第227期 #9

線香代わりに

 何処の学校にも怪談の一つや二つはある。
 私が赴任したこの高校にも怪談があった。所謂、七不思議という奴なのだが、既知のものとは若干内容が変わっていた。
 二十年も経てば社会も変わる。それに合わせて怪談だって変わるのだろう。ヴェートーベンは額から抜け出してピアノを弾くのを止めたらしい。そもそも、肖像画自体が無くなってしまっていた。
 懐中電灯を片手に、私は深夜の学校の見回りをしていた。警備会社に任せている学校も多いが、本校は教師の担当になっている。
 こうやって学校の中を歩いていると、一種の錯覚に陥りそうになる。高校生だった頃に戻ったような気分になるのだ。
 二十年前も、今と同じように深夜のこの学校を徘徊したことがあった。肝試しのような感覚で、忍び込んだのだ。その時は、一人ではなく二人だったが。
 懐中電灯の丸い灯りの中に浮かび上がる教室は、あの頃から随分と変わってしまっていた。それでも、懐かしさを覚えるのは、この「学校」という場所の持つ独特の雰囲気、匂いのせいなのだろう。
 胸ポケットから取り出した煙草を咥えて、火をつける。喫煙所以外での喫煙、しかも校舎の廊下だ。問題行為だが、バレる心配はない。
 そう、二十年前の夜も、同じように煙草を吸っていた。あいつと一緒に。
 見回りの最後に向かったのは、屋上だった。
 屋上から見下ろす夜の街の煌めきは、あの頃と一緒である。
 コンクリートの床に座り込むと、もう一本煙草を取り出し、無理矢理立たせて、火をつけた。
 消えた「音楽室の怪」の代わりに七不思議に入ったのは、「屋上の幽霊」というものだった。
 かつて、受験の失敗を苦にした生徒が屋上から飛び降り自殺をした。その霊が成仏出来ずに、いまだに学校を彷徨っているのだという。
「……何も死ぬこたァねえだろ」
 誰に言うでもなく、口からポロリと言葉が漏れていた。今も昔もその思いは同じだ。相談すらされなかった。全部抱えて、一人で逝った。それが腹立たしく、哀しかった。
 今日は、彼の命日だった。
 暗闇の中で気怠く煙草を吸った後、腰を上げ、
「また来るよ」
 そう言った瞬間だった。
 煙草の火が一瞬だけカッと赤く、強くなり、そして音も無くフッと消えた。風は吹いておらず、証拠に煙草は立ったままピクリともしてない。
 暫くの間、私は煙草を凝視していたが、やがてそれを携帯灰皿に入れて、屋上を後にした。
 口元に微苦笑を浮かべながら。



Copyright © 2021 志菩龍彦 / 編集: 短編