第185期決勝時の、#11新しい(qbc)への投票です(2票)。
「ぼたんゆき」と「新しい」の二択だった。丸いものを丸く書くか、尖らせて書くかという違いがあったように思うが、書かないことによる強調とタイトルの拾い上げが決め手で「新しい」に。
チッペラリがもし強引に主人公を襲っていたとしたら、きっと「新しい」の主人公と高校教師との間のような展開になるのだろうが、主人公に凌辱されたという想いがあるかというと疑問だ。
「新しい」の主人公は高校教師との性行為を、それ自体はありがちなきっかけでしかないのに、それを支配としか捉えていないということも合わせて、一人称はつくづく主人公(not作者)の主観だよなあと。
#12 私立うっふん学園
前半の説明を前振りとして後半で連続でたたみかける、コントを上手に千文字に落とし込んである作品。「私たち」という主観を「男五人」という客観に変えることで滑稽さを強調している。
#2 蜘蛛
叙述される女性的な蜘蛛の描写がそのまま妻の身に降りかかった惨劇を表していたというホラー作品。食器乾燥機という日常の象徴を非日常のものとするホラーの文脈も踏襲されている。妻の死体を放置しておくという主人公の衝動性と、妻の子宮から取り出した胎児を食器乾燥機で干すという浅はかさ、心の底の見えない不気味さがホラーものとして良い締めくくりになっている。
#6 桃太郎
昔話をないまぜにした与太話の態を取る作品。だが「玉櫛笥(たまくしげ)」というルビが振られていることで、この作品には語り部と聞き手があり、いたずら好きのおじいちゃんが孫に偽昔話を聞かせているような情景が浮かんだ。猿柄や雉柄など、既にある物語の抽象化によって文字上にしか存在しない柄の表現になっているのが面白い。
#8 ぼたんゆき
彼女の奇抜な服装を民族衣装にちなんでチッペラリと呼んだ主人公と、その主人公に思いを寄せるチッペラリの話。
チッペラリは我儘を突き付けることで主人公に甘えているが、それらは試し行動でありチッペラリの願望の裏返しだ。独り暮らしの男性が味噌汁を作り置きしているはずもないことを踏まえて我儘をいうが、主人公は怒りもせずインスタントで代用し、それを飲むチッペラリを見つめる目は優しい。だがこの態度はチッペラリにとって不満なものであるだろう。
チッペラリは結婚をにおわせることで主人公の逃げ道を断とうとし、据え膳となるべく酔っぱらって眠ってみせるが、主人公はまだ若いチッペラリの未来の可能性に対して何も報いることができないと考えているため、我儘をきく受け身の状態に甘んじるだけで関係を持つことができない。
この未来への可能性の差を奇妙な一本の線と表していて、この感覚は主人公は現在の自分が可能性の末路にあると考えているかのようだ。
美しいが触れれば消えてしまう儚さと冬の一時のものでしかないという意味でぼたんゆきを表題にしたのも作品をよく表している。
年齢差のある男女の視点を情感豊かに描いた普遍性のある作品。
#11 新しい
借金によって穢れとなったため誰かに死を看取られることもなく、死ぬ時でさえ自分の死を認識できなかった父と、死を女性を口説くネタ程度にしか捉えることができない息子。死に対するアプローチの相似性が両者をつなぐ絆となり、支配することと女性との関係がイコールになっているいびつさに、内に潜む父親の姿を見る。
「ない」という韻を繰り返すことで主人公の内心を強く表し、文中では、関係を継続できないことは「新しくもない」という意味になるが、拾い上げてタイトルと対比させることで父親とは違う新しい自分を渇望しているのだという意味が浮かび上がる。
父親との確執を裏に隠して進める独白がより父親との確執を強調するが、それが透けて見えない程度にエピソードと混ぜ合わされている。
参照用リンク: #date20180308-222932
セックス云々の部分は少し引いてしまうが、死について冷静に(感情をあまり込めずに)、皮肉も混ぜながら語るという語り口が良かった。そして、死には、感情によって昇華されない部分(借金や迷惑や性欲など)もあるのだろうなということを考えさせられた。(euReka)
参照用リンク: #date20180302-223059