〉 ただ、euRekaさんのおっしゃる「小説の条件としての時間」というものを頭では理解できるのですが、自分の中の感覚として、もしくは実際の創作作業として、小説に取り込むという状態がどうも分からないというのがわたしの正直な感覚であります。
「定義」や「条件」というのは、客観的に、あらためて考えてみるとこうなんじゃないかという性質の事柄なので、実感として感じられるものとは少し違うのかもしれません。
例えば、われわれは「家」というものに住んだり、または外から眺めたりしますが、その「家」というものがどういう構造で出来ているかということは普段意識することはないし、詳しいところまではよく知らないという人も多いと思います。小説もそれと似ていて、普段、小説を読んだり書いたりしていても、それがどういうふうに出来ているかとか、どういう条件で書かれているのかということを意識することはあまりないでしょう。あるいは、小説を書く人の場合は、その文章を小説という形にしなければならないので多少は意識するかもしれませんが、常にそれを意識しながら書いているというわけではないと思います。
〉「小説の条件としての時間」というものがあるのは分かるのですが、「小説の条件としての時間」というものがわたしには見えないのです。
以前と同じような説明で申し訳ないのですが、私の考える「物語(小説)の条件としての時間」というのは、〈物語によって生み出された世界〉の中を流れている時間のことです。それを読んでいると、その物語世界の中で一緒に時間を過ごしているような気分になる、という感覚だと言ってもいいかもしれません。そしてその「時間」は、意識的であれ無意識的であれ、作者の創作行為によって生み出された時間です。岩西さんの場合はそれを無意識にやっているということかもしれませんし、または、そうじゃない別の何かを捉えているということかもしれません。
いずれにしても、自分なりの小説の定義や条件を考えてみてはどうでしょうか。そうすれば、自分でも納得のいく何かが見つかるかもしれません。