第12期 #15

ベーカリー・ストロベリー

「たとえ世界からお米がなくなっても」
 真希ちゃんはそこでひと呼吸入れて、中野君をキッと見た。
「パンは食べません」
 そして手に持ったパンを私に差し出す。今日のパンは、クリワッサンという。中野君のネーミングは、いつもおかしい。
「あ、どうぞ」
 中野君に促され、クリワッサンを口に運んだ。栗の甘みが、口の中に広がる。
「おいしい」
 私が言うと、中野君は嬉しそうに笑う。けど、どこか寂しそうでもある。そりゃそうだ。中野君は、真希ちゃんのためにこのパンを作ってきたんだから。
 中野君の実家はパン屋さんで、中野君はそのあとつぎだ。半年くらい前に、はじめて自分で作ったというパンを真希ちゃんにあげたんだけど、パン嫌いだから、と真希ちゃんは断って、私が食べた。それからだいたいひと月ごとくらいに、中野君はパンを作ってきて、そして私が食べている。
 もう意地の張り合いみたいだ。中野君にもパン屋の息子としての意地があって、真希ちゃんにもパン嫌いとしての意地がある。
「帰ろ」
 真希ちゃんに言われて、私はカバンを手に立ち上がる。中野君はまだ残って勉強をしていくらしい。

 スーパーで中野君に会った。見たこともないようなキリリとした表情だったけど、私が声をかけるとすぐいつもの優しそうな笑顔になった。
 果物コーナーを見て、そういえば、と思い出して言った。
「真希ちゃん、いちご大好きだよ」
 中野君はびっくりしたように私を見て、なんだか照れくさそうに「ありがとう」と言った。
 そんなことも知らないんだ。

 中野君は、いちごのパンを作ってきた。5つのいちごが桃色のパンに乗っている。
「いちごがご」
 差し出されたパンを、真希ちゃんはじっと見ている。いらない、とは言わない。言えないのだ。だって真希ちゃんは本当にいちごが大好きだから。
「今日おなかいっぱいなの」
 私の言葉に促されたように、真希ちゃんはすっとパンを手にとって、5つのいちごをパクッと食べた。笑顔がこぼれそうになる。中野君はじっと見ている。
 真希ちゃんはゆっくりとパンを口に近づけて、ひとくち食べた。噛んで、噛んで、飲み込んで、中野君を見て言った。
「いちごは、おいしい」
 そして真希ちゃんはそのままパンをぜんぶ食べた。中野君は嬉しそうに、本当に嬉しそうに真希ちゃんを見ている。
 私もいちご好きなんだよ、と言いたかったけど、言えなくて、机にほっぺたをくっつけた。ひんやりと冷たかった。



Copyright © 2003 川島ケイ / 編集: 短編