第261期 #3

遠いところから、遠いところへ

 彼女は幼い頃からずれていた。
 それは感性の問題とも言われ、感覚の問題とも言われたが、発育途上の健診で何度も要精密検査と示されることを繰り返し、彼女は学習した。
 つまり、自分はずれているのだ、と。
 世間において一般的と言われる範囲、通常と言われる範囲、標準と言われる範囲、彼女の居場所はそこにはなく、確かに自分がずれていることは彼女自身にもわかっていた。
 周囲が笑うところで笑えない。自分ひとりだけが笑う瞬間がある。
 彼女は学習した。自身の特性について理解し、対応の仕方を考えることに努めた。彼女は自身を記録し、考えた。医師に相談し、膨大な記録を調べた。
 そして、理解した。確かに彼女はずれていた。
 時間軸的に。
 周囲の時間と自分の時間とに、ほんのわずかのずれがある。そのことに気づいたとき、彼女は大きな希望をもった。ずれは本当にほんのわずかだった。ほんの少し努力をすればまったく問題なく追いつけるぐらいの非常に微小なずれ。
 彼女は努力した。つねに走った。それが努力であることを忘れるぐらいに走りに走り、やがてある日気づいた。
 つねに走り続けないと、そこにあるずれを埋めることはできない。
 彼女は走った。走りに走って、走り続け。
 ある日、彼女は諦めた。走ることをやめた。
 彼女と周囲とのずれは刻一刻と広がっていった。彼女はもう走らなかった。ずれはどんどん大きくなっていった。
 今では彼女は遠い遠いところにいる。そこに存在していることがわかっているのに、ずれが大きすぎてその姿を見ることができないぐらい遠くに。彼女のほうからは見えていることは、知識として知っている。理解している。彼女は自分の状況について論文を発表していた。私はそれらの資料をもとに彼女の存在を知り、特定した。
 私は彼女に向けて合図を発信する。複雑な数式をもとに、発信する角度と強度を定め、寸分の違いなく細心の注意を払って発信する。
 そこにいることはわかってるよ。気づいてるよ。
 遠い遠いところで彼女が私の発信を受信している。時折、ほんのわずか、周囲が揺らぐ。いま、彼女の存在をほんのわずか感じた。私はそれを記録する。
 私にもまたずれがある。彼女とは異なる方向にほんのわずかのずれが。彼女と私とは近づかない。けれども、お互いにほんのわずかその存在を感じている。そして、そのことに安堵して、固執して、今日も生き続けている。



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