# | 題名 | 作者 | 文字数 |
---|---|---|---|
1 | 必然の足跡 | ひなた一宇 | 1000 |
2 | TEAR SHAPED | 野郎海松 | 1000 |
3 | (削除されました) | - | 1000 |
4 | ただいま水虫撃退中 | ツチダ | 1000 |
5 | バラと十円玉 | 坂口与四郎 | 1000 |
6 | 秋の終わりの物語 | 和泉志紀 | 974 |
7 | 美しい髪 | 三浦 | 701 |
8 | シャイン | ハチミツボーイ | 812 |
9 | 蛍の川 | 曠野反次郎 | 997 |
10 | ルーム・クラッカー | 紺詠志 | 1000 |
11 | ちいさな命 | 黒木りえ | 1000 |
12 | 悠久 | ラリッパ | 999 |
13 | 秋冷 | 海坂他人 | 999 |
14 | ちゃろ坊 | 川島ケイ | 1000 |
家路につく人々が、気がつきもせずに通り過ぎてしまうほど、ひっそりと存在している場所がある。一度目に留め、足を踏み入れる機会に恵まれたならば、「何故、今まで行きすぎてしまっていたのだろう」と、自問するに違いない。
知らずに足が向き、扉に手をかけ、優しい照明に照らされる店内へとその身を委ねる。迎えてくれるのは、いつも変わらぬ少し低めの声。
「いらっしゃいませ」
胸の内で、『ただいま』と、呟いてみたくなる、不思議な安堵感。
「何故、今まで行き過ぎてしまっていたのだろう」
答えは、未だ顔を見せてはくれない様子だ。
「ご注文は、お決まりですか」
初めての時にも、同じタイミングで、声をかけてくれた。この先も変わらずに、声をかけてくれるに違いないだろう。あと数回、足を運んだ暁には『こう』答えてみるつもりだ。
「いつものやつを、もらえるかな」
その日は、決して遠い未来ではないと確信している。その言葉に対しても、少し低めの声で静かに、答えてくれるはずだ。
「かしこまりました」
グラスを用意する、慣れた手つき。巡り合わせとは、人間同士のものだけでは無い事を、身をもって体験した。人と場所にも、巡り会いは訪れるものだ。
「何故、今まで行き過ぎてしまっていたのだろう」
その答えは、少しだけ顔を見せ、こちら側を伺っている。
「おまたせいたしました」
琥珀色の液体は、グラスの中で氷と共に、柔らかな響きを奏でている。
「ありがとう」
喉元を過ぎる適度な刺激を、深く味わいながら、顔を見せ始めた『答え』に手招きしてみる。
「偶然は、必然の積み重ね・・・と、いう訳か」
小さく呟いてみた。
「お呼びになりましたか?」
二人きりの店内は、わずかな囁きも耳に届くに違いない。気を使わせてしまった事に、胸が痛む。
「いや、小さな謎がやっと解けたところなんだ」
「それは、よかったですね」
謎の一部であった人物は、優しく微笑んだ。
『人』も『場所』も出会うべくして、出会うのだ。意味の無い偶然などは、存在しない。行き過ぎていたのではなく、立ち寄る必要が生まれなかったのだ。言葉だけでは、説明のつかない『何か』が、少しずつ蓄積され、いつか出会う。
「入ってみようかな」
家路につく人々が、気がつきもせずに通り過ぎてしまうほど、ひっそりと存在しているその場所は、『Bar DREAM』と、名づけられた。
懐かしい思いに満たされる、第二の我が家、である。
第七次世界大戦。
世界は相次ぐ戦争ですっかりその姿を変えてしまっており、人口も壊滅的な打撃を受けていた。僕らはもう何世代にも渡って空を見ていなかった。流れる雲や、星や、月や、太陽を。すえた臭いのシェルター暮らしが、僕らの全てだった。
人は飽くことなく次々に死んでいた。死ぬ理由には事欠かない世界だった。誰も死にたいなどとは思っていなかったけれど、それ以上に生きようとも考えていなかった。どんな気持ちも感情もそこには無かった。ただ生かされているという深い虚無があるだけだった。
僕は軍に入隊した。一七歳だった。軍に入れば、女が抱ける。理由と言えばただそれだけだった。そして僕の入った小隊には、トウコという少女が飼われていた。無口で、おどおどしていて、美人なわけでもない。彼女はいつも下を向いていた。そして体中に傷を負っていた。態度が気に食わない、ブスだ、つまらない女だ、と様々な理由で男たちに暴力を振るわれていた。そういう理由には事欠かない少女だった。
ある日、そのトウコが初めて口を利いた。
「殺してよ」
僕はいまいち彼女の言葉の意味が解らなかった。三〇年も生きずに人は死んでいく。僕らが生まれる遥か以前からだ。死にたければ幾らでも方法はある。なぜ僕に頼む?
「殺してよ。すぐ死にたいの、今すぐによ!」
僕はトウコの腕を取って、彼女が「相手」をしている三人の仲間たちの所へと連れて行った。
「誰かこいつを殺してやれよ」
仲間たちは一様にうさん臭げな視線を僕に向けた。この僕にだ。訳の分からないことを言っているのはトウコなのに。
僕は支給されている古びたリボルバーを取り出し、仲間たちに向けた。
三発の弾が三人を殺した。血と硝煙の臭いが立ち込めた。
トウコは蒼ざめた顔で僕を見ていた。
「どういうつもり?」
どういうつもり? 僕は頭の中でその言葉を繰り返した。その答えは、僕の中には無かった。僕は誰かを殺すつもりもないし、死ぬつもりだってない。どんなつもりも僕にはない。
「殺して欲しいんだろ」
「あたしが、よ」
ああ、そうか。僕はようやく間違いに気が付いた。そしてトウコにリボルバーを手渡して言った。
「これで死ねよ」
その時、彼女の目からはぼろぼろと涙が滴った。死や、絶望や、諸々の悪には事欠かないこの世界で、その涙は、なぜかとても美しかった。唯一と言っても良かった。
そして彼女は、迷いもせず引き金を引いた。
西根は前列中央の席に座り、左右を見て憮然とした。
「若い奴らばかりだ」
ステージ上にはバンド名を意味するという、『V∵H』と書かれた旗が掲げられていた。ヘビーメタル系新人バンドだが、西根は演奏ではなく黒い噂に興味を持っていた。
「行方不明者続出、か」
隣の少女が西根の脇腹を肘で突いた。西根が振り向くと、幼さの残る顔を露骨にしかめていた。
「場違いじゃん」
「すまんね。仕事なんだ」
「デカかよ」
「違う。ライターさ」
少女は胡散臭そうに西根を見ている。西根は媚びるように微笑んだ。
「邪魔はしないよ」
少女はわざとらしくため息をつくと、西根から顔を背けた。
地下にあるライブハウスの扉が閉まり、演奏が始まった。
スモークの流れに乗って、五人が現れた。全員が灰色の古風なマントをまとい、フードを目深にかぶっている。
演奏が始まっても、西根は感銘を受けなかった。
『地獄からの声という割には、良くあるフレーズと声だ。プロでは無理だな』
西根が見ていると、ボーカルの口元が歪んだ。
『笑ったのか? 俺を見て?』
ボーカルが左手を上げると、ドラムの音質が変わった。異様に低い音が場内に響く。単調な音に合わせるように、観客がうなり声をあげ始めた。
西根は飢えを感じた。満たされない思いが自然と口元から漏れる。
『どうしたんだ? 全員、俺と同じなのか』
ボーカルがマントの中からフルートを取り出した。赤い唇だけがはっきりと見えた。唇にフルートがあてられた。
西根は右手で胸をつかんだ。甲高い音に心が切り裂かれ、傷口から何かどろりとしたものが流れ出た。そのどす黒いものは禍々しい触手を伸ばしながら全身に広がっていく。痛みと共に、飢えが凶暴さを増した。
そして、内なる声が聞こえた。
『ほふれ…… くえ……』
「やめろ」
西根は立ち上がり、絶叫した。
「おっさん、いい声じゃん!」
少女も愛らしい顔に笑みを浮かべて立ち上がった。
おぞましいものが這い進むにつれ、口からよだれが溢れた。飢えが耐えられない大きさに膨れ上がっていく。吐き気に襲われ、西根は腹を押さえた。
意識は薄れ、別の、邪悪な意識が濃くなっていく。
残りの三人が演奏を始めた。ボーカルはフルートを手に歌い出した。
衝撃に西根は背を反らした。喧噪の中で、西根の声は誰の耳にも歓喜と愉悦に満ちているとしか聞こえなかった。
雄叫びと少女の悲鳴が聞こえたが、気にする者はいなかった。
にもう一度問いただしてから僕は、そんなもん水虫撃退とかいう問題じゃなくてただ単に大火傷するだけだろと勧告してやったのだけど、さすねん大火傷さすねん水虫を火傷させて殺すねんとか言ってまるで聞く耳を持たない。そんな情報をどこで仕入れたのかと聞けば、どこで聞いたかよく覚えとらんけど朝起きたら思い出しとった、とか、嬉しそうに説明するので、それは夢だろと僕は親切に言ってやったのだけど、がはははと笑って諦めてくれない。僕はやりたくない。それに友達が足に大火傷するのも気の毒だ。
それでも僕が熱湯の入ったやかんを受け取ってしまったのは、いわゆる恐いもの見たさというヤツなのか。洗面器の中に足を置いて僕が上から熱湯を注ぐ。滅多に遭遇できない場面ではある。ところがいざ僕がやかんを傾けようとすると、ちょっと待てとか言ってこの男は足を引いて逃げた。やっぱりやめるのか、と言うような目を僕がしたのだろうか、違うねん違うねんおれ恐がりだからあかんねん、とか言い訳しながら、ちょっと待っててやとか言いながら、隣の部屋に走って行きガムテープを持ってきた。俺を椅子に貼りつけてくれそれから足も洗面器に貼りつけてくれとか言うので、それじゃあいざやばい時に逃げられないだろと僕は言ってやったのだけど、いいねん逃げられたらあかんねん我慢して火傷さすねんとか言うだけだ。危険じゃないだろうか。それでも僕はガムテープでこの男を椅子に貼りつけて逃げられないようにしてしまった。
じゃあ本当にやるけどいいんだねと聞くと、聞くないちいち聞かれると恐いねん早よやれやと怒られた。まず様子を見ようとして僕がちょっとずつやかんを傾けたりしてると、何しとんねんコラそんな風にすると余計恐いやないか、やるんなら一気にいけやこのボケナスとまた怒られた。仕方無く僕が熱湯を一気にぶちまけると、ぐわあ、と案の定この男は悲鳴を上げて椅子ごとひっくり返った。
真正面に居た僕も顔に点々と火傷をしたのだけど、本人はまともに熱湯を浴びた上に椅子に固定されていたのですぐに水冷するとかの対処ができず、それが悪かったのか火傷で一週間も入院する羽目になった。それでも退院してくるとこの懲りない男は、今度は足に針金をぐるぐると巻いてそこに電流を流すという誰が考えても無謀極まりない撃退法をどこからともなく仕入れてきて、しかも、コンセントの差しこみをしてくれと僕に頼んだりするのだ。
通夜に出るのはこれが初めてだ。祖父母は、父方も母方も僕が生まれる前にはすでに故人で、親戚の少ない家に育ったために、社会人になるまで葬式を経験したことがなかった。死んだのは叔父だ。自殺だった。変わった人だったらしい。あまり記憶がない。小さいときに会っただけだ。母は連絡を取っていたが、僕はそれすらも知らなかった。どうも、身内が死んだという実感がしない。いや、人が死んだという実感も持てなかった。
就職活動時に使用したチャコールグレイカラーのスーツをだした。母が、「これで良い」と言ったからだ。黒に近くて葬式でもおかしくないらしい。どこか投げやりな気がしたが、たぶん、そうなのだろう。
「そういえば、まだクリーニングに出してなかった。」
最後に着たのは、大学の卒業式だな。ブラシをかける。逆目にブラシをかけるために、スーツをひっくり返した。あまり行儀のいいことではないかもしれない。僕も投げやりだ。床にコインが落ちた。拾い上げると、スーツの胸ポケットから赤茶色のカリカリしそうな物体が落ちた。最初は何なのかわからなかった。バラの花びらだ。
卒業式の二次会で、伊藤紀子から十円玉とバラをもらった。バラは会場に飾られていたものを、酔った伊藤がとってきたのだ。伊藤は僕の胸ポケットにバラを挿した。「花は、俺じゃなくてお前だろう。」そう言って伊藤に返した。その時、十円玉をもらった。どういう意味だったのか。よくわからず、そのままにしていた。伊藤は、実家に帰って結婚すると聞いていた。大学以前から付き合っている男がいるそうだ。僕は伊藤がうらやましかった。同じ人をずっと思う彼女がうらやましかった。
十円玉をぼんやり眺めた。スーツが逆さまのままだった。
あ。
バカだ。今ごろ気がついた。伊藤がうらやましかったわけじゃない。最初から、初めて会ったときからずっと諦めていた。気持ちを転化していた。僕は恋を殺したのだ。彼が言いたかった言葉も無視して。
もしかしたら、叔父もそうなのかもしれない。何か伝えたい言葉があったのかもしれない。それを伝えることができなくて、死を選んだのかもしれない。最後の言葉も残さず。
通夜の前に「死」を理解した。何も、伝えられなくなることなのだ。十円玉がそれを証明している。ここにある理由を知らない。
何も言えずに殺された僕の恋心と、何も言わずに死んでいった叔父を思い、通夜の前から僕は泣いた。
その男は夜遅く帰宅した。
家に入ると男はコートを掛け、手際よく暖炉に火を起こした。
ついでに遅い夕食となるシチューの残りを火にかけると、男は年齢を感じさせる足取りで安楽椅子を暖炉に寄せて、ゆっくりとそこへ体を沈めた。
疲れたのだろう。男はひび割れた指を組み、少しまどろんだ。
ところがまだシチューが温まる前に、男はある音に気付き目を開けた。
それは玄関にあるコート掛けから聞こえるようだった。
男は立ち上がり、玄関に向かう。
その音はコートの下の方、ポケットの辺りから聞こえている。
男はポケットへ耳を近づけた。
それは間違いなく少女のなき声だった。
男は驚きながらも恐る恐るポケットを覗く。
だが、なかは空っぽだった。
しかし依然としてなき声は続いている。
少女のそんな声を聞くことが男はまったく苦手だった。
男はしばらくオロオロした挙句、声をかけてみた。だが少女はなくばかりで答えない。
男はなおも言い方を変え、不器用なりに優しく少女をなだめたが、少女はどうしてもなき止まなかった。
急にコートに話し掛けている自分が滑稽に思えた彼は、一度椅子に戻ると、聞こえないフリをしようと努力した。
しかし、いくら薪がはぜる音や外を行き交う風の音に集中しようとしても、男は少女を忘れることができなかった。
男はどの音よりもその声が気になったのだ。
――ああ、これは迷子の時の声だ――
男は昔を思い出した。
――あの時の私は不安で押しつぶされそうだった。ようやく母さんに見つけてもらって抱きしめられた時、馬鹿みたいに泣いてしまったなあ。この子もきっと今、安心できる誰かに抱きしめてもらいたいんだ――
男は再び立ち上がると、胸にコートを掻き抱き、暖炉のそばまで持っていった。例え自分がその誰かでなくても、この子のために何かしたい、暖かければ少しは落ち着くかもしれないと思ったのだ。しかし少女は変わらずなき続けている。男は途方にくれながらもコートに話し掛け続けた。
突然、男の家を激しい風が殴りつけ始めた。硝子に落ち葉が吹き付け、窓枠がガタガタと音を立てる。
その風は明らかな意思を持って男に何かを訴えていた。
男はその激しさにようやく全てを悟り、コートを掴んで外へと飛び出す。
途端に今まで吹き付けていた風は止み
凪いでいた少女はコートを一度はためかせると
一陣の木枯らしへと戻っていった。
彼女はとても綺麗な髪をしていた。誰もが認める美しい髪質だった。事実、彼女の後ろ姿に見惚れて振り返る者や声をかける者も決して少なくはなかった。
ただ、彼女は醜かった。正面から彼女を発見した異性やカップルは、皆一様に指をさして罵ったりちらちら見てくすくす笑ったりした。声をかけた者は半笑いに小走りで逃げたし、見惚れた者は後で彼女の醜さを知る友人知人に教えられ、その後は笑い話として語った。
彼女は、自分の不自然なほどに美しい髪を呪っていた。美しい一部というものは、飽く迄美しいもの全体を構成するその一部でなければならないと信じていた。
ある日彼女は、不注意によって髪を落としてしまった。しばらくして気がついたので、いつどこで落としてしまったのかまったくわからなかった。その日は雨が降っていた。強い雨だ。排水溝に流れ込む雨をぼんやり眺めながら、彼女はこうやって自分の髪もどこかの下水道に流されてしまっているのだろうと思った。
やがて、彼女にまた髪が生えてきた。しかし、今度はただの髪だった。そこら中の女性がしているように、毎日気を遣わなければ維持できない髪質になっていた。だが、実のところ彼女は喜んでいた。毎日のように髪を手入れしたりする事が嬉しかった。
彼女は恋をした。そして少しずつではあるが美しくなっていった。男と付き合い、捨てられたり、捨てたりした。それを繰り返して、彼女はやがて年をとった。
世界も時を刻んでいた。世界は花に包まれていた。彼女のいた町から広がって、やがて全世界へ広がった。
彼女は美しかった髪の事など忘れていた。ただ夫と子供たちに囲まれて、休日ともなると花を摘みにいくだけだった。
1993年、僕は夏の終わりに恋をした。人の姿がまばらになった海岸で彼女は一人スイカ割りをしていた。僕は彼女の姿を見た瞬間、黒板を爪で引っかいた感覚が全身を貫いた。足はもう彼女にむけて動いてた。
「もっと右、右!」
僕のアドバイスを耳にした彼女は一瞬ビクリとした。僕はかまわず彼女に言った。
「駄目!駄目!行きすぎだよ。ほら!手の音が聞こえるだろう?」
僕は一生懸命に手を叩いた。彼女はゆっくり頷くと手のなるほうに歩き出した。大学で心理学を選考している僕はこの状況を絶好の告白シーンと考えた。かの有名な心理学者「美輪明宏」はこういっている。「私は天草四郎の生まれ変わりなのよ。いい?お釈迦様にはおっぱいもお髭もあるでしょう。これが究極の美なのよ」僕は急いでラブワゴンにいってチケットをもらい彼女に告白した。
「そのスイカが見事に割ることが出来たら、僕と付き合ってもらえないか?」
彼女は僕の告白を竹刀を振り上げたまま顔だけを僕の方にむけて聞いていた。僕はその瞬間3年前に駆け落ちした親父が言っていたことを思い出した。「女性が一番輝く瞬間は男に愛の告白を受けている時だ。」と。目隠しの彼女であったが十分すぎるほど輝いてた。
「あのう。」
彼女がゆっくりと呟いた。初めて聞く彼女の声は潮風に乗り、オフショアの海に優しく響いた。
「私はまだあなたの姿を見ていないけど、もしスイカを割ることができれば、あなたの一番星になりたい」
「マンマミーア」
僕はこの素晴らしい感激を何かに表現しないとバチがあたる気がして、手を狐にして「じゃんけんコン!じゃんけんコン!」と刹那に染み入った海に向かって叫んだ。
「感じる」
彼女はそんな僕をよそにスイカの前に見事にたどり着いていた。彼女は震えていた。僕も震えていた。そしてスイカも震えていた。僕はこのとき初めて気づいたのだった。彼女の竹刀がスイカを打ちつけた。ぐったりしたスイカに僕は呟いた。「親父、輝いていただろう」と。
これはこの夏の話です。
ある七月の日暮れ、二人で上賀茂神社へ行きました。
二千匹ものホタルが一斉に放たれるホタルまつりがあるのです。
日が沈む前に、神社に着いたので、暗くなるまで神社内を散歩することにしました。
ゆっくりと神社の木々の間を抜け、石を踏みしめ歩いていると、そばを時おり子供が元気よく駆け抜けて行きます。ホタルが放たれる小川には、半ズボンの少年や、白いスカートの少女が腰掛けていたりしました。
どこかの楽団がムーンライトセレナーデを演奏し終わると、会場はすっかり暗くなっていました。
そして、いくつもの大きな檻に入れられていたホタルが川へ放たれていきます。
無数のの小さな光が、ぽっかりぽっかりと、浮かび上がります。
ホタルは川辺をゆっくりと飛び回っているのですが、半数くらいは川の流れにそって流されていきました。
仄かな光が人々の無邪気な歓声の中、流れていきます。
微かな光が暗い樹木の影の間をさまよい、時に水面に接し、流れていくのです。
その光景を眺めながらこんな話を聴きました。
ああやって流れていくホタルは綺麗ですけども
実はあれはもう体力のないホタルであのまますぐに死んでしまうんです。
話をぼんやり聴いているといつのまにか一匹私の足にホタルがやってきていました。ズボンに止まったそのホタルは弱々しく発光を繰り返しています。
しばらくすると、光が見えなくなったので、いなくなったのかなと思ったのですが、よく見てみると全く光を発しなくなったホタルがズボンの裾に隠れていたのです。あかりを灯さないホタルはまるで死んでいるようでした。
そして、私がおそるおそる指で触ってみると力なく飛び立ち、夜の暗闇の中に飛び去っていくのでした。
それで私は、生きていこうとする命でなく、生かされている命を感じて、ひどく感傷的になってしまったのです。
すると、それまでうつむき加減に川を眺めていた私の同行者が言いました。
それでもやっぱり命は生きているのよ。生かされている命でも生きていることに変わりはなくてやっぱり必死に生きているんだわ。
だから哀れみなんてかけないで頑張れって応援してよ。
蛍は川を流れて行きます。
人々はただそれを眺めているだけです。
そっと白くか細い手が私の手に重ねられました。
私はいつの間にか泣き出してしまっていたのです。
これはもう過ぎ去ったこの夏の話です。
少年は、かなり精巧に形成されていた。肌の質感がすこしちがうくらいで、一見するかぎり、さっき見た少年と変わりはない。部屋もまた、なかなか精巧で、ひととおりの家具、怪獣の人形、ヒーローのポスターが含まれている。しかし、窓の外にはなにもない。
俺の出現に驚いている少年を、まずホめてやった。
「見事なもんだな」
足元には、テレビで見かけたアニメの動物が走り回っていた。
「ペットまでいるのか」
「おじさん、だれ?」
ベッドに腰をかけた少年は、俺をおじさんと呼びやがった。
「お母さんに頼まれてきたんだ」
「ママなら、そこにいるけど」
振り向いたら、それがそこにいた。じっと直立して、にこにこ笑っている。さっき会った女によく似ていたが、俺は泣き顔しか見ていない。
少年に向き直って、
「なぜ帰らない? 故障はなかったぜ」
「ママが行っちゃダメだって言うから」
背後から女の声がした。
「そうですよ。この子はずっとここにいますよ。わたしのかわいい子どもですよ。愛しているんですよ――」
念仏のようにつづく。俺は少年を見すえたまま、
「この女は、きみのお母さんじゃない」
少年の顔がゆがみ、念仏がやんだ。
「これはきみがつくったものだろう? この部屋もペットもすべて、きみの想像でつくったものだ。なかなか見事な想像力だ」
それは少年にとって、口にしてはいけない事実だった。なかば泣き、なかば怒りの形相で、しかし彼は顔色を変えるのを忘れていた。それほどショックを受けている。
俺はおそれた。この部屋、この小さな世界は、彼のものだ。彼は全知全能だ。俺は意識をクラックさせただけで、少年が与えた俺の姿は、いかにもおじさんなのだろう。不正侵入者にはプロテクトがない。彼が俺をデリートすれば、俺は死ぬ――正確には、廃人になる。
「さっき、ホンモノのお母さんな」と俺は動揺をしずめて言った。「泣いてたんだぜ。きみのために」
少年は、返事のかわりに背後の女をしゃべらせた。
「この子を愛しているんですよ。世界で一番――」
俺は親指でうしろをさして、少年にたずねた。
「これは泣くのかい?」
世界が消えた。
こめかみのジャックからプラグを抜いて、かたわらの少年のも抜いてやると、俺たちが接続していたゲーム機『ルーム』は停止した。空腹と睡眠不足、意識の疲弊に倒れた少年を、ホンモノの母が抱き寄せる。
「救急車を呼んできましょう」
俺はホンモノの部屋を出た。
わたしには妙な癖があって、酔うと記憶がなくなる。
それだけならいいのだが(いや、けっしてよくはないのだが)、その記憶をなくしているあいだに子供を作ってしまうのだ。
今朝も、盛大な頭痛を目覚ましがわりに起こされて、ごろりと寝返りをうった手のさきに、ふにゃ、という感触のあたたかいものにふれて、ああ、またやっちゃった、と隣に視線をやると、うりざね顔の、体長十五センチ位の女の子が体を丸めて眠っていた。十歳位だろうか。長いまつげ、わずかに開いた薄い唇、そこから、とてもちいさな歯がのぞいている。
なんとはなしに観察していると、たたた‥‥と軽い足音が近づいてきて、ちいさな体が布団にぱふん、とダイブした。二週間前にできた子だ。わたしを見てにこっと笑って、それからまだ眠っている子をしげしげとながめ、髪をつんつん引っぱる。
「こら、いたずらしない」
この癖に気がついてからというもの、できるだけ酒量を調節しているのだが、今の取引先の偉いさんがとにかく酒好きで、おかげで今月だけでもう三人も子供ができてしまった。
わたしが起きたことに気がついた子供たちがさわさわと話しだす。声は聞こえないが、目があえば嬉しそうな笑顔を見せるし、なつかれるのは悪い気はしない。家に友達を招ぶことはできないが、それを差し引いても、ちいさな生き物たちと一緒に暮す毎日は発見の連続で、悪いことばかりではない。
まだ眠っている子を起こさないように、わたしはそうっと箪笥からちいさな下着と服を出す。ひまをみて作りためたものだ。小花模様のワンピースをひろい出したら、傍からちいさな手がのびて攫っていった。おいかけて取りもどそうかとも思ったけれど、まあいいかと別のドレスを手に取る。
今日の子は紀子に似ていたな、とわたしは思う。昼休みにでも電話してみよう。
わたしのところに生まれる子は、どうやら人の命を吸うらしい。あるいは逆に、死期が近い人の姿に似せて子供が生まれてくるのかもしれない。
どちらであっても、わたしはたぶん、「死神」と呼ばれるものにとても近いのだろうと思う。わたしのところに子供ができると早くて三日、遅くとも十日以内に身近なだれかが死ぬ。子供はその人に似ていることが多い。
だからなるべく酒は飲まないようにしているのだが、仕事となるとそうもいかない。
今日は、断れるかな。
ふう、とついたため息に、まだ酒のにおいが残っていた。
浜辺を歩いていたら、子供たちが小石や流木を手にウミガメをいじめていた。
カメは僕の存在に気づくと、
「いじめられて困っています。漁師さん、どうかこの乱暴な子供たちから私をお助けください」と、流暢にしゃべった。
ああ、カメ助けなんてばかばかしい。川には桃が、ポチは庭を、さるは柿を投げつけるものだ。カメがいじめられたってどうって事はないし、第一僕はただのサラリーマンだ。それでなくとも最近のカメは、子供が全員そろうまでは浜に上がりたくないとか、血のりを使ったド派手な演出を要求したりとか、初心を忘れてテングになっている奴なんだから。
僕がそーっと現場から離れようとしていると、
「おい!見殺しにしてどーすんねん。県民はカメを助ける義務を負うゆうて条例にも書いてあるやろが!」と、カメはとがらせた口から泡を飛ばしながらどなった。
ガラの悪い関西弁に固まっている僕を見て、カメはやれやれといった様子でため息をついた。
「またこれや。……ったく、最近の日本人は見て見ぬふりばっかりしてくさる」
ひとり言のようにいい、すくっと起きあがってあぐらをかくと、甲羅の中からしわくちゃになったマルボロを取り出し、せわしなく吸いはじめた。
退屈している子供たちにカメは甲羅からなにかを出して与えた。
「みんなごくろうさん。今日はこれで終わりや。うちへおかえり」
よくみると遊戯王カードである。都会ではブームの終った感のあるこのトレーディングカードも、この町ではまだまだ大人気だ。カメはこんなものを使って子供たちを手なずけていたのか。ひとしきりキャラクターのウンチクを披露し合い子供たちは帰っていった。
たて続けにタバコを吸ったカメは、最後の1本に火をつけると空箱を丸めた。
「おい、背中掻いてくれや。海水が乾燥してきたらカイーなるんや」
僕はカメの後ろにまわりこんだ。
「背中ってコレですか? いったいどこを掻けばいいんですか?」
僕はそういって甲羅をつついた。
「コレって、それのほかに背中らしいもんがあるか? 縦が7横が8や、右上の桝目が1の1やで」
僕にひとしきり背中を掻かせるとカメは立ち上がった。
「あ〜気持ちよかった。もうええわ、おおきに。ほんならわし帰るわ」
すたすたと海に向かって歩きだしたカメは波打ち際で振りかえった。
「ご先祖は立派な人やったで、おまえもがんばれよ太郎」
そういうとヤニで黄ばんだ歯を見せて笑った。
九月十三日金曜日の午後三時四十分ごろ、東北本線N町駅の南六百メートルで、下り普通列車が人身事故に巻き込まれた。列車はその場で停止した。近くの踏切がいつまでも不吉に鳴き交わした。
それはこの街に初めて秋が来た日だった。一日じゅう、灰色の低い雲から湿った風が肌寒く流れ出していた。プラットホームのずっと向こうに、二つのライトが冷たい靄に滲んで見える。
列車は、おそらくあと一時間以上は動かないのであろう。勤め帰りらしい小母さんが、舌打ちしながら携帯電話を取り出している。
――もしもし、お姑さま、いまN町駅なんですけれど、列車が事故で止まってしまって……いつ帰れるか一寸あれですので、申し訳ありませんけど、晩ご飯の方お願いしていいですか……。
電話を切ると、少し考えてから、改札に向かって歩き出した。土産に駅前のドーナツ屋で買ったらしい、細長い箱を持ち直しながら。
駅前のロータリーには、いつもタクシーが十台近く群れをなしているのだ。
救急車と消防車が、てんでにサイレンを響かせながら入って来ると、運転台で寝そべっていた運転手たちが、みな降りて来た。一しきり立ち話をしてから、それぞれの愛車に戻って行く。
――どおれ、何処さでも行けるようにスタンバイしておッかな。
一人がほがらかに掛け声をかけた。まあ、せいぜい良いお客をつかまえ給え。
と言うのも、今の刻限は、なんと言っても近くの高校生たちの下校時間だから。
自転車を押した少年と、少女が歩いてきた。いつもなら、少女を駅まで送ってから、少年は自転車で帰るはずなのだが、普段と違う様子に、
――どうしたのかしら。
――事故だな。……再開の見通しはつかないって言ってるみたいだ。
――嫌ねえ……死んじゃったかしら。
眉をひそめる少女を、優しいと見ながら、少年は何か別のことを考えているらしい。
――なあ。
少年は思い切ったように、言い出した。俺ん家で、休んでいかないか。ここで待ってても疲れるだけだし。
相談がまとまったらしく、二人は自転車に相乗りして、去って行く。ほう、上手くやったじゃないか。幸運を祈るよ。
さて、私には帰りが遅れるのを告げる家族も、事故のことを話し合う友人も居ない……とりあえず電車が動くまで、駅前のドトオルで一杯やりながら待つとしようか。
翌朝の新聞によると、死んだのは四十九歳、無職の男性であったそうだ。警察は自殺と見て調べているという。
坂を登りきってから振り返ると、ちゃろ坊はまだその短い足でてくてくと駆け上がっている途中だった。
「ちゃろ坊!」
顔を真っ赤にして眉間に皺を寄せて、私の言葉にはなにも返さず、なおも走る。やがて私のいるところまで来ると、そのまま、私のほうをちらりと見ることもせず、坂を下りはじめた。ちゃろ坊の向こうにはたくさんの家があって、その向こうには夕陽がある。目をそらすと、飛行機雲が見えた。
私がちゃろ坊に出会った、というか見つけたのは今朝のことで、ジョギングをしていると、道の真ん中に小さな男の子が座っていた。足を止めて「おはよう」と言ったけど何も返してこないからそのまま走り過ぎたら、その子は私の横を思い切り走リ抜けて行った。どうせ疲れるだろうと思っていると案の定疲れたようで座り込んでいたけど、私が追い抜いたらまた立って私の横を駆け抜けた。「名前はなんて言うの?」と後ろから声をかけたら「ちゃろぼ!」と返ってきて、「茶太郎、とか?」と訊くともう何も答えはなかった。
毎日走っている私と同じペースで走れるわけもないから、追いつかないようにゆっくり走り、そのうち歩くようになって、ちゃろ坊が道端に座り込むと私もその隣に座った。おうちはどこなの、とか訊いてみたけど答えはない。おなかすいたでしょ、と言うと口をとがらせたから、待っててね、と言って近くのコンビニでサンドイッチとジュースを買ってきた。あっちで食べましょ、と公園に足を向けると、ちゃろ坊はすぐに私を抜いて走りはじめ、私はゆっくりついていった。
それからずっと一緒にいる。ちゃろ坊はぜんぜん喋らない。私より前を行こうとするけど待っててと言えばちゃんと待っている。猫を見ればえくぼができて、犬を見れば私に寄ってくる。ジョギング姿で一日過ごすのはいやだったけど、うちまでは遠いしあきらめた。いちど交番に連れていこうと思ってその近くまで走ったら、ちゃろ坊は追いかけてこないで、離れたところにじっと立っていた。その顔が今にも泣きそうだったから、私はすぐに引き返し、またべつの方向に向かった。
町には灯りがともりだした。長くのびたちゃろ坊の影が揺れている。夕陽に向かって駆けていくちゃろ坊、という言葉を頭に浮かべて、それがなんだかおかしくて口元が緩んだ。
「日が沈んだらうちに帰ろうね」
と言って坂を下りはじめた私は、このままずっと夕暮れが続けばいいのに、と思った。