感想に感想をつける流れだったのか!
〉> 昔見た風景を探しに島に来た。
〉「島に」はいらないんじゃないでしょうか。そのあとに「遠いこの島に」とあるので。
これは「後段で出てくる / 出てこない」という切口もあるとおもうのですが、それよりも読者へあたえる影響ベースで考えるほうがよいのではないでしょうか。
A)「昔見た風景を探しに島に来た。」の場合
*相変わらず主語がないのは日本語くさいですが、何を何処にというのが明確で文意はわかりやすいです。きれあじのある導入。
B)「昔見た風景を探しに来た。」の場合
*【何処に】がないので漠然としたかんじがあります。もやっとした情緒的な導入。
この話全体から逆算すると、この話は「丘から丘へ」という不可解な行動を現実ベースで描きだすことによって前進するという行動にまつわる不安を象徴している。基調を現実においているのだからゆえに調和を重んじて情緒的な文章は排除するべき。
冒頭が妙に情緒的であってはならない。つまりここは推敲するべきではない。A)で良いとおもいます。
///また、後段での「島に」の文言も一文をはさんでいて、二文には距離がありますし。
〉>遠いこの島に行こうと僕はいろいろ頑張ったのだが、失敗して死にかけた。
〉「行こうと」はもう来ているわけなので「来ようと」のほうがいいんじゃないでしょうか。「死にかけた」とただ書いてあるだけというのはどうかなと思いました。嵐にあったとか、そういう具体例を挙げたほうがイメージしやすいように思います。
「行こうと」を「来ようと」は賛成です。「行こうと」は行く過程の前段階のように読めますが、「来ようと」は向かっている最中という進行形に重みがある。
「死にかけた」も読者へあたえる影響ベースで考えるところだとおもいます。【具体例を挙げてイメージ】は基礎知識的で守るべきもので守ることも必要ですがそれを自分で考えて破ることも守ることの次のステップとしてあるものだとおもいます。
「失敗」という簡明だがひろく意味の解釈できる抽象的な二字熟語を使ったあたり、作者の意図はイメージをだして具体を読者に感じさせることではなかったとおもいます。象徴をえぐりうきぼらせる必要のためにはっきりとはしない「死にかけた」を使用した。
///言葉としては抽象的だが文意としては明瞭で、「昔見た風景を探しに来た。」のような情緒からはきよめられている。
〉>気がつくと布団の中にいた。起きたかい、と知らないじいさんが言った。ここは何処、と尋ねるとじいさんは、島だ、と答えた。アンタは「百舌鳥の丘」に打ち上げられていたんだ、とじいさんは教えてくれた。僕は偶然島に上陸できたのだった。
〉ここは地の文じゃなくてセリフのやり取りのほうがよくないですかね。で、セリフの合間に補足を入れるだとか。ただ、全部地の文にしてあるみたいなので、そういうやり方もあるよというくらいの認識で。
どうして匿名6さんが「セリフ」の必要があると指摘したのかしめしてほしいところです。
私も会話で処理するべきだとおもいました。理由は、会話がないと全体に重くなる、作者の脳内イベントの印象が強くなる、です。
///単純に会話が苦手だったからこういう処理になったのかもしれないですが。
〉>じいさんは僕が探している場所は「禊の丘」かもしれないと言った。行きたいと言うと、じいさんは近所の少年を呼んで僕を案内するよう言いつけた。
ここは特に意図するところがなければ言い換えるべきところですね。安易な文章は読者に作者の能力への不信をいだかせつまるところ話全体に対する信用をうしなわせてしまう。
〉細かいところですが、「言った」「言うと」「言いつけた」など、言葉が被るのは、避けないよりかは避けたほうがいいと思います。
〉>だが彼は原付だった。ついて行くのが大変だった。
〉ここは二文にする必要がなく、「だが彼は原付で、ついて行くのが大変だった。」などでいいと思います。
ここもどうして匿名6さんが複文を推すのか理由をしめしてほしいところです。
私はこのブロック全体の文章が気に喰わないのでどちらでも良いです。
私ならば、
【少年は僕に自転車を貸した。少年は原動機付自転車で先行した。島には「〜の丘」となづけられたゆるいふくらみが多数あった。多数の坂が僕の前にたちあらわれる。少年の追尾にくるしんだ。】
にします。理由はながくなるのでパスします。すみません。
〉>その奥は海と沈む太陽。太陽のすぐ上はもう夜だった。
〉好みかなという気もしますが、「その奥に海と沈む太陽、すぐ上がもう夜だった。」辺りのほうが、音が流れやすいというか、自然?
私は「太陽のすぐ上はもう夜」の意味がわかりません。ものすごいばかですが、太陽がしずむ瞬間てどういうビジュアルになるのかしらないです。したがいましてここはどうして良いかわかりません。
〉> 「マグダの丘」近くで霧の出ている時に車を運転していると、飛び出してきたカップルや老婆をはねてしまう。しまったと思って車を止めて見ると、向こうにはねとばされたカップルや老婆は、ゆっくり立ち上がって平気で歩いていってしまう。よく聞く話だ。
〉「〜しまう。」の被りも避けたほうがいいんじゃないでしょうか。「〜しまう。」というのはあまり使わないので目立つように思います。それほど囚われる必要もないですが。「よく聞く話だ。」は次の段に入れるのがベターじゃないでしょうか。
「しまう」連用のあたりは賛成ですね。
「よく聞く話だ。」を強調するのであれば、
【よく聞く話だ。〜〜。ほんとうによく聞く話だ。】
みたいなのでも良いのかなと。ここだけ挿話なので、ベタな繰り返し表現でその違和感を強調。
〉> 行こうか、と少年が言った。嫌だなと思った。
〉迷いどころですが、「嫌だなと思った。」と書くよりも、嫌悪を示す「僕」の表情なり仕草なり、あるいはそういう風景なりで伝えたほうがいいと思います。
ここは私もむずかしいですね。
原文の僕の脳内帰結もひとつの方法ではありますが、風景、仕草もありえる。ベストはそのどれでもない方法だとはかんじますが。
〉感想に感想をつける流れだったのか!
そうだったんですか? こんにちは、匿名8ですが匿名6です。
〉この話全体から逆算すると、この話は「丘から丘へ」という不可解な行動を現実ベースで描きだすことによって前進するという行動にまつわる不安を象徴している。基調を現実においているのだからゆえに調和を重んじて情緒的な文章は排除するべき。
匿名7さんはおそらく「象徴」というもの高い位置に置かれているのだと思います。ただ私それほど意識していないので、その違いというものがあるのかもしれません。
〉冒頭が妙に情緒的であってはならない。つまりここは推敲するべきではない。A)で良いとおもいます。
〉///また、後段での「島に」の文言も一文をはさんでいて、二文には距離がありますし。
「島に」と最初に書いてしまうと親切すぎるのではないかと思いました。ある程度不親切なほうが読者の興味をひけるのではないか、という考えのもとでの発言です。
〉「死にかけた」も読者へあたえる影響ベースで考えるところだとおもいます。【具体例を挙げてイメージ】は基礎知識的で守るべきもので守ることも必要ですがそれを自分で考えて破ることも守ることの次のステップとしてあるものだとおもいます。
これも似たような理由になると思います。「象徴」というものあまり意識していませんので、ただ単に「死にかけた」と書いてあること対して、少し興味が薄れました。「死にかけた」にまた別の物語をもとめたのかもしれません。
〉「失敗」という簡明だがひろく意味の解釈できる抽象的な二字熟語を使ったあたり、作者の意図はイメージをだして具体を読者に感じさせることではなかったとおもいます。象徴をえぐりうきぼらせる必要のためにはっきりとはしない「死にかけた」を使用した。
〉///言葉としては抽象的だが文意としては明瞭で、「昔見た風景を探しに来た。」のような情緒からはきよめられている。
〉どうして匿名6さんが「セリフ」の必要があると指摘したのかしめしてほしいところです。
これに対しては「自分ならそうするから」という返答しかできないのですが、「作者の脳内イベントの印象が強くなる」からじゃないでしょうか(パクりやがった)。
〉〉>だが彼は原付だった。ついて行くのが大変だった。
〉〉ここは二文にする必要がなく、「だが彼は原付で、ついて行くのが大変だった。」などでいいと思います。
〉ここもどうして匿名6さんが複文を推すのか理由をしめしてほしいところです。
> 少年が自転車を貸してくれた。だが彼は原付だった。ついて行くのが大変だった。
この三文の長さが大体同じこと、「〜だった。」が二つ重なることが理由です。リズム・テンポが同じだとだれると思っているようですよ。
〉私は「太陽のすぐ上はもう夜」の意味がわかりません。ものすごいばかですが、太陽がしずむ瞬間てどういうビジュアルになるのかしらないです。したがいましてここはどうして良いかわかりません。
ああ、確かにそうかもです。すいません。今顔が熱いです。というか暑いです。
〉「よく聞く話だ。」を強調するのであれば、
そうですね、そのほうがいいと思います。「挿話」の処理の仕方に引っかかっていました。
〉【よく聞く話だ。〜〜。ほんとうによく聞く話だ。】
〉みたいなのでも良いのかなと。ここだけ挿話なので、ベタな繰り返し表現でその違和感を強調。
〉〉> 行こうか、と少年が言った。嫌だなと思った。
「嫌だなと思った。」でもいいとは思ったんですが、何か違和感があって。どうなんでしょうね。
〉〉迷いどころですが、「嫌だなと思った。」と書くよりも、嫌悪を示す「僕」の表情なり仕草なり、あるいはそういう風景なりで伝えたほうがいいと思います。
〉
〉ここは私もむずかしいですね。
〉原文の僕の脳内帰結もひとつの方法ではありますが、風景、仕草もありえる。ベストはそのどれでもない方法だとはかんじますが。
それから誤解されると嫌なので書いておきますが、『島』は悪くない作品だと思っていますよ。
〉〉> 昔見た風景を探しに島に来た。
〉〉「島に」はいらないんじゃないでしょうか。そのあとに「遠いこの島に」とあるので。
この一文は、「に」の連用による違和感があると思うので
「昔見た風景を探しに島へ来た」
とすれば何も小難しいこと考えなくて済むと思いました。
「島へ来た」と書いておいてその後「この島に」という文がくるからその「島」というものの特別感が出るのではないでしょうか。
〉〉>その奥は海と沈む太陽。太陽のすぐ上はもう夜だった。
〉〉好みかなという気もしますが、「その奥に海と沈む太陽、すぐ上がもう夜だった。」辺りのほうが、音が流れやすいというか、自然?
〉
〉私は「太陽のすぐ上はもう夜」の意味がわかりません。ものすごいばかですが、太陽がしずむ瞬間てどういうビジュアルになるのかしらないです。したがいましてここはどうして良いかわかりません。
こういう風景を(わらさんはそうだと思わないかもしれないけど)見たことのある身として言ってみれば
「その奥は海と沈む太陽。太陽のすぐ上はもう夜だった」
「その奥に海と沈む太陽、すぐ上がもう夜だった」
では、読者として受ける印象が違いました。
最初の文では、(勝手な解釈ですが)太陽が海に沈みきり、その太陽の上の部分の空の色がすでに、夕暮れ特有の茜ではなくてもう夜に近い群青色を帯びているような空。
一方二つ目では
海に沈む太陽、まだ沈んでいない、ギリギリで水平線に触れるか触れないかあるいは半分沈んでいるか。そして主人公の上はすでに夜の空に近い色をしている。
という風に読みました。
いずれにしても今期のわらさんの作品はかなり荒削りで、駆け足の印象があります。もう少し一文一文を丁寧に仕上げてもらわないと、まだ作品が完成しきっていないんだけど、性急に語りたがっているというイメージだけが残ります。
こんにちわ匿名11です。
〉匿名7さんはおそらく「象徴」というもの高い位置に置かれているのだと思います。ただ私それほど意識していないので、その違いというものがあるのかもしれません。
まず私のたいがいの読み方が作者寄りなのかもしれないですね。作者の意図から逆算して描写の妥当性をしめそうとしている。
〉「島に」と最初に書いてしまうと親切すぎるのではないかと思いました。ある程度不親切なほうが読者の興味をひけるのではないか、という考えのもとでの発言です。
「親切 / 不親切」で云うと、「丘から丘へ」という骨子が不親切かと感じますので、表皮の文言レベルでは親切にしたほうが良いだろうという判断です。
〉これも似たような理由になると思います。「象徴」というものをあまり意識していませんので、ただ単に「死にかけた」と書いてあること対して、少し興味が薄れました。「死にかけた」にまた別の物語をもとめたのかもしれません。
なるほどですね。「死にかけた」に別の展開をもとめたくなるのは分からないではないです。途中経過を知りたくなるきもち。もうすこしだけ、説明を追加してやればいいのかもしれません。
〉> 少年が自転車を貸してくれた。だが彼は原付だった。ついて行くのが大変だった。
「リズム・テンポが同じだとだれる」は同意です。
〉この三文の長さが大体同じこと、「〜だった。」が二つ重なることが理由です。リズム・テンポが同じだとだれると思っているようですよ。
///私は「〜だった。」を重ねたとしてもだれさせずに文を積み重ねたりしますが。
〉「嫌だなと思った。」でもいいとは思ったんですが、何か違和感があって。どうなんでしょうね。
ここはもっと作者が「ひねんらんかい」というところだとおもいます。
私は、「島」は、素材感はあるんですがもうちょっと作りこみをというところだとおもってます。
以上。
〉〉感想に感想をつける流れだったのか!
〉そうだったんですか? こんにちは、匿名8ですが匿名6です。
〉
〉〉この話全体から逆算すると、この話は「丘から丘へ」という不可解な行動を現実ベースで描きだすことによって前進するという行動にまつわる不安を象徴している。基調を現実においているのだからゆえに調和を重んじて情緒的な文章は排除するべき。
〉〉冒頭が妙に情緒的であってはならない。つまりここは推敲するべきではない。A)で良いとおもいます。
〉〉///また、後段での「島に」の文言も一文をはさんでいて、二文には距離がありますし。
〉匿名7さんはおそらく「象徴」というもの高い位置に置かれているのだと思います。ただ私それほど意識していないので、その違いというものがあるのかもしれません。
〉「島に」と最初に書いてしまうと親切すぎるのではないかと思いました。ある程度不親切なほうが読者の興味をひけるのではないか、という考えのもとでの発言です。
〉
〉〉「死にかけた」も読者へあたえる影響ベースで考えるところだとおもいます。【具体例を挙げてイメージ】は基礎知識的で守るべきもので守ることも必要ですがそれを自分で考えて破ることも守ることの次のステップとしてあるものだとおもいます。
〉〉「失敗」という簡明だがひろく意味の解釈できる抽象的な二字熟語を使ったあたり、作者の意図はイメージをだして具体を読者に感じさせることではなかったとおもいます。象徴をえぐりうきぼらせる必要のためにはっきりとはしない「死にかけた」を使用した。
〉〉///言葉としては抽象的だが文意としては明瞭で、「昔見た風景を探しに来た。」のような情緒からはきよめられている。
〉これも似たような理由になると思います。「象徴」というものあまり意識していませんので、ただ単に「死にかけた」と書いてあること対して、少し興味が薄れました。「死にかけた」にまた別の物語をもとめたのかもしれません。
〉
〉
〉〉どうして匿名6さんが「セリフ」の必要があると指摘したのかしめしてほしいところです。
〉これに対しては「自分ならそうするから」という返答しかできないのですが、「作者の脳内イベントの印象が強くなる」からじゃないでしょうか(パクりやがった)。
〉
〉〉〉>だが彼は原付だった。ついて行くのが大変だった。
〉〉〉ここは二文にする必要がなく、「だが彼は原付で、ついて行くのが大変だった。」などでいいと思います。
〉
〉〉ここもどうして匿名6さんが複文を推すのか理由をしめしてほしいところです。
〉
〉> 少年が自転車を貸してくれた。だが彼は原付だった。ついて行くのが大変だった。
〉この三文の長さが大体同じこと、「〜だった。」が二つ重なることが理由です。リズム・テンポが同じだとだれると思っているようですよ。
〉
〉〉私は「太陽のすぐ上はもう夜」の意味がわかりません。ものすごいばかですが、太陽がしずむ瞬間てどういうビジュアルになるのかしらないです。したがいましてここはどうして良いかわかりません。
〉ああ、確かにそうかもです。すいません。今顔が熱いです。というか暑いです。
〉
〉〉「よく聞く話だ。」を強調するのであれば、
〉〉【よく聞く話だ。〜〜。ほんとうによく聞く話だ。】
〉〉みたいなのでも良いのかなと。ここだけ挿話なので、ベタな繰り返し表現でその違和感を強調。
〉そうですね、そのほうがいいと思います。「挿話」の処理の仕方に引っかかっていました。
〉
〉〉〉> 行こうか、と少年が言った。嫌だなと思った。
〉〉〉迷いどころですが、「嫌だなと思った。」と書くよりも、嫌悪を示す「僕」の表情なり仕草なり、あるいはそういう風景なりで伝えたほうがいいと思います。
〉〉
〉〉ここは私もむずかしいですね。
〉〉原文の僕の脳内帰結もひとつの方法ではありますが、風景、仕草もありえる。ベストはそのどれでもない方法だとはかんじますが。
〉「嫌だなと思った。」でもいいとは思ったんですが、何か違和感があって。どうなんでしょうね。
〉
〉それから誤解されると嫌なので書いておきますが、『島』は悪くない作品だと思っていますよ。
〉〉〉> 昔見た風景を探しに島に来た。
〉〉〉「島に」はいらないんじゃないでしょうか。そのあとに「遠いこの島に」とあるので。
〉この一文は、「に」の連用による違和感があると思うので
〉「昔見た風景を探しに島へ来た」
〉とすれば何も小難しいこと考えなくて済むと思いました。
〉「島へ来た」と書いておいてその後「この島に」という文がくるからその「島」というものの特別感が出るのではないでしょうか。
A)「昔見た風景を探しに島へ来た。」(長月さん案
B)「昔見た風景を探しに来た。」(匿名6さん案
C)「昔見た風景を探しに島に来た。」(原文、匿名12プッシュでもある
と3案でたわけですが、私は「に」の連用はあまりきになりませんでした。逆に「へ」を使うと私にとってはなんだか開放的すぎる音感があるんですよね。
やはりC)の原文が良いと思います。
///「島」は特別である必要はないと考えます。ごくありふれた数あるうちのひとつの島。人生のメタファとしての島なので。
〉こういう風景を(わらさんはそうだと思わないかもしれないけど)見たことのある身として言ってみれば
〉
〉「その奥は海と沈む太陽。太陽のすぐ上はもう夜だった」
〉「その奥に海と沈む太陽、すぐ上がもう夜だった」
〉
〉では、読者として受ける印象が違いました。
〉最初の文では、(勝手な解釈ですが)太陽が海に沈みきり、その太陽の上の部分の空の色がすでに、夕暮れ特有の茜ではなくてもう夜に近い群青色を帯びているような空。
〉
〉一方二つ目では
〉海に沈む太陽、まだ沈んでいない、ギリギリで水平線に触れるか触れないかあるいは半分沈んでいるか。そして主人公の上はすでに夜の空に近い色をしている。
〉
〉という風に読みました。
これを見て雰囲気だけわかりました。
http://www17.ocn.ne.jp/~chaovega/050614ani.html
〉〉〉〉> 昔見た風景を探しに島に来た。
〉〉〉〉「島に」はいらないんじゃないでしょうか。そのあとに「遠いこの島に」とあるので。
〉〉この一文は、「に」の連用による違和感があると思うので
〉〉「昔見た風景を探しに島へ来た」
〉〉とすれば何も小難しいこと考えなくて済むと思いました。
〉〉「島へ来た」と書いておいてその後「この島に」という文がくるからその「島」というものの特別感が出るのではないでしょうか。
〉
〉A)「昔見た風景を探しに島へ来た。」(長月さん案
〉B)「昔見た風景を探しに来た。」(匿名6さん案
〉C)「昔見た風景を探しに島に来た。」(原文、匿名12プッシュでもある
〉と3案でたわけですが、私は「に」の連用はあまりきになりませんでした。逆に「へ」を使うと私にとってはなんだか開放的すぎる音感があるんですよね。
〉やはりC)の原文が良いと思います。
〉
〉///「島」は特別である必要はないと考えます。ごくありふれた数あるうちのひとつの島。人生のメタファとしての島なので。
「来た」だから「に」の方がいいのかもしれません。
「行く」なら「へ」がいいとは思います。
とすると時系列が平坦な方が最初の段落はすっきりするのか?等、新しい疑問が湧きますね。
タイトルが「島」ですから、ただの読者としては「島」を特別に注視し、どんな島なのか、主人公は何をしようとしているのかという点に注目するのは当然かと思います。島が人生の隠喩だから、それよりもそこに起きる事象から小説の本質を読み取るべきと、匿名12さんはおっしゃっているのでしょうか。読み手としては、数ある多くの島を特別に考えるというよりはむしろ、この小説に出てきた「この島」を、特別に思うわけです。「広い意味で隠喩としての島」ではなく、「この島」を「人生」の隠喩、すなわち特別、と捉えて読みました。この辺が、匿名12さんの読み方とすれ違っているなと思う点でした。
ところで、この作品の魅力ですが、「死にかけた」として「死んでない」とも「死んでいる」と書いていないところが含みがあって好きです。
死んでるかもしれないという点が面白かったです。だから、
「嫌だな」と思った。
この一文がとても印象に残りました。死んでるかもしれないから。
〉〉こういう風景を(わらさんはそうだと思わないかもしれないけど)見たことのある身として言ってみれば
〉〉
〉〉「その奥は海と沈む太陽。太陽のすぐ上はもう夜だった」
〉〉「その奥に海と沈む太陽、すぐ上がもう夜だった」
〉〉
〉〉では、読者として受ける印象が違いました。
〉〉最初の文では、(勝手な解釈ですが)太陽が海に沈みきり、その太陽の上の部分の空の色がすでに、夕暮れ特有の茜ではなくてもう夜に近い群青色を帯びているような空。
〉〉
〉〉一方二つ目では
〉〉海に沈む太陽、まだ沈んでいない、ギリギリで水平線に触れるか触れないかあるいは半分沈んでいるか。そして主人公の上はすでに夜の空に近い色をしている。
〉〉
〉〉という風に読みました。
〉
〉これを見て雰囲気だけわかりました。
〉http://www17.ocn.ne.jp/~chaovega/050614ani.html
〉
この動画はどうしてもっと周りの風景を入れてくれないんだろうと思いました。
http://www.ac.cyberhome.ne.jp/~yoshiito/madagascar/sunset.html
この三枚目がイメージされる、原文の夕日。
上二枚が、「その奥に海と沈む太陽、すぐ上がもう夜だった」。
あくまで読者の勝手な解釈です。
〉 「来た」だから「に」の方がいいのかもしれません。
上記の理由に賛成です。
〉 「行く」なら「へ」がいいとは思います。
「行く」と「来る」の研究者ではないのであくまで感覚値ですけれども、「行く」は過ぎ去る、「来る」は迎え入れるというところで、このセレクトでOKと考えます。
〉 とすると時系列が平坦な方が最初の段落はすっきりするのか?等、新しい疑問が湧きますね。
これはどういう意味ですか?
〉 タイトルが「島」ですから、ただの読者としては「島」を特別に注視し、どんな島なのか、主人公は何をしようとしているのかという点に注目するのは当然かと思います。島が人生の隠喩だから、それよりもそこに起きる事象から小説の本質を読み取るべきと、匿名12さんはおっしゃっているのでしょうか。読み手としては、数ある多くの島を特別に考えるというよりはむしろ、この小説に出てきた「この島」を、特別に思うわけです。「広い意味で隠喩としての島」ではなく、「この島」を「人生」の隠喩、すなわち特別、と捉えて読みました。この辺が、匿名12さんの読み方とすれ違っているなと思う点でした。
おそらく、
A)「島」は人生の隠喩なのだから読者にとって特別でなければならない(あなたの読み方
B)「島」は人生の隠喩なのだから読者にとってありふれたものでなければならない(私の読み方
で、人生の隠喩なのだから、という前提までは一致しているというところでしょうか。
私は、あまり「島」を強調しすぎる=個性を出しすぎると、作者自身の人生が強調される結果になってしまい、読者がはいりこみにくくなるのではないのかなと感じました。私にとって島は「いわゆる一般的な人生」の暗喩であって、「作者固有の人生」の暗喩ではない。
///極端に言うと私小説っぽくされたらつまらないということだと思います。
〉http://www.ac.cyberhome.ne.jp/~yoshiito/madagascar/sunset.html
〉この三枚目がイメージされる、原文の夕日。
〉上二枚が、「その奥に海と沈む太陽、すぐ上がもう夜だった」。
〉あくまで読者の勝手な解釈です。
これでイメージがよく分かりました。ありがとうございます。
わりと抒情的なイメージだなと感じました。風景になにを感じるかは人それぞれでむずかしいところですが。
以上。
〉〉〉〉〉> 昔見た風景を探しに島に来た。
〉〉〉〉〉「島に」はいらないんじゃないでしょうか。そのあとに「遠いこの島に」とあるので。
〉〉〉この一文は、「に」の連用による違和感があると思うので
〉〉〉「昔見た風景を探しに島へ来た」
〉〉〉とすれば何も小難しいこと考えなくて済むと思いました。
〉〉〉「島へ来た」と書いておいてその後「この島に」という文がくるからその「島」というものの特別感が出るのではないでしょうか。
〉〉
〉〉A)「昔見た風景を探しに島へ来た。」(長月さん案
〉〉B)「昔見た風景を探しに来た。」(匿名6さん案
〉〉C)「昔見た風景を探しに島に来た。」(原文、匿名12プッシュでもある
〉〉と3案でたわけですが、私は「に」の連用はあまりきになりませんでした。逆に「へ」を使うと私にとってはなんだか開放的すぎる音感があるんですよね。
〉〉やはりC)の原文が良いと思います。
〉〉
〉〉///「島」は特別である必要はないと考えます。ごくありふれた数あるうちのひとつの島。人生のメタファとしての島なので。
〉
〉
〉 「来た」だから「に」の方がいいのかもしれません。
〉 「行く」なら「へ」がいいとは思います。
〉 とすると時系列が平坦な方が最初の段落はすっきりするのか?等、新しい疑問が湧きますね。
〉 タイトルが「島」ですから、ただの読者としては「島」を特別に注視し、どんな島なのか、主人公は何をしようとしているのかという点に注目するのは当然かと思います。島が人生の隠喩だから、それよりもそこに起きる事象から小説の本質を読み取るべきと、匿名12さんはおっしゃっているのでしょうか。読み手としては、数ある多くの島を特別に考えるというよりはむしろ、この小説に出てきた「この島」を、特別に思うわけです。「広い意味で隠喩としての島」ではなく、「この島」を「人生」の隠喩、すなわち特別、と捉えて読みました。この辺が、匿名12さんの読み方とすれ違っているなと思う点でした。
〉
〉 ところで、この作品の魅力ですが、「死にかけた」として「死んでない」とも「死んでいる」と書いていないところが含みがあって好きです。
〉 死んでるかもしれないという点が面白かったです。だから、
〉
〉「嫌だな」と思った。
〉
〉 この一文がとても印象に残りました。死んでるかもしれないから。
〉
〉〉〉こういう風景を(わらさんはそうだと思わないかもしれないけど)見たことのある身として言ってみれば
〉〉〉
〉〉〉「その奥は海と沈む太陽。太陽のすぐ上はもう夜だった」
〉〉〉「その奥に海と沈む太陽、すぐ上がもう夜だった」
〉〉〉
〉〉〉では、読者として受ける印象が違いました。
〉〉〉最初の文では、(勝手な解釈ですが)太陽が海に沈みきり、その太陽の上の部分の空の色がすでに、夕暮れ特有の茜ではなくてもう夜に近い群青色を帯びているような空。
〉〉〉
〉〉〉一方二つ目では
〉〉〉海に沈む太陽、まだ沈んでいない、ギリギリで水平線に触れるか触れないかあるいは半分沈んでいるか。そして主人公の上はすでに夜の空に近い色をしている。
〉〉〉
〉〉〉という風に読みました。
〉〉
〉〉これを見て雰囲気だけわかりました。
〉〉http://www17.ocn.ne.jp/~chaovega/050614ani.html
〉〉
〉
〉この動画はどうしてもっと周りの風景を入れてくれないんだろうと思いました。
〉http://www.ac.cyberhome.ne.jp/~yoshiito/madagascar/sunset.html
〉この三枚目がイメージされる、原文の夕日。
〉上二枚が、「その奥に海と沈む太陽、すぐ上がもう夜だった」。
〉あくまで読者の勝手な解釈です。
〉〉 とすると時系列が平坦な方が最初の段落はすっきりするのか?等、新しい疑問が湧きますね。
〉これはどういう意味ですか?
最初の段落は、結局助かって布団の中にいる状態から冒頭の説明をしているので、これを布団の中から振り返るという方法を用いずに、時系列ごと、
昔見た風景を探しに島へ行く→いろいろとがんばる→死にかける
という文章の流れがいいのではないかと思ったからです。
〉〉 タイトルが「島」ですから、ただの読者としては「島」を特別に注視し、どんな島なのか、主人公は何をしようとしているのかという点に注目するのは当然かと思います。島が人生の隠喩だから、それよりもそこに起きる事象から小説の本質を読み取るべきと、匿名12さんはおっしゃっているのでしょうか。読み手としては、数ある多くの島を特別に考えるというよりはむしろ、この小説に出てきた「この島」を、特別に思うわけです。「広い意味で隠喩としての島」ではなく、「この島」を「人生」の隠喩、すなわち特別、と捉えて読みました。この辺が、匿名12さんの読み方とすれ違っているなと思う点でした。
〉
〉おそらく、
〉A)「島」は人生の隠喩なのだから読者にとって特別でなければならない(あなたの読み方
〉B)「島」は人生の隠喩なのだから読者にとってありふれたものでなければならない(私の読み方
〉で、人生の隠喩なのだから、という前提までは一致しているというところでしょうか。
〉私は、あまり「島」を強調しすぎる=個性を出しすぎると、作者自身の人生が強調される結果になってしまい、読者がはいりこみにくくなるのではないのかなと感じました。私にとって島は「いわゆる一般的な人生」の暗喩であって、「作者固有の人生」の暗喩ではない。
〉///極端に言うと私小説っぽくされたらつまらないということだと思います。
「短編」において、るるるぶさんや三浦さんの文章に魅力を感じる当方としては、個性的な個人的な感覚を求めるきらいがあるかもしれません。
いずれにしても人生を隠喩することに作品のテーマを選んだと思われる今期の作品を読んで、それは井戸でもいいし壁でもいいし、地下でもいいわけです。それをあえて作者が島を選んだと読んだので、そこを覗き見る側としては特別に思うというわけです。要は、楽しみ方の違いがあるのかもしれません。もしくは作品に幅がありすぎる。作者の立ち居地がぶれすぎている。
写真については少し、ロマンチックすぎでしょうか。
〉 最初の段落は、結局助かって布団の中にいる状態から冒頭の説明をしているので、これを布団の中から振り返るという方法を用いずに、時系列ごと、
〉
〉 昔見た風景を探しに島へ行く→いろいろとがんばる→死にかける
〉
〉 という文章の流れがいいのではないかと思ったからです。
なるほど。
私もその時系列順のほうがすなおで良いとおもいます。
〉 「短編」において、るるるぶさんや三浦さんの文章に魅力を感じる当方としては、個性的な個人的な感覚を求めるきらいがあるかもしれません。
〉 いずれにしても人生を隠喩することに作品のテーマを選んだと思われる今期の作品を読んで、それは井戸でもいいし壁でもいいし、地下でもいいわけです。それをあえて作者が島を選んだと読んだので、そこを覗き見る側としては特別に思うというわけです。要は、楽しみ方の違いがあるのかもしれません。もしくは作品に幅がありすぎる。作者の立ち居地がぶれすぎている。
私の場合は、人生の隠喩のしつらいとして「島」をえらんだ時点でそこまで期待はしなかったです。「工場」をえらんで世相を皮肉ったりとか、「花畑」をえらんで過度な装飾とかすれば、注目したのですが。そこで「島」をえらんだのだから、いっそ一般的なところにおもいきりふって記述すればという発想です。
・おもいきり一般的
・個性の追求
で、しぼりこみをすれば、というあたりでは同意見かもしれませんね。
〉 写真については少し、ロマンチックすぎでしょうか。
叙情をみちびかれる写真ではありますが、小説原文での簡素な表現だと、この風景を想起してもしかたないとおもいます。たまたま私はこの風景がとっさにおもいうかばなかっただけで。
以上。
〉
〉〉〉 とすると時系列が平坦な方が最初の段落はすっきりするのか?等、新しい疑問が湧きますね。
〉〉これはどういう意味ですか?
〉
〉 最初の段落は、結局助かって布団の中にいる状態から冒頭の説明をしているので、これを布団の中から振り返るという方法を用いずに、時系列ごと、
〉
〉 昔見た風景を探しに島へ行く→いろいろとがんばる→死にかける
〉
〉 という文章の流れがいいのではないかと思ったからです。
〉
〉〉〉 タイトルが「島」ですから、ただの読者としては「島」を特別に注視し、どんな島なのか、主人公は何をしようとしているのかという点に注目するのは当然かと思います。島が人生の隠喩だから、それよりもそこに起きる事象から小説の本質を読み取るべきと、匿名12さんはおっしゃっているのでしょうか。読み手としては、数ある多くの島を特別に考えるというよりはむしろ、この小説に出てきた「この島」を、特別に思うわけです。「広い意味で隠喩としての島」ではなく、「この島」を「人生」の隠喩、すなわち特別、と捉えて読みました。この辺が、匿名12さんの読み方とすれ違っているなと思う点でした。
〉〉
〉〉おそらく、
〉〉A)「島」は人生の隠喩なのだから読者にとって特別でなければならない(あなたの読み方
〉〉B)「島」は人生の隠喩なのだから読者にとってありふれたものでなければならない(私の読み方
〉〉で、人生の隠喩なのだから、という前提までは一致しているというところでしょうか。
〉〉私は、あまり「島」を強調しすぎる=個性を出しすぎると、作者自身の人生が強調される結果になってしまい、読者がはいりこみにくくなるのではないのかなと感じました。私にとって島は「いわゆる一般的な人生」の暗喩であって、「作者固有の人生」の暗喩ではない。
〉〉///極端に言うと私小説っぽくされたらつまらないということだと思います。
〉
〉
〉 「短編」において、るるるぶさんや三浦さんの文章に魅力を感じる当方としては、個性的な個人的な感覚を求めるきらいがあるかもしれません。
〉 いずれにしても人生を隠喩することに作品のテーマを選んだと思われる今期の作品を読んで、それは井戸でもいいし壁でもいいし、地下でもいいわけです。それをあえて作者が島を選んだと読んだので、そこを覗き見る側としては特別に思うというわけです。要は、楽しみ方の違いがあるのかもしれません。もしくは作品に幅がありすぎる。作者の立ち居地がぶれすぎている。
〉
〉
〉 写真については少し、ロマンチックすぎでしょうか。
〉〉 「短編」において、るるるぶさんや三浦さんの文章に魅力を感じる当方としては、個性的な個人的な感覚を求めるきらいがあるかもしれません。
〉〉 いずれにしても人生を隠喩することに作品のテーマを選んだと思われる今期の作品を読んで、それは井戸でもいいし壁でもいいし、地下でもいいわけです。それをあえて作者が島を選んだと読んだので、そこを覗き見る側としては特別に思うというわけです。要は、楽しみ方の違いがあるのかもしれません。もしくは作品に幅がありすぎる。作者の立ち居地がぶれすぎている。
〉
〉私の場合は、人生の隠喩のしつらいとして「島」をえらんだ時点でそこまで期待はしなかったです。「工場」をえらんで世相を皮肉ったりとか、「花畑」をえらんで過度な装飾とかすれば、注目したのですが。そこで「島」をえらんだのだから、いっそ一般的なところにおもいきりふって記述すればという発想です。
〉・おもいきり一般的
〉・個性の追求
〉で、しぼりこみをすれば、というあたりでは同意見かもしれませんね。
なるほどなるほど。
よく分かりました。
こちらとしてもやっと納得できました。
|l、{ j} /,,ィ//| / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
i|:!ヾ、_ノ/ u {:}//ヘ | あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!
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fト、_{ル{,ィ'eラ , タ人. | 思ったらいつのまにか構成の話になっていた』
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〉まず私のたいがいの読み方が作者寄りなのかもしれないですね。作者の意図から逆算して描写の妥当性をしめそうとしている。
私は、作者の意図は、読み取れるものであるならば(示唆がされていてそれがわかるものならば)読み取ればいいと思いますが、読み取れなくても別段かまわないと思っています。一つのシーンを書くために話をでっち上げたりもしますので。
〉「親切 / 不親切」で云うと、「丘から丘へ」という骨子が不親切かと感じますので、表皮の文言レベルでは親切にしたほうが良いだろうという判断です。
少し説明不足でした。「親切/不親切」は読み始めに対するもので、「情報を小出しにする」というのでわかるでしょうか。最初にある程度興味をひいておくと、そのあともそこそこ興味を持って読んでくれるのではないかという意味で書きました。「昔見た風景を探しに来た→どこに?」となるのを期待。失礼な発言になりますが、読んでいて最初の何行かで飽きてしまう作品がときどきあったりもします(『島』がそうだというわけではありません)。
「に」の連用はそれほど気にならないのですが、最初の一文に持ってくるのは、私としては「見た目」というところで避けたいですね。
作品全体の話になるとは予想していませんでしたが、それはそれでよかったのではないでしょうか。
〉///私は「〜だった。」を重ねたとしてもだれさせずに文を積み重ねたりしますが。
自分の考えていることをちゃんと説明できているかわからないのですが、とりあえず。
私は個人的に「〜だった。」を重ねるのが何となく嫌なので、できるだけ避けるようにしています。読むほうで「〜だった。」が重なっているのはそれほど気にしないのですが、「三文の長さが大体同じ(かつ短い)」もあったので繋げることを勧めました。一つ補足すると、今回の『島』の感想は「少しアドバイスする程度」という意識があったので、「全面的に書き直す」という選択肢は最初から入れていませんでした(アドバイスなんか自分にできるのかという意識があるのでけっこう嫌な感じですが)。その上で、「〜だった。」を重ねるのは、やはり私はできるだけ避けて通ると思うのですが、わらさんが気にする必要はないかなと。また、長い一文で書いてきている作品でしたら基本的に気になりません。
〉私は、「島」は、素材感はあるんですがもうちょっと作りこみをというところだとおもってます。
「象徴」に関する記事を読んで何となくわかりました。だとすると、それをあまり意識していない人間にも読み取らせられるかどうかだと思います。が、それと同時に、無理にそういう相手に向けて書かなくてもいいと思ったりします。
一応書いておきますが、私がしたのはあくまで『島』の文章校正のようなものなので、他の作品(文章)に当てはまるものもあれば当てはまらないものもあります。例えば「独自の文体」を持っておられる方はそれで「読ませる」ことができるのでわりとどうでもいいものだと思います。各自で判断してください。こんなこと説明しなくてもわかると思うんですけどね。めんどくせー。
以下は雑談です。
今回『島』の感想を書いたのは、私が普段使っている技(というほどのものでもないですが)や気をつけていることを公開しようというのが目的の一つです(自分でフォローしますが、大体簡単にできることだと思います)。上から目線になりますが、おそらくわらさんには有益だろうと思ったので。使えるものは使って、使えないものはスルーしてください。
個人的には匿名7さんが書いた「挿話の処理の仕方」のようなものがもう少しあるといいと思ったのですが。公開してもかまわない程度の技術の共有として。これは特定の誰かに向けた発言ではありませんが。
やたらと長くなりました。申し訳ないです。