第3期 #11
枯らせてしまった鉢植と、死なせてしまったハムスターと、腐りつつある冷蔵庫の中身をかえりみることもせず、あなたは、泣くこともせず、ただここにいる。
あなたはたったいま、家に戻ってきた。家というのは、ふたりで暮していたマンションだ。ひとりで帰ってきて、ドアをあけて、こもっていた空気を抜こうと窓を全開にしても、風がないため臭いはなかなか出てゆかない。水に落とされた透明なゼリーかなにかのように、区切られた空間のなかにわだかまっている。
あなたは二週間、帰ってこなかった。それとも半月。あなたがいないあいだ、この家はゆっくりと古びて、なかにあるものや、なかで息をしていたものは死んでゆき、そしてゆっくりと腐っていった。あなたはそのことを知らなかった。いや知っていたかもしれない。けれどあなたは帰ってこなかった。
あなたは二週間、病院にいた。病気だったわけではない。怪我をしたのでもない。病人の世話をしていたのだ。完全介護が建前で、泊まり込みはできなかったから、近くの安いホテルに寝に帰るふりをして、実際には病室の片隅に敷いた毛布にくるまって寝ていた。院長の旧い知り合いだったから多少のことは多めにみてもらえた。あなたは離れたくなかった。いっときでも一緒にいないことに耐えられなかった。
その二年前にあなたの母親が倒れたとき、あなたはやはり病院に通いつめた。けれど仕事に行っているあいだに容態が急変した。あなたは間にあわなかった。
あなたは病人を助けることができないのを知っていた。だからせめて、病人が死人になるそのときを見届けたいと思ったのだ。
そうしてたしかに、あなたは病人の最期のときを見届けた。最後の呼吸を聞いた。握っていた手もそのまま、あなたはしばらくのあいだ、そのままでいた。
家に帰りついて家のなかを見わたしたとき、あなたは病人の死を見届けるために多くのものを殺したことを知った。食べられるものだった食品や、まっすぐ上に伸びてふくらんで葉をひろげていた緑や、ちいさな籠のなかで生きて動いていた動物が、一様に死んでいた。
そうしてあなたは、わたしを見つけた。わたしは書斎にいた。書斎の机の、ひきだしのなかにいた。あなたが帰ってくるのを待っていた。
あなたに宛てた、わたしは彼が書いた手紙だ。
けれどあなたは、わたしの封を切ることはせず、ただわたしに手をおいて、表書きの字を、ただ、なぞっていた。