第39期 #24

部屋

 うっすらとした明りがいったいどこから差し込んでいるのかわからない。まるで部屋全体が、仄かに光を発しているかのような、薄暗いというにはやや明るい不思議な明るさだ。部屋に二つある窓には緞帳のように分厚いカーテンがかかっていて、外の様子は窺い知れない。あるいは、カーテンとカーテンリールがあるだけで、窓などはなからないのかもしれず、どうもそれが本当のところのように思える。カーテンのかかっていない壁の片方には、大きな机が、もう一方にはこれも大きな本棚があって、本棚にはトレーン百科辞典が整然と並べられていたのだけれど、抜き取られた所々に、なぜだか熊のぬいぐるみが置かれていて、色も大きさも不揃いながら、みな一様にヘの字に口を結び、向かいの壁にかかったカーテンを虚ろな作り物の目で見詰めるようにして納まっていた。
 抜き取られた百科事典のいくつかは机の周りに雑然と散らばっていて、机の上にはすっかり黄ばんだ古い地図が広げられていた。誰かが何か調べ物でもしていたのか、地図にはつい先程付けられたかのような鮮やかな緑のインクでいくつかしるしが付けてあった。しかし、インク瓶も、ペンも、ペン立てさえ机のどこにも見当たらず、代わりに空になったグラスが置いてあって、おそらくそれは、部屋の中央のテーブルに置かれていたものらしく、うすく埃を被ったテーブルの水差しの横に、水に濡れたグラスが置かれていたであろう輪状のあとがわずかに残っているのだから、多分そうなのだろう。テーブルには水差しの他に、すっかり飲み干されたスープの深皿と、見たところまだ固くなっていないひと齧りされたパン、そして錆びついたタイプライターが置かれていた。タイプライターはとうに壊れているらしく、AとHのキーがなかった。そのようなものがなぜそこに置かれているのか知る術は当然のように何もなく、ただそこにあるのだと思うよりほかになかった。
 部屋には人がいた痕跡が、確かにいくつも残されているのに、それがつい先程なのか、何年も前なのか、定かでなく、まるで何もかもがずっと以前からそのままであったかのようで、そういえば、この部屋にはどこにも扉がなかった。這入ることの出来ぬ部屋に、人がいた道理はなく、たとえ、テーブルの下に置かれたトランジスタラジオが、場違いなロックをがなりだしたとしても、ひと一人いないこの部屋では、聴く者など誰もいはしないのだ。



Copyright © 2005 曠野反次郎 / 編集: 短編