第185期 #11

新しい

 夏のこと、人が死んだ。
 私の父親だった。
 彼はたくさん借金のあった人で、みんなから嫌われていて、だから死んだことは喜ばれた。でも、人の死を笑うのは世間に対して感じが悪かったから、みんな表面的には悲しんでいた。
 喪主は私だった。
 うちにはお金がなかったから、父親には入るお墓がなかった。生前、親戚にはさんざんお金で迷惑をかけた。だから、先祖のお墓に入ることは許してもらえなかった。二年くらい集団墓地に骨を置かせてもらった。借金のあった父親はまともに死ぬこともできないのだなと私は思った。そのあとで母親が新しいお墓を買った。

 行きつけのスナックの、私の姉と同い年のホステスさんが、言った。
「私は、三回忌までは二か月に一回はお墓参りしていたよ」
 ホステスさんも三十代で父親を亡くしていた。
 私は、ホステスさんの話を聞いて、そういうことは早く教えてくれたらよかったのにな、と思った。
 ホステスさんが言った。
「頻繁に通っていても、それだけ空いてしまうとお供えのお花が枯れちゃうんだ」
 私などは、お墓に一度きりしかまだ通っていない。いや、集団墓地と母の買った墓の一回ずつか。
 私も頻繁にお墓参りすればよかったと思った。なぜなら、私には、まだ父親が死んでいないような気があったからだ。
 彼は病死だった。死に至るまでの十年間は別居して暮らしていたし、病気で人が変わってしまっていたし、そうする間に死んでしまったから、なんだかぼやけてしまっている。
 ちゃんと死ねなかった父親と死を受けいれられないでいる息子。

 得したと言えば、そこそこ若いうちに父が死んだことで、その話をすると時折同情を示す女性がいることだった。
 他人の哀しさに共感するというのは、ある種の、ひとつの、(偏見は承知だが牝の)文化なのだろうなあと思う。
 一連の死にまつわる話をした後、ある高校英語教師の家に泊めてもらったことがある。そのあと半ばむりやりセックスした。抵抗する相手の手を振りはらい、愛撫を繰りかえしながらこちらの思うままにしていき、最後にはもてあそぶおもちゃにする過程、とても面白くて楽しかった。

「家族と仲直りしてよ」と、ある女の子に言われた。
「仲が悪いわけじゃない」と私は答えた。
 二年前のことだ。当時は肉体関係があったが、今はない。連絡もない。
 新しくもない。まともに死ねなかった父親の息子はどうせまともに育ってない。家族はできない。



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