第25期全作品一覧

# 題名 作者 文字数
1 白い歯 黒木りえ 200
2 サナトリウムと雨音 イツカ 295
3 贖罪のやぎの死とヒポポタムスの悲劇 Shou 996
4 椿 長月夕子 992
5 タクシーは青春を乗せて 戸田一樹 989
6 夏祭り とむOK 845
7 しばらくよろしく、遠藤くん。 めだか 1000
8 taboo ザラメ 935
9 ステーキ 三浦 690
10 オレンジの夜 直 未恕 911
11 ワシ、天使 森栖流鐘 457
12 月魚 安南みつ豆 982
13 青を纏って 広田渡瀬 929
14 相田七丁目一番地 真央りりこ 1000
15 寝汗 戦場ガ原蛇足ノ助 999
16 酷熱カプリッチオ 野郎海松 935
17 ゆう 861
18 黒い郵便屋さん 1000
19 石をみて思うこと 宇加谷 研一郎 992
20 俯瞰 市川 998
21 伝言バー 江口庸 769
22 風の惑星 朝野十字 1000
23 宿命 桑袋弾次 1000
24 (削除されました) - 999
25 ブレイクダウン 西直 989
26 パレード 川野直己 751
27 弟の郵便 海坂他人 981
28 夢日記 神崎 隼 996
29 拾捨 くわず 997
30 帰路 五月決算 1000
31 燃えていく るるるぶ☆どっぐちゃん 1000
32 夕間暮れ 曠野反次郎 977

#1

白い歯

 ぐしり、ぐしり、ぐしり。
 おおきく白い歯が肉の繊維を噛みしだく。牙と呼ぶべきかもしれないそれが肉を抉り、骨を砕いてゆくのを私はうっとりと見つめる。その歯茎に指をはわせ唾液とまざりあった血をすくい、ぺろりと舐める。潮の味。なまぐさい。おいしそうに見えたのに。あまりおいしそうに肉を食うから、私のこともおいしく食ってくれそうだったから食われているのに。
 おいしくない。そのことだけが、ちょっと癪だった。


#2

サナトリウムと雨音

『今日も雨がふっているから
 彼は今日も迎えに来れないそうです』

彼女の日記はいつもそう綴られていた。
朝、書いた後に澄み渡った青い空を見ては微笑んで。
雨傘をさして陽のよくあたるサナトリウムの中庭を歩き。
真中にある時計台の下で夕方を迎えるまでただ立っている。
それが彼女の日課だった。
決まった時間、いつも繰り返す。
そして彼女は、彼女のやまない雨の中でいつまでも。
いつまでもただ「僕」を待っているんだ。

今ここにいる僕じゃなく
「あの日」、彼女を迎えに行けなかった「僕」を
ずっとずっと待ちつづけているんだ。


『今日も雨が降っていたので
 彼は今日も来れなかったそうです』

彼女の日記には雨音だけが綴られていく。


#3

贖罪のやぎの死とヒポポタムスの悲劇

まだ小さな子どもが二匹机をはさんで座っていました。外のお日様はニコニコで、チューリップには二本の平行縦線とその下に上向き半円が描かれているのでした。カバくんは庭で虫歯でいっぱいの大きな口をばっくり開けて窓の外から子ども達に一生懸命にあやまろうとしていました。でも子供たちはカバくんを完全に無視してカバくんの罪を重ねるのでした。

「そうさ。ボクは何も分かってはいないよ。でもね、ボクが思うにはキミだって大した事は分かってはいないよ。ぼろぼろの布切れみたいな知識を少し聞きかじったくらいだろう。キミはね、バカなんだよ。分かるかい。」

右側の子が言いました。

「バカなのはそっちの方さ。キミなんか小学校も卒業してないじゃないか。それはね、キミ。バカな証拠さ。ボクはずっとクラスで一番だったからね。秀才でも天才でもあったんだよ。」

「何を言っているんだい。キミの学校なんてバカの学校じゃないか。バカの学校で一番でもね、所詮はバカ止まりなんだよ。ボクなんか見てみるとね、頭の切れる仕事についているんだよ。バカが羨ましくなるような仕事さ。20年以上学校に行かなければならない有名な職業の一つのことだよ。キミとは大ちがいだね。」

左の子どもが笑うとカバくんが涙を流しながら窓を叩くのが見えました。

「バカはバカな事しか言わないんだね。いいかい。キミが学校に入れたのはキミの親が終末ジャンボ宝くじに買って校長に賄賂したからなんだよ。キミの親はバカの血がキミに流れてることを恐れたんだね。親がバカなら子もバカ。遺伝子ってやつさ。」

「キミの親だって賄賂したさ。クラスで一番だったということは先生までにも賄賂したんだね。そんなことにも気づかないなんてキミはホントにバカだよ。」

「それってキミの事じゃないか。キミってホントにバカだな。」

すると、むせび泣きながら頭を窓に打ち付けていたカバくんはとうとう頭を窓ガラスにぶつけてがっしゃんとガラスを壊してしまいました。二人の子はびっくりしてカバくんの方を見やりました。カバくんは涙でぐちゃぐちゃになった顔を大きな手で拭きました。

「ごめんよ。窓を割ってしまって。荒野に放たれたやぎくんは死んだよ。僕が代わりにならなきゃいけないのに。僕は本当にバカだよ」

そして罪無き子供達はその純粋がなる故を見つめ沈黙した。カバが静かに外の遠くを見つめると、チューリップが少し不思議な顔をするのが見えた。


#4

椿

 小糠雨の街道沿いの旅籠に、行き倒れの女が運び込まれたのは、暮れ六つのことだった。連れてきた男は、もう長くないと首を振りそのまま宿を発った。死にかけているのを放り出すわけにもいかず、納戸を片付け布団を敷き、末の娘に看病を任して、家の者はそれぞれ仕事に戻っていった。
 娘は恐る恐る女の顔を覗き込む。年の頃なら27、8、粋筋の垢抜けた風貌だった。脂汗のにじむ額は青白く、眉根を寄せて目をつぶり、苦しげに開いた唇の紅が、凄絶に美しい。
 娘は手拭で額を拭いてやった。そのうち、女がふと目を開く。
 熱のせいですずをはったような目が、水の湧くかと思うほど潤み、娘は手拭を握り締めたまま見とれた。
 「姐さん…」
女がかすれた声で呼びかけた。
 「世話になるねえ、姐さん。手を煩わせて悪いけど、そんなに長くもちゃしない」
そう言うと、一度深く息を吐き出した。
 「…そんな事…」
 「いや、いいのさ。自分の事は自分が一番わかっている。ヤマを踏む度、この命を捨ててきたんだ。さしたことじゃない。それでもさ、蝶よ花よと歌われたこのあたしがこんなところで死ぬのかねえ。まったく、一生なんて、終わりがこなきゃわかりゃしない。その上、終わりがきた時にはもう遅い」
女はそこで一度言葉を切った。
 「少し休まれたら…」
と娘は言ったが、女はゆっくり頭を振った。
 「もうすぐ長い休みが来るさ。それよりあんたみたいな器量よしが最期を看取ってくれるなんて、あたしも少しは浮かばれる」
女は手を伸ばし、娘の手を握った。それは飛び上がるほど冷たく、命が消えかける様を娘に伝えた。
 「姐さん、こんな女の言う事だけど、しっかり聞いておくんない。あんたは間違えちゃいけない、この先、鏡に、あたしの顔が浮かんだら、それは道を間違えてる。あたしみたいになっちゃいけない、落ちる先に底なんかありゃしない、いいかい、あんたしっかり胸に刻むんだよ…」
言い切るなり、女の瞳からすっと光が抜け、娘の手の中にぱたりとその腕が落ちた。
 
 小糠雨の庭に、何かがぱたりと落ちた。女が立っていくと、それは椿の花だった。大きく抜いた襟元に、後れ毛がかかり、白いうなじに一種墨絵の川を描いている。紅の椿を手に取り、まだ綺麗なのにと呟きながら、櫛巻きの髪を直そうと鏡を覗いて、息を止めた。思わず握り潰した椿の花の、花芯の黄色が手にこびりつき、どんなに擦っても落ちはしない。


#5

タクシーは青春を乗せて

 百貨店を出ると将はいよいよ本降りになってきた雨に少したじろいだ。雨は買い物をしている間に止むどころかますますその激しさを増していた。涼子への誕生日プレゼントを選んでいる間の弾んだ気分は瞬く間に萎えてしまった。こんなにもまとまった雨が降るのは何日ぶりだろう。しかも、よりによって今日という日に。
 将は萎みかけた自分の心を奮い立たせるようにデパートの紙袋を持った手に力を込めた。そこには銀のブレスレットが入っている。貧乏学生の将には些か高価な買い物だったが、涼子の喜ぶ顔を想像すれば何も惜しいことはなかった。
 傘を広げてバス乗り場に向かいかけたとき、ふとタクシー乗り場が目に入った。幸運にも客を待ったタクシーが一台止まっている。財布に残っている金額を素早く計算した将は思い切ってそのタクシーに乗り込んだ。
 騒がしい駅前から離れていくほどに将の胸は弾んだ。店を出た時に感じた不安はない。将はタクシーに乗って本当によかったと心から思った。
 「何かいいことでもあったんですか?」
 不意に運転手が聞いた。
 「ええ、まあ。今日は恋人の誕生日なんです」
 「それで今から彼女の部屋に行くと」
 将が照れ笑いを浮かべると運転手はうなづいて、「若いというのはいいもんです」と言った。
 「そういえばこの前も病院の前でお客さんぐらいの年の青年を乗せたんですがね」運転手は話し続けた。「ずいぶん奇妙なことを言うんですよ。俺をあの世へ連れていってくれって」
 タクシーは信号で止まった。ワイパーは規則的な動きを続け、雨飛沫を払い落としている。
 「仰っている言葉の意味がよく分からないんですが」
 しばらくの間を置いて将は正直に言った。
 「ええ、そうでしょう。私も最初は何のことだか分かりませんでした」
 信号が青に変わり、タクシーはウィンカーを出して左に曲がった。
 「よくよく話を聞いてみるとね、恋人が亡くなったらしいんですよ、病気で」
 運転手はそれきり黙ってしまった。
 タクシーは細い路地に入り、涼子のマンションの前で止まった。将は手早く料金を支払い、そそくさとタクシーを降りた。
 降りしきる雨の中を行くタクシーを、将は傘も差さずに見送った。黒い車体が完全に見えなくなるまで。
 冷たい雨が将の耳元を伝い、首筋を濡らせた。雨脚はますます強くなっている。将はようやく傘を広げると、紙袋を持った手にもう一度力を込めた。


#6

夏祭り

「お客さん、その辺で勘弁してくださいよ」
 金魚掬いの露店を構えたおやじは、達也と香里が店先に網を構えて陣取ってから何本目かになる煙草を、地面に擦ってもみ消した。
「そりゃあ釣れるだけ釣っていいとは言ってるけどさあ。お客さん達みたいな人のことは正直計算に入れてないんだよね」
「悪い、おやじ。もうすぐ勝負がつくから、待っててくれよ、ちょっとだけ。…おい、何匹だ」
「20匹目。達也は?」
「…今、21。そろそろ降参しろ」
「あんたこそ。あたしゃこれで負けたことないんだからね…よし、21匹!」
 香里が軽く手首をひねると、薄い網から小さな金魚が小さなしぶきを上げて椀に飛び込む。黒い椀の中は赤橙色に跳ね回る金魚で一杯だった。
「俺だってもよ」
「おじさん、待っててね。この街の名誉にかけて、あたしがこのへっぽこ自衛官をへこましてあげるからね。」
「…よそでやってくんないかなあ。香里ちゃん、毎年なんだよね。いい年して、全然変わってねえや…それどころか、今年はとんでもない人連れて来ちゃって。沙織ちゃんの彼氏かい?アンちゃん、自衛隊なら俺の平和を守る為に彼女を止めてくれよ」
「誰が彼氏?おじさんちょっと黙ってて…よし、22匹。あ、破れる?…まだいけるか」
「おやじ、わりいけど俺、今日非番でな…22匹目。この辺で勘弁してやるぞ」
「あら、負けを見とめるのかしら?」
「地元で恥かかないように顔立ててやるっての…お、23匹」
金魚掬いのおやじは、深いため息をついて、次の煙草に火をつけた。参道を点々と飾る提灯を見上げ、深々と吸い込んだ後、反対の手で尻ポケットから携帯電話を取り出す。
「あ、もしもし?来てるよ、香里ちゃん。例の露店荒しの、指名手配の凶悪犯。今年はなんか自衛隊の護衛つき。それが輪をかけてとんでもねえお人でさ。あんたも今日は店たたんだほうが…あ、もう来たの、そっちにも。7段に並べた射的のおもちゃ全部いかれたって?イカサマで台にくっつけてある豆雛のようなやつまで?まさか彼氏、実弾発砲したんじゃあるまいね…」


#7

しばらくよろしく、遠藤くん。

 ここに階段がある。
「あゆちゃん、良くお聞き。父は、男の子が欲しかった。」

 やっと歩き始めたばかりの娘に判るわけがない。今日から男の子として育てようと決めて、この二階の踊り場に連れてきた。危険極まりないが、この危機を乗り越え得れば私ら親子の選択に間違いはない。これは試練だと、自分にいいきかせた。
「世間がなんだ。二人でこの修羅を乗り越えようじゃないか。」
「また獅子は、我が子を千尋の谷へ突き落とし。」
這い上がってきたものを育てるという。本当に落ちたら堪らないけどそのたくましさが男の浪漫だよ。
「さあ、あゆむくん。行こう。」
そっと手を離す。

 と、そこへ眉間に一発、火花が散った。一目で、妻は事態を察しアホな亭主から"あゆみ"を奪還すべく動いていた。さすがに似たもの夫婦である。離す瞬間を狙って"あゆみ"を庇うように抱えると腹這いにうづくまる。私は、
「な、なんだ。獅子は千尋の谷へだなぁ。男の浪漫があゆむくんだ。」
子供じみた言い訳が、かなり混乱している。
「その、だから、太い尻を向けるなって。」
ずいぶん失礼な注文である。
「バカじゃないの。」
妻は、私の言い訳を聞いて安心したのか、落ち着いて座りなおし、
「言っときますけどね。」
切り返す声には、いつもの調子がある。
「医師だか隣人だか知りませんけど。」
「おまえ。獅子に千尋だ、センジン。尻をふって、違う。」
「試してみたいなら、自分で落っこちればいいじゃないの。」
「そうやって、ぶた鼻を近けるなってば。男同士なんだ俺達は。」
「ふん。なんなら今から私が…。なにさ。ちょっとあんたも、なに、やってるの。」
"あゆみ"は抱えられながら、どう思ったのか妻のシャツの間から、胸元をまさぐりだした。

 これが男の本質か。妙に納得すると下からお父さんと呼ぶ声がする。彷徨う視線の先におたまを握り締めた婆ちゃんと目が合った。中学生の"はな"は胸に座布団をかかえて様子を伺う。小学生の"ちぃ"がヒョロっと伸びた足を一段目にかけて、携帯をふりかぶっている。

 女だらけだよ。
「"かほ"!ジッとしてればいいの。」
妻の声が飛ぶと同時に、忘れていた三女が向こう脛に
「あゆちゃんとだけ遊んで、ずるい!」
と、ドンと飛び込んできた。

 そして病室。店をあれこれ手伝ってくれている遠藤くんは私をみつめ
「で、あぁ。あ〜。って感じですか。」
と、呆れ顔だ。私はギブスを掻き毟る手を止めて、ニカっと笑ってみせた。


#8

taboo

巨大なチェス盤の上。
白と黒の、人間大のチェスの駒が整列している。
舞台右手から、豪奢な黒の衣装を纏い、銀の仮面を
つけた黒の王、登場。
ゆっくり舞台を横切ると、マントを翻して正面を向き、
黒の陣地のキングの位置に置かれた、高い椅子に座る。

黒の王
「君は、まだ知らない
 それを知った時の君の豹変を、半ば恐れ、
 半ば期待しながら、私はただ頷いてみせる
 君は私を憎むだろう
 それでも私は、君を許すだろう」

言い終えると、黒の王、俯く。
舞台袖から、澄んだ幼い声が聞こえてくる。


「されてもいないことを、今から許すというの?」

白い毛皮で縁取られた、白のマントを引きずりながら
舞台左手から少女(白の女王)登場。
優雅な動作で、白の陣地のクイーンの駒に座る。
椅子が高いために、足は床に届かない。

白の女王
「心から信じていたからこそ、心から憎めるのよ
 あなたは人を信じるのが怖いのね
 …ポーン、e4へ」

黒子、白のポーンを、その位置に移動。
以下、会話の切れ目ごとに、静かにチェスが進められる。
黒の王、顔を上げ何か言いかけるが、また俯く。

白の女王
「なぜ黙っているの?
 疑いに対する沈黙は肯定と同じよ
 そして不信には不信を
 憎しみには憎しみを返すのが人間だわ」

黒の王
「言ってはいけないんだ」

白の女王
「何を言ってはいけないの」

黒の王
「言ってはいけないから、言えないんだ」

白の女王
「言ってくれなきゃ分からないわ」

黒の王
「その通り
 もう分かったかい」

白の女王
「分からないわ」

黒の王
「分かったようだね」

白の女王
「分からないわ
 試そうともしない貴方が」

白の女王、椅子から降りて立つ。
照明、赤に変わり、女王の白い衣装が赤く染められた
ように見える。

白の女王
「それでもあたしは、貴方を憎んでやるわ」

スポットライト。白の女王、ゆっくり黒の王に近づいて
頭を撫でる仕草。

白の女王
「それでもあたしは、貴方を憎んでやるわ
 …さみしい人」

ライトOFF 白の女王、退場。
舞台中央、立ち尽くす黒の王にスポットライト。

黒の王
「君の気付いていないことに、私は気付いている
 私が気付いているということに、君は気付かない
 それでも私は、君を許すだろう」

吹雪の音。
黒の王、寒そうに、きつく体にマントを巻きつける。
音、ライト、段々と消えていく。

(暗転)


#9

ステーキ

 「僕たち、どうして向かい合って食べてるのかな?」
 油の浮く文庫本くらいの厚さのステーキにナイフを入れて、僕は肉とその言葉を口にした。
 「ひとりじゃないって、確認するためなんじゃない?」
 彼女のフォークはトウモロコシの粒がお気に入りのようだ。
 僕の興味から、横に並んでみることにした。
 「うん。さみしいね」
 「そお? 横にいるのよ、わたし」
 彼女はトウモロコシを平らげてニンジンに移っていた。ナイフの描く軌跡が鉄板の上に紅い切れ端を生み出す。
 僕の方は手が止まっていた。
 「ごめん、元に戻ろうか?」
 「わたし、ゆっくり食べたいの」
 「平気なのか?」
 「こうして側にいるじゃない」
 「……僕たち、別れよう」
 「いいわよ、別に」
 細切れになったニンジンを、彼女はひとつひとつナイフに刺して口に運んでいた。
 「ステーキ、食べないのかい?」
 「よかったら、あげるわよ」
 僕は、手をつけていないステーキを食べかけのステーキの上にのせた。
 「替わりに、これ頂戴ね」
 彼女は僕のから、黄色と赤色をすくっていった。
 僕たちは、黙々と食べた。
 「……戻って、いいかな?」
 「どうぞ」
 僕たちは、再び向かい合った。
 「あのさ」
 「なあに?」
 「僕たち……やっぱり付き合おうか?」
 「いいわよ、別に」
 「ありがとう」
 僕がそう言うと、彼女は初めて、トウモロコシでもニンジンでもなく、僕を見た。
 そして、驚いたふうに、
 「あなたって、わたしとは違う人だったのよね」
 と言った。
 「うん。僕も今、そう思った」
 彼女はまた、トウモロコシとニンジンに戻っていった。
 僕も、ステーキだけがのっている鉄板へ戻った。


#10

オレンジの夜

ボルヴィックのボトルを口にあて、コクリと一口飲んだ。
ボトルを持つ手が震えている。
大きく広がった窓の外には、いつもより透明な空気があるような気がした。
窓の向こう側にはビーズを散りばめたように光る夜景があるのに、
窓はまるで鏡のように、私の姿を映しているだけだ。
その動かない細かな光の群れは、
ただ、オレンジ色のルームライトに照らされた、私の体の影を飾っていた。

まだ、ずっと酔っていたい。
酔ってすべてをまかせてしまいたい。
好きだということを、忘れてしまうくらいに。

髪のしずくが肩に落ちる。
さっきの熱いシャワーが、エアコンのせいで冷え切ったしずくになる。
すっと、鎖骨から胸へと、しずくは伝い落ち、そのたびに恥ずかしさで吹き払う。
いくら拭っても、涙のようにとめどなく、
その思いは消えない。
シーツを剥ぎ取って、体中に巻きつけた。
そしてベッドの上に座った。

ほんの数分。
明るすぎる部屋で、落ち着きなく、シーツの間から顔を出す私が、窓に映った。
やっぱり、ヘン。
なんでそんな色っぽい顔をしてるの?
いつものようにはしゃいで、大好きって言えばいいのに。
シャワーの湯がバスタブを打つ、強い音が聞こえる。

静かになった。
彼がシャワーを終えて、出てきているのが分かっているのに、そっちを向けない。
なんだろう。まるで磁石のNとN。SとS。
彼とは反対の方向に、顔を向けてる。
「寒いの?」
彼が、縮こまる私に向かって不思議そうに聞いた。
「…ちょっと、寒いかな…。」
エアコンは心地いい。
全然寒くなんかない。
彼はにこりともせずに、私のそばにやってきて、顔を覗き込んだ。
私の髪をかき上げて、そのまま、頬を優しく撫でた。
「髪乾かさないと、風邪引かない?」
髪のしずくで顔を濡らしたままの彼が、そんなことを言った。

私は今、
どんな顔をして彼を見ているんだろう。
私を見る彼の目は、なんだか小さな子供のよう。
そんな彼を見ていると、
さっきまでの恥ずかしさや、少しの不安がどこかへ消えて行く。

この人を受け入れたい。
微かに見せる、彼の迷いとか、恐れを、今は敏感に感じられるから。
私にできることは、
包み込んであげることだけ。

彼の横顔に、オレンジの光が深い陰影を作る。
初めて、私の夜を染める。


#11

ワシ、天使

三輪さんとこの六兵衛さんが、「天使」であると、言いだしたのは先月の中ごろであったか。僕は、姉と久々に買い物に出かけて、その帰り、六兵衛翁の、ヒョコヒョコした足取りを見かけ、顔を見合わせて微笑んだものである。「ワシは、天使じゃ。もうすぐ最後の審判が訪れるぞい、許しを乞いたい者は、ワシのもとに来るのじゃ。」といって、全然誰も相手にしようとしない。
「おい、老人。君は天使だってね。」僕は、しょうがないので、声をかけた。
「そうじゃ。」
「じゃぁ、許しを与えてくれるかな。」
「もちろんじゃ。」
「あ、僕の姉も頼むよ。」
「もちろんじゃ。」
「ところで、君はなんで天使になったんだい?」
「この世は、すさんでいるからじゃ、救世主様は、この世の惨状をお嘆きになって、ワシを使わしたんじゃ、それに気付くのが、ちと遅かったんじゃ。」
「そうかいそうかい。じゃ。」
「そなたたちの上に、神の祝福を。」
六兵衛翁は、尚も手を振っていた。
「痴呆ね。」
「ああ、痴呆だな。」
そう言って、僕と姉とは、手を握り合い、背中から羽を生やして、天上に帰っていった。


#12

月魚

 夜店のまあるいオレンジ色のひかりのなかで、ガラス色した月魚や火魚がふわふわと浮いている。
 おとーさん、あれ。
 硬貨とひっかえに、針金をつないだ紙縒りをわたされる。
 月魚は千円札を背負ったものもいる。去年あれをとろうとしてぷっつりと紙縒りは切れた。
 今年は堅実にいく。テレビでやっていた水魚のとりかたを思い出しながら。
 まずわっかを斜め四十五度の角度で飴の中に入れる。
 まとわりつく飴をものともせず、慎重に水魚の下にわっかを差し入れる。
 そおっとすくいあげる。飴が固まるよりはやく、わっかを斜めにしてまず飴を切る。
 飴の重さで紙が破けるのを防いでから、水魚を救い出す、すくいだす、すいだす、すいだす・・・・・・。
 ぼとっと月魚の落ちる音がした。
 紙縒りが切れた。

 けっきょくおっちゃんはピンクのビニールひものついた透き通ったビニール袋に、ガラス細工のような、りんご飴のような月魚を一匹入れてくれた。生きていないビニール製の火魚ははじめから眼中になかった。
 うちでは飼えないのに、と、おとーさんが云った。どうして火魚をもらわなかったのかい?

 去年の火魚はまだ家にあるはずだ。

 とりあえず部屋で買えるよね? 明日ロビンソンで水カゴを買えばいいよね?
 そりゃあロビンソンまで行けばなんでもあるけど、おまえ、ちゃんと空気の入れ替えとかできるのか。おとーさんはやらないぞ。
 家の空気じゃダメなんだよね。一度日を通せばいいんだよね?
 そうだよ。
 ご飯粒食べるかなあ。
 ダメだよ、ちゃんと月魚のえさがいるぞ、それ云わんこっちゃない。
 わたしまえのうちで月魚飼っていたよ、と小さな声で言った。
 玄関の前、水カゴの中で月魚は勝手に生きていた。餌をあげた記憶がなかった。月草があったから良かったのだろうか?
 
 日の通った部屋の中で月魚を放つ。月魚はふわふわと泳いでいる。赤い身体を通って、飴色の光がきらきらと光った。

 しかし空気がいけなかったのか月魚がいけなかったのか、一週間もしないうちに月魚は割れて小さなガラスの欠片になってしまった。
 わたしはガラスの欠片を、ベランダにあるサボテンの鉢のなかに埋めた。サボテンのトゲが胸に刺さった。
 おとーさんが買ってきた残りの月魚が部屋を漂っている。
 わたしはずっとこうやって生きていく。
 それはたぶんしあわせなことだとおもう。たぶん、きっと。


#13

青を纏って

窓を開けると、冷え冷えとした空気が刺すような勢いで流れ込んできた。空調の効きすぎた部屋の中はいつの間にかもやもやした熱気に満ちていたらしかった。
この街でも一番のスウィートですよとボーイが自慢するとおり、このホテルは確かに居心地がよかった。海外で日本以上のサービスを受けることはなかなかない。あらゆる手段を使って一週間もかけて探していた。さすが妻の目に狂いはなかったということか。
何となくそうしてみたくて、私は窓を大きく開け放ったまま、目の前にそびえるマッターホルンにむかって杯をかざした。一生にそう何度も出来る贅沢じゃない。
さすがに窓を開け続けているには寒すぎて、でもその景色から目を反らすことが難しく、閉じた窓越しに街を眺めた。後で開いた妻の日記には「麗しの青いツェルマット」とあった。なるほど。街にこぼれる夜の灯火が雪に反射して青白く輝いている。
寒い街だ。けれども美しい。
高額な国際電話であるにも関わらず、あの時この街から私にかけてよこした妻の言葉ときたら、情緒もなにもあったものじゃなかった。
「マッターホルンは、横になった外人さんの顔みたいね」
驚いて私が聞き返すと、「外人さんの鼻って、横になってもキョンと高くてそっくりでしょ」と笑った。そうかもしれないと思わず思い、東京から声を飛ばして私も笑った。
快適に整えられた空調の中、妻に匹敵する珍妙な例えはないものかと思いながら私は眠りにつく。

翌日、モーニングコールの鳴る前に目覚めて支度をした。どこへ行くのかと聞くボーイに、あの山だよ、とだけ答える。指さす先にはマッターホルンが悠々とそびえている。あまりにも軽装過ぎるとボーイは言ったが、私は笑い返す。「大丈夫、妻だって同じ姿だったんだから」ボーイはあきれたようだった。
見れば見るほど切り立った厳しい山だ。私は防寒着の胸元を押さえた。
お帰りの際はまたこのホテルへ、とボーイは言ったが、私は答えなかった。妻は必ず私を見つけるという自信があるからだ。

妻が好み、妻が美しいと言ったこの街の青。妻と同じ服。
妻は間違いなく私が纏ったこの青を見つけ出すだろう。氷の中でも雪の中でも。
妻はここでいつまでも私を探し続けていて、私もまた、妻を探すためにここまで来たのだから。


#14

相田七丁目一番地

 向かいのペットショップやさんはいつも通り九時に開店したけど、今日はお盆。午前中に一台車が来たと思ったら、お墓参りへ行く途中の知り合いの人だった。
「客は来るかね」
「来ないねぇ」
ちいさな町のちいさなペットショップや。珍しい物といえば力士の首周りくらいあるモルモット、シッポを垂れて吠えないコリー犬。暑い夏の日射しに、鈍色した生け簀に流れる水道水の音が涼しさを醸し出している。

 店の前を歩いて通る人はいない。みんな車で墓参りに行くんだ。お墓は街並みを外れた山裾に多くある。町を囲む山々にそれぞれお寺があるから町中の人が墓参りに行ってしまうと、町にほとけが集まる。墓参りに行ってほとけに会えたと勘違いする人はしあわせ。ほとけは地獄の釜を抜け出して、町を闊歩してるとか。

 ペットショップやにもやってくるだろう、店主の死んだおやじさんが。
「いやぁ、この店だけだよお盆に開いてるのは」
なんだかおやじに似てる人だと店主は思いながら
「口のあるものに休みは通じないからねぇ」
豪快に笑って、金魚の水槽にえさをぶち込む。
コリーがやけになついて、おやじさんは
「こいつを連れて帰ってもいいかな」
商談を持ちかけ、店主はコリーの今までに見た事ないような人を慕う目を見て
「いいっすよ。でもこいつ店の看板犬なんで、値段がついてないんですわ」
「値段がないとはますます気に入った」
おやじさんは目を細めてコリーをなでる。墓地の住所を紙に書くと
「電話はないんだがね、訪ねてもらえばここにいるから」
サインだけで店主はコリーをおやじにゆずることにした。根っからの動物好きというのではなかったけれど、一瞬だけコリーを愛おしいと思った。

 店主がおやじさんにコリーをゆずった事で、引き替えのようにいいことが店主に降って湧いたかどうかは知らない。きっとひとつくらいはあったんだろう。なくてもどうってことはないけど。

 コリーはどうしただろうか。まさか墓地を彷徨っているなんてことはないはずで、たぶんおやじさんの知り合いのむちゃくちゃ犬好きの家に舞い込んだだろう。けんちゃんの生まれ変わりだよ、けんちゃん犬好きだったからほら鼻のあたりどことなく似てると触られて、けんと名付けてくれる家にいるはずだ。

 店主は知らない。店の雑音に混じって夕方にはコリーのくうんという鳴き声が聞こえる。普段から鳴かない犬だったから、くうんと鼻筋を空気が通り過ぎても誰も気づかない。


#15

寝汗

 寝汗がああん一杯出るからタールでも摂らないとやってられないわの略であるネアンデルタール人の滅亡がタールとニコチンの作用を逆に解釈してしまったことに端を発する悲劇であることが世間に広く知られて久しいが、ホモサピエンスである俺にとっても、寝汗というのは相当気分の悪いものである。
 相当気分が悪いということは、目覚めて早々に吐き気を催すことに相通ずるところがあり、やだ、もしかして、と鏡に映る自分の顔をじっと見詰めて頬に手を添えてしまう事態も想定され得るが、手を添えた頬は脂ぎっているだろうから、男は妊娠しないというよく知られた結論に行き着いて一安心するに違いない。
 一安心と言えばオートロックがその産地として有名だが、最近では二安心三安心の開発も進んでいると聞く。フィギュアフォーレッグロックがどの家庭でも愛用されていた牧歌的な時代もよいものだったが、やはり白覆面は汚れが目立ち過ぎたのである。
 白覆面については特に思い当たるところがなかったので、俺は仕方なく目を開けた。暑く重苦しい空気が身体中にまとわりついてくるのがわかり、堪らず一つ寝返りを打った。
 飲む、打つ、買うの三つのエネルギーによって我々の世界は回っている。即ち、酒を飲んで目が回り、ボールを打ってベースを回り、モーターを買って軸を回すのである。
 一体今は何時なのだろうか、天井を見上げたまま手を伸ばして枕元を探ってみるが、時計の手応えは無い。あるいは時計など初めからなかったのかもしれないってベタだねどうも。
 俯せになって頭の先を見ると、時計はすぐそこにあった。十一時三十分。さほど意外な時間ではない。暑くて仕方ないのでもう起きようと思うのだが、身体がなかなか動かない。つい先程まで、何かとても面白いことを考えていた気がしてならないのだが、どうにも思い出せない。ないないづくしのナントカ。
 なんとか上体を起こすと、ひどく寝汗をかいているのに気付いた。おまけに顔が脂ぎっている。寝汗に関して何か発見したばかりのような気もするが、何だったかわからない。
 眠る直前や眠っている間に面白いことを思いついたら書いておこう帳を枕の下から取り出して最新のページを開くと、面白いことを思いついたらきちんとメモを取ろう、と書いてあって、なるほどそれは大切なことだと、ぺしりと打った膝は微妙にべとついていた。あるいは手の方がべとついていたのかもしれない。


#16

酷熱カプリッチオ

 あー、しゃあしいのう、隣んやた何しよんのやが、寝られやせんが、どげえなっとんじゃこら、だいたい今何時や思うちょるんじゃち、ちゃあ、四時やねえかえ、こらもう何が何でんおかしいわ、ちょう言っちこう、あ? 何がえ、しゃあしいもんをしゃあしいちゅって何が悪いこつあっかえ、あ? あほか、そんなん何にでん限度っちゅうもんがあんのじゃ、限度っちゅうもんが、寝られやせんのやが、ただでさえ最近あちいじ寝られやせんちゅうに、クーラー代も馬鹿にならんのんぞ、いいけん言っちくる、今何時や思うとんじゃち言っちくる、あ? 何がえ、そげんこつ言うち、じゃったらどげえせえちゅうんやが、こんクソあちいに、寝られやせんのやが、どげえせえちゅうんやが、尻取りでんせえっちゅうんか、そんなん、誰がすっかえ、せんちゅうとんに、あ? 「り」? 尻取りの「り」? 「り」なんかあるかえ、もっと簡単なやつから初めんなつまるかち、ただでさえこんクソあちいに、そげなん考えちおらるっかち、もう夜ん夜中ぞ、四時やぞ、朝んなんやねえかえ、あ? 「りんご」? おう、そっちゃな、「りんご」があったな、んーだら「りんご」でいいわ、おまえ「ご」な、ちゅうか、そげんこつより隣んこつじゃちゅうに、あ? いけんいけん、「ゴリラ」なんか簡単すぎるわ、ちいたあ考えいや、そんなん誰にでん考えつくわ、そげなんじつまるかち、こんクソあちいに「ゴリラ」なんかお呼びやねえっちゅうんやが、よい、こら、何しよんじゃ、何しよんじゃち、何しよんじゃち言うたら何しよんじゃち、あ? どき行くっちゅうんじゃ、こん夜中に、もう朝ぞ、もう寝らるっとか寝られんとかの騒ぎじゃねえわや、朝になんやねえかえ、よい、よいちゃ、ああもういいわ、どげでんいいわ、好きにせいや、どこでん行け、帰っちくんな、尻取りぐれえでヘソ曲げるやつは帰っちくんなちゅうんじゃ、こんクソあちいに、あ? 誰やが、あんた、隣? うるさいや? ばかたん、そらこっちの科白じゃ、今おまえんせいで女房が出てったんじゃ、どげえしちくるるんかち、おまえがみんな悪いんじゃろが、あほ言え、なんでこっちが悪いっちゅうこつがあんのか、おまえじゃおまえ、おまえんおかげじ寝られやせんかったっちゅうんやが。


#17

 古臭いことだと解ってはいても、それ以外の方法を何も思いつかなかったのだ。
 竹子さんは、胸元まである漆黒の長い髪を二つに分けた。指通りのいい滑らかな髪を、いとおしむように撫でていたが、意を決するかのように、右側の髪を掴むとバッサリと肩まで切った。ちぐはぐになった髪のせいで、左側に頭が傾く。おや? というようなポーズをとっている。そのままの姿勢で、床に落ちた髪を見つめた。
「未練がこんなにいっぱい……」
 足元に纏わりつく未練を、むぎゅっと踏みつけると、柔らかいがチクチクとした感触が足の裏をくすぐった。温かいような気もした。ツンとしたものが脳に伝達される。
「あらあら」
 竹子さんの目から、大粒の雪が降り始めた。黒に被さるように白は降り積もり、温度を下げていく。はらはらと雪は降り続いた。
「もう春なのに……」
 傾いた顔の上を滑り落ちていく雪は、止まることを知らない。竹子さんは、にゅっと舌を伸ばすと、舌先に雪が落ちた。落ちるとすぐに雪は舌に馴染んだ。しょっぱい味がした。
「喰ってやる」
 竹子さんは、蛙のように凄い速さで、舌を出しては雪を取り、口に入れたが、雪を食べつくすことはできなかった。机の上に、ぽつねんと置かれた結婚式の二次会の招待状。雪はその上にも降り注いだ。竹子さんは、なぜ? というようなポーズをとっている。
「あと半分」
 竹子さんは、傾いた自分の顔を両手でしっかりと挟み、無理やり真っ直ぐに戻してから、左側の髪を掴んだ。
「これを切ったら、おめでとうって言う顔の練習をするんだ。意地でも言うんだ」
 呪文のように呟くと、残っている未練に鋏を入れた。切られたという声と共に、ゆっくりと床に落ちる。ちぐはぐだった髪が揃い、身体全体の中心線が真っ直ぐになるのを感じた。竹子さんは、足元に力を入れる。踏みつけられた黒い髪は、いくらか湿ってはいたが、何も感じることはなかった。
「おめでとう」
 よく通る澄んだ声が出たことは、竹子さん自身を一番驚かせ、喜ばせた。頬にいくらか残雪はあったものの、その顔には、春の笑顔が芽吹いていた。


#18

黒い郵便屋さん

僕は黒い郵便屋さん。みんなが僕のことをそう呼ぶ。僕の仕事は不幸の手紙を配達すること。僕がみんなに手紙を渡すと、誰もが青ざめて凍りつくんだ。それからじわじわと不遇を嘆いたり、めそめそ泣き始める。かと思えば突如怒り沸騰、僕の胸ぐらをつかむ者もいる。まあ、落ち着いて聞いてほしい。不幸の手紙は悲運への赤紙。何人も決して、逃れることはできないんだ。

誰かさんが書いた不幸の手紙は、すべて僕の黒いポストに届けられる。僕はそれを丁重に、宛名の主まで運んでゆく。そして必ず手紙について説明する。説明は大切だからね。説明書なしでジェットコースターが運転できるかい?それが地獄へのジェットコースターだとしたら尚更だ。こう見えても僕は紳士なのだよ。

手紙には受取人が成すべき事と、その期限が明示されている。達成できなかった者は死神に魂を奪われるんだ。君は、死神を見たことがあるかい?足先まですっぽりと黒いぼろをまとい、頭はどくろ、眼窩に大蛇を飼っている。齢三千年を超えた蝙蝠の怪異を手下にしているが、こいつは体毛の長い大猿に似た化け物で、寝ている人の口中からつるつると魂を吸い出す癖のあるいやらしい奴だ。死神ならまだしも、蝙蝠猿に魂をぬかれた日には、誰だって浮かばれやしないだろう。

怖がらせてすまなかった。戸棚の裏から出てきて、何かひと口飲むといい。気分を変えて手紙の話をしようか。死神が対象者の処分を終えたあとの手紙のことだ。残された手紙は収集され、特別な場所に送られる。水平線の果てにある、地図に存在しない孤島。老夫婦がたった二人で住んでいる秘密の小さな島だ。老夫婦は日の出とともに起き出して、島の聖域で儀式に則り、しめやかに手紙を始末する。要は、燃やしちまうんだ。

昼間の空いた時間に、老夫婦はくじを売って暮らしている。絶海の孤島の宝くじ。眉唾ものだが、これがなんとハズレ無しの大当たりばかりなんだ。噂によると、手紙を燃やしたあとの灰をくじにちょいとつけるのが、運を味方にする秘訣らしい。一握りの選ばれた人間だけが、幸運の降りそそぐ宝島の恩恵にあずかることができる。僕もそのひとりと言うわけさ。

そろそろ日が暮れてきたのでおいとましよう。随分長居をしてしまったようだ。珈琲はとても美味しかったよ。さあ、僕の上着の裾を離したまえ。そんなに心配することはない。誰にでもあることさ。グッド・ラック。手紙はここに置いておくからね。


#19

石をみて思うこと

ここに石があるとする。

それはそれは大きな石で、高さ3mはあるだろうか。幅も同じくらいだから、正方形だと思っていい。色は黒。少し青みがかった光る黒だ。

さて、人はこの石を前にどういう反応を示すだろうか。それが由緒あるものだとか、どこに置かれているかで印象はまったく変わると思うが、たとえば夢の中にぽーんとでてきたということにしてみる。

彫刻家は石のなかに、すでに出来上がった像をみると聞いたことがあるから、ある彫刻家の男性にはこの石が一人の美しい女性の裸にみえるかもしれない。あるいは地質学者がいて、彼にとってはたとえ夢の中でも、その石にじかに触れようと試みるだろうし、それが何かの力できないときは、それは石ではないかもしれない、と判断するか、では何であろうか、と考察していくだろう。

私はどうかというと、実は昨晩この状況を夢でみたのだった。夢を夢だと気づかせないところが夢の不思議であるが、私の前にたたずむ3mの石を前に、その石こそが本当の私である、と思った。彫刻家のように裸をみるわけでも、地質学者のように分析するわけでもなく、石が私である、というのだからへんな話だが、へんな話だというのは目が覚めているから言えるわけであって、夢の中では人生における重大な問題だった。

その大きな力強い、圧倒的な存在を前にして、この石を見ている私はなにか薄っぺらい偽者のように思えた。当然、本当の私が目の前にあるのだから、石に触れてみるのだが、石はひんやり冷たくて固く、決して石の中に入っていけるわけではない。それが寂しかった。

しばらくして石を殴りつけてみたが、やはり石なので、右腕のこぶしに痛みが走り、もしかしたら夢の中で骨を折ったかもしれない。気がついたら泣いていて、そういうときの涙というのは、えーんえーんと大声をあげるよりむしろ脂汗のようにじとじと顔が濡れる。そのときまでは意識に石のことしかなかったが、あらためて石の背後に目をむけると川がながれていて、ここが河川敷だったことにきづいた。夜があけようとしていて、太陽にむかって両手を広げ、光を浴びようと思ったのだが、思っていたよりずっと光が強く、オーブントースターの中に入っているかのように、身体が焼けていく。

あわてて石の裏側にまわり、服を脱いで裸になって、ヤモリのように石にくっつくと、冷たくて気持ちがよくて、いつのまに石になっていた。


#20

俯瞰

 向こう岸に電車が滑り込んで来た、と思うと、止まったか止まらないかでするする去っていった。ホームに立っている人々の何分の一かが、演出のきいたような動作でその行く先を見つめる。溝を横切る鉄線は残されて、あれを載せて走るのには些か頼りなげな風情で、私を見上げる。それでも彼らはレールとして価値を見出され、コンクリートに固定されながら、地を這い両側へ伸びてゆく。私たちが思うよりもそれは自由に延伸し、切替えの度、思い思いに枝別れしてゆく。しかしてその端っこは、熱に溶けたガラス棒のように、くるりと丸まって終わる。
 一方その上を走る、重たいステンレスの箱は、細かいひとつのパーツにまで気を配り組み立てられたように見える。大小の金属片。相当量の布とプラスチック、ガラス(これは、平らで一枚板の)も載っている。人間も乗っている。タンパク質と水分。空気がざらつく程満ちた様々な心――ただそれらはすべて、複雑さを持たないイオンの類いか、タンパク質に帰属されてしまうだろう。三両目の女性の提げる一包みの仏花が、列車が載せるもののうちでは、とくに緻密でひそやかな意思を抱いている。
 だんだんぽつんとした、金属フラグメントが複数線の上をそれぞれ行ったり来たりしはじめる。ほぼ同じ間隔を取って、夏の日差しに車両の天辺がきらきらと光る。ラインの端は丸まっている。2本はとっくに1本に見えて、複線の路線さえ1本に見えて、丸まった終端の纏め括られた尾久(おぐ)のあたりの引き込み線は、血管が変形した黒い瘤のようになっている。いくつかの円と放射状の波線が、灰色の粗面を区切る。海から数本入る青い切れ込みも何食わぬ様子で越えていく。あの川の向こうは、容易にも東京ではないのだ。(そこに、市川市というのはある。)
 鳥の気持ち、あるいはありんこの気持ち。
 海は近いよ。でも、どうすることもできないんだもの。
 足下が熱い。日差しを除ける屋根の影から、足首だけが覗いてしまっている。ソールの薄いサンダルを履いているので、黄色い点字ブロックのぼちぼちが足の裏に伝わり心地よい。お茶の水を眺めていた、何分の一かの乗客は、そちらを見るのをやめて、方々に意識を移していた。対岸の人々は、手を伸ばせば数人毟り取れそうな程度の大きさと密度にて、そこに群生している。さわさわと騒めいて、夏の中心に立つ私を思う。(7月末:秋葉原駅のホームにて、午後2時)


#21

伝言バー

達矢と江美子は三十歳。ふたりは小学校の同級生。一年前に結婚。江美子は妊娠。ふたりでバーに行く。バーには初老のマスター電吉さんと若い大柄のバーテン権助さんがいる。今日の店番は権助さん。達矢と江美子は子の名を考える。女の子だったら「奈保子」にしよう。小学校六年生のとき仲良しだった幼なじみの名。中学二年のときに交通事故で亡くなってしまった。翌日、初老の夫婦がやって来た。男は孝夫六十歳、女は忍五十七歳。白ワインを注文する。忍は、亡くなった娘の誕生日のお祝いと答える。奈保子おめでとう。とグラスを合わせた。電吉さんと権助さんは週に一度、伝言ノートで情報交換する。権助さんは若い夫婦のことを、電吉さんは初老の夫婦のことをノートに書いた。共通する名前は「奈保子」。翌週、孝夫がひとりで来店した。もし、自分の娘さんの名前を由来にしたいという夫婦がいたとしたらどう思うかと。孝夫ははっとした目をして黙ってしまった。電吉は孝夫の気持ちを読んだ。数日後、達矢が来店。幼なじみの奈保子とは亡くなった孝夫の娘であることは間違いなかった。亡くなった幼なじみの名前をつけるのはもう一度よく考えてからにしたほうがいいと電吉は言った。達矢は怒って席を立とうとする。そのとき太ったおかまが店に入ってきた。電吉はカウンターから飛び出しておかまにビンタ。電吉はおかまに叫ぶ。「ナオコ、ナオコ、ナオコ、ナオコ〜おまえなんか死んでしまえ〜」。幼友達の顔がナオコと呼ばれるたびに浮かぶのだ。カツラが取れると権助だった。翌週、達矢は来店。自分で名前を考えてつけることにすると言った。そして、このことを奈保子の父親に伝えてくださいと言った。翌日、孝夫が来店。電吉は孝夫に達矢の言葉を伝えると、じっと考えてから、奈保子を胸の中でいつまでもいさせてやってくれるよう伝えてくださいと言った。


#22

風の惑星

 辺境の植民星セトーの大気中には、地球の海水に塩分が含まれる如く、セトロンという微粒子が含まれるために、地表から千メートル上空で、人間の体は、浮く。地表近くほどセトロンの含有率が増えるため、ここでは物が地面に落ちて壊れるという感覚がない。それまでに浮いてしまうからである。セトー人は地表から細長い支柱を伸ばし、空に浮かぶ住居で暮らしていた。移動にはハンググライダーを使う。
 ヒロは十四歳のおとなしめの少年。けれど見かけによらず、今年のグライダー大会で優勝した。この星では最高の名誉だ。毎日補助プロペラを使わず風に乗って登校する。最近彼の通う学校に転校生が来た。地球大使の娘だ。地球は銀河を支配する大軍事力を持ちながら、けれども各地の植民星に融和策を取っていて、大使が家族連れで赴任したのも、子供を地元の学校に通わせるのも、そのような奇妙な政策の一環らしい。
 転校初日、大使の娘が自分の席に座ったと言って髪の毛を引っ張った女子がいた。途端に頬をひっぱたかれ激しく罵られ、大泣きしてしまった。
「遅れた星ね。どこに座ろうと自由よ。あんたたちに、人権というものを教えてやるわ」
 あっけなく反対派は消滅、すぐに女子の大半が彼女と昼食を取りたがり、地球の話をせがんだ。休憩時間に彼女が手洗いに立つと、十人ばかりがぞろぞろ付いていった。ヒロは遠い地球には関心はなかった。ただひとつ、地球大使の娘がとびきりの美少女である点を除いて。
 クラスの女王様になった彼女の意外な弱点が見つかった。後ろから押されて柵のない教室のベランダからはみ出しそうになったとき、悲鳴を上げて涙ぐんだのだ。
「私――落ちるかと思った」
 みなが首を傾げた。未開の荒海ならともかく、街中で足を踏み外しても降下しつつ手近の支柱まで飛んで梯子を登って来ればよいだけなのに。彼女はグライダーに乗らず、登下校には運転手付きのヘリコプターを使っていた。
 遠足のとき、彼女が飛行船から落ちる事故があった。ちょうど荒海の上を通過中で、あまり深く沈むと気流に流され二度と浮かび上がれない恐れがあった。ヒロはバラストを積んだグライダーで深く潜り、漂う少女を発見して抱き上げた。けれども風が強くグライダーの制御が難しかった。
「今ここで私と友達になって。一人も友達ができなかったまま、死ぬのは嫌なの」
「大丈夫。捕まって」
 大使の娘はヒロに口付けた。
「地球のおまじないよ」


#23

宿命

「さっさと着替えないと遅れちゃうぞ」
 朝食の皿を片付けながら、シデハラは言った。真奈美はぼんやりテレビを眺めていた。
「マナちゃん、保育園は何時にはじまるの?」
「9じ」
「いま、何時?」
 真奈美は時計を見上げてしばらく考えた。
「うんとね、8じ41ぷんと42ふんのあいだ」
「よろしい。では、急ごう。ちゃんと顔を洗って、頭をとかして、ハンカチちり紙も忘れずに。いいね」
 ピアノの上に立てかけてある智子の写真をちらりと見て、シデハラも出かける仕度を始めた。妻は二年前のある朝、突然いなくなった。何の前触れもなかった。書き置きもなかった。鍋を火にかけたまま失踪したりするもんだろうか。
 真奈美は着替えを済ませ、鏡の前に座っていた。妻は、暇さえあれば鏡の前で真奈美の髪をとかした。真奈美も妻に似て縮毛だった。一日になんども丹念にとかし、根元をゴムで結わえた。
「くりくりして、西洋人形みたいでかわいいじゃないか」
 シデハラがそう言うと、妻はよけい気にした。いくらとかしても、縮毛が直るわけではなかった。ことに寝起きはひどかった。
 シデハラは鞄の中身を確かめ、寝室でネクタイを締めた。妻の失踪後、シデハラは自ら願い出て講師になった。偏差値の低い女子大とはいえ、三十代半ばで助教授になる者はあまりいなかったのだが、妻が戻ってくるまでは、なんとしても娘を自分の手で育てるつもりだった。
 台所からぶくぶくと泡立つ音が聞こえてきた。真奈美が顔を洗っているのだろう。シデハラは車庫に行ってエンジンをかけた。
「じゃあマナちゃん、行くよ」
 返事はなかった。
「おーい、マナちゃん、遅れるよ」
 台所からは泡立つ音が聞こえるばかりだった。ほどなくして、刺激臭がシデハラの鼻を突いた。
 台所に駆け込み、流し台から小さな身体を引き離したが遅かった。真奈美の頭は、半分とけていた。シデハラは洗面器の傍らに転がっていた容器を手に取った。
「これはまさしくママが使っていた縮毛矯正剤、配合を間違えると大変危険です」
 まだ不穏に泡立っている洗面器に指をつけると、第一関節から先が、すっととけた。シデハラはとけた指で膝を打った。そうか、智子は失踪したのではなく、とけてしまったのだ。
 時計を見上げた。8時55分だった。
「マナちゃん、急げばまだ間に合うよ」
 半分しかない頭にヘルメットをかぶせ、シデハラは真奈美をハーレーデイビッドソンのサイドカーに乗せた。


#24

(削除されました)

 貪狼王グレダスは攻め滅ぼしたデウの大学者ジエに話しかけた。
「私の言葉が分かるか。聞きたいことがある」
「おまえたちの粗雑な言葉など子供の頃に覚えたわ」
 グレダスは無礼を咎めなかった。
「万民が幸せになる方法を教示願いたい」
 ジエは意外だというように目を丸くした。
「国を滅ぼす方法ではないのか」
 グレダスは笑った。
「私が領土を広げた分、世界は氷に覆われた。私が滅ぼさなくても、いつか世界は氷に滅ぼされる」
 ジエはうなずいた。
「この世界は長い年月のうち、何回か氷に閉ざされた。不運なことに今その時期が来ている」
「なんとかならんか」
「大いなる自然の振る舞いを人ごときに止められるはずもない」
 グレダスは黙り込んだ。ジエはしばらく考えてから言った。
「王よ。わしは万民を幸せにする方法は知らぬが、問いに答える道具を知っている」
 グレダスは驚いて腰を浮かした。
「帝国の半分を失いかねん道具で、王の存命中に答えが出るとは限らぬ。それでもよければ教えよう」
 グレダスは唸った。
「私が滅びても民は残る。いいだろう。欲しくば、帝国半分くれてやる」
「わしが貰うのではない」
 ジエは苦笑した。
「わしは『解析機関』という道具を考えて図面を引いたが、デウのような小国では金も人手もなく造れなかった」
「どのような道具だ」
「知りたいことを聞けば答える道具だ。簡単なことであればすぐに答えようが、使ったことがない。問いにどのくらいで答えるか、わしにも分からぬ。だが、人のように怠けたりはせぬ」
「そのような道具をどうやって動かす」
「案ずるな。星には北の地に行けば行くほど強くなる星自身の力がある。その力は星がある限り失われることはない」
 グレダスはジエに「解析機関」の作成を命じた。ジエは二十年の歳月と五十万の人手を使って、石造りの道具を北の地に造り上げた。
 完成の報を受け、グレダスは北に向かった。
「できたか」
「なんとか、わしや王の命があるうちに」
 洞窟の中に入ると、巨大な道具が広大な部屋を満たしていた。どこからか、カチリ、カチリという音が聞こえた。
「おまえの言った通り、帝国の半分を失いかねんほど金も人も使ったわ。それでも、これで万民が幸せになる方法が見つかるのであれば惜しくはない」
 グレダスとジエは幸せそうに巨大な道具を眺めた。
 やがて世界は氷に閉ざされた。
 その氷が解けた今も、道具は動き続けている。
 幸せを見つけるために。


#25

ブレイクダウン

 ドア越しにママのヒステリーとパパの怒鳴り声が聞こえてくる。あたしと一緒にプレステやっていた加奈子が「チッ」と軽く舌打ちした。
 あたしと加奈子はけっこうわけありな関係だった。昼メロみたいな。加奈子が姉で、あたしが妹。あたしはパパの子供だけど、加奈子はママの子。パパもママも離婚して再婚してと、そんなふう。加奈子はあたしとも、離婚した加奈子のパパとも一緒には住んでいなくて、今は全然別の親戚の家で暮らしている。でもそれは加奈子自身が選んだらしくて、ちょっとカッコいいなって思う。本当なら赤の他人で、ママとはあんまり仲が良くないのだけど、加奈子はあたしに会いにときどきやってくる。
 怒鳴り声。金切り声。恥ずかしいから加奈子が来ているときくらいケンカはやめて欲しいと思う。あたしも加奈子も妙に黙り込んでいた。たぶん、加奈子も恥ずかしいのだ。
 最近よくパパとママはケンカをしている。じゃれあうようなケンカじゃなくて、すごく感じ悪くなるようなケンカ。ママが泣き出したり、パパが出て行ったりする。その原因は本当につまらないことで、例えばテレビのチャンネル争いとか。馬鹿みたいって思うし、もういちいち気にしても仕方ないなぁとは思うんだけど、あたしと加奈子は「また離婚するのかなぁ」とか「めんどくさいなぁ」とか話していた。
 一瞬静かになって、それからドアの開け閉めの音が聞こえた。今日はパパが出て行ったみたい。あたしと加奈子は同時に「はぁ」とため息をついた。加奈子のほうを向くとスタッと目が合って、お互いに少し微笑み合う。
 離婚とかになったら加奈子と会えなくなるなぁって、そんな無駄な想像に軽くブルーになっていると、加奈子の手が頭に乗ってきた。そのままあたしの頭を撫でる。
 あたしは、そんな子ども扱いすんなよって思った。でもよくわからなくて、全然よくわかんない気持ちだけど、そんなのお互い様だなぁって思ったから、大人しく撫でさせてあげた。
 守ってあげなきゃいけない小動物とか、そんなのに触ってると人間て癒されるものなのだ。あたしは小動物ほど純粋じゃないけど、加奈子のこと好きだし、だから純粋なふりくらいできる。
 そのあと三時間くらいプレステやって、疲れたからうとうとと眠った。いつの間にか加奈子と手を繋いで眠っていた。加奈子の手が冷たくて気持ちよかったから、あたしも少しだけ癒された気になった。


#26

パレード

 十字架が舞い上がるほどの風が吹くはずもなく、夏の終わりに落ちている枯葉が数枚、白い地面を転がることさえ怠っていた。街路樹を撫でさすり、その表面はかすかな熱を持っている。陽射しを受けての熱か、内から発しているのか区別はつかない。空が秋の色へ変わり、暑さと涼しさを同時に覚えるような朝だから故に気付いたという事は確かだった。
 歩くことを止めても今は声が出ない。唸ったところで何も変わらず、うなりをたてる風はなく、本当にじっとしていれば葉の擦れる音はきこえていた。どこか見晴らしのいい郊外の空地であれば風があり、音がなかった。人を見送るときに静かでは寂しいから、今は街が嫌いではなくなっている。

 このパレードが終わったら歌うことができたとして、他には何も変わらない。いつでも風は止んでいた。樹に耳をあてればコッコッと水を吸い上げる音がしていると知りながら、耳をあてたことはなく、いつか音をきく日が訪れたとして、さらに内のほうを知ろうと試みて諦める。
 人の手が持っている熱を、陽が落ちれば冷めていく木肌の温かさに擬えることは誤りかもしれない。或いは簡単にすりかえと断定もできない気がしていた。心情描写を得意としない僕は、自分自身を説明するとき、視野に入った光景を書き記すよりほかにできない。掌に触れたとき、握り返されたことを除けば、温かさは樹と似通っていた。

 声が出なければ代わりに歌う人がいるように、風が吹く場所はいつでも存在した。街がなく、樹と枯葉がなく、十字架さえ立ってはいないとして、僕の耳に行き当たる風はうなりをたてて通り過ぎていく。勿論すべては感傷的な喩え話に過ぎないから、僕が歩くことを止めてもパレードは終わらずに続く。見送ろうというときに、彼らがどこへ行くかより、どこから来たかを考えている。


#27

弟の郵便

 五つ下の弟は、今年満で二十六になるが、定職に就かず、毎日、肩まで伸ばした金髪の手入れに午前中いっぱい掛け、あとは部屋にこもり、時々ベースを担いで出かけていくと、二日も三日も帰って来ない。
 大学は私立の経済だったが、二年留年した。付属の高校から無試験で入ったが、成績が今一つだったので、比較的出来のいい連中が行く法・文からはあぶれたのである。しかし数学の出来ない人間に、経済学はどだい無理であった。
 兄に輪を掛けて要領が悪い人間で、煉獄のような大学を抜け出すだけで、エネルギーを消耗してしまったらしい。
 ふだん家ではろくに口も利かないが、夏休みで、お互いに少しゆっくりしたので、ぽつぽつ話す機会があった。
「一緒にバンドやってる奴の彼女の弟の友だちってのが、このあいだ海で溺れて死んだんだけどさ」
「そりゃまた、天璋院様の御祐筆の妹の御嫁に行った先きの御っかさんの甥の娘、みたいな」
「そんなそれ程じゃないじゃん、彼女から見りゃ、弟の友だち、なわけだから」
「まあそうだわな、高校生くらいか」
「うん、新聞にも出てたし」
「そういやこの夏は高校生があちこちで死んだな、十六七で勿体ない」
「そいつもバンドやろうとしてたらしくて、やっぱりベースで、曲の楽譜書いて下さいって俺に頼んで来てたわけ」
「ふーん」
「で、こんな事になって、今度は家族がさ、仏壇に供えるからって」
「書いてやったの」
「ううん、だって面倒くさいもん」
「冷たいヤツだね、化けて出るよ」
「バンドやるなら楽譜くらい自分で聴いて自分で書けよって話で」
「あーあこの人は、みすみす化けて出られる道を選んでしまいました」
「だから」
 だいぶ経ってから、そう言えば、と思い出した。二三日前、切手ある? と訊いて来たのである。
――封筒に貼る奴。
――じゃ八十円だろ。
――少し重いかも知れないんだけど。
――たいがい八十円で行くけどね……十円足しとけば間違いはない。
――そこのローソンって、ポストあったっけ。
――あるよ。
――どの辺に。
――カウンタのこっち側に下がってるけどね。
――レシート入れとか、ご意見をどうぞじゃなくて?
――だからポストだって。お前ね、兄の言うことを信じないわけ?
 結局、車を出して郵便局まで出かけて行った。何を出したのかは見ていない。
 よほど大切な郵便だったようだが……今さら確かめる事はしないで置こう、とおもった。


#28

夢日記

 そのブログを見つけたのは、偶然だった。「夢日記」と言う名のそれは、この日記で始まっていた。


 昔から、僕は手が不器用だった。
 だからか、奇術師に憧れを抱いていた。
 テレビで手品が放映されると新聞で知ったので、
もちろん、見ることにした。
 とても、わくわくするその手品は、
僕に真似できない素晴らしい物だった。

 奇術師には、助手がいた。僕も助手くらいなら……。
 そうは思ったけど、そんな簡単な物じゃないだろう。
 テレビを消してから、ふと、そんな事を考えた。


 そのブログには、彼の毎日の出来事が淡々と記されていた。犬の散歩に行った話とか、朝のジョギングは気持ち良いだとか、今時珍しい、人に見せるのが目的ではない、ただの日記だった。
 大して面白くも無い内容だったが、なぜか毎日見に行く様になっていた。最初の日記を見た時に、なにか違和感を感じた所為かも知れない。ただ、その違和感の理由は、解らなかった。
 彼は、コメントやトラックバックに無反応だった。方針なんだろうと、単純に考えていた。が、それに理由がある事を知ったのは、半年近く後の事だった。

 数週間ほどで、飽きてきたのと忙しかったのとで、徐々に疎遠となり、見に行く事が無くなった。が、それから数ヵ月後、ふと久し振りに彼のブログを覗いて見た。
 彼は飽きもせずに、毎日欠かさず、日常を書き連ねていた。なんとなく安心し、また、見に行く様になった。

 が、それから数日後、目を疑う様な日記を読む事になった。


 この日記を読んでいる人がいるなら、僕はあなたにありがとうと言いたい。
 今、あなたの読んでいるこの文は、公開日の半年前に書いています。
 これは、小さな頃から病気がちだった僕が、夢に描いた日常の日記でした。
 明日の手術が成功したら、この日記は公開しないつもりです。
 もし、あなたがこれを読んでいると言う事は、僕は……。

 いや、やめましょう。

 こんな、普通の人には退屈な日記を読んでくれて、ありがとう。

 そして、さようなら。


 読み終わって、暫くの間、その内容が理解できなかった。次の日、ブログは更新されなかった。その次の日も、その次の日も。
 やりきれない気持ちで、最初の日記を眺めていると、突然、そこに残されていた彼の心の叫びに気づいた。そして、涙が頬を伝っていった。

 その後、彼のブログは無くなってしまった。彼の夢は、ネット上からも儚く消えてしまったのだ。


#29

拾捨

 つい先だって使いで寄ったK町の交番から、貴方の財布をお預かりしています、と連絡があった。聞けば、届いたのは三日前だと言う。K町へ寄ったのも同日であるから、落としたその日に誰かが拾って届けてくれたのであろう。
 すぐに伺いますと電話を切り、玄関で支度している背後から妻が、先方様の連絡先を聞いておいて、と余計な世話を焼いた。
 列車で二十分程して交番に着き、名と用件を言うと、若い巡査が面倒臭そうに財布の特徴と中身を質してきた。私が惑い無く応えると、巡査は背後の引き戸から財布を取り出して机に置いた。確かに私の物であった。中身が無事であることを確認し、所定の用紙に氏名やらを書いていると、巡査が、拾った方に礼はされますか、と問うてきた。

 明くる昼、巡査に聞いた番号へ掛けると、くぐもった女の声が出た。
 私は妙に焦った気持ちで事情を手短に話し、少し上ずった声で何度も礼を言った。しかし番号の正誤を疑う程、相手は頼りない相槌を打つだけで終始他人事の調子であった。
 拾って貰った感謝の念に謝意を上塗りされても困るが、これでは何か空振りしたような気恥ずかしさが残る。私は、どうやってでも相手宅へ赴いて面と向かって礼を言わねば気が済まぬという気になり、むきになったように相手宅の住所を聞き出した。これにも相手は謙虚に辞するでも嫌悪して拒むでも無く、すんなりと所在を教えた。私は不遜にも心情を害され、お門違いな勝気を更に滾らせた。
 その話のけりが着くのを待たずに、妻は既に菓子折りを用意していた。

 言われた住所はK町の隣町であった。最寄り駅へ降り立ってみて、此処が日頃から粗暴な噂の絶えない土地柄であることを思い出した。私は妻に持たされた菓子折りをちらと見、こんな物で済まぬかも、と自分の我を少し後悔し、だからこそ尚のこと勇を鼓そうとした。
 今にも崩れそうな平屋の住居が、教えられた番地に建っていた。呼び鈴の無い玄関で名を告げると、宅の奥から欠伸のような霞んだ返事がした。
 戸の開いた先に土色の肌をし髪をやや乱した中年女が現れ、疑念の篭った眼差しで私を射た。私は気圧されたように直立し、事情を説明して菓子折りを差し出した。
 女は、ああ、と肯否ともつかぬ声を出し、それを片手で敏活に受け取ると、何も言わず薄い玄関戸を閉めた。
 私は静かに深く息を一つ吐き、駅まで戻ってR橋の店で妻に頼まれた卵を買って帰路に就いた。


#30

帰路

「兄ちゃん、腹、減ってない?」
 弟の視線は緑の葉が茂る畑に向けられていた。大きな葉の下から、育ったスイカがちらりと見えた。
「別に減ってない」
 繋いでいた手は汗で濡れて気持ち悪かった。
 真夏の日差しは容赦なくむき出しの腕や足をやきつけ、背中は汗で湿った下着が気持ち悪く肌に張り付いている。
「んじゃ、ノド乾かない?」
「水筒のお茶は?」
「そんなもん、もうない」
 弟が肩からかけたビニールの水筒は、歩くとちょうど腿に当たって空虚な音をたてている。
「しょうがないな、ほら」
 オレの水筒を差し出すと、残り少ないお茶を弟は遠慮なく飲み干した。
「もっと欲しい」
「ないよ」
「ノド乾いたもん」
「オレの分まで飲んだくせに。家につくまで我慢しろよ」
 父の仕事場まで、弁当を届けた帰り道だった。
 初めて母にお使いを頼まれて、意気揚々と出かけたまでは良かった。こんなお荷物がいなければ、もっと早くに終わっていたことだろう。
 あぜ道でバッタを捕まえ、雑木林では蝉を追いかけ、到着時間が大幅に遅れたのも、帰りがこんなに遅くなったのも、全部こいつのせいだ。
「疲れたよ」
 突然、路の真ん中で座り込む。
「バカ、そんなとこ座ってたら邪魔だ」
 手を握ったまま道端まで引き摺ってくると、今度は恨めしそうに睨んでいた。
「おんぶして」
「やだ」
「もう、一歩も動けない」
 膨れたら誰でも言うことを聞いてくれると思っているようだ。
「置いていくぞ」
「兄ちゃんのバカ」
「勝手にしろ」
「勝手にするもん」
 手を離して、振り返ることなくオレは帰路についた。
 坂道を下り、大通りに出て、信号を渡り、ふと振り返る。
 通りに人影はなく、熱気でゆらめく陽炎が道路の上で踊っていた。
 しばらくその場に立って、もと来た道を眺めてみるが、何かが近づいてくる気配もない。
 静かな風景に生暖かい風が吹き、蝉の鳴き声が遠くから響く。
 途端に言いようのない不安にかられて、オレは弟を置いてきた場所まで早足で向かった。
 上り坂は緩やかだが、急いでいるのと暑いのとで、一気に駆け上がると息が苦しかった。
 坂の上でいったん立ち止まり呼吸を整えてから、周囲を見渡すと、手を離して別れた場所で弟は暢気に座っていた。
 歩いて近づくと、すぐにオレを見て「兄ちゃん、ほら」と握っていたバッタを笑顔でオレの前に突き出した。
「うん、良かったな。帰るぞ」
 手を差し出すと、今度は素直に立ってオレの手を握った。


#31

燃えていく

「昨日の女は、実に美しいバストを持っていたな」
 私は白いロウを手に取り、枕元の黒板で計算をする。枕元には大きな黒板が置かれていて、そこはロウで描かれた数式や図形、記号、グラフなどが埋めている。
「無駄だよ」
 彼が言う。彼はいつの間にか起きていた。つまらなそうに黒板を見つめ、金髪をかき上げる。
「そうかな、無駄かな」
「ああ」
 半裸のまま、彼はいつものように手だけを器用に使い、ベッドから車椅子へ降りる。
「無駄だよ。何度も計算したんだ。昨日、何度も何度も計算をし直したんだ。間違いは無いよ」
「そうか」
「ああ、もう計算し直してもなんの意味も無い」
 空は明るく晴れていた。私はロウを仕舞い、乱れたシーツを直す。彼はぎしぎしと車椅子を鳴らして台所へと消える。空は明るく晴れていた。いつも通りの青空。散歩日和であった。彼が朝食を作る。綺麗に整った、いつもと同じメニューの朝食。一緒に食べ、そして車椅子を押してやり、私達は出掛ける。
 公園にはベンチがあり、そこには男と女が居た。女は片手で大きなコートの襟元を、もう片方の手で男の腕をしっかりとかき抱き、くすくすと笑いながら私達を見ている。男は黒いサングラス、そして黒いヘッドフォンをしていた。太いカールコードが、のろり、と伸びた、巨大なヘッドフォンであった。
「この世には聞かなければならないことが、沢山あるなあ」
「全くだ」
 女はベンチから身を乗り上げ、私達を小馬鹿にしたような表情のまま何かを話しかけてきた。彼女はどうやら聴覚障害者のようで、激しく手を動かし、口をばくばくと動かしている。男はただ黙ってヘッドフォンで何か音楽を聴いている。ぎしぎし、ぎしぎしと音が漏れている。もしかしたら、音楽では無いのかもしれない。彼が聞いているのは、音楽では無いのかもしれない。
「確かに、この世には聞かなければならないことが沢山あるな」
 彼が言う。確かに、この世には聞かなければいけないことが沢山ある。
 公園の真ん中では、遊具に囲まれて、白い人形が燃えていた。
 私達は散歩を続ける。車椅子がぎしぎしと鳴る。懐にその細い手をゆっくりと伸ばし、取り出した煙草に彼は火を付ける。青空へ頼りなく消えていく煙草の煙。
「一本くれよ」
「良いよ」
 私達は散歩を続ける。海岸線にはピアノ、草原にはイーゼル、駅のホームには水の無い水槽があった。ギターがどこかで倒れ、がああん、という音が駅に響き渡る。


#32

夕間暮れ

 あのような夕空を何といえばよいのか。何か無性に胸騒ぎをかき立てられるような、見たこともない真っ赤な夕焼けで、物凄いような夕空、そのようにしか言い表せないように思える。なにもかもが真っ赤に沈みこんでしまった町中を、どうしてあのようにふらふら彷徨っていたのか今はもうよくわからない。蝙蝠が低く飛び交い、鴉が遠くで鳴いていて、いつの間にこんなところまで来ていたのか、気づいた時には、町外れの大きな神社近くまで来ていて、真っ赤に染まる空の下、黒々とした鎮守の森が目の前に鬱然と生い茂っていた。正月や夏祭りの時分には賑やかに人が行き交う参道も、今は人影がなく、まるきり寂莫としている。そんな中、まるで気配なく一人のみすぼらしい男が、参道の傍らに佇んでいて小さな箱を開けて何か商いをしている様子で、ついつい興味を惹かれその箱を覗き込んでみた。中には何匹もの毛をむしられた肌色の鼠のようなものキイキイと鳴いていて、妙に丁寧な字で


 ― 神様 一柱参百円也 ―


 と書かれていた。こんな神様があるわけもなく、大方ハムスターか何かの新種だか合の子だかで、インチキ違いないだろうに、何故だか興趣が湧いたのは、おそらくなにもかも真っ赤にしてしまった夕日の所為だろう。
 ――この三百円というのは税込みかい?
 ――税金はこちらでサービスちゅうことになってます。
 ――ほう、そりゃいい。エサは何をやればいい?
 ――何もいらしまへん。勝手に齧りますさかい。水だけやったってください。
 ――それもいいな。よし一匹貰おうか。
 ――へえ。毎度おおきに。
 エサは何もいらないなどというのは当然出鱈目に違いなく、神様らしくするための男なりの演出に違いない。その時はそう思ったものの、神様を買ってからもう十日も経つというのに、ハムスターの檻に入れられた鼠みたいな神様はやったエサはまるで口にせず、それでいて元気にクルクル車輪を廻している。これはあるいはひょっとしてもしかしたらもしかするかもしれぬ。などとそれは勿論莫迦なことというべきなのだけど、何かそのうちにとんでもないことが起るのではないか、そんな気持ちがいつまでもゆらゆらと揺曳していて消えない。と、ここまで書いてしまって、はっと、あの日以来ただの一度も夕焼けを見ていないことに気づき、決めあぐねていたタイトルを「夕間暮れ」とすることにした。


編集: 短編