プロットには終りを書く。 尾張が無ければいけない。 プロットではない。
〜と、よく小説作法に書いてあるとおり。
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と、いま思っているわけで、私の記憶です。 ほんとのトコはわからない。
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何かショーウィンドの向こうのバレー人形の練習生たち。。。
バレーは見るほどの価値も無く。しかし、何か? 魅了される。
親は子を見て、 子供は、自分と同じ扮装した自分と同じ子供を見る。
(あ、育てられて、 いるっ 、、て、とこ、自分と同じ、、、)
(子供という意味。 誰に、でも、子供の時代が有る。)
(小説の基盤、 共有される世界の。。 有り方、足元。。。)
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それで、なんとなく決勝の一票を入れる気になれない。つまり、
1000字くさくて、 病院の消毒臭? か? 食欲そそらない。。。
近づきたくない 無い。
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で、読み返していません。 もう充分に記憶に残っているから、、、
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どこが、千字っぽいのかな。 ぺろぺろキンャンディーの実体観ないの?
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なぜかなぁ? やはり、尾張が無い。 主役がハッキリしない。
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ニコッと笑った先生が、収束を得るのか? ニコッと笑った子供が
不満を抱くのか?
それとも、何か得した気持ちになるのか?
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マッチ売りの少女は、温かい窓ガラスの向こうの部屋の中を、
触れない。
、、、と、終わっている。 マッチが尽きると、、、もう、尾張。
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其の数字のフレーズが、ない。 記憶になっていない。
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プロットなら、私もいつかバレーを楽しく見られるのかな?
と、少女は振り返った。
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さあ、どっちを振り返ったのでしょう? 観たのはどっちかな?
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まあ、バレー教室とは決別した子供のいる。 終りのシーンだ。 と、
それ、
???
あると、1000字臭は消えるんじゃないだろうか?
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と、終りについて浮かんできたこと、書いて見ました。