# | 題名 | 作者 | 文字数 |
---|---|---|---|
1 | わらびもちを買いに | Nishino Tatami | 995 |
2 | 命のともし火 | のぼりん | 1000 |
3 | 強盗 | 黒木りえ | 1000 |
4 | 賢者の頁 | ラリッパ | 1000 |
5 | 皮肉タイム | 朽木花織 | 987 |
6 | よく晴れた青い日 | 弧葉 春雪 | 1000 |
7 | 僕ら暗闇を走りぬけて | 佑次ポッター・ハリ | 1000 |
8 | とらんすじぇにっくきゃっと | 坂口与四郎 | 1000 |
9 | ぴあの | ハチミツボーイ | 970 |
10 | 炎の中に消ゆ | 神崎 隼 | 1000 |
11 | ハロー、ミズ・フロレンタイン | 野郎海松 | 1000 |
12 | (削除されました) | - | 997 |
13 | 鳩と幼女 | 海坂他人 | 1000 |
14 | エチュードをもう一度 | 逢澤透明 | 1000 |
15 | 暮れの密猟者 | 紺詠志 | 1000 |
16 | ホザンナ | るるるぶ☆どっぐちゃん | 1000 |
17 | 循環運行バス | 曠野反次郎 | 1000 |
わらびもち つめたくて おいしいよ
わらびもち わらびもち
あまくて つめたくて おいしいよ
わらびもち わらびもち
はやくしないと いっちゃうよ
裏通りを走る葉の頭の中を、単調な歌が延々と流れ続けていた。
思えば夏休みのある日だった。宿題の手を休め、部屋から窓の外を見た葉は、その歌をスピーカーから鳴らし続ける、一台の小さなトラックと、その運転手と話をしている母の姿を見た。母は家に戻ると、トラックから買ったとみえる2つのパックを葉に見せた。
「これはわらびもちと言ってねぇ、冷たくて美味しいのよ。こういう風に黄粉を付けてから食べるのよ」
その日から、葉の一番の好物はわらびもちになった。歌とともにやって来るトラックは、来る日の間隔も時間帯もまちまちだったが、葉にとっては一番の楽しみだった。
そして今日。急に熱を出して寝込んだ母の為に、葉はわらびもちを買ってこようと、近所を探し回っているのだった。隣のコンビニでジュースや風邪薬を買おうという考えは無かった。あのわらびもちでなければ。あの美味しいわらびもちなら熱も直ぐに治まる。そんな考えだけが葉を動かしていた。しかし、あの気まぐれなトラックを見付けるのは殆ど不可能だった。それに最近そのトラックが通るところも見ない。手がかりは最早皆無だった。そう気づいた時には、ピンク色の夕焼けが空を染め上げていた。
諦めて家に帰ろうと思ったとき、小さい工場の前で、葉は見覚えのある小さなトラックを見つけた。そこでは一人の青年が荷台の上で忙しくしている。
「あのぅ、わらびもち、ありませんか」葉はおずおずと青年に尋ねた。
「御免ね、今年はわらびもちはもう終わりなんだ。明日から石焼き芋売りになるんだな」
葉は今までの苦労が無駄になったことを悔やんだ。「折角、母にわらびもちを買って、元気になってもらおうと思ったのに」
葉の様子から、青年は何かを思い当たった。「そうだ、これを持って行きたまえ」そう言って、青年は焼きたての甘藷3本を新聞紙で包み、葉に渡した。「風邪を引いたというなら、体を温める焼き芋の方がいいからね。あっお代はいらないよ、まだ営業前だから」
こうして、葉は一足早く手に入れた石焼き芋を両手に抱え、家路へと急いだ。
「そうそう、明日から営業始めるから。楽しみにしていてくれ」青年の宣伝の声に、葉は手で挨拶した。
厳しい冬を予感させる、秋風の強い日のことだった。
吹雪は数日に渡り、山小屋に閉じ込められた登山隊の食料はすでに尽きていた。
「もはや誰も生きて明日の朝を迎える事はできないだろう。ここにビデオカメラがある。みんなそれぞれの家族にメッセージを残すことにしようじゃないか」
隊長が提案した。さっそく順番にカメラが回され、ひとりずつメッセージを記録していく。ところが最後の青年がそれを拒絶した。
「最後のお別れなんだよ」
隊長が穏やかに言葉をかけたが、青年は寂しそうに微笑んだ。
「実は僕がこの登山に参加したのは、途中で別れて自殺するためでした。皆さんと違って、僕の人生には何も良いことはなかった。信頼した人には必ず裏切られるし、試験と名の付くものはことごとく落ち、やっと会社に就職すればすぐ潰れてしまうとうありさま」
「不幸な人生だったんだね」男たちは心から同情した。
「しかし、最後にメッセージを贈る家族とか愛する人とかいないのかね」
「誰もいません、僕はどこまでも天涯孤独な男です」
「友達もか?」隊長はさらに尋ねた。
「ううん、どうしてもとおっしゃるのなら…となりの部屋の京子ちゃん、いつも夕食を作ってくれてありがとう」
「なんだ、ちゃんと女友達がいるじゃないか。それとも恋人かい?」
瀕死の男たちの緊張した顔が少し和んだ。
「別に愛しているわけじゃありません。そのくらいなら…スナック逢引の里見さん、いつもデュエットありがとう。喫茶店のレイちゃん、いつもコーヒーおごってくれてありがとう」
「君、結構もてるんじゃないか」
誰かが口を挟むと、他の誰かが笑い声で答えた。
「まあまあ、別に肉体関係があるというわけじゃないんだから」
「いや、ただの肉体関係にすぎません」
事もなげに言い放って青年は続けた。「もうちょっといいですか?」
男たちは黙って頷いた。
「では……コンビニのしおりくん、いつも避妊具わけてくれてありがとう。ダンサーの昌子さん……」
「おい、まだ続くのか」
青年のメッセージはさらに続き、それを聞く男たちの顔は徐々に元のように暗く沈んでいった。
「君はやっぱり死んだほうがいいかもね」
誰かがぼそりと言った。
こうして、雪山の登山隊は驚異的な生命力でその後何日も生き抜き、ひとりを除いて全員が無事救助された。
後にインタビューにこう答えた者がいる。
「俺たちにはまだまだやり残したことがあるんだ、糞ったれ!」
彼らにとって、その希望が一抹の命のともし火だったようだ。
さて、その強盗は私を縛り上げて布団の上に転がして『金目の物はどこだ』と書いた紙片を突きつけました。いえ手書きではなくパソコンで打ち出したようなゴシック体の文字でした、一言も口を聞かず、また野球帽に黒いサングラスで、顔の下半分を布きれで隠していたので私はもしかしてこいつは顔見知りだろうかと思ってみたりもしましたが、知っている人間であろうとなかろうと恐ろしいことに変わりはなく、それは手に握られた刃渡り七、八センチの折り畳みナイフがどうこういうのではなく、それよりも何よりも部屋に忍び込んできて掛け布団の上から乗りかかってきたときのずんとした重みや、硬直した私の真上に落ちる影の大きすぎたことや、手首をぐいと掴んだその手が私の手首を一回りしてもまだ指が余るほどだったことや、それから私を縛り上げたときの腕の力や、そんなようないろいろなことすべてが、何というか圧倒的な力の差などと言うと表現が陳腐にすぎますけれど、それでもとにかく生理的本能的根源的に、ただただ恐ろしかったのです。
それでも私は、金も金になるような物もうちには一つもないという意味の事を言ったと思います、けれど強盗は諦めてくれませんでした、更に私にぐいぐいと紙を押しつけて迫りましたがうちには本当に何もなかったんです、だってバイトの給料日だってまだ五日も先のことで通帳の残高はほんの三桁で、そもそもうちに金があるかどうかなんてアパートのボロさを見てわからないのかと、もちろん口には出しませんが頭の隅で考えていました。まだ隣の部屋のおねえさんの方が私よりは強盗にとってはいい獲物じゃないかと思うほどで、これは想像ですが、どこから見ても水商売をしているような一種独特の空気をまとった彼女なら、畳の下か米櫃の中か、まあどこでもいいですがお金か何か隠していると言われても私は信じます、でも私はだめですうちには何もありません、傍からは気楽な大学生に見えたかもしれませんが家からの仕送りがないのでかつかつの生活なんです。
でも強盗は納得してくれなくて、部屋を散々に荒らしてなけなしのダウンジャケットと時計と、それから本当にどうしようもなくなったときのためにと小さく折り畳んでおいた五千円札の入った財布までも持って行ってしまったので、それで私は本当に何もなくなってしまって、それであなたの家に押し入ってこうしてあなたを縛り上げているんですすみません。
「…… ?」
「 !」
、 。
、 。
、 。
―― 、 。
「 、 」
え? はい。私がこの頁の責任者ですが……。これは済みません。うっかりしていました。こちらの作品は賢者様を対象に書かれてありますので、他の作品よりも少々”あれ”の濃度が薄いのです。
ええ、そうでしょうとも。一般的には知られていませんから、お客様が”あれ”を知らなくともなんら不思議ではありません。日本での印刷の歴史は一五九〇年にイエズス会が……。あ、歴史はいい……そうですか。実は”あれ”の水増しは印刷業界の常套手段でしてね。やはり”あれ”は実に高価ですからどうしてもね。まあ水増しといっても可愛いもんですよ。
え? 根拠ですか? そうですねえ。たとえばこんな経験はありませんか。ある本を開くと眠くなる。読めば読んだで数行分の記憶がなかったり、同じ所を繰り返していたりで、あげくに用事を思いだす。
どうですか。こういった本は出版社が”あれ”の量を渋ったのが原因です。
もちろんこの頁も”あれ”は少々薄めてはありますが、余程の阿呆バカとんまの薄らハゲでない限り、あ、失礼しました。ハゲは関係ありませんね。とにかく普通の賢者様なら読める程度のものです。もし見えづらいのであれば照明を暗めにしていただければ……え? 真っ暗にしたのに見えない? 見えづらいのではなく見えないのですか。そうですか。きっと、余程お疲れなのでしょうね。体調がすぐれず一時的に見えなくなったという例もありますから、はい。
は? 連休あけで気力充実。米粒に書いた般若心経でも読み上げることができるのですか。はあ、それは困りましたですね。まあこんな小説が見えなくてもどうってことはありませんから、堂々と俺には見えなかったと仰って頂けば良いのですが、なにせ世間には口うるさい連中が多いですから、やれ、どこそこの誰それは見えなかったらしい。賢う見えるがさては阿呆に違いないと吹聴してまわらないとも限りません。普段は見えているのですから、今回は見えたことにしておくというのも大人の判断ではありますよ。いえ、決して強制するものではありません。
あ、やはりそうですか、結構です。私もそれをお勧めします。
さすがは賢者様だ。
「僕は彼女の子供になりたい」
うわ部屋に変態が一匹。俺はその時、格ゲーをしながらそう思ったのさ。
だってソイツが言う彼女ってのは、俺の部屋に何でか飾られている絵の中の女なんだぜ?家族に囲まれてにっこりなその母親は、ムカつくぐらい何の変哲もない。いくら骨董市の安売り品だと言ってもさあ、あまりのダサさに泣けちゃうネ。
でもソイツはまたまぁた臭いセリフを吐きやがった。
「この木漏れ日の緑色の光が優しくていいね。暖かい。彼女が子供を好きで、子供も彼女を好きな気持ちが分かる。いっそ、僕も子供になれたらいい。ホントに」
片腹痛いよ。そうこっそり呟いて、テレビの中、俺は弱パンチで敵キャラを突付いていく。
「体内回帰願望なんてダサいよダサい。男はいつでもハードボイルドだぜ」
もうおまえ最近マセちゃってー。難しい言葉使いたい年頃かあ?でも日本語おかしいの分かってる?
とかいう評価がよく母親から飛んでくるこのご時世、でもこの言葉で返ってきたのは、ヤツの沈黙だった。何だ?と思って一瞬だけ振り返ると、ヤツは手に持っていた本を閉じて、どこか傷ついたような顔をしている。
「…そんなことは本当に孤独じゃないから言えるんだ」
俺はしまったって思った。だってヤツには親が居ないから。俺はため息をついた。敵を反対側に寄せながら、アッパーカットをかけながら。
テレビの前に溜まった微妙な雰囲気を散らそうと試みた。
「そんなこと言ったって仕方ないだろー。お前に親が居ないのは変えられない事実だしさあ。でも大丈夫だって。この世の中なんとかやってけるって。いろんなヤツがお前を助けてくれるよ。なあ?」
さっきの言葉と違うね。そういう苦笑いが返ってくればしめたもの。後は、そうかあ?と笑いながら言って、そういえばと別の話題を持ってくれば、それでいつも通り。
それで。
無限パンチ。スライディング、距離をとって充填法で気を回復、マジックスレイラー。
ごめん。でも僕は…行く。
そこから追い討ちでキックしながら。
え聞こえなかったと声を返す。
弱パンチ、中パンチ、海の雷で相手を上げて更に天の涙で下に落とす。フィニッシュ。
テレビから勝利を称える拍手が絶えないその時に。
おい?と後ろを振り返る。
ヤツが持っていた本がばさばさ音を立てて泣いている。
「おい?」
俺の部屋に掲げられた絵には家族が増え。
そして俺は独り。
私は泣いた事がない。
どんなに罵声を浴びせられてもキュッと唇をかみ締め、どんなに怖い思いをしても涙が出る事はなかった。もちろん失恋なんてもってのほか
涙を流す事ほどみじめで悲しい事はない。誰にも負けたくなかった。
知らず知らずのうちに私はそう生きていた。今更この生き方を変えることはできない。これが私。
「ごめんね。よく考えたけど君とは付き合えない」
キスまでしたのに…
「それは君が強引に迫るからだろ、本当はお前なんかと一緒にいるのは嫌だったんだよ」
遊びだったの…
「遊ぶ価値もないよお前なんか」
酷い…酷いよ…
そしてあなたは私の前から何事もなかったかのように立ち去って行った。まるで、初めから存在していなかったかのように
何時の間にか私の目からは水が溢れ出ていた。
悲しいの?泣いてるの、私…
冷たいものが頬を伝い流れ落ちてくる。無意識に手を目に当てて拭おうとしていた。だけど、涙は後から後から止まる事なく溢れてくる。今までの分の涙が今流れているのかもしれない。
そう思うと何故かおかしくなってきた。
私ハ今マデ人ヲ愛シタ事ガ無カッタノ…
あんな最低な自分勝手な男の事をこんなにも愛してしまっていたの?本気の恋?…バカみたい。恋に本気になるほどみじめな事はない。今までの私は一体なんだったの?ただの抜け殻、蝶が脱ぎ捨てていったさなぎみたいじゃない。
目からは止まる事無く涙が落ちていく。体の中の水がすべて無くなる、というぐらい次から次へと…止まることなく次から次へと…
もう手はびしょ濡れになっていて、お気に入りのセーターの袖をも濡らしている。
おかしくて、おかしくて、泣きながら笑っていた。
ふと手を見たら何故か手がドロドロになっている。
ボタッという音と同時に白いもの私の目の中から零れ落ちた。そして、腕、足、体と順番にドロドロの肌色の水へと変わっていっている。
肉体を失っていく事に悲しみなど一欠けらも無かった。ただ、流れていく涙だけが「悲しい」と叫んでいるようだ。
ただ一つ残っていた顔の皮膚もだんだんと溶けていってしまいポッカリ空いてしまった私の目からは…青い空しか見えなくて、私は声も上げずただ黙って泣いていた。もう涙は拭えない。
このまま青い空の中の水溜まりになってしまうのもいいかもしれない。汚いアスファルトの上に落ちた水。
私はもう失ってしまった両手を真っ直ぐ上へと伸ばした。
夜間警備の太っちょジミーは、足を縺れさせ半回転して、頭から床に突っ込んで倒れた。
「見ろよこいつ、ダンス踊ってらあ」
トニーは笑いながそう言って、折れたバットを放り投げた。転がるバットの欠片が夜の廊下に硬質な音をたてる。
トウヤはこの状況を飲み込めずただ恐怖を感じていた。こんなつもりじゃなかった、なぜトニーの誘いに乗って部屋を抜け出してきてしまったのか。
「し、死んだんじゃないのか?」
トウヤはトニーの背後から恐る恐る訪ねた。
「そんな訳あるかよ」
トニーは太っちょジミーの腹を勢いよく蹴った。ジミーの口から酷く苦しそうな呻き声が漏れる。
「な」
そのままトニーは太っちょジミーを跨いで、廊下を先へ進んだ。トウヤも黙って後に続く。
二人は玄関ロビーの窓をこじ開けて芝生の庭に出た。幸いにも警備のジミー以外、二人の脱出に気付いている者はいない。
「後は塀を乗り越えればここからオサラバだぜ」
――本当に僕はここから出て生きていけるんだろうか。
「待って」
トウヤが言った。
「――止めよう、ここから出るなんて」
「お前、また」トニーは呆れた顔をした、それからトウヤに詰めより彼を睨んだ。
「お前こんな所にいて満足か? 毎日先公に小突かれて、ジミーのクソにいびられて、それでいいのかよ!」
「でも俺ここを出ても帰る場所無いし…」
「あのな、俺だって無いんだよ。けどな、俺ぁこんな所ゴメンだ、俺はカニ料理の店出すんだ、なあ一緒にやろうぜ」
「でも今日はもう止めよう、ま、また今度…」
「じゃあいっそ俺を殺してくれ、このまま戻るんなら死んだ方がマシだ」
そう言ってトニーはゆっくりと目を瞑った。
「さあ殺れよ」
「殺すたって、どーやって?」
「殴り殺せばいいだろ!」
「――できないよ」
「殺れよ!」
「無理だ」
「このオカマ野郎! 教養科のタカハシにケツ掘られてヒーヒー泣いて喜んでんじゃねーよ!」
トウヤの背筋に悪寒が走る。瞬間、トウヤはトニーの鼻っ柱を思いっきり殴りつけた。
「いってー!」
トニーは地面に顔を埋めて呻いた。
それからしばらく気まずい沈黙が続く。
トウヤは初めて人を殴った自らの拳を固く握り締めていた。頭の中は真っ白で何も考えていない。
「クソッ」トニーが立ち上がる、そして鼻を押さえながら、
「行こうぜ?」と言って照れ臭そうに笑った。
「う、うん、行こう」トウヤもそう答えて笑った。
それから二人は、この世界と外側の世界とを隔てる壁に向かって歩き出した。
12月1日
今日茶色の猫を見た。目が、灰色に青がはいってかわいかった。一緒に遊んでいたら逃げた。
12月2日
また猫を見た。遊んでいるうちに飼い主らしいおじいさんが来た。かわいいねと言ったら、またおいでと言われた。なので明日も行く予定。
12月3日
おじいさんは向こうの家に住んでいる。猫と遊んで、お菓子をもらって帰った。
12月6日
今日は少し雪が降った。寒くて猫が外に出たがらないので、家の中で遊んだ。おじいさんは一人暮らしのようだ。
12月7日
おじいさんにさみしくないかときいてみた。ミーがいるから、とおじいさんは笑った。
12月9日
猫の名前の由来をきいた。春に生まれたから「美菜」と名づけられたときいているっておじいさんは言った。
12月18日
クリスマスツリーを飾った。おじいさんは、年のわりに力持ちみたい。ミーはおじいさんの周りをちょろちょろして離れなかった。ちょっとくやしい。
12月19日
このクリスマスツリーはなんか変、と思っておじいさんに言ったら、雪の綿が無いことに気がついて、一緒に探した。廊下の一番奥の部屋に入ったらカゴがたくさんあった。おじいさんは、ここには無い、と言った。綿は結局買ってきた。
12月22日
おじいさんはツリーを飾ってからウキウキしているようだ。
12月24日
おじいさんに、クリスマスは一人と一匹切り? ときいたら、笑って「美菜と二人だから大丈夫だよ」と言った。ふたり?
そう、美菜は私の妻だ。美菜に似た美菜を作るために僕は人よりも早く年をとってしまったよ。美菜が死んで、僕は研究所でラットではなく美菜の好きな猫の受精卵に美菜の遺伝子を入れた。何匹も繰り返すうちに、美菜と同じ青みがかった灰色の目の子猫が産まれた。美菜の生まれた地方ではたいして珍しくないらしい。美菜はクリスマスが大好きで、オーナメントも全部彼女がつくり、とてもこのツリーを大事にしていた。ご覧、このうちの家具は全て引っ掻き傷があるけど、これだけは一つもない。色素だけが染色体に組み込まれたのだろうと思っていた。こいつは遺伝子を組み込んだだけの猫だからね。言葉を話すわけでもない。でも、クリスマスに神様がこいつが美菜だという証拠をくれるんだ。美菜は私の美菜なんだよ。
おじいさんの話はもっと長かった。言っていることもよくわからなかったが、生き物について一生懸命勉強すれば僕にもミーが作れるらしい。
おじいさん、メリークリスマス。
敗れた男は呆然と立ち尽くしていた。彼の背後から聞こえる入賞者へ向けた歓声は彼には届いていない。真柴からはたくさんの真柴汁が湧き出ていた。支流から本流、本流から支流へ。彼の神経回路は壊れてしまった。
嫌な予感はしていた。コンクール前日、真柴はピアノの師匠であるジョーンズに質問された。
「アナタはなぜピアノを弾いているのですか?」
唐突な質問にがまん汁が少し飛び出したが、真柴は腹式で立派に答えた。
「そこにピアノがあるからです。」
優等生である真柴らしい会心の返答であった。世界中に花が咲き、白鳥が舞い小鳥が囀り和田勉が黙った。やがて天使が降てきて和田勉を連れ去った。ララバイ、勉。
「アーハー。それがヤマトダマシイですか?」
ジョーンズは「ファッキンジャップくらい分かるよ。馬鹿野郎」と呟くと天を仰ぎ首を振って出て行った。「もう僕が教えることはない。」という言葉と決別を残して。真柴にはジョーンズの言葉の意味がわからなかった。自分の才能に嫉妬しているんじゃないか?夜中に自分のことを淫らに想像して楽しんでいるのではないか?とさえ思った。しかし、コンクールでの真柴のピアノは誰にも届かなかった。ボトルに手紙を入れて海に投げるように、夢いっぱい偽善の環境汚染であった。
「こうなることはあたり前田のボヤッキーです。ドロンジョ様。」
ジョーンズは呆然と立っている真柴に声をかけた。真柴は振り向くことなく震える声を搾り出した。
「どうしてです?」
ジョーンズは自分のちょび髭をさすった。
「いいですか?あなたはピアノというものを勘違いしすぎている。あなたがピアノを弾く動機は不純すぎていた。例えるなら、田島寧子(オリンピック銀メダリスト)の女優宣言だ。純粋と言う名の暴力だ。今あの子を見たら切ないだろう?逆もまた真なり。いいかい?おしるこを美味しくつくるコツはなんだと思う?」
「隠し味に塩をいれるんじゃ?」
「バッキャロゥー。塩なんて全然隠れてない。はみちんだ。ましてや愛なんてもんじゃない。いいかい?おしるこなんて美味しくなくていいんだよ。」
ジョーンズの説法は絶対零度に競り勝った。
「先生!自分にもう一度チャンスを」
ジョーンズは黙って頷いた。
「よし、まずは楽譜を覚えよう。気持ちだけじゃピアノは弾けんからな。」
真柴の背後には天に召された和田勉がにっこりと微笑んでいた。
「無茶だ!」
私は叫んだが、あいつは聞く耳を持たなかった。
「妻を助けに行く」
そう言うと、私に赤子を託し、炎の中へ消えた。
「娘を頼む」
それが、最後の言葉だった。
十数年が経った。あの火事は、放火だと言う噂だった。
あいつは戻って来なかった。私はあの時託された子、フレアを育てた。
両親の敵を討たせるために、私はフレアに剣を教えている。
そう。私は二人を焼き殺した男を知っていた。
「おじさま!」
フレアが駆け寄ってくる。それも、今日で最後だ。一人前の剣士となったフレアに、教える事はもう無い。
ただ、一つを除いては。
「今日も、元気だな」
「ええ、おじさまも」
フレアの笑顔は、私には喜びでもあり、悲しみでもあった。
「昨日の続きだ。打って来なさい」
私は剣を抜いた。
「次は、突きだ」
構え直すと、フレアは剣を突き出した。
「体重を利用しろ。自分自身で突け」
フレアは頷くと、体ごと剣を突き出した。それは、体重の乗った、良い突きだった。
鈍い音が響く。
「おじさま?」
フレアが震える声を出す。
「一人前になったら、仇を教えると言ったな?」
フレアが無言で頷く。
「私はお前の母親を愛していた。だが、彼女は私の友を選んだ。悔しかったが、嬉しかった。二人とも、大切な人だったから」
力なく、フレアが剣を離す。その手は、私の血で赤く染まっていた。
「だが、お前を生んだ彼女を見て、嫉妬の炎が燃え上がった。そして、あいつの留守に火を放った」
フレアは黙って、私を見ていた。
「炎に包まれる家を見て、私は我に帰った。その時、あいつが帰ってきた。あいつは炎の中へと飛び込み、お前を抱えて戻ってきた。そして、彼女を助けに行き、帰って来なかった」
私は血を吐いた。もう、時間は無いらしい。
「お前が少しでも許してくれるなら、亡骸は燃やしてくれ」
伝えたい事は、全て、告げた。私は地面に崩れ落ちた。
薪を重ね、その上におじさまの亡骸を乗せると、私は火を点けた。
私は気づいていた。何度も、寝言で私の両親に謝っているのを聞いていたから。
両親の記憶が無い私には、仇などどうでも良かった。
ただ、おじさまを恨む事なら一つだけある。それは、また、私から親を奪った事だ。
炎に包まれるおじさまの姿を見ながら、私は涙を流した。涙でぼやける炎の中に、覚えているはずの無い両親の姿が見えた様な気がした。
二人がおじさまを許してくれる事を、私は祈った。
手紙が来た。
差出人はパトリシア・フロレンタイン、二年前に神戸で知り合った留学生だ。おれはパティと呼んでいた。カナダの何とかいう非政府団体に属し、阪神・淡路大震災でのボランティア活動を研究していた。
いつか二人で、夜景のきれいなラウンジでディナーをとったことがある。パティはそのとき、ぽつりとこんなことを言っていた。
「ワタシたちは、大いなる意志に生かされているの、そう思わない?」
「おれたちが普段気づかない内なる声が、その大いなる意志だとしたら、賛成だね」
むろん彼女は、神のことを言いたかったのだ。
「日本人は、神をイメージできないのね」
地下鉄サリン事件のこと、太平洋戦争のこと、信長の宗教弾圧のこと、エトセトラ、をパティは語った。
「農耕民族というのは君たちのようなイメージでの神は持たないんだ」
おれは、眼下の夜景が突然のカタストロフィで崩れ落ち、業火に包まれる様を想像した。
「でも神はいるわ。それは分かるでしょう、この宇宙を創造した何者かはいる」
「宇宙はまだ創造されてさえいないのかも知れないぜ。何者かの夢の中におれたちはいるのかも」
パティは大きく眼を瞠って、おれの顔を覗き込んだ。
「ファンタスティックね」
その夜、おれはパティに言った、アイラブユーと。しかしパティは困ったように微笑んで、答えなかった。三ヵ月後、彼女は帰国した。
そのパティから手紙が来た。
ハロー、ケーシ。
日本ではそろそろ紅葉の季節ね。アナタと見た瑞宝寺公園のカエデ、きれいだった。カナダの紅葉ももちろんダイナミックで美しいけれど、日本の紅葉にはまた違った美しさがある。いつかアナタが言ったような、誰かの夢の中のような美しさ。
ところでワタシは今度、結婚するの。相手は日系人よ。カナダでキャンパスの講師をしている。アナタには、ゼヒそれを伝えたかった。伝えなければならないと思った。
ケーシ、ワタシはやっぱり自分が大いなる意志に生かされているのだと思う。彼とのことでも、アナタとのことでも、そう思う。今度また日本に行く。会ってもらえる?
おれは手紙を、スーツのポケットに戻した。パティ、おれはあのとき学生だった。いまは製薬会社のサラリーマンだ。もう夜景が炎上するイメージは見ない。結局のところ、この世界は天国じゃないけれど、地獄ってわけでもないんだ。おれも君に会いたい。
ハロー、パティ。
ハロー、ミズ・フロレンタイン。
新婚旅行先のヨーロッパでテロに遭い、織部は瀕死の重傷を負った。リハビリが始まると、織部は尋ねた。
「妻は死んだのか」
「ああ」
医師は短く答えた。
織部は心理学者だったが、神話にも長けていた。その知識と執念が、デルフォイ神殿近くに住む「黄泉路」を知る女占い師を探し当てさせた。
「金は言い値で払う。『オルフェウスの洞窟』を教えてくれ」
「それは神話の中の戯言じゃ」
「俺は真実だと信じている」
「見れば不自由な体。偉丈夫とて、その洞窟に入り、出てきた者はおらぬ」
「心配ない。必ず、妻を連れ戻す」
織部は女占い師の元に通った。根負けした女占い師は織部に「黄泉路」を教えた。
案内された洞窟に織部は足を踏み入れた。死へ誘う裂け目が足元にあるのではという恐怖が心を満たしたが、妻の笑顔を思い浮かべ、耐えた。
果てるとも思える時の中を、織部はさまよった。そして、ざわめく声が聞こえる場所に着き、ついに懐かしい声を耳にした。
「百合! 俺だ! 返事をしてくれ」
「あなた」
近づこうとする織部を威厳のある声が呼び止めた。
「待たれよ。汝はなぜ生きたまま冥府の地を踏んでおるのか」
「ペルセフォネ様でございましょうか」
「左様。ハデスが妻、ペルセフォネじゃ」
「私は愛する妻を失い、連れ戻したい一心で、ここに参りました」
「その者はすでに冥府の食を食んでおる。現世に戻ることは能わぬ」
「ペルセフォネ様。理不尽な死を迎えた悲しみと愛する者を失った悲しみに、寛大なお慈悲を」
静寂の後に、声は織部に語りかけた。
「無理矢理連れ去られた者の悲痛を知らぬわけではない。戻ることを許そうぞ。しかし、二人が洞窟から足を踏み出すまで、振り返るではない。この約定さえ果たせば、望みは叶おう」
「ありがとうございます」
「そちはこの者についていくがよい。話をしても構わぬが、振り返らせぬよう、ほどほどにな」
織部と百合はペルセフォネに礼を言うと、地上へと歩きだした。漆黒の闇の中、百合は織部を励まし続けた。
永遠とも思える旅路の果てに、二人は地上に戻った。
「明るいな。昼か」
織部は光の中に足を踏み出した。
その瞬間、背後から息を飲む声が聞こえた。
「あなたは、誰?」
織部はゆっくりと振り返った。
鋭い風の音にも似た悲鳴が上がった。
「百合……」
必死で逃げ去ろうとする小さな足音が、洞窟の中から聞こえた。
織部は膝を落とし、焼け崩れた顔を両手で押さえた。
仙台駅の中には、常に何羽か何十羽か、住みついた鳩が居るらしい。
広いフォームを覆う屋根や、歩廊の裏側などがちょうど良い塒になる他に、時には餌がもらえることもある。
ある秋晴れの午後、まだ夕方の混雑も始まらない頃で、フォームは人まばらであった。二、三歳とみえる幼女が、母親に連れられて列車を待っていた。スナック菓子か何かの袋を抱えて、たどたどしい動作で袋からつかみ出しては鳩に放っている。
幼女の足許で、首を伸ばして、しきりにそれを啄んでいる鳩は、珍しく一羽きりである。
野生の生き物は、餓えているのが普通の状態である。思いもかけず餌を独り占めしているあの鳩の意識は、きっと狂喜乱舞という状態にちがいない。
私は線路一本隔てたフォームに止まっている列車の中から、見るともなくこの光景を眺めていたのだが、次の瞬間、
(あっ)
と心の中で声をあげた。
菓子の欠片が落ちるやいなや、幼女の足が上がり、その上に置かれた。誤って踏んだというものではなく、明らかに、故意であった。幼女は自分の小さな靴に目を落としながら、二度三度と、小さな丸っこい脚を上下させた。
鳩はどうするであろうか。私はかれが、この辱めをきっぱりと拒否すればよいと思った。決然として知らん顔をして見せ、そのままどこかへ飛んで行ってしまえ。そうして、この暴君に自分の行為の無礼と残酷を思い知らせてやれ。
しかし畜類の悲しさには、幼女がすこし動くと、かれは何事もなかったように、その踏みつけられた餌を啄み出したのである。
幼女はこの「遊び」が面白くなったらしく、菓子を落としては踏むのを、執拗に繰り返した。母親は気がつかないのか気づいて放っているのか、乳母車に乗せた弟らしい赤ん坊をあやしながら何か食わしている。おおかた鳩が与えられているのと同じ菓子であろう。
やがて幼女は、菓子を与えるのをやめて、鳩をよちよちと追いかけ始めた。さすがに鳩も餌を諦め、しかし飛び立ちはせず、すたこら走って逃げまわった。
追いつめられた鳩が、フォームの端からパッと羽搏く。弾みで幼女は転落し、そこへ轟と列車が入ってくる。……
大騒ぎとなったフォームを、かれは相変わらずつぶらな瞳で、屋根の庇から見下ろしているだろう。踏みつけられた餌を食わされた屈辱も、その復讐とも、何とも意識せずに。
すでに駅を出た列車の中でそんな情景を描きながら、私は何か爽快なものを感じていた。
煉瓦造りのアパートメントの窓からショパンの「革命」が聞こえる。見事なピアノだ。七十を越える老齢になっても腕は衰えていない。いや、衰えるどころか、これほど情熱的で鬼気迫る演奏を私は知らない。彼は自分の運命を知っているのだ。
道端で立ち止まる私を非難するように、部下が声をかけた。
「少尉、任務をお忘れですか」
「この曲も、あと七小節で終わる。最後だ。弾かせてやろう」
子供の頃、私は彼にピアノを教わっていた。もう二十年も昔のことだ。
「フリードリッヒ君。ひとつ、お願いがある」と老ピアニストは言った。「君も音楽を愛する人のひとりだ。わかってくれるだろう」
「ピアノは無理です。ここにピアノはありません」
「わかっている。私は紙と鉛筆がほしいのだよ」
「それもだめです。特に鉛筆は……凶器にもなりえますからね」
老ピアニストはうつむいて沈黙する。
「すいません。先生。もう時間です」
「フリードリッヒ君! 紙だけならいいだろう。紙きれ一枚でいい」
「……いいでしょう。紙一枚だけ。ただ誰にも見つかってはいけませんよ」
「ああ、ありがとう。フリードリッヒ君。ほんとうにありがとう」
「どうするんです? その紙を」
「ああ、フリードリッヒ君、もうひとつお願いがある」
「先生。その手には乗りませんよ。私だって、だてに十年も軍人をしているわけじゃないんですよ」
「違うんだ、フリードリッヒ君。紙にかいてもらいたいんだ。私がダメなら君にかいてもらうしかない」
「わかりました。しかし、ほんとうはだめなんですよ。手紙は禁止されています。今回だけ」
「いや違うんだ。手紙じゃない。君にかいて欲しいのは鍵盤なのだよ。紙にピアノの白鍵と黒鍵を描いてほしいんだ」
鍵盤を描いた六枚の紙を渡すと、老ピアニストはそれをいとおしそうに独房の地面へ並べ、左手でドレミファソラシドと弾いた。それは私が彼の最初の授業で教えられた指使いだった。
そして、彼は両手をつかって、もう一度ドレミファソラシドと弾いた。
あの、透き通るようなピアノが私の胸の中で響き、上昇していった。
老ピアニストは私を見上げ、子どものように微笑んだ。
「ありがとう、ほんとうにありがとう」
老ピアニストが紙を片づけようとしたので私はあわてて声をかけた。
「待って下さい、先生、弾いていただけませんか。一曲、私のために」
彼はもう一度私を見、やさしい笑顔で言った。
「革命かい?」
「ええ、そうです」
彼らは野生動物の体内時計で正確に十二月二十四日を知っている。そして今年も、束の間の越冬のために彼らが渡ってくるその日がきた。
オーストラリア以外に生息する有袋類は、現在、オポッサム類とこのフクロシロヒゲタカワライしか残っていない。一年のほとんどを北極圏で暮らすが、年に一度この日だけ、たった一泊二日の越冬のために欧米各地そして日本へも渡ってくる。ただ、日本には彼らの好む家屋の煙突があまりないためにもともと渡来数が少ないのに加え、種全体としても、共生関係にあるアカハナトビトナカイともども個対数が激減しており、環境省はこれを絶滅危惧IBに分類し、捕獲が禁じられている。
しかし、それでもなおタカワライの密猟は後を絶たない。
「きた!」と父はかたわらで凍える息子に言った。「聞こえるだろう? あの音だ」
「鈴? 鈴みたいな音だね」
かつて猟師たちは、この音を聞けばたちまち空に銃口を向けたものである。雪の深い山中に身をひそめた密猟者親子にも、その便宜は同様だった。
「よく覚えておけ。この音だ。それから――」
ホ! ホ! ホ! と、南米のホエザルに似た奇声が、夜空のかなたから聞こえてきた。和名の由来になっているこの鳴き声もまた、彼らに乱獲の悲劇をもたらした皮肉な特徴である。
父は空をにらんだ。
「いた! あそこだ」
息子も目を輝かせて、生まれて初めて見る生きた野生のタカワライを認めた。
冬の月明りに真っ赤な体色が映えている。四頭のトビトナカイが牽引するソリ状の物体の上で、それは高らかに笑うかのごとく鳴いていた。
そして銃声。
「やった!」と息子が叫んだ。「当たったよ、たぶん。鳴き声がやんだ」
「いや、外れた。あいつでなく、トナカイに当てなきゃ落ちてこない」
またも銃声が二つ夜空を貫き、トビトナカイ二頭の悲鳴が続いた。二頭の重みでほか二頭を巻き込みながら、ソリ状の物体は落下を始め、やがて林の向こうに墜落した。
雪をかきわけて親子がたどり着くと、息子は、半壊状態のソリ状物体からタカワライの死骸を発見し、その背中の袋をまさぐった。手に触れたのは、小さなタカワライだった。
「なんだ、メスだったのか」と父は肩を落とした。「また別なのを撃ってやる」
しかし息子は首を振った。
「これ、飼ってもいい?」
「じゃあ、それが今年のプレゼントだ」
小さなタカワライは、少年の手の中で、ホ! ホ! ホ! と悲しげに笑った。
何をどう間違ったのか、丘の頂点に十字架が見えた。
空き缶。ペットボトル。扉が開いたままの鳥篭。真新しい着せ替え人形。丘はそのような、際限無く積み上がっていくゴミで出来ていた。
その丘の頂点に、十字架が見えた。
地面に突き刺さっている鉄パイプに、骨だけの傘がひっかかっている。それらの危ういバランスが、十字架を成していた。
11月の日没は早い。太陽は落ちていく。その姿を十字架が西の空で捉えるまで、あと少しだった。しかし十字架は形をその時間まで保ちはしない。偶然が十字架を産む位の事はこの丘でもあった。それでも十字架の上に積み重なっていくゴミは、終わることを知らない。
丘の中腹辺りに、一人の男が居た。派手な服装。サングラス。それらを裏切るような優しげな口元。その唇の端から一筋の血が流れていた。見れば血は唇からだけでは無かった。胸に大小様々な赤い染みがあった。
男は自分が通ってきた道を眺めていた。出血で目が霞むのか、何回か瞬きをした。瞬きの後、男はその道に少女が立っているのを見つけた。
「おじさんどこから来たの」
少女は男に尋ねた。
「遠くだよ」
男は答えた。
「遠くから逃げてきたんだ」
「ふうん」
少女は答え、そして男の隣りに腰掛けた。
見れば少女も頬を腫らし、ひどい格好だった。
「ここには良く来るのかい」
「うん」
二人はあまり喋らなかった。
丘を掘り返すショベルカーの音が遠く響いていた。
「ねえ」
男は不意に言った。
「ままごとをしようか」
「ままごと?」
「そう」
男は少女の肩に手を載せた。
「親子に、なるんだ」
「親子」
少女は恥ずかしそうに尋ねた。
「お父さんに、なってくれるの?」
「ああ。そうだよ」
男は、
「娘よ」
と言った。
少女はそれを聞くと恥ずかしそうに目を伏せた。そして、
「お父さん」
と答えた。
二人は暫く見つめ合った。
男も少女も、幸せだった。
だが二人ともままごとの経験が無かったから、幸せだったことが無かったから、その続きの仕方が解らなかった。
少女は仕方無く、いつも養父にさせられているように、男の股間に手を伸ばした。
男はそれを止めようとした。
血がぬるぬると、男の手を滑らせた。
太陽が沈むそのずっと前に十字架は壊れた。
少女は男を受け入れ、そして離れた。
十字架だった鉄パイプと傘は壊れ、しかしそれでも離れきれず、歪んだ円の形に繋がった。
そのまま一つになって埋もれていく。
車内に充満する独特の臭気で目を覚ますと、そこは先程と同じタクシーの中だった。隣に変らず坐っている女の表情は革の仮面に被われ相変わらず窺い知る事は出来ない。その仮面は全く変った仮面だった。意匠を凝らしたそれは何か動物の顔のようであるのだがそれが何かは判然としない。見詰めれば見詰める程輪郭がぼやけていく。しかし、コートの下に隠された白く熟した肉体の事はよく解かっていた。吸い付く肌の心地を掌が思い出し私の手が疼いたが、その時を見計らったかのように車が停車し運転手が告げた。
「お客さん着きましたよ」
私たちがバス亭に降り立つと、操車場の酷く冷えた夜の空気を掻き乱すようにタクシーは去っていた。薄らボンヤリとした明りの下で、女は時刻表にそっと指を這わした。ゆっくりと繰り返されるその行為は如何にも美しかった。
暗い操車場に明りが差しバスがやって来て、私達は逃げ込むようにその中に足を踏み入れた。
中は酷く空いていて私達の他には半ズボンを穿いた少年が一人ぽつんと乗っているだけだった。私達が一番後ろの席に坐るとバスは疎らな明りをつけた街の中を運行して行く。
私は窓にもたれ掛けさせるように女を坐らせるとコートの前を開けた。黒いコートから白い乳房が顔を覗かす。その乳房をそっと包み込みゆっくりと小さな円を描くように触れる。女の身体はその快楽に微かに震え始めるのだが、黒い仮面に被われた表情は相変わらず知る事が出来ない。もう一方の手はゆるゆると女の身体を下っていき、草叢を掻き分けると陰部に達すると、包皮に包まれた敏感な場所を中指で擦りつける。女の身体は確かにピクンと震えた。
その刹那だった。女は動物じみた唸り声をあげ私の身体を跳ね除けると通路に飛び出し、乗客の少年を通路に無理やり引きずり出した。そして、少年の足元に跪くとさっと少年の半ズボンをずり下げ、仮面の僅かな隙間から長い舌をゆっくりと伸ばすと、表された小さなペニスを咥え込んだ。精通を終えているかも解からぬ少年に対するその行為は至極淫らなものだった。少年は顔を歪ませ僅かの後、身体を震わすと床に坐りこんだ。女はその少年を無理やり立たせ、タイミングを併せる様に止まり開けられたバスの扉からさっと降りると外のバス亭に止まっていたタクシーに乗り込み夜の暗闇に溶け込んでいった。残された私はいつの間にかいなくなってしまった運転手に代わりバスを出発させた。