第35期 #18
目覚めた粂婆は、独り寝の部屋の電灯の紐を引き、夜の名残の闇を追い出した。
朝四時。それはまだ人ではなく、動植物の時間である。人の賑わいの中で起きることは気疲れであるし、またそれは自分の老いを際立たせる辛さも伴う故、人で無いものの時間に目覚められる身体になったことに、婆は有難い気持ちでいた。自分はもう木や草に親しいのだろう。心が人を脱いで動物になり、体が動物を脱いで植物となる。そして魂が生き物を脱ぎ置いて仏さんになるのだろうと、婆はぼんやり想った。
庭の小屋に飼っている三十羽程の鶏に餌を遣るのが婆の日課であった。顔を洗い簡単服に着替え餌籠を携えて小屋に赴くと、鶏共はもう目覚めており、婆を急かす様に喚き立てていた。群の中へと分け入り、「わっちより早起きでぃらいなあ」と相好を崩しながら、四方へ野菜屑を撒いてやった。
村の年寄りが集って茶を啜っていると、村一番の長寿である粂婆は毎度の様に「粂さんは達者だなあ」と言われ、婆は決まって「ぢべたにへばりついて、長う伸びとんや」と、歯抜けの口で笑うのだった。それを聞いた村の者は皆、婆の謙虚な生き方に、仏さんが長命を授けて下さるのだと首肯した。
大風を往なす木々のしなやかさ、稲光の様な鼠の敏活さ、小虫の持つ奇跡の様に繊細な体躯。婆の眼は、唯命あるということそのものに、眩い光の輪を見、そしてそれに感嘆と感謝の念で応えるのである。年寄る毎に我知らずそう暮らして来たのであるから、然るに婆にとって世の中は、生きながらにしてまみえる極楽であった。
唯、孫の雄一が都会の大学へ行き、其処で働き口を見つけてしまった事には、やはり淋しさを感じずにはおれなかったが。
餌を遣り終え、婆は小屋を出た。庭の端は緩やかな丘へ続いており、そこから近隣の町が見える。
町を見下ろす婆の頭上を、二羽の雀が飛び去り、町の曇天へと消えた。
その時不意に婆は何故か、雄一が病に臥しているのが判った。
雄一がいるのは、此処から新幹線で数時間離れた先であるが、孫の唸る姿荒い息遣いを見聞きしたという生の感触が、婆の身体を走ったのだった。
「仏さんに近なったら、何やしらよう判るもんかなあ」
今日は畑で収穫した葱を出荷するため、息子夫婦が早めに起き出して来るだろう。雄一の事を告げようか迷ったが、呆けを来たしたのかと勘繰られても癪なので、二人が町へ出払った後で電話してやろうと、婆は思った。