第13期 #27
ウェイ・イーは盲目の軽業師だった。
三月ほどの間、彼と私は同じ雑技団に属していた。
「お月さんが出てるなあ」
盲目の軽業師は鼻歌を歌いながら、私の隣に腰を下ろした。シュイツァイの城市での興行を終え、西へと移動する二日目の夜だった。
「月は出てないよ、ウェイ・イー。星も出てない」
「そうか?」
軽業師は天を仰いで、肩をすくめた。
「まあ、おまえさんが言うなら、星は出てないんだろうさ」
そして付け加えた。
「だがね、月は出てるよ」
「月なんて見えないぜ、ウェイ・イー」
「見えなくてもいいのさ」
軽業師は鼻歌を続けながら、立ち上がった。私の肩までも届かない矮躯。
「なんて曲だい? ウェイ・イー」
「月」
軽業師は命を助けてやった相手に名を告げるように、そっと呟いた。
「おれは月で生まれたんだ」
「へえ?」
「月はさびしい処だよ。おれは地上に降りたくて仕方なかった」
軽業師は足踏みをした。地面の感触を確かめるようにだ。
「でも、不思議なもんさ」
歌うように、軽業師は続ける。
「今じゃ月に帰りたくて仕方がない」
「帰れないのかい? ウェイ・イー」
私は暗雲に覆われた天蓋に向けて目を凝らしていた。もしかしたら私にも月が見えるかも知れない。
「帰ろうと思えば帰れるんだろうがね」
「帰らないのかい? ウェイ・イー」
「――」
軽業師は答えなかった。
「降りてきて良かったことはある? ウェイ・イー」
「食い物がうまい」
軽業師は即答した。
「それに月を見ることができる」
私はその言葉に驚いた。軽業師は盲目だった。
「月は金色だった、といつか故郷の皆に語ってやりたいさね。でも、それはまだまだ先のことさ」
「どれくらい先のことなんだい? ウェイ・イー」
軽業師は掌を月にかざした。
「おれには永遠に思えるほどさ」
月から来た男が言う「永遠」には説得力があった。
軽業師はリャオツェンの城市での興行中、得意のナイフ投げに失敗して雑技団から去っていった。しばらくは大道芸のようなものをしていたらしいが、その後ぱったりと彼の噂は聞かなくなった。私は別の雑技団に移って、裏方をやるようになった。そして老いていった。
今にも雨が降り出しそうな曇天になると、私は決まって空を見上げる。そして月を探す。月の光の粒子は、厚い雲の僅かな隙間からこぼれて、私の網膜に落ちかかってくる。
ウェイ・イーが月に帰る時が近づいたのかも知れない。
右肩の古傷が、少し痛んだ。