タンソさんのためにちょっとフォロー。もちろん、余計なお世話です。
この書き込みにおける長月さんの立ち位置は、やはり「書き手」側なのですね。「書き手」というのは作者に限らず、顔を出して感想を発表する人、批評家としての書き手も含みます。
長月さんにこういう風に言われても、タンソさんはやはり、読者はそんな厳密な議論を展開する必要があるのか? と疑問に思っているのではないでしょうか。水掛け論というのは、そういう意味ではありませんか。
長月さんに対して、タンソさんの立ち位置は、いわば読者の声は神の声って感じだと思うんですよ。「読者」はさしたる努力を求められず、しかしその言い分は無条件に受け入れられるという(表現にどうも棘が混じりますが)しかし私はこれも決して否定しません。そういう読者もテクストには存在しうる。
で、長月さんは知らず知らずタンソさんを「書き手」側の人間として話しているんですけれども、これは愛情であり信頼です(気持ち悪いことを言うなと叱られそうですが)
勝ち負けから言えば、こういう「読者」と「書き手」がまともに対話すればですね、読者がかなうわけがないんです。「読者」は黙る他ない、となって、タンソさんがこの対話の最初の頃に言われた疎外感を味わうことになるわけですね。
でもそれでいいのかな、と私は思っているのです。ここには永住できないと再三タンソさんは言いつつ、きっと離れては行かれまいと私はひそかに信じているのですが、やっぱりタンソさんの発言も意味がないわけじゃない。
このたびいくつかの作品について言及されたことについては、皆さん何ごとかを感じ、考える所があったろうと思います。私もその一人です。
そして、さらに得られた反応によって、タンソさんも何か学ぶ所があるに違いないと思うのです。そうして「読者」から「書き手」に成長していっていただきたい、なんて言い方をしますと偉そうですが、当然私もその途上にあるんでして、芸術の道には限りがない。
話が散らかってきましたけども、タンソさんも寄稿されているからは、物書きとして進歩したい、という思いがありますよね。であれば自分を「読者」として低く限定してはいけません。
長月さんが詰問しているように見えるかも知れませんが(私だけだったら困るのですが)、そういうことを言ってらっしゃるのだと、私は思います。決して凹まそうとしてるのではない(……そうですよね?)
そして私の個人的な感想ですが、やはりね、作者に面と向かって「作品は分かりやすい分野に入ります」なんて言っちゃいけない(笑)タンソさんは褒めたつもりかも知れないけれども、考えてみれば、友人や恋人に向かってでも、あなた分かりやすい人だねなんて言ったらそりゃ気を悪くされるでしょう。
実は私も長月さんの作品はある意味「分かりやすい」という気はしてるんですよ。るる氏などに比べてみればそうですよね。だからタンソさんの意見も一部同意です。ではどんな風に批評したら受け入れられたのか? それを考えていただきたい。(受け入れられる必要はない、という答も当然ありでしょう。すべては自由なのです)
繰り返しますがこれは私の感じ方で、そういう発言を頭から否定するわけではないです。ただ、創作の仕事の上で、人の気持ちを察しながら言葉を操る力は不可欠です。そしてその経験値を積むために、掲示板での議論・対話はたいへん有効であると、私は自分の経験から言いたい。物書きなんてものは引きこもりの傾向があるもので、私なんか、ネットがなかったら本当に成長できなかったですよ。