1 天使か悪魔か ナカザキノブユキ 794
北風と太陽のぱくりじゃないか。中身の、こういう安易ないい話しは好きなんだけど、どうやってこの要素を違和感なく、既視感なく、伝えられたらな、って思う。
2 smile for you 櫻井かの 682
甘ったるい話だなあ。大抵の男は、大抵、女性からの問いかけに対して、んー、と言って何言ってんだこの女、というのを堪える間を作ってるんだろうな、って思う。
3 あの歌声をもう一度… 浜野 幸久 701
「自分の心に溢れていた想いが全て手紙に乗り移って、身体が軽くなったような気がした。」というのがテーマなのだとしたら、それは一行目に書く。小説はそこから始まるものだ、って思ってる。
4 短編 Qua Adenauer 1000
技術的なことだけど、「短編」という固有名詞の説明がちゃんとされてたら、もうちょっと違う評価をしてたんだろうと思う。お話を作るという点から言うと、その固有名詞をまったく知らない人にも分かるように書いてないお話は、ひどい不親切だな、って思った。
5 考えながら生きている 並盛りライス 420
短いお話だからひとつのテーマでいいよな、と思われてる節があると思う、毎回このサイトに出される投稿作品を見ていると。そういうもんでもないよな、と思ってる。
そもそも、テーマが分かっていたら、書くまでもないはずだ。
6 タキチへの憧れ urem 1000
えー、なんで自殺しちゃうの? こういう作品を読むと自分のために小説を書いているのかな、と思う。そういうスタンスでいると、いつまでたってもなかなか豊かな小説を書けないんじゃないのかな、って思う。箱庭療法のために言葉はあるんじゃないよ。
7 「君を待つ」 09 979
きっとこのままでも良いんだろうけど、言葉遣いの陳腐さや、イメージの発展のさせ方にちっとも魅力を感じられない。平凡だったな、って思った。
8 東京物語 幸田 995
これも感想は7と同じだな、って思った。
9 君が喜ぶこと 悲しむこと クマの子 1000
これも感想は7と同じだな、って思った。
このレベルのエピソードだと、実話のほうが面白い。小説が嘘である以上、実話でできることやってもしかたないよな、って思った。特に震災を受けたいまあらためて考えると、はるかに実話の方が、人間のこころのよりどころとなる物語としての力は大きい。奇妙奇天烈な話を書いたほうがいいよという訳でもないが、実話でもありそうな話を書けって訳でもないよな、って思った。
10 青鬼はユーモラスに舞って なゆら 977
赤と青、鬼、という言葉が転がっていって、こういうことが出来るのは面白い才能だな、って思うのだけど、たぶん、それがなぜ人間に面白いと思われるのかなということをあまり考えてないんじゃないのかな、って思った。それ以外に人間が面白いと思うことはないのかな、っていうのも考えてないんじゃないのかな、って思った。
11 最近の政治状況について 朝野十字 1000
実名性のある小説を書きたいなと思えないのは、たぶんそれなら小説にせずに行動を起こせばいいと考えるからなんだと思う。どうしようもなく弱い人が小説を書くし、だから、どうしようもなくダメな人間しか小説を書かないのだと思う。
13 さぁ、はじまるぞ! おひろねX 790
続けて読むとまだなんとかなりそうだけど、これだけだとなんとも言えない。
14 東京裁判 ロロ=キタカ 941
ものすごい散漫だな、って思った。
15 『風神病者、逝く』 吉川楡井 1000
もうちょっと簡単に書いたらよいのに、って思った。趣味の問題なのかな。
16 もう銅にも止まらない 謙悟 959
だじゃれはあんまり、私は好きじゃないんだな、って思った。
17 天使の矢 euReka 1000
なになにのように、ってすっごい比喩が多くて、これだけ多いと何か意図があるんじゃないのかな、と思ったけど、特に見当たらないな、って思った。
純然たる読み手の側に立って感想を書けなくなるのは哀しいと、良く自分でも思います。
自分でも書いていると、どうしても、無意識的に書き手の側の感想になってしまうのですよね。
私は、本来、感想って、面白かったか、面白くなかったか、それだけで十分だと思います。それ以上は、感想というよりも、評論になると思っておりますので。
あくまで、私の意見ですよ。
書き手の側からすると、評論みたいな感想が嬉しいわけですが、読み手の側からすると、どこが面白いとか、どこが面白くないとか、そういう感想が欲しくなって来ますね。
もしよろしかったら、読み手の側の感想も書かれてみてはいかがですか。
誰でも最初は、読む側から、小説の世界に入るものでしょう。
そんなに書き手寄りの感想でしたか?
どちらかというと、ぱぱっと読んでぱぱっと思いついたことだけ書いたので、自分が書いてる時ほど深くは読んでない、ただ読んだだけなのですが。読み返すと、朝野さんの感想なんかは書き手寄りですけど、他のは読み手寄りなんじゃないかと思いました。
朝野さん以外だと、具体的に、どんなところが書き手寄りなんでしょうか。
〉純然たる読み手の側に立って感想を書けなくなるのは哀しいと、良く自分でも思います。
〉自分でも書いていると、どうしても、無意識的に書き手の側の感想になってしまうのですよね。
〉
〉
〉私は、本来、感想って、面白かったか、面白くなかったか、それだけで十分だと思います。それ以上は、感想というよりも、評論になると思っておりますので。
〉
〉あくまで、私の意見ですよ。
〉書き手の側からすると、評論みたいな感想が嬉しいわけですが、読み手の側からすると、どこが面白いとか、どこが面白くないとか、そういう感想が欲しくなって来ますね。
〉
〉
〉もしよろしかったら、読み手の側の感想も書かれてみてはいかがですか。
〉誰でも最初は、読む側から、小説の世界に入るものでしょう。
あまり好意的でない返信と受け取られたようで、申し訳ない。
感想に対する感想、という程度の、軽いものと考えていただければ良いと思います。
本来、個人的なものである感想を公表する以上、短編に作品を投稿する事と同様に、何がしかの反応が得られる事は、十分にあり得るという事です。
一応、書き手側の感想の例のようなもの述べるとすると、あくまで一例ではありますが、「自分ならこうは書かないな」という感想などは、私としては十分に書き手側の感想だと思います。(「自分ならこう書くよ」という感想よりは、読み手寄りの感想だと思いますが、それでもやはり、書き手寄りの感想と感じます。)
勿論、これを読み手側の感想だと捉える人も居られるかもしれませんから、どちら寄りかは個人で異なるものです。
そもそも、感想は、読まないと書けないものですし。
では、今後とも、よろしくお願いします。
〉そんなに書き手寄りの感想でしたか?
〉どちらかというと、ぱぱっと読んでぱぱっと思いついたことだけ書いたので、自分が書いてる時ほど深くは読んでない、ただ読んだだけなのですが。読み返すと、朝野さんの感想なんかは書き手寄りですけど、他のは読み手寄りなんじゃないかと思いました。
〉
〉朝野さん以外だと、具体的に、どんなところが書き手寄りなんでしょうか。
〉あまり好意的でない返信と受け取られたようで、申し訳ない。
好意的でない返信という風には思いませんでしたよ。丁寧な文章でしたし。ただ何言ってるのかよく分からなかったですね。
書き手寄り読み手寄りの感想、って話は珍しくないし、大した問題じゃないと思うんですよね。
要するに、サッカー中継みて自分が監督だったらこう采配するのに、って書き手側風の感想か、ゴールきめてすげーって騒ぐ読み手側風の反応かの、その程度の違いだと感じてます。
どうして素人がそんな風にプロのサッカーをみて意見をするかと言えば、計画と行動という枠組みで考えれば分かります。誰しも、旅行をプランしたり、お金の使い道考えたり、通学経路を考えたり、計画を立てて行動した経験はあるんですよね。枠組み自体が同じ。それは小説も同じ。
小説の書き手ではなくても、大袈裟に言うと人生の書き手ではあるわけですから。
だから、自分としては、その程度の違いなのになんでわざわざ指摘してきたのか、そのあたりが不思議でした。
書き手側の感想だとまずい理由ってあるんでしょうか。
また、読み手側の感想だとメリットがあるんでしょうか。
もちろんあくまでQuaさんの意見でいいですよ。自分も含めて、そもそも人間の言うことなんか自分の信じたいことしか言わないですから。
〉あまり好意的でない返信と受け取られたようで、申し訳ない。
〉
〉
〉感想に対する感想、という程度の、軽いものと考えていただければ良いと思います。
〉
〉本来、個人的なものである感想を公表する以上、短編に作品を投稿する事と同様に、何がしかの反応が得られる事は、十分にあり得るという事です。
〉
〉
〉
〉一応、書き手側の感想の例のようなもの述べるとすると、あくまで一例ではありますが、「自分ならこうは書かないな」という感想などは、私としては十分に書き手側の感想だと思います。(「自分ならこう書くよ」という感想よりは、読み手寄りの感想だと思いますが、それでもやはり、書き手寄りの感想と感じます。)
〉勿論、これを読み手側の感想だと捉える人も居られるかもしれませんから、どちら寄りかは個人で異なるものです。
〉
〉そもそも、感想は、読まないと書けないものですし。
〉
〉
〉では、今後とも、よろしくお願いします。
〉
〉
〉
〉〉そんなに書き手寄りの感想でしたか?
〉〉どちらかというと、ぱぱっと読んでぱぱっと思いついたことだけ書いたので、自分が書いてる時ほど深くは読んでない、ただ読んだだけなのですが。読み返すと、朝野さんの感想なんかは書き手寄りですけど、他のは読み手寄りなんじゃないかと思いました。
〉〉
〉〉朝野さん以外だと、具体的に、どんなところが書き手寄りなんでしょうか。
メリットというより、何と表現すれば良いのか、何かしらの特徴はあると思いますが、それは、相互的、或いは相補的なものであって、どちら寄りがより良い感想、という事はないでしょう。メリット・デメリットという概念自体、持ち出す必要を感じません。
前回の返信で書いたように、感想に対する感想、という程度の軽いものであって、殆どの感想がそうであるよう、特に深い意味のあるものではありません。
わざわざ指摘、と書かれましたが、それを言えば、わざわざ感想を書いたりしているわけですから、それと大差のない事です。
それはさておき、人生の書き手とは、実に詩的な表現ですね。
私は、こういった少し大袈裟で詩的な表現は好みです。
良く分からないとの事ですが、「純然たる読み手の側の感想が書けないのは哀しい」と思った、というだけの、感想に対する感想と、もっと読み手寄りの感想も読んでみたい、という、希望というとおこがましいですが、望みを書いただけです。
返信という形ではありますが、えむありすさんにだけ向けて書いたものではないつもりです。
何にせよ、あまり穿った見方をする必要はないと思います。
では、今後ともよろしくお願いします。
〉〉あまり好意的でない返信と受け取られたようで、申し訳ない。
〉好意的でない返信という風には思いませんでしたよ。丁寧な文章でしたし。ただ何言ってるのかよく分からなかったですね。
〉
〉書き手寄り読み手寄りの感想、って話は珍しくないし、大した問題じゃないと思うんですよね。
〉要するに、サッカー中継みて自分が監督だったらこう采配するのに、って書き手側風の感想か、ゴールきめてすげーって騒ぐ読み手側風の反応かの、その程度の違いだと感じてます。
〉
〉どうして素人がそんな風にプロのサッカーをみて意見をするかと言えば、計画と行動という枠組みで考えれば分かります。誰しも、旅行をプランしたり、お金の使い道考えたり、通学経路を考えたり、計画を立てて行動した経験はあるんですよね。枠組み自体が同じ。それは小説も同じ。
〉小説の書き手ではなくても、大袈裟に言うと人生の書き手ではあるわけですから。
〉
〉だから、自分としては、その程度の違いなのになんでわざわざ指摘してきたのか、そのあたりが不思議でした。
〉
〉書き手側の感想だとまずい理由ってあるんでしょうか。
〉また、読み手側の感想だとメリットがあるんでしょうか。
〉
〉もちろんあくまでQuaさんの意見でいいですよ。自分も含めて、そもそも人間の言うことなんか自分の信じたいことしか言わないですから。
あげ足をとりたい訳ではないんですが、例えば、
〉メリットというより、何と表現すれば良いのか、何かしらの特徴はあると思いますが、それは、相互的、或いは相補的なものであって、どちら寄りがより良い感想、という事はないでしょう。メリット・デメリットという概念自体、持ち出す必要を感じません。
ということですが、「相補的」というならば、片方のメリットがもう片方のデメリットを補うって意味で、メリットデメリットという視点はすごく有用だと私は思うんです。それを、Quaさんはいらないと言う。
こういう些細なすれ違いが多くって、何言ってるか分からなくなるんです。
ともあれ、
〉読み手寄りの感想も読んでみたい、という、希望
というお気持ちは分かりました。次回はビール片手にでも感想書いてみます。そもそも、だいたい、私が感想を書くのは他人のふり見て我がふり直せ、という前提で書いているので、動機の時点から書き手寄りでしたので。
〉メリットというより、何と表現すれば良いのか、何かしらの特徴はあると思いますが、それは、相互的、或いは相補的なものであって、どちら寄りがより良い感想、という事はないでしょう。メリット・デメリットという概念自体、持ち出す必要を感じません。
〉
〉前回の返信で書いたように、感想に対する感想、という程度の軽いものであって、殆どの感想がそうであるよう、特に深い意味のあるものではありません。
〉
〉わざわざ指摘、と書かれましたが、それを言えば、わざわざ感想を書いたりしているわけですから、それと大差のない事です。
〉
〉
〉それはさておき、人生の書き手とは、実に詩的な表現ですね。
〉私は、こういった少し大袈裟で詩的な表現は好みです。
〉
〉
〉良く分からないとの事ですが、「純然たる読み手の側の感想が書けないのは哀しい」と思った、というだけの、感想に対する感想と、もっと読み手寄りの感想も読んでみたい、という、希望というとおこがましいですが、望みを書いただけです。
〉返信という形ではありますが、えむありすさんにだけ向けて書いたものではないつもりです。
〉
〉何にせよ、あまり穿った見方をする必要はないと思います。
〉
〉
〉では、今後ともよろしくお願いします。
〉
〉
〉〉〉あまり好意的でない返信と受け取られたようで、申し訳ない。
〉〉好意的でない返信という風には思いませんでしたよ。丁寧な文章でしたし。ただ何言ってるのかよく分からなかったですね。
〉〉
〉〉書き手寄り読み手寄りの感想、って話は珍しくないし、大した問題じゃないと思うんですよね。
〉〉要するに、サッカー中継みて自分が監督だったらこう采配するのに、って書き手側風の感想か、ゴールきめてすげーって騒ぐ読み手側風の反応かの、その程度の違いだと感じてます。
〉〉
〉〉どうして素人がそんな風にプロのサッカーをみて意見をするかと言えば、計画と行動という枠組みで考えれば分かります。誰しも、旅行をプランしたり、お金の使い道考えたり、通学経路を考えたり、計画を立てて行動した経験はあるんですよね。枠組み自体が同じ。それは小説も同じ。
〉〉小説の書き手ではなくても、大袈裟に言うと人生の書き手ではあるわけですから。
〉〉
〉〉だから、自分としては、その程度の違いなのになんでわざわざ指摘してきたのか、そのあたりが不思議でした。
〉〉
〉〉書き手側の感想だとまずい理由ってあるんでしょうか。
〉〉また、読み手側の感想だとメリットがあるんでしょうか。
〉〉
〉〉もちろんあくまでQuaさんの意見でいいですよ。自分も含めて、そもそも人間の言うことなんか自分の信じたいことしか言わないですから。
>実名性のある小説を書きたいなと思えないのは、たぶんそれなら小説にせずに行動を起こせばいいと考えるからなんだと思う。
いや、ちがうと思いますよ。
フィクションの中に実名性を見出すとき、読者は(作者も)芸術としての解釈を放棄してますよ。そのとき芸術から程遠いのは読者(そのような解釈)のほうであり、その責めを作品(作者ではない)に向けるのは筋違いですよ。
作品の独立を守るために実名性を排除しようとしても不可能で、それよりは作品性が実名性よりも上位の概念だと主張するほうがよいと私は思います。
たとえば、「ずっとウソだった」で検索して斉藤和義本人の替歌を聞いてみてください。
本歌の「ずっと好きだった」のサビ・タメのとき感じる感覚と、替歌の「ずっとウソだった」のサビ・タメのとき感じる感覚を比較してください。
音楽の持つ芸術の感動を感じたあとで、それを「ずっと好きだった」と関連付けて感じることもできれば、「ずっとウソだった」と関連付けてその感動の理由とすることもできることに気付くでしょう。
〉作品の独立を守るために実名性を排除しようとしても不可能で、それよりは作品性が実名性よりも上位の概念だと主張するほうがよいと私は思います。
なるほど。論理的には賛成です。
ただ、それでも実名の力には抗いにくいです。斉藤和義本人の例を続けて使用すると、「ずっと好きだった」を聞いても、もう原発のイメージをぬぐいさることができません。サビ・タメを純粋に味わうよりも先に、現実の記憶と結びついて、鑑賞をさまたげます。これがもう少し象徴などで迂遠にくるまれていたら、かなり印象が違ってくるのでは、と思います。
また、強い実名性と弱い実名性というのもあるな、と思いました。斉藤和義本人の場合、これが原発でなくて香川のウドンだったらわりと気持ちよく鑑賞できたと思います。
〉
〉>実名性のある小説を書きたいなと思えないのは、たぶんそれなら小説にせずに行動を起こせばいいと考えるからなんだと思う。
〉
〉いや、ちがうと思いますよ。
〉フィクションの中に実名性を見出すとき、読者は(作者も)芸術としての解釈を放棄してますよ。そのとき芸術から程遠いのは読者(そのような解釈)のほうであり、その責めを作品(作者ではない)に向けるのは筋違いですよ。
〉作品の独立を守るために実名性を排除しようとしても不可能で、それよりは作品性が実名性よりも上位の概念だと主張するほうがよいと私は思います。
〉
〉たとえば、「ずっとウソだった」で検索して斉藤和義本人の替歌を聞いてみてください。
〉本歌の「ずっと好きだった」のサビ・タメのとき感じる感覚と、替歌の「ずっとウソだった」のサビ・タメのとき感じる感覚を比較してください。
〉音楽の持つ芸術の感動を感じたあとで、それを「ずっと好きだった」と関連付けて感じることもできれば、「ずっとウソだった」と関連付けてその感動の理由とすることもできることに気付くでしょう。