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本文: 〉〉作品の独立を守るために実名性を排除しようとしても不可能で、それよりは作品性が実名性よりも上位の概念だと主張するほうがよいと私は思います。 〉 〉なるほど。論理的には賛成です。 〉ただ、それでも実名の力には抗いにくいです。斉藤和義本人の例を続けて使用すると、「ずっと好きだった」を聞いても、もう原発のイメージをぬぐいさることができません。サビ・タメを純粋に味わうよりも先に、現実の記憶と結びついて、鑑賞をさまたげます。これがもう少し象徴などで迂遠にくるまれていたら、かなり印象が違ってくるのでは、と思います。 〉 〉また、強い実名性と弱い実名性というのもあるな、と思いました。斉藤和義本人の場合、これが原発でなくて香川のウドンだったらわりと気持ちよく鑑賞できたと思います。 〉 〉 〉 〉〉 〉〉>実名性のある小説を書きたいなと思えないのは、たぶんそれなら小説にせずに行動を起こせばいいと考えるからなんだと思う。 〉〉 〉〉いや、ちがうと思いますよ。 〉〉フィクションの中に実名性を見出すとき、読者は(作者も)芸術としての解釈を放棄してますよ。そのとき芸術から程遠いのは読者(そのような解釈)のほうであり、その責めを作品(作者ではない)に向けるのは筋違いですよ。 〉〉作品の独立を守るために実名性を排除しようとしても不可能で、それよりは作品性が実名性よりも上位の概念だと主張するほうがよいと私は思います。 〉〉 〉〉たとえば、「ずっとウソだった」で検索して斉藤和義本人の替歌を聞いてみてください。 〉〉本歌の「ずっと好きだった」のサビ・タメのとき感じる感覚と、替歌の「ずっとウソだった」のサビ・タメのとき感じる感覚を比較してください。 〉〉音楽の持つ芸術の感動を感じたあとで、それを「ずっと好きだった」と関連付けて感じることもできれば、「ずっとウソだった」と関連付けてその感動の理由とすることもできることに気付くでしょう。
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