ご参考までに。
1
全体的な雰囲気は、夏を漂わせていいとは思うんですけど、回りくどい所が多いのではないかと思いました。そういう効かせどころがいちいちあるので、文章全体を見失いそうです。作者も読者に対してそういう言い回しや表現を楽しんで欲しいとは思っているでしょうし、また好まれてもいるでしょうが、もう少しメリハリをつけたほうが印象深いのではないかと思いました。そういう表現に統一性をつけたらかえってやりすぎかなあ。
キリンにレトリバーにカントリーなんだけど紅茶で、アメリカとNYにサバンナってちょっと飛びすぎじゃないかなあと思ったんですが。
2
この推理はちょっと甘いような気がするというか、あまりにも単純なんだけどそれを笑う話なのかしら?殺人の初心者は簡単に人が死ぬとは信じられないので、つい何度も刺してしまい、挙句には刻んでしまいがちで、殺人のプロは一撃で、それで死ぬことを知っているという話をどっかで読んだので、分裂症という単語を出さなくても十分説明がつくのではないかと思いました。
では、お題「その日の午後二時、T.Nは何故あのように殺されたのだろうか」
アイ ラブ ユー
いつからこんな関係になってしまったのだろうか。愛しあっていたはずなのに、あの人は事あるごとに私を殴るのだ。そのうち私は外出さえも禁じられ、一日中こうしてあの人が帰ってくることを恐れる為に生きている。がりがりがり。私は台所の刺身包丁をあの人が外出している間ずっと、砥ぎ続けた。
あの人は決まって午後二時に一度帰宅し、私がちゃんと家にいて、決められたとおりベッドで寝ていることを確認する。そしてそのまま書斎に入り、クラッシックを流しパソコンの電源を入れる。私はその曲の背後に気配を隠し、半分開いた書斎のドアから入り込む。カーテンの閉じられたその小さな部屋の、私は闇になって彼の背後に立つ。そうして彼の頚動脈を、手にした刺身包丁ですっぱりと切ったのだ。あの人はスプリンクラーのように血を噴出しながら、切られた傷口を押さえて立ち上がり、憤怒の顔で私を捉えようとする。規則正しい心臓は、あの人から順調に血を奪っていく。私は包丁を奪われまいとその柄を必死に握り締め、部屋中を逃げ回った。やがてあの人は仰向けにひっくり返った。ペンキの缶をひっくり返したように、血が広がる。あの人の体ががたがたと震え始める。寒い寒いとつぶやく。しかしそれもいつか途絶えた。
どれくらい時間が経過しただろう。クラッシックも止まってしまった。私はゆっくりとあの人に近づく。思い切って心臓あたりに刃をつきたててみる。そのまま手当たり次第ざくざくと刺し続ける。腹はもうはじけてしまった。けれど、彼はもう二度と怒らなかった。
顔を上げると、彼の端正な顔が目に入った。そうだ、この顔に心を奪われた。長いまつげ、すっとした鼻、美しい唇。私は何度もその唇に口付けた。やがて彼の体の一部が硬くなってきていることに気付く。私は自分の中心をそこにあてがい、するりと彼を受け入れる。冷たい彼の感触にため息がこぼれる。そうして激しく腰を振りながら、腹に手を置くとずぶずぶとめり込む私の指。私は冷たく硬い彼をきつく締め付けた。登り詰める意識の中、気付くのだ。私たちはこうして愛しあうべきだったのだと。もう一度彼の唇にそっと口付ける。私たちが、初めて交わしたキスのように。
T.Nが無くなった。どこかにいれればよかった。
3
文章をもう少し修飾するとか、読ませる演出をした方がいいのではないかと思いました。前期と違って文章が上滑りな感じがあります。嘘だなって感じ。思い切って翻訳された日本語風にしてみるとか。「おっしゃってくれて」は変だよね。って梅田さんが書いていたか。
4
前期より面白かった。発想の勝利ですね。でも手ごろな漢字を使いすぎるような気がするので、ここは思い切ってひらがなでもいいかも知れない。ひらがなにしたほうが文章に統一感がでると思いませんか。こういう漢字には似合う文体と内容があると思うのですが。「恋人とは結局別れた」以降が失速してつまらなくなるので、もうちょっと考えた方がいいのではないかと思いました。あと、「オラだっぺ」はなかなかいいネーミングだと思いますね。第66期オラだっぺ開催!とかってニュアンスがいい。次に使ってみたい。
5
この作品の残念な所はまさに、ラスト。実は私がかつて使っている。
http://tanpen.jp/24/3.html←なんだこれ、へたくそだなと思いますがあえて恥の上塗り。この時点で「二番煎じ」という感想をもらったので(どなたの作品だったかは失念しました、すみません)常套手段みたいです。私の作品よりはずっと語りがうまいです。
6
作者はこういうタイプの人間の心理をよくわかっているなと思った。私は上司になってからの年数が長いから、上司の立場から言うとこういう部下は使えない。私がこの人の上司だったら愚痴を方々にこぼしているだろうと思う。確かに部下が気持ちよく働けるようにしてやるのも仕事の一つだけど、上司は上司で忙しいのである。そして上司にとどまらず人間関係がとかくうまくいかないタイプで、それを周囲のせいにする(だからうまくいかないともいえる)という人物像が浮かぶ。しかし、そういう丁寧さはあるけれどそこまでなので、それで読者をどう面白がらせてくれるかが1000字でいう所の難しいところです。
続く 風邪ひいてるからなかなか進みません。咳がひどい。咳の風邪注意と書いておこう。
風邪ひどい。咳が止まらないことが一番辛いですね。皆さんもお気をつけください。
7
剛は、言動が依然付き合っていた人にとても似ているので、親近感があります。関西弁で、元チンピラだったんです。なかなかハードな人生でしょ?
8
もうちょっと面白く出来たのではないかなと思いました。小説として読ませる工夫が足りないかなと。余計な情報が多すぎるせいもあるかもしれません。それで馬が薄まってしまう。こういう話を村上春樹が書くと面白いんだけど。
9
最後の行で、すっとこの主人公の年齢が上がってふと我に返る雰囲気は面白いなあと思いましたが、いかんせんありがちな話で、ありがちな文章なので、こういう話の作り方をするならもっと魅力のある話にしてもよかったのではないかと思いました。
10
世の中の憎しみや殺人の動機なんてこんなもんなんだなあと思いました。ファンタジーにしては、殺人に夢が無さ過ぎるなと思いました。殺人に夢なんかないけどね。共感したいんだけどそこまで入ってきてくれない。もしくは圧倒的に共感できないはずなんだけど。
11
戦場ガ原さんこんにちは。とある調査で戦場ガ原さんに隠れファンが多いとわかったので、短編参加お待ちしていますと代表して言います。
>私はむやみに腹が立ってクッションをだるま落としのように横から引き抜いた
は、確かに
>私はむやみに腹が立って、クッションを横から引き抜くと、犬はだるま落としのようにひっくり返った。
にした方がいいですね。ありがとうございます。推敲不足でした。
qbcさん
>「不意にカレンダーの今日の日付を」が不意に見つけられるのが、 都合よすぎるのと
これは
>「習慣でカレンダーの日付を」
にしたほうが、夫婦というものをわかりやすく表現できたなと思いました。
この夫という人は性格が細かくて、カレンダーになんでも書き込むという習慣があるということを知っているから、奥さんはすっとカレンダーを見られるわけなんです。そういうお互いの習慣の上に生活は成り立っていくのが夫婦というものだと思っていて、今期のは誰にでもわかりやすいものを目指したんですが、その「夫婦」という前提が実はわかりにくいのかもしれません。
もちろんフィクションです。こんな夫婦だったら書かない。でも次期はノンフィクションを書こうと思います。風邪が治ったらねー。
前回の感想で以前と依然を間違えてましたよ。すみません。風邪は早く治したいです。こんなにひどいのは学生以来だ。
12
何かを表現する為に、作品にあわせた泥人形を作ってそれに何らかの感情を持たせて、またその感情に絡み合う何かを創造し表現するというのが、大方の作品のつくりになっていて、この作品もまさにそういうつくりなんだけど、qbcさんというのはそれを逆にやる人だよなと相対的にみて思いました。
私にはこの作品はちょっと青いかなあ。真正面からこういうこと言われるの苦手なの。
13
この作品もそうですね、表現する為に人形を作る。しかし字数制限があるから適当にはしょってしまう。はしょる所をもう少し吟味したほうがいいかもしれない、作者が主人公にのめりこみすぎているのかも、あるいは振り回されている。小説の中の殺人はファンタジーだけどおとぎ話ではない。大の男の首はなかなか絞まらないような気がするよなあ。いやいや、もしかすると主人公の年齢は小学校低学年だったらありえるかもしれない。
14
ああ、もう24かと全然関係ないところで感傷的な気持ちになりました。
でも合間抜けているのは、サイトのほうにあるのでしょうか。
女装をテーマに書いている中で、何を基準にして選んで短編に投稿するのか理由が知りたいなと思いました。
展開としては、前回の3題話のほうが面白かったというか、小説だった。
目の前で着替えたり、面白そうな場面があるのに生かしきれていない感じがしました。注意深く書いている印象はあるんだけど、そこまでといった感じを受けました。
15
私は今、ロチェスターさんの作品よりもロチェスターさん自身に興味があります。
16
三浦さんの解釈はとても面白かった。三浦さんは小説の楽しみ方を知っていてうらやましいなと思いました。しかし、そういう読み方はセンター試験で点数稼げないんです。センター試験で高得点を出す為の現代文の読み方は「書いてあることしか読まないこと」。私はこれでセンターの現代文は概ね満点でしたが(模試も含めて)、こういう習慣がついてしまうと後で読書を楽しむ時に不自由な思いをさせられます。若い時にこういう読み方の訓練をさせられてしまうのはいかがなものでしょうか。
それはさておき私なりの解釈です。
登場人物に端的な印象や特徴を記しているにもかかわらず、主人公に関する記述もしくは心証が一切省かれることによって、主人公が黒子のような存在として浮かび上がります。主人公はその社会に属していながら含まれない。主人公が社会を俯瞰してみている様子が伺えます。そしてそういう観察者に対極で出てくるのが白髪頭の男。この人はその家庭状況から、常に観察される人として登場します。観察されることが日常の人間にとって、主人公のような人間には最も敏感だと思います。ですから頭数に入らないというのはむしろ当然かと思いました。しかし主人公は俯瞰の姿勢をとっていながら、その場に含まれないことを疑問に思っている。これはこの作品の形としてすごく面白い。どういうことかというと、語り手である主人公は終始語り手であるんだけど(従業員の価値観に同意もしないし否定もしないとか)最後に、ふと、何故自分は語り手なのかという疑問を唐突に提示する。読者には、語り手である主人公がずっと隣で話していたはずなのに、すっと小説の中に帰ってしまう、作品に描かれる情景を一緒に俯瞰していたはずなのに、気がつくとそういう主人公の後姿を俯瞰している結果になる、というなんというか、不思議な絵の絵本みたいな、いまCMでやっているDSのソフトみたいなそんな印象を持ちました。新しい表現を打ち出すっていいですね。私は目新しいことが全然出来ないよー。
こんばんは。
なるほどー。『糞の礼』ではそういう試みがなされていた(かもしれない)のですね。それはまったく思いつきませんでした。確かに語り手ははじめに「観察した」って言っていますものね。なるほどー。
私が思いつかなかったのは、たぶん、qbcさんの作品の語り手は、いつも読者の隣にはいなくて、常に小説の中にいるように私が感じていたからだと思います。私がqbcさんの作中人物を「身も蓋もない存在」だと他の記事で書いたのは、そのような意味合いからでした。読者の隣には易々とは来てくれない、「泥人形」ではない血の通った人間が、私が物理的には行くことのできない「小説の中」で生きている。その生きている人間が、まるで演劇を披露しているように感じられることに引っかかっているのかもしれません。
私は学業は総じて駄目でしたが、現代文のテストも正答率は低かったと記憶しています。
そういう意味で私は小説をまったく読めないので、開き直って、書かれていること以上の可能性を見つけてやろうという思いで「短編」の感想を書いていたりします。だいたい惨敗ですけど。でも、可能性を発見できた時は本当に嬉しくなります。
私は夏に風邪をひくタイプです。なので、今は気楽です。
風邪も他人事のうちは可愛いものなんですけれどね。おだいじに。
17
気になったのは「に」の多用。「で」か「へ」に置き換えた方が文章の流れとしてはスムースになったような気がしました。それくらい「に」が気になる。海外のようで、実は館山あたりとか千倉とかのほうが味があるような気がしました。全体的に川野くんらしさに欠ける文章で、個人的には海坂さんを思い出しました。
18
こういう世界がこの夜の片隅にあるということが、全く違和感なく、なんというか、ぼそぼそとした雰囲気がよく出来てるなあと思いました。どんな口調でしゃべっているとか容易に想像できる。それでもパンチのある作品が短編には多いので、平凡といえば平凡かもしれません。題材が異質な様でいて平凡なんでしょう。美少女ゲーム(と思われる)だからかも。普通の会話のようにリアルなことを言いながら、真剣にエロゲー作っているほうがパンチがあるかもしれません。
19
18のゲームの内容が19だったりしたら、すごいつながりだなと思いました。
20
構成が面白かった。三浦さんは以前もやっていたけど、場面でくっきり切り替わっていくというもの。小説の世界が動く歩道を真横から見ているような気分になる。前回と同じテーマや小道具を使っていろんな角度から光を当てるというのは、宇加谷さんの、世界を多重構造にしていく手法とは違って、全くのパラレルワールドにしてしまうところが三浦さんの特徴かもしれません。
21
それらしい人物をそれらしい場所において、それらしいことを語らせてしまうから平凡になってしまうのだと思いました。
友人がビジュアル系のバンドをやっているんですが、そのメンバーの人で新宿歌舞伎町あたりを徘徊すると、明らかに怪しそうな人はいっぱいいるのにピンポイントで自分が職質されるのがなぞだと言っていた話を思い出し、そういう側面も小説には大事かなと思いました。
22
こんな話を聞かされて、主人公のような質問ができるものなのだろうかと思いました。そうなると作品の進行上必要なポイントではあるんですが、全面に出るのはよくないかなと思いました。それにしても「えーー?!ね、猫?!」につきますね。これを使いたいが為にこの作品は誕生したんじゃないかと思えるくらい。
23
わたなべさんの文章は宮部みゆき的ですね。丁寧にレールを引いて、読者の感情をコントロールしようとする。登場人物に抱くべき感情を固定させようとする。宮部氏の場合は長い長い文章でもって、きっちり外堀から埋めていき、読者の感情をぶれないようにきちんとレールに乗せてしまうのですが、いかんせん1000字ではなかなか読者をそこまで取り込むにはいたらないかもしれません。そこで唐突な印象を受けるかと、個人的には思います。今期の作品は多分「祖母と目を合わせられなかった」でお終いにしてもいいかもしれません。そこで終わってもその後が予測できるように文章が仕掛けられていると思います。もちろんそこまでのどこかに「女の子に学問なんかいらん」という決定的な一言は入れて、後の数行は1000字でやるには押し付けがましい気がしました。
24
大真面目にきちんと書いてあるから面白いんだと思いますが、個人的にはハンニャくんには、文章や構成がうまくなって欲しくないなあと思いました。ずっと初期のほうが私は好きです。
真面目にやりすぎよ。
25
主題が爆破されたり燃やされたりするのは何故なんだろうなと、いつも思っています。今期も思いました。The rine in Spine stais minely in the pline.マイフェアレディは観てないのだったよ。るるるぶさんと同じ土俵にあがれそうも無いといつも思う。私はものを知らないから。あるいはひどく偏っているから。
以上です、間に合った。風邪は劇的によくなりました。サンキュー、抗生物質。百日咳ではなかったようだ。
こんばんは、こんばんは、三浦さん。
qbcさんの過去の作品では「コットンワンピース」や「生活問題」「自慰」「美術館でのすごしかた」など、語り手がきちんとそこにいる作品では、私も三浦さんのような感想を持っていました。しかし今期に限っては、主人公自身がその立ち居地に疑問を呈しているような雰囲気を感じたので、このような感想になりました。
三浦さんの作品はqbcさんで言うところの語り手が、パズルで言うならちゃんとどこかのピースにおさまっていると思います。そのパズルのピースを拾い集めながら、これが語り手だったかこれが背景だったかと何とか組み合わせていく作業が面白いです。「みやび」などは、語り手の指し示す方にピースを集めていけばちゃんとその作品世界を歩いていけるのですが、それ以外は全く手がかりの無いパズルを作るようなものです。そういう迷い方は1000字独特であると思いますし、その1000字という舞台を自由に使えるということもまた含めてすごいなと思います。そのすごさを感じたのはまさに最近なんですが、最近の鋭さは特筆すべきですね。以前はそこまで感じる事ができなかったです。
現代文に関しては、簡単に言って「ウォーリーを探せ」と同じようなコツで点数を稼ぐので、小説を読めている事にはならないと思います。「自分の感想や見解や感情をいれない」というのが一つのコツですからね。感情を伴わずに小説を読むなんて間違っていると思います。で、そういう一面的なものの見方を手にしてしまうとそこから抜け出すのに苦労するんです。ですから私には三浦さんがうらやましいです。
風邪のご心配を頂いてありがとうございます。夏風邪の方が辛いと思いますがどうでしょうか。それにしましても季節の変わり目、どうぞお体おいといください。
こんばんは。長月さん。
指摘されてみると、私が書くものはそれそのものがパズルのピースだという気がします。自分が書きたいことを書き上げるために、できるだけ多くのピースを作っておきたいという気持ちがあります。
「ウォーリーを探せ」は確かに苦手でしたね……なるほどー。
夏風邪は体内も外気も暑いのでわけがわからなくなりますね。といっても、私はそもそも風邪をあまり引かないのですが。
風邪が快方に向かっているようで何よりでございます。