第24期 #27
ガラガラ、カラカラカラ、と、窓の外、鳴る音があるのだった。
時刻は午前二時半を回っている。
都立公園のホームレスの引き摺る、空き缶の音だ、と思った。それが静かに続き、細くなるのを、私は膝を抱えて聞いた。
眠らないのだろうか。
昼間ずっと空き缶を蹴潰している人がいる。公園大橋の高架下、網袋に放り込まれた空き缶を一つずつ、取り出してはケン、ケン、と潰す。
この音が、彼のものであるとは言えないのだけれども、きっとそうなのだろうなと思えた。
甘やかに転がるその音に惹きつけられていると、けたたましい、車の走り去る音がそれを遮った。耳に障るふくれた音の息苦しさに、私は顔を上げた。冷房に弱く冷やされた部屋の、薄い空気を吸い込んで、膝の間に顔を埋める。早まった心拍が落ち着くと、急に疲れた気分になる。
私はあの音の気配を呼び戻そうとした。
尾を引くような、しかし一つ一つの音は潔く、鐘の音に似た響きの。ガラガラ、カラカラカラ。目を閉じる。
私はそれに、夕方聞いた遠雷を思った。皮膚が震えざわめき立つような風はない。人の早さで静かに鳴る、ただ、永続を望んでも過ぎ去ってしまう。
あるいは、彼も同じだろうか。どういった理由、どんな気持ちでホームレスを続けているのか私にはわからないけれど、私などよりもとても多くのものが過ぎ去っていったはずだ。
空き缶の音は深く、引き摺る音も蹴潰す音も、なにか余韻を含んでいた。吸い寄せられるように、私はそれを聞いたのだ。
彼は身近にその音を置き、常にそれを聞きながら、どこかの淵に立ち続け、自らを削ぎ落して音を生んでゆく。
もしも生み続けて、いつか彼の悲しみや怒りや、諦め、楽しみなどもすべて削り落されたとしたら、次に削られてゆくのは生ではなくて、死であるような気がする。
私は、受け取った音に、彼が彼の日常を厭い、その何分の一かの気持ちでそれを愛しているのではないか、という、やや驕った見方だけれどそのような気持ちを、ぼんやりと思った。
少し眠りたい。瞬間に。それか、頭の中にしっかりと留めておきたい。でなければ今に車の音がして、今度こそすべてを流しさってしまうだろう。
予感は的中しようとしていて、ごう、という走行音の気配に、私は観念しつつも、何かの役に立つものかと思いながら、両耳をふさいだ。
血の流れる音がする。そういえばこれも、遠雷に似ていた。