
「もちろん家族や村の人も信じていますよ」
僕は慌てて付け加えた。
「自分を信じて、人を信じるというのは正しい生き方だ。私はそうではない生き方をしている人を捜している」
僕は首をひねった。
「例えば、誰かの言葉を疑いもしないで信じる人、かな」
「僕も他の人の言葉を信じますよ」
「でも、その意味を自分で考えるだろう?」
「もちろんです。それが人だと祖母に言われました」
「賢者の一族だね」
白い人は笑った。
「私はそういう連中を捜し出して、一人残らず連れていく仕事をしているんだ」
「どこへですか」
「自分で何も考えなくていい楽園へ、さ」
「楽園ですか。そうは思えないけど」
僕は顔をしかめた。白い人は肩をすくめた。
「よければ、村に来ませんか。傷薬や酒があります」
「傷?」
白い人は両手の穴を見つめた。
「これは、足もだが、古傷でそれほど痛みはないんだ。酒は仕事が終わってからいただこう。また来るよ」
「そうですか。では、お待ちします」
うなずくと、白い人は天を仰ぎ見た。
「この地に幸あれかし。平和と豊穣が尽きることなく、いやまさんことを」
唱え終わると、白い人は悠然とした足取りで去っていった。
やがて、道は消え、密猟者もいなくなった。白い人が言ったように、世界は平和と豊穣で満たされた。
白い人はまだ戻らない。忙しいのだろう。
父を継いで長になった私は、彼が来る日を楽しみに夜ごと酒を飲んでいる。
十二月十二・十三日の両日、私の住んでいる市で、
「朗読奉仕員養成講習会」
なるものが、有志の市民二十人ほどを集めて開かれた。
市では月に二度、広報誌を出して全戸に配布しているが、目の見えぬ人はこれに必要な情報が記されていても読むことができない。点字版は出ているのだそうだが、あれは大人になってから失明した人が習得するにはなかなか大変である。
そこで今回、我らが市でも録音版を作ろうと企てたらしく、県の点字図書館から講師を呼んで来て、音訳ボランティア養成講座が催されたという訳なのであるが、会場に充てられた市役所六階の会議室(近くに高い建物がないので眺望抜群)に一歩足を踏み入れるや、
(こりゃ飛んでもない所へ来てしまった)
という不安が芽生えたのは、集まったのが自分を除く他はすべて女性(熟年以上)で、さらに講師席を見ると、山田五十鈴と杉村春子を足して二乗したような矍鑠たる老女が四方を睥睨している。
後で本人が言ったところでは、これは確かに元女優、と言うより元劇団員、察するに演出家に怒鳴られ罵られ涙を流しながら、芸の道一筋に邁進してきたに相違ない。
この手の人々は不思議に同じような雰囲気を持って来る。軍人や巡査のような、市井の一般人とはかけ離れた片寄った性格になる。のほほんと生きている庶民を本当に再現できる訳はない。……実はこれは文学におけるリアリティも同じ事なのであるが。
それにしても、『ごんぎつね』の一節ばかりしつこく読ませるには閉口した。順に一人ずつ朗読する中に、男声は私だけで、たださえ調子は狂う、「もっと明るく」と言われれば声は裏返る、つくづく情けない思いをさせられた。
この年の瀬の忙しいのに、そんな所へなぜ参加したか。後で講師にも訊かれて、何やら訳の判らないことを陳弁していたようであるが、要は県教委が教員採用の際にボランティア経験の有無をやかましく詮議するからである。
こんな不純な動機で来たから碌な目に遭わないのだと小さくなって居たら、昼休みになって、鶴のように痩せた品の良い老女が寄って来て、どこかでお習いになったんですか、お上手だなと思ってたんですよと話し込まれてなお恐縮した。これは文学老女であった。自作の童話などを福祉施設で読み聞かせているのだそうだが、
「本当、その声で太宰治なんか読まれたらぴったりだなと思って……」
と評されたには、喜んでいいのか何なのかよく判らない。
ガタゴトと揺れる車内の中で、つり革に掴まり車窓から夕日を眺めていると、ふと「河童なんていないよ」という言葉が耳に飛び込んで来た。込み合った車内野中でその言葉は誰が発したか知れず不思議と男であったか女であったも定かでなかった。おそらく他愛もない会話の一端だったのだろうが、不思議と私は胸騒ぎを覚えた。会話の中で否定形で語りうるものとはある程度、お互いの中でイメージされうるものでなければならず、全く本当にないものならば相手に対してわざわざ否定してみせる理由も必要もない。相手に対して否定してみせる必要があると云うことは、少なくとも否定されるイメージがあるということで、それはある意味、存在していると云えるのではないだろうか。いや、そもそも存在していると確定できないからといってそれを即ち存在しない理由にしてしまうのは軽率なのではないか。<4以上の全ての偶数は二つの素数の和として表わされる>この至極当たり前のようなゴールドバッハの予想が未だ証明されず、かといって否定もされていないように、世の中には正確に決定しえないものというのがいくつもあるのだ。あるいはひょっとすると今この列車の中にも河童がいるかもしれない。
駅に着く頃にはすっかり辺りは暗くなっていた。ただ訳もなく、まっすぐ家に帰るのが憚られたので駅前の飲み屋の暖簾をくぐった。初めて入る店だったが、割り合いと感じの良い店で、ついつい杯を重ねてしまい、ほろ酔い加減になってきた頃、隣にいたすっかり酔いのまわった男が、不景気がどうのこうのと話かけてきた。しばらくは男の話に適当に相槌を打っていたのだが、そのうちに何故だかうっかり「あなたは河童ですか」と訊ねてしまった。すると男はニタニタ笑うと「そうですよ。私は河童ですよ」と言った。そして「私は河童だぁ!」と叫ぶとカウンターに突っ伏してしまった。私は店主と顔を見合わせて思わず苦笑いを浮かべると、勘定を済ませ店を出た。外では星の見えない空に月だけが白くぽっかりと浮かんでいた。私はあの男は河童であるはずはないと思った。
家に着いて玄関の扉を開けると、いつも遅く帰って来ることにうるさい妻が何故だか上機嫌で出迎えてくれた。その上、私がテーブルに着くと向かいに坐り、ついぞ見せたことのない笑顔を浮かべ、「あのね、あなたに言うことがあるの」と言った。私はただ黙って頷くと、この女こそ河童だと確信した。