以前全感想を書かせてもらいましたが、再読して印象が変わりましたんで、もう一度書かせてもらいました。二回目なのでちょっと関係ない話も書いてしまいました。今から読み返すと最初の感想はかなりアホでした。これもそうかもしれませんが投稿します。今期はいろんな方の感想が読めて、個人的に楽しませてもらってます。ありがとうございます。
#1白い部屋。
「才能」という名の部屋に閉じ込められた主人公が焦ってインターホンを鳴らす話だと読んだけど、インターホンにでて返事をする男の立場になって読んでみると、彼の寂しさが伝わってくる。閉じ込めた相手がインターホンを押してくるのを壁の外側で待っているのだ。
#2硝子の虫
飛蚊症になった主人公が眼科に行く話と読んだけど、長月さんの感想をふまえて読み返してみると主人公は別に飛蚊症だけが気になっているわけではなくて、なにもかもがたまらなく不快なのだ。私が大学に入ったばかりのころ、周りにはそんな女の子がけっこうたくさんいたような気がする。見た目は普通なのに話してみると尖ってて、それでいて数年たつとハシカから全快したようにスーツに着替えて飛び回っていた。
小説的には三浦さんの指摘どおり「つまり自分は、あと半分しかないコーラを嘆く、悲劇的な方の人間である」の一文が文学的にこの主人公を象徴していると思う。
#3ビーアグッドサン
qbcさんの感想を読んでこの作品に対する新しい捉え方をみつけた。父親がペニスに、母親が右手に宿るというショックばかりが頭にあったけど、たしかに母親と父親が出会えるのは一定時間(個人差あり)だということになる。
それとは別に長月さんの感想には女性の視点があって勉強になった。男が読むと「う…ううむ」と思わず啄木のように自分の手をじっとみつめてしまうものだが、女性からすれば男性器は男にとっての女のソレがそうであるように神々しいシンボルとして読み取れうる。そうするとこの短編は下品のふりをしているだけかもしれない(そんなわけないか)。
#4忘れられた昼食
警察官がユーモアのつもりで「貴方は勝新ではない。」と言うシーンがあって、主人公は全然笑わないのだけど、読み返してみると私にはかなり可笑しい。会話に(それも取り調べ中に)たとえ話として勝新太郎を例にだしてくる警察官はそれほど嫌な奴ではないかもしれない。文中でも主人公のほうがなんだか挙動不審っぽい。クリスティの「アクロイド殺し」のような話に続いていくのかな。
#5吉右衛門と六甲おろしのおはようサンデー
長月さんの感想にすべて集約される気がする。
#6八丁林の探索は
勇太と雄太は誤字だとは思うけど、それをあえて「誤読」した三浦さんの解釈はすばらしい。勇太が友達と仲良くなれた一方、今でも「拾った枯れ枝で草木をやっつけたり、いろいろ想像をたくましくしながら茂みを歩」いている雄太、という読み方は創造的だった。こういう風に面白さをひきだす感想が書けたらいいな。
#7逢魔が時
個人的な話になるけど、昔ベンチにすわって小川を眺めていたら、じいさんが隣にやってきて「君はアメリカについてどう思うかね?」と言ってきたことがある。黙っていると、アメリカがどんなにひどいことをしてきたか説明された。再読していたら、急にそのときのことを思い出した。
#8医者と死神の微妙な関係
この作品については勝手に改作した感想を書かせてもらって、なんだか申し訳ない。調子にのってしまった。
ハンニャさんが「この灰色が青色に変わるわ」というセリフを褒めていたのが印象的だ。それまでハンニャさんのギャグがわからなかったのだけど、この一文をみつけることができる人が書くギャグなのだから、きっと私の読み方はまだ甘いのだろう、と反省した。
#9シバタ坂のデンジャーゾーン
三浦さんがSEとザビエルで組み合わせれば……と書いていたのがある意味でショックだった。「おかしいと思えない」と大上段に切り捨てる自分の感想は甘いと思うのはこういう点である。以前黒田さんに「つまらないと感想を書くのはつまらない」ということを間接的に書いて、それに対して返事をもらったまま何も返していなかったのだけど、
つまり、「つまらない」と書くのって悪いことではないけど芸がないんだね。作者にとっては「つまらない」の感想も勉強になるのかもしれないけど……本当に勉強になるのかな? むしろその「つまらなさ」を汗水たらして指摘するより、「こうしたらおもしろいんじゃない?」とさりげなく提示するほうが作者も感想者自身にも有益なやりとりになる気がする。でもなかなか自分もうまくそれができない。
#10月はただ静かに
読み返しても素晴らしいという感想は変わらない。たぶん私だけかもしれないが、この説明的なのにスラスラ読める悪文(?)のリズムがいいのだ。たとえると吉田健一のようだ。改行もせず、数ページも句読点をつけないときもある吉田健一は、本当に自分の好きなことを好きなようにしか書かなかった。誰からも読まれているわけではないけど、没30年をこっそり偲ぶ少数の読者は今も存在している。
月が花火よりきれいだったーーこれだけのことのために書かれた作品がウェブで読めたことが私は嬉しかったです。qbcさんは「古いのが好きなら昔の作家を読めばいい」ということを書いていたけど、今「かっこいい」のはすぐにでも古くなる。ツモリチサトももう古くなった。
話をもどすと黒田さんは「いつも(黒田さんに対して)評価を甘くしてくれる人」と私を評したけれども、私は黒田さんその人ではなく、ご自身も気づいていない黒田さんの才能に気づいた一人だと思っている。
それだけに、浴衣姿がみたいだけだった、しみじみ月などみない黒田でしたーモグモグ……という箇所にはその才能と乖離している実生活が伺えて、私は「惜しい!」と思ってしまいます。おせっかいなロチェスターでした。
#11パッキン
下着を残して、寝ていた布団を敷きっぱなしのまま家をでる姉、というのは女兄弟のいない私にはとても刺激が強かったです。そんなことを妹がいる友人に訊いてみたところ「じゃあ母親が下着だったら欲情するのか」と言われましたがたしかに母親だったら嫌です。でも妹だときっと違いますよね?
つい最近、トラン・アン・ユンという監督の「夏至」という映画をみて、そこでも妹と兄が二人で住んでいるんですが、妹はいつも下着姿でたえず兄貴を誘惑していました。が、兄貴はその気になってませんでした。思わず、この映画のことを思い出しました。関係なくてすいません。でもこの作品のなかで彼に別れ話を持ちかけた恋人にはきっと男兄弟はいないでしょうね。
#12三軒先の如月さん
うどんが好きな犬っていうのは、想像すると可笑しいですね。すいかも食べるんだ。
#13バドミントン
これも個人的な話になりますが、先日あるピアニストの演奏を聴いていたときに、スポットライトが強かったのか、ピアニストの影がはっきりと舞台に映っていました。指までみえる距離だったんですが、影が弾いているピアノを聴くのはいい気持ちでした。この作品の「風を相手にバドミントンしている影」が違和感なく呑みこめました。涼しくなりました。背景をかえて楽しむという三浦さんの発想も新しかったです。
#14暑寒
やっぱり今度も読もうとして読めなかったです。というのも理由があって、たぶん作者の“念”みたいなものを感じるからだと思う。私自身、あまりに辛い状況に陥ると、急に「どうしてこのカップの絵柄は鶴なんだろう?」とだまってカップを眺めていたことがあります。もちろん作者の川野さんの意図は別のところにあるのかもしれないし、最近「短編」内ではやってるメタ(?)というやつかもしれない(作者は健全であるが、かつて自分が苦しかったときの独白を思い出し、読者がそれを作者自身と読むだろうと想定して楽しみながら書いている)。
#15ガラスの瞳
いろんな方の感想を読んで、やっと話がつかめました。テディベアと犬が語るところがよかったです。
#16花の卵
「指が五本、だから五回質問しよう。君がウサギを殺したと認めない間、一本ずつこれを突き刺す。小指から始めるよ」というセリフを先生が言うところに初読のときは違和感を覚えました。けど、この作品がどういう話だったか思い出そうとするとここばかりが思い出される。さすがにこんな思いをしたことはないけど、私も嫌いな先生が多かったです。
#17彼と私の話法
いろんな方の感想を読んでると結構な確率で「この女が怖い」というのをみる。私も初読時は「こ…わい」と思った一人だけど、この女性を中年のOLというイメージで読んだからであって、もしもこれが風俗嬢がヒモに語りかけている図、と読み替えてみるとなかなか絵になるというか、なるほど、というか納得します。でも女の「けれど、今は」と「コク、と頷く彼を、今は」の部分など、やっぱり怖いかな。うーん、やはり風俗嬢ではなくて中年OLに決まりました。いつヒモを捨てるか、と迷ってるのでしょうか。
#18美術館でのすごしかた
モグラさんの感想を読んでいたら、「美術館の静けさは好きじゃないし、普段行くこともない。こんな女性とバーで飲みながら運よければお持ち帰りしてもらえたら、と思う」(うろおぼえです)ということを書いいて、それがとても的をえた感想のように思えた。
そういう点から読み直してみると、絵が好きでなさそうな主人公が女ばかりに気をひかれていって、最後にカレーパンにやられるのは見事な展開だと言える。三浦さんの「月9のドラマなら」というのもモグラさん同様、的を得ていると思いました。
#19水晶振動子
初読時は「ぶるぶるマシンに17歳の純粋青年を閉じ込め、ぶるぶるするのをみて喜ぶ」ということにしか触れていなかった。肝心なことを忘れていた気がする……というのは、あらゆる電化製品にクリスタルが使われているということからこの作品は始まっているのだ。
そんなこと知らなかった。機械のように冷酷、とかよく使うけれども、その機械の心臓にクリスタルが使われている。17歳の青年を閉じ込めて喜ぶオカマ、というのがちっとも下品にならないのは、その底辺を水晶のイメージが守っているからかもしれない。
るるるぶさんの作品はリズムと選択している固有名詞のかっこよさが魅力的だけど、それだけではない古いものの持つ新しさというのを根っこのところでとても大事に守っている人のように思えてならない。性別不明だけど、呉服屋の若旦那、あるいは深窓の令嬢がそれぞれ反抗期に入った……という印象を作品にも作家からもいつも感じる。
#20ドライブ
これもとても個人的な体験談ですが、昔ショートムービーの手伝いをしたことがあって、ひまわり畑の中で胴あげされたことがある。たくさんのひまわりの中からニュニュっと顔だけでる映像になったのだけど、本当にひまわりって人の顔に似てます。もひとつ余談だけど、昔、友人と車で旅に出たことがありました。夜中に眠る場所を探して国道から県道に入っていくんだけど、秋田あたりでまわりが本当に真っ暗になって怖かった。音楽はレディオヘッドでした。ときどき作品をきっかけに忘れていたことを思い出します。
#21カメレオン
活字を読むカメレオンという話は再読しても(よくありそうだけどそれでも)おもしろいアイデアだ、と感心します。でも読みすぎて「破裂する」のだとしたら、まだまだカメレオンの読書量はあまりにメジャーどころでありすぎる気がしました。どうせなら選択する本でこっちを圧倒してほしいです。(作者が読書家なら)書いてて楽しくなると思います。
#22オチのない話が書きたい
冒頭の作品内作品が複雑に長いのは、あれはわざとだと思います。私の初読の態度(すぐに要約し感想一行)を「お断り」する「セールス勧誘いりません」といった意味があるように思いました。私はずいぶんと、本当は優れた作品を見逃してきたのかもしれない、と悔しい思いでいっぱいです。
#23ナガレ
最後に男から彫刻刀が贈られてきて、女の足元にからまった根を切っていって女が自由になる、という超(!)大事なポイントを初読時は逃していました。あほです。
三浦さんがこれを「愛」と書いていた(たぶん)のに納得しましたが、私はルノワールの「フレンチカンカン」という映画を思い出しました。興行師の男が洗濯娘だった美女を踊り子に仕立てあげ、最後になんともあざやかに捨てるのですが、まさか「短編」の作品からルノワールを連想するとは思いませんでした。今期のわたなべさんの作品と似ている題材だと思うんですが、書き手によっていろいろ変わるところが小説のおもしろさだと思いました。
#24こわい話
三浦さんやqbcさん、モグラさんの感想を読むとこの作品は女性がしゃべっている部分だけを読むのではなく、それを聞いている相手がいて、その姿まで連想しながら読むことについて書いていて、そうすると余分だと思った最後の一文までもが生きてきます。いろんな読み方があるんですねー。
個人的な体験を書けば私も同じようなトイレの部屋に住んでいたことがありました。木造だったのが関係あるのか、なぜかスズメバチがいたことがありました。うんこをしてました。
「どうしたの?これが怖い話かですって?そうね、あなたにはわからないかもしれない。」というセリフがひっかかります。話を聞いている相手はきっとあまり苦労をしたことがない金持ちの息子で、それ故に一見大胆で「俺は恐いものなんてない。そもそも恐いってなんだ? 幽霊は科学で説明できるし金があればなんだって防ぐことができる」とか言いそうな気がします。しかしそんなところが魅力となるときもあって主人公は惹かれているのかもしれない。おそらくいつものように黙って話をきいていた主人公は相手の傲慢さにおもわず耐えきれなくなって話しはじめた気がします。(続きものらしいので)次回が楽しみです。
#25ぷらなリズム
「表現力には何の問題もない、うまい文章だと思うのに、書かれている内容に同意できない。こういうときちょっと悔しい気持ちになる。虚無や疲れや逃げるのではなく(それが何であれ)向き合っていく話がよみたい。」と、まったくあほなことを書いていました。ごめんなさい。三浦さんの感想を読んでこの話の主人公(切り落とした指が自分の分身となり、それまでゴロゴロしていた男が社会に出て行く)の続編を読みたくなったくらいです。
#26お別れのキスのことばかり考えていた
主人公の名前がマチェクとかだったら、とても見ごたえのあるポーランド映画になるだろうな、と思いました。
#27にらめっこ開始
すいません、再読時も特に感想が浮かびません。
余談ですが、読み返すたびにハンニャさんの文章から、とても入るのが難しい進学校の生徒の顔がひょっこりと浮かんできます。テストだけではなくて、頭が良すぎるため、世にあふれた文芸作品の多くがあまりに「心情吐露」に走りすぎていることに苛立っている青年、のように見えてくるのです。不思議です。ギャグだけで書かれているのにねちねちした脂っぽいものが感じられません。普通、もっとギャグだけなら粘っこいのです。