第27期 #21

水色

 市街に水は溢れかえっていた。穏やかな波に削られた校舎は木目細かなシルトとなって流れ去り、それを追いかけて帰らない人々に残された子らは粘土質の家に暮らした。彼らは一様に滑らかな褐色の肌を持つ。
 ここに定住して彼らに同化する未来、或いは水に揉まれ、砂礫と化してたゆたう先のことを想い、少年は泥濘に足をとられながら木賃宿に駆け戻り、少ない荷物をまとめた。去り際に手を差し出した帳場の男は自分が人であると思い出した様だった。揺り椅子に腰掛けて数日間、粘土のように凝り固まっていた彼の手を、強く握ろうとも指紋などは残らない。細かく顫える手から砂泥の人形を受け取った。街から持ち出せば堅く乾いた兵曹長に、もう一度、と砂交じりの声で呟く彼は、杳とした意識に包まれて動きを止めた。振り返らずに少年は宿を出る。

 街外れの停留所へ向かう途上、水に充たされた市場に立ち寄った。雨漏りの鳴り止まぬ金物店と、網に囲われた魚河岸に挟まれて消え入りそうな石屋があった。雨樋は摩りきれて破れ、軒下の机に並べられた石を雨垂れが叩き、穿つ、浸む。眺めていた間にも一つの石から色が抜けて薄くなり、ついには水が通り抜けた。表面張力で保持される半透明の含水石をつかみ、水甕を抱えて幸福そうに眠りこける店主を横目に、鞄に仕舞う。
 歩調に合わせて上下に石は揺れた。左右に揺れる少年の眼は水を湛えている様でもあり、蹴とばされて舗道を跳ねる石と近似していた。足元を通過する砂交じりの水に時折、水色の石を見ていた。水と石のあいだにはすでに明確な判別が付かない。比重の大きな水の流れに身を委ねれば川下のかつて住んだ町に到り、深く潜った水底から再浮上したとき体の内外では水が入れ替わり、掌には黒曜石が握られて確かな堅い感触を伝える、気がつけば上手い具合に分配された水が街を潤していて、洗って乾かした温む蒲団に包まって帳場の男や店主が眠っているかも知れない。

 濡れて頬に張りつく髪がすこしずつ乾き、黒に戻った。
 誰かに気付かれて掬われなければ人に戻る自信が無いから、流れに足をとられないよう歩く。

 渇ききった故郷に石は溢れかえっていた。踏みつける度、かちりと割れて何も残らない。
 川砂利を積み上げた、かつて学んだ校舎は斜光を受けて青い影を伸ばす。影に入りこんで膝をつき、鞄から取り出した半透明の石に水色は残っていた。両手に掬い、空に放ると揺れて散らばった。



Copyright © 2004 川野直己 / 編集: 短編