第35期決勝時の、#18ぼうぼう(くわず)への投票です(5票)。
感想票を書く時間的余裕がない、という(屈辱的な)状況に憮然としていますが、ともあれ、この作品に票を投じておかねばなりません。投票理由は予選票に書いた通り。(でんでん)
参照用リンク: #date20050722-185440
「ぼうぼう」なんと言っても丁寧な描写で読ませる作品に仕上がっていると思います。自らを「仏に近づいている」と言って坦々と生きる粂婆ですが、家族との繋がりが切れない(孫が心配、息子夫婦に「呆けを来たしたのかと勘繰られても癪」…かなりお気に入りの部分です、など)様が、そのままの人間らしさを描くということなのだろうか、と考えてしまいました。
「電車がまいります」タイトルの「まいります」をどう考えたらいいんだろうかと思いました。「まいります」というように、来る電車に気持ちの準備があるとか待っているとかいう雰囲気の夫婦ではないように思えます。安い賃貸で蚊に食われながら、それでもエアコンでなく窓を開けて暮らし、「眠れない」のですから。というところが気になりつつも、文章全体を通じて、小道具の使い方や情景で二つの家族の生活を対比させて描いているのが上手い。心象描写を抑え間接的な描写で浮き上がらせるという方法はとても好きです。スタイルの好みで言えば、一票入れたい作品です。
「睡眠薬とジャスミンを入れ過ぎた、まるでくだらない冗談のようなアフタヌーンティーを飲みながら」いつもいつも参るなあ、今回はこう来たかあ、と素直に降参してしまうのですが。駄洒落と文学表現のコラージュで作品を完成させるというのも、一種絵画的で面白いのかもしれません。地の文がシンプルでも目を引くのが、凄い。「だがもう迷いはしない。/俺達は前より強くなっている。」とか、けっこう好き。
「宇宙人はどこにいる」…「異性は異星人」というのは、ある意味恋愛の王道ですね。最初、後輩の視点でうんざりと先輩の話を聞いて(読んで)しまったので、「そんな洗井君であったが」で先輩視点にひっくり返って、ちょっとびっくり。冒頭の地の文で、もう少し先輩の感情が描写されていた方が、迷わず先輩視点で読めたでしょうか。さらに、ここで恋愛観を伏線に敷いておいてくれたら、エンディングの彼女の一言はもっと輝いたかもしれない、と思いました。あと、会話はやっぱり宇宙人でいって欲しかったです。この会話の雰囲気だと、この現代では先輩のほうが宇宙人っぽいかも。
「クリックせよ」こういうアイディア勝負型の作品は、シンプルに楽しむのが基本なのでしょう。
そこであっさり読んでみました…が、降参。やっぱりわからない。「30万円」も「インターネット使い放題、電気代も無料」も、そこでなぜそうなるのでしょうか。
そうだ! きっと、クリックすることに意味なんてないし、意味のない商品に30万円という高いお金を取られることも、訳のわからないオプションがついてきて得をした気持ちにさせられることも、何の説明もなく放り出されることも、我々の生きるこの世界にはいっぱいあるのでしょう。そう思うと、阿部公房の作品を読んだみたいな気持ちになります。こんなこと他ではありません。クリックおめでとう。
……っていう楽しみ方をしてみました。
参照用リンク: #date20050715-231131