第39期 #23

そぞろあるき

 八丁堀から中央大橋へ抜けると、ブロンズ像が白色の明光を浴びていた。橋を渡りスカイライトタワー側から川沿いの遊歩道まで階段を降りる。
「白い橋の下から青い橋が覗いてる」
 コトコはそう口にして、中央大橋の向こうのライトアップされた永代橋を指差した。緩い風が隅田川の波を立て、闇に侵食されたそれを生き物のように動かす。
 左手から屋形船が来た。サラリーマンが酒を飲み笑い風に当たり涼しそうにしている。
「粋だねえ」
「そうかしら。ただの道楽じゃないの」
 女の言い草にタカアキは笑う。
「日々の疲れを癒すささやかな場だよ」
 コトコは肩をすくめる。そして船からの歓声が響く最中、ふと空を見上げた。
「見て、タカアキ。銀鮫よ」
 その声を合図にするかのように、暗い闇を裂く銀の光が永代橋の向こうから一つやってきた。夜空を悠々と泳ぐ鮫は、微かに鳴きながら船より速く移動する。
「本当だ」
 工場の手前の川へ進む屋形船の客人は、立ち上がり口々に何かを叫びながら、相生橋の方角へ駆け抜けていく小型の鮫を見つめていた。
「銀鮫って鳩を食べるんだよね」
 しばらくしてタカアキが口を開く。
「そうよ。烏も食べるわ。害鳥対策に、数を制限して放たれているのよ」
 そして、ふふ、とコトコは笑う。
「銀鮫って、実は銀座で作られてるって話、聞いたことあるわ」
「……それってギャグ?」
「マジよマジ。プラダやティファニーのちょっと薄暗い店の奥に秘密鋳造所があって、そこで銀鯨の素を加工してるんだって」
 疑いの眼差しをタカアキが向ける。コトコは肩をすくめた。
「やーね、あたしも人づてに聞いただけよ。でも銀鮫がみんな、夜の明ける頃に銀座へ帰っていくのは確かだもの。そんな噂があってもいいじゃない」
「帰る……」
 タカアキは足を止めた。コトコは首を傾げる。
「どうしたの」
「コトコ。ずいぶん歩いてきたけど、ホテルの場所覚えてる?」
 そこで無言になった女を前にして、男は溜息を吐く。

「あの銀鮫の上に乗っていけたらいいのにね。そうすれば楽だよ」
 手を繋ぎながら、元来た道を歩く二人のうち、背の高い方が声を出した。それに対し、コトコは頬っぺたを膨らます。
「いやよ」
「どうして」
「だって。銀鮫が眩しすぎて、街の明かりがよく見えなくなるわ。それってつまんないじゃない」
 二人の頭上を、輝く鮫がまた通り過ぎる。タカアキはそれに目をやりながら、ならあいつは可哀相なやつだね、と呟いた。



Copyright © 2005 朽木花織 / 編集: 短編