第3期 #12

うちまわり線

 どうぞ、という声を聞いて戸を引くと、彼はデパートの屋上で見かけるような小さい電車に乗って待っていたので、笑おうとした頬が固まってしまい、そのまま後ろ手に戸を閉めてからようやく「まだあったんだ」と口を開くと彼は「まあ乗れよ」と言った。
 彼の顔が真剣そのものだったからおとなしく従うことにして、おじゃまします、と言って靴を脱ぎ、五両編成のいちばん後ろにまたがった。電車はゆっくりと動き出し、僕は取っ手を軽くつかんだ。振動で耳がくすぐられるような感覚が、懐かしかった。
 廊下を通り茶の間に入ると、奥さんが頭を下げた。立ち上がろうとすると、いいんですよ、と僕を制した。
「いらっしゃい。ずいぶんごぶさたでしたね」
「ずっと九州のほうに赴任を」
 そうですか、という奥さんの声を背中で受けて次の部屋に移ると、まこと君が絵を描いていた。
「まこと、竹下さん」
「あ、メガネのおっちゃん」
「おひさしぶり」
「うん」
 手元の画用紙に目をやると、サッカーボールが描かれていた。サッカー好きなのか、と訊いたときにはもう部屋を出かかっていて、あんまり、と言うまこと君の姿は見えなくなっていた。
「ずいぶん大きくなったね」
「そりゃあ、子供にとっての二年間っていうのは、オレ達のとは、違うよ」
 二年経っても僕にとってまこと君はまこと君のままで、まこと君にとって僕はメガネのおっちゃんのままだけど、実際のところそのあいだには大きな隔たりがある。まこと君は背が伸びて、顔つきもいくぶんしっかりしてきた。僕にはきっと、分かりやすい変化はなにもない。
「こないだ、ふーちゃんの一周忌あったの」彼はポツリと言った。「やっぱねえ、そりゃあそうなんだけど、写真は同じなんだよ、一年前と」
 僕は黙って聞いていた。
「オレ昔さ、アイツ太ってるからって電車乗せなかったの。そしたらすごい泣いちゃってさ。オレ謝ったけど、もうアイツ乗ろうとはしなかった」
 反対側の廊下を通って玄関に戻ってきた。
「だから、電車を?」
「いや、ぜんぜん関係ないんだけど」
 また茶の間に入ると奥さんは腰をかがめ、僕にお茶を渡してくれた。ビール出しといて、と前を向いたまま彼は言った。
 次の部屋に入るとまこと君が駆け寄ってきて、電車のちょうど真ん中あたりにうまく腰をおろした。まこと君が体を揺らすと「動くな」という声が飛んできて、それでもまだ体を揺らすまこと君の小さな背中を見て、僕は笑った。



Copyright © 2002 川島ケイ / 編集: 短編