第227期 #8

豚飼いの野望

その捨て子に名前はなかったが、アルルベルク峠の麓にある城に運良く豚飼いの職を得た。
城に勤めてすぐに豚飼いはある事実に気づいた。
それは、峠で人が死にすぎるということだった。

靴売りの口上を信じれば、峠で死ぬ人間は年間二百人。
それにも関わらず、この城下の宿屋は十年前の十倍に増えた。
洗濯女の話では、城から近いハルという町で十年前に塩鉱が発見されたらしい。
行商人いわく、ハルの塩を峠の向こうで売ると良い商売になるようだった。
峠の向こうから来た子連れの寡婦が、ハルの塩は従来の塩の半値で買えると言っていた。

「粗悪な山道のせいで馬と積荷をダメにした」
「道標がないので迷って二晩も野宿した」
「雇った道案内に裏切られて身ぐるみ剥がされた」
峠での不幸話は半ば挨拶のように交わされた。
ある屈強な遍歴の騎士は、生きて峠を越えられたことに安堵して泣き出した。
「それでもここより低い峠はないからね」旅芸人はお手玉しながらステップを踏んだ。
年老いた傭兵は地面に図を描いた。
「問題はこの城と峠の向こうの村の間の距離が離れすぎていることだ」
「峠に宿を建てればいいのに」侍女見習いのヴェラは言った。

豚飼いは城主の財産を管理する仕事で、自分の財産を増やす手段はなかった。
祭りの日に砂糖のクレープを腹一杯食べるくらいの贅沢はできた。
しかし炭焼き職人の戒めでは、豚飼いが嫁を取るなど夢のまた夢。
節約をして誠実であれば豚飼いにも嫁の来手はある、と言う木こりの励ましは信憑性に欠けた。

大工見習いに聞いたところ、最も小さい家を建てるのにグルデン金貨十五枚。
試しに豚飼いが十五グルデンを貯めてみたところ二十年を要した。
十歳の少年は惨めな中年となり、近隣の娘から恐れられていた。
それというのも、彼女たちの親は「言うことを聞かないと豚飼いの嫁にしてしまうぞ」と脅して彼女たちを躾けたからだった。

「この十五グルデンを峠に宿を建てる資金の足しにして下さい」
城主は豚飼いの一世一代の申し出を一刀両断に断った。
家令が説明したような維持費の概念は、豚飼い風情は持ち合わせていなかった。

居酒屋に入ったのは初めての経験だった。
安酒を舐めて大暴れした豚飼いは、よせばいいのに誰彼かまわず募金を呼びかけ、めでたく冷笑と冬の井戸水を浴びた。
旅の巡礼僧は言った。
「城主がダメなら大公に頼めばいいじゃない」

こうして、大公が観劇中の舞台は飛び入りの豚の群れに占拠されたのだった。



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