つづきまして、#6と#7です。(ようやく2つ収まりました)
#6 そこまでドライブ ウワノソラ。
http://tanpen.jp/200/6.html
私が道路に出た時には、目的地をナビに入れている所だった。
この小説は、「私」を語り手とした一人称小説のようです。しかし、もう一人の登場人物である「小夜ちゃん」と話していても「私」の話はまったく出てこないと言っていいですし(中学校か高校の修学旅行で九州へ行った、という内容のみ)、「私」のプロフィールがわかるような記述も見当たりません。
「私」と「小夜ちゃん」の会話を抜き出してみましょう。まずは「私」から。
「大丈夫、大丈夫。てか、車なんかむっちゃいい匂いやね。なんか、女子の香りって感じ?」
「ラーメンて、彼氏と一緒に食べてたんや?」
「今日は彼氏さんと遊んでたんやねぇ」
「へぇ。今度はどこ行くん?」
「お、九州やん」
「んー。あんま行く機会ないかな、修学旅行は九州やったけど」
「きちんと一緒に計画練れてるだけ凄いやん」
「うん」
「あはは、ほんま」
次は「小夜ちゃん」の台詞。
「さっき豚骨ラーメン食べてたから、臭かったらごめんね」
「そうかな? 鼻が慣れて全然わからん」
「うん、すぐ西行ったとこのラーメン太郎ってとこ。美味しかったよ」
「うん、旅行の計画一緒に練ったり」
「福岡と長崎と」
「なんかなぁ、私が九州行ってないって言ったら向こうが凄いビックリしててな。というか普通行ったことあるもんやろ、て言われて。そんな珍しいもんかな」
「そうかなぁ、流石に九州は色々調べとかないとなぁって」
「うちの彼氏、ずっと携帯ばっかり触ってるから『お得意のスマホで調べたら』って冷たい感じで言うてしまうんよ」
「私ももっと寛大になりたいとは思うんやけど……」
「私」の台詞から取れる情報量は少なく、「小夜ちゃん」の台詞から取れる情報量は多いことがわかります。「私」が「小夜ちゃん」の聞き役になっていると考えていいでしょう。「彼氏のこととなると、いつもどこか小夜ちゃんは愚痴っぽい」と書かれていますので、引用した会話のようなやり取り(「小夜ちゃん」が話して「私」が聞く)が日常的に交わされていると推測できそうです。
そんな聞き役の「私」は、「小夜ちゃん」をよく観察しています。以下に引用していきましょう。
彼女は手足が悪い。指に軽く拘縮があるので、ナビのタッチパネルを押すのも指の第二関節辺りを画面に軽くぶつけて、ノックするように器用にやっていた。
小さな手足を軽々動かし、車が滑り出す。右手はハンドルを。左手はシフトレバーを握っている。ハンドルに取り付けてある革製の器具に手をはめることで、手首を捻らずとも腕を動かせばハンドルを回せるようになっていた。
信号を見つめたまま小夜ちゃんはポツリ溢した。
「拘縮」という語句が出てきました。Wikipediaによれば「関節包外の軟部組織が原因でおこる関節可動域制限のことである。生理学的には活動電位の発生の停止により筋が弛緩しなくなる現象」を指すようです。
Wikipedia - 拘縮
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8B%98%E7%B8%AE
「小夜ちゃん」の指に拘縮がある理由は書かれていません。「私」は知らないのかもしれませんし、知っているのかもしれません。ただ、「小夜ちゃん」がカーナビのタッチパネルを押したり、取り付けた器具で車のハンドルを回したりする様子に見入っていることから、「小夜ちゃん」の「拘縮」を、無視できない特別なものだと認識しているようです。
彼氏のこととなると、いつもどこか小夜ちゃんは愚痴っぽい。しょっちゅう週末になると会っているのに、積もりに積もった不満がポロポロと会話の端々から溢れていく。
それを若干内心面白がって聞いている私は、捻くれ者だ。
「私」は、「小夜ちゃん」から聞かされる彼氏の愚痴を面白がっています。そして、「ラーメンて、彼氏と一緒に食べてたんや?」と「小夜ちゃん」に彼氏の話題を振ったのは「私」です。また、「内心」で面白がっている自分のことを、捻くれている(素直ではない)、と言っていますので、面白がっていることを「小夜ちゃん」にはっきり伝えてはいなさそうです。
ちらちらと、小夜ちゃんはこの彼氏といつまで続けるのだろうと考えてしまう。何だかんだ仲は良さそうだけど、小夜ちゃん自体にこの人とずっと……という風な、期待のようなものは微塵もないし。
「私」は、彼氏との交際を末永く続けたいという期待が「小夜ちゃん」から感じられないことを気にしており、いつまで続けるのか(いつ終わらせるのか)と考えています。「私」は、恋人関係は末永く続くほうがより良いものだと考えているようですが、その事を「小夜ちゃん」に伝える様子はありません。「小夜ちゃん」が信号を見つめたまま「私ももっと寛大になりたいとは思うんやけど……」と呟いても、「私」は何も答えないまま、この小説は終わります。
聞き役の「私」には観察だけがあり、意見がありません。「小夜ちゃん」に伝えていない「内心」があるような素振りを見せてはいますが、この小説の記述に「私」の「内心」はほとんど見当たりません。恋人関係は末永く続くほうがより良いものだと考えている「私」は、はたして「小夜ちゃん」との関係についてはどう考えているのでしょうか。
#7 沼 志菩龍彦
http://tanpen.jp/200/7.html
この小説には、視点人物が登場しません。いわゆる「神の視点」で書かれています。
標高三百メートル程の山の中腹、暗い森の中にその沼はあった。
この「沼」が主役です。
山の麓には古い町があり、武家屋敷じみた古民家等が、時の流れに取り残されたようにひっそりと佇んでいた。
沼が登場してすぐに「町」が登場します。沼のプロフィールを説明するためです。
その沼は禁足地として彼等に忌避されていたからだ。
当地に伝わる昔話の中に、沼のことを語ったものが一つだけある。
豊臣秀吉が九州征伐をしていた頃、ある大名の姫が家宝の宝刀と供に山へ逃げ落ちて来た。
沼は、麓の町の人間から「禁足地」として「忌避」されているようです。また、「禁足地」の由来となった「昔話」として、豊臣秀吉の「九州征伐」が出てきます。Wikipediaによれば「九州平定は、天正14年(1586年)7月から同15年(1587年)4月にかけて行われた、羽柴秀吉と島津氏など、九州諸将との戦いの総称である」とのことです。
Wikipedia - 九州平定
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%B7%9E%E5%B9%B3%E5%AE%9A
沼が少なくとも1586年頃にはあり、また、沼があるのが九州地方であることがわかりました。
だが、姫の死体も宝刀も浮かんではこなかった。諦め切れない武者達は鎧を脱いで沼に潜ったが、その武者達までもが一人として戻らなかったのである。以来、この沼は恐れられ、入らずの禁忌が誕生したとされている。
禁忌の由来がこのように説明されたすぐ後に、「しかし、事実は違う。この沼が実際に恐れられ始めたのは、もっと古い時代の話だった」と訳知り顔に「事実」が語られ始めます。
人類の祖先がまだネズミの一種であり、それを食らう爬虫類が地上に跋扈していた頃、地殻変動の影響で海底が隆起し、山となった。
その山に、沼は既に存在していた。
何億年も昔から、沼は有象無象を飲み込んできたのである。
「それを食らう爬虫類」というのが恐竜を指すのだとすると、恐竜が絶滅したとされているのが白亜紀(約1億4500万年前から6600万年前)の末期らしいので、それ以前から沼があっということになります。さらに、「その山に、沼は既に存在していた」と書かれており、沼ができた、とは書かれていないため、海底に沈んでいる頃から「沼」があったと考えられます。
Wikipedia - 恐竜
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%90%E7%AB%9C
ネズミが猿になり人間となり、村を作り町を築き国を作り上げる中、ただ、沼は沼として其処にあり続けた。
この沼が何であるのか。その謎を、人類はついに解くことが出来なかった。人類が死滅し、この星がただ砂と風と奇妙な獣が彷徨うだけの世界となった後も、変わらず沼は黒い闇を湛えていた。
「何億年」前に遡っていた時間が、麓の町の話の時間を追い越して人類が死滅した後にまで至りました。この後に1行空けて、以下のように続きます。
この沼から距離にして幾億光年も離れた或る人類未踏の地に、巨大な白亜の霊廟があった。
そこに眠る古代の王族の木乃伊の中に、古式の打ち刀を持った女人の木乃伊が奉られているのだが、人類がそれを知り得ることはついになかった。
また「人類」が登場しました。「この沼から距離にして幾億光年も離れた或る人類未踏の地に」と書かれているので、この「人類」は地球人を指していると考えられます。前の段落で死滅したと語った「人類」という語句をまた登場させているのは、「人類がそれを知り得ることはついになかった」という結びの文を書くためであり、麓の町の「昔話」に出てきた「宝刀を抱いてこの沼に身を投げてしまった」姫と思われるミイラが「人類未踏の地」の「古代の王族」として登場するためでもあります。
そう、いつの間にか「沼」ではなく「人類」の話になっています。始めに私は、この「沼」が主役です、と書きましたが、そもそも、この小説は以下のように始まっていたのでした。
その沼のことを知る者は少ない。
「その沼のことを知る者」とは、もちろん「人類」のことです。そして、以下のように結ばれていました。
人類がそれを知り得ることはついになかった。
この小説は、沼のことをついに知りえなかった「人類」の話だったようです。
(#8へ、つづく)