第41期 #29

せむしの理髪師

 散髪に行くと、いつもの丸顔の理髪師はおらず、背の低い白髪頭の男がぼぞぼぞと聞き取り難い声で出迎えてくれ、やけに猫背な風だなと見てみれば右肩のあたりがぼこりと膨れていて、ははんこういうのを傴僂というのだろう初めてお目にかかったと思い席についた。ぼぞぼぞと声は聞き取り難いものの対応はいつもの理髪師同様丁寧なもので、カットはすみやかに進み、直に顔剃りの段となった。目を閉じて肌にあてがわれる冷たい剃刀の刃を感じると、いつもは、志賀直哉の『剃刀』という短編や、『アンダルシアの犬』という短編映画のことを思い出し、冗談まじりの戦慄を、殆ど意図して感じてみたりするのだけれど、今日は、相手が傴僂男だからといって、そのようなことを思うのは失礼ではないかという気持ちがして、自然にそのような道徳観念が浮き上がってきたことに驚いたりした。ややあって、いやいやなんてことはない。それはつまり差別意識の裏返しに他ならないのだと気がつき、そんな卑小な自分に何故か安心したりした。傴僂男に頬をあたってもらいながら、何故そんなことで安心するのか。と、今度は無性に腹が立ち、どうにも忙しくてしかたがない。そんな無用の葛藤を行ないながらぎゅっと目を閉じてしているうちに顔剃りも終わり、最後の仕上げに軽く頭髪料などつけてもらって、店を出た。あの傴僂男が志賀直哉の『剃刀』を読んでいたりしたら、毎日大変ではなかろうかと、これも普段ならまるで気にしないことを思うも、また忙しくなるのでそれ以上の詮索はしないでおいた。
 家に帰ってから、傴僂を調べてみたら、傴僂とは背中が弓状に歪曲したのをいうのであって、今日の理髪師のような背の突隆は、脊椎後湾いわゆる傴僂ではなく、亀背というのだそうだ。つまりあの理髪師は、傴僂の理髪師ではなくて、亀背の理髪師だったということで、成る程と、髪を切って軽くなった頭を大きく頷かせた。
 何が成る程なものか。



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