どんな個人的なのでもいいから作品の感想書いてくれ、という作者がいれば返信下さい。
たしかに、好き勝手に素人に感想書かれるのは嫌だ、という気持ちもわかるのであえて募集してみます。
〉どんな個人的なのでもいいから作品の感想書いてくれ、という作者がいれば返信下さい。
〉
〉たしかに、好き勝手に素人に感想書かれるのは嫌だ、という気持ちもわかるのであえて募集してみます。
私「のい」の作品の感想を是非とは言いません、がよかったらお願いしたいです、ただ所詮は文才のない学生の小説もどきですから、読む価値すら見いだせないものだと思います、ただ友達に読んで貰っていても面白いよ、で終わってしまい、私の文才は延びないと思うのでお願いします。面白くないのは重々承知の上です。あとこれまでも私の作品に対して、感想をくれた方々本当にありがとうございます、ただ文才がないだけに、意見等を言っていただいても、中々文章におこせず、申し訳ないかぎりです…、それと、私は規制のためご自身のサイト内に書かれた感想等は見れていません。すいません。
〉どんな個人的なのでもいいから作品の感想書いてくれ
えーっと、
そんなのいつでも待っています。
投稿している作者の方がすべて、自作に絶対の自信を持っているのではないと思います。そのため、何がしかの意見を聞きたいと思う方は少なからずいると私は見ております。少なくとも、私はそうです。それは私が『短編』の場をお借りしている理由の、おそらく最大のものです。
私は読書量がほぼゼロなので、プロとかアマとか言われてもその明確な違いはわかりません。ただ何かを書いてみたい、書いたものの是非を問うてみたい、そのことにプロとアマの根源的な差異があるか、私は知りません。知らないからか、プロでない感想でも欲しています。
だから、
もっと皆さん投票なり感想投稿なりしてください。
と言いつつ自分はまだ今期の作品をひとつも読んでいない、怠惰な黒田皐月でした。
僕は今まで「嫌いだ」とか「読みたくない」って感想しか貰えなかったので、「短編」の感想はありがたいです。
でもシビアな感想は打たれ弱い方には辛いかもしれません。
ところで「感想を希望する作者は挙手」っていう理解で合ってますかね?
どちらにしても希望しますが。
〉どんな個人的なのでもいいから作品の感想書いてくれ、という作者がいれば返信下さい。
〉
〉たしかに、好き勝手に素人に感想書かれるのは嫌だ、という気持ちもわかるのであえて募集してみます。
〉たしかに、好き勝手に素人に感想書かれるのは嫌だ、という気持ちもわかるのであえて募集してみます。
私は感想は書かないでいただきたい派です。
感想といっても、一部の方は単なる粗探しに終始しておられるものも見受けられます。
その辺が見苦しいと感じられた読者さんがいらしたのかと思います。
今後の感想は、希望された作家さんの作品だけで、あとは三作品を厳選されての投票でお書きになってはいかがでしょうか。
・読者の一人としての感想に徹したいのでHNは1002でいきます。よろしく。
・感想希望の反応を(直接・間接的に)この掲示板で確認した方のみ書きます。
・感想の基準は読み手である私が読んできた本や体験になってしまうと思います。
・問題がなければ感想希望された方の作品感想を継続的に書いていくつもりです。
・「短編」掲示板へは平日のみの投稿となります。
・感想への返信等はとくにのぞんでいません。
・よろしくお願いします。
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のい「恐怖」(81期)感想
かつて両親のセックスを目撃したことがトラウマになっていた女性が、いつしか自分も娘を出産することになって(この子も私と同じようにセックスを汚らしいと思うんだろうか……)と感慨にふける話だと読みました。
話そのものは結構深いテーマだと思います。みたくない親のセックスをみてしまうと、それがトラウマになって人間が獣に思えてしまう、という気持ちはわかるし、それが女だったらなおさらそうかもしれない。ただ、この作品は、作者の文体がちょっとポルノっぽい気がします。
具体的には
「耳を塞いでも聞こえる女の喘ぎ声、獣のような男の息遣い…あれは私の母と父」
「母の手は父の男根を握り」
「いつも私を撫でてくれる父の手は母の乳房へ」
「快楽を貪っていた」
「パジャマをぐっしょりと濡らし」
「母に隠された獣のような裏の顔」
「母が私のパジャマを脱がせようとボタンに手をのばしてきた」
「指に力が入らず結局は母に脱がされた」
「あ゛ぁー…んあぁーう゛ぁー」
……たくさん抜き出しましたが、そう、たくさんありすぎるんです。たった1000字のなかで、これだけポルノ的な語彙がでてくると、ずばり作者は「母が父の男根を握る」シーンを書きたかったのではないか、と思えてならなくなってきます。そうすると、これはまた別の視点で、つまり、「ポルノとして」読み直すことになります。
ポルノとして読むと、獣のような、男根、ぐっしょりと、裏の顔、といった言葉が直接的すぎて、それはそれでこっちの妄想を広げてくれない。たとえば私はホルモン焼きやモツ鍋が好きなんですが、そして、男だけでなく女性にも人気がある料理だと思いますが、それは最近のモツ鍋屋の内装や広告がモツのイメージを変えたことと関係があると思います。もしも、モツ鍋屋の看板に、生きた豚の内臓の写真が載っていたり、「その場で豚を解体する生モツ・デー」というイベントなどをやったとしたら、今のブームは終ってしまうんじゃないでしょうか。
モツやホルモンにはコラーゲンがたっぷり、美容にいい、味もおいしい、とモツの臭いイメージをぬぐって、おいしいところを強調するからこそ、ブームにもなります。そして、皆、じゃあモツを食べるとき何も思わないかというと、やはり、心のどこかでモツが内臓であることを意識したりして、モツを恋人ではない女と食べたりすると、やはり隠そうとしても隠しきれないある種の気分がでてくるんじゃないでしょうか。デートで女が焼肉を食べたいというのは……とか。
ポルノだって同じように思う。男根、ぐっしょり……とかかれて興奮してしまうほど、うぶな読者も少ない気がするし、なんとなくひいてしまう。そこはわざと隠すところだと思いました。抜書きした上記の箇所を削って、そういう言葉をつかわずに、書いてみるのはどうでしょうか。
ちょっと興味がわいたんで、自分も書いてみました。設定は同じで、主人公は女です。
「両親の寝室から聴こえるクラシックがうるさくて眠れない。一言いってやろうとノックもせずにドアをあけると、部屋から溶けたバターのような匂いがした。こっちをみた二人の目は猫のようだった。私は気持ちが悪くなって、すぐに自室にもどった。何かいってよ、と思った。今みたのを忘れようとしたけど、忘れられないかわりに汗がどんどんでてくる。大人は不潔だと思った。私はそのまま眠りにおちたみたいで、やがてまとわりつく汗が気持ち悪くて目が覚めた。母親がそばに立っている。母は黙ったまま私をみているようだった。手にパジャマの着替えを持っていた。「わたしお母さんのこと嫌いになるかもしれないよ」となげやりに口にした。母は起き上がった私の隣に座って「お父さんのこと、好きなの」といった。外はまだ薄暗く、夜明け前だった。私は母のとなりで、新しいパジャマに着替えた。母は不潔ではなかったと思った。でも私は何と言えばいいのかわからなくてやっぱり泣いてしまったので、パジャマがまたぬれてしまった。母は笑いながら私を抱きしめてくれたが、いつもの母だった。やっぱり母も父も不潔ではない、ともう一度自分に言い聞かせていると急におなかがすいてきたのだった。」
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黒田皐月 「アカシック・レコードをめぐる物語 異界編」 (81期)感想
おもしろかったです。この話を読んでいると、「人を相手にするな、天を相手にせよ」という誰だったかの言葉を思いだします。人を相手にした人間関係の小説や映画が多くて、食傷気味になっているときに、いまいち理解できない「アカシック・レコード」(世界のすべてが記録されてる?)とかいうものをめぐって話しあいをつづけるという設定がいいです。読んでいて、意味から解放された気分になる。普通の言葉で書いてあって、一読するところなにやら論理的な物語にも読めるんですが、なぜか漱石の猫の挿話が意味不明に挿入されていたり、とつぜん珈琲を飲みだすと謎の男があわてたりするところなど、この物語を理窟でとらえることの本質的なばかばかしさがおかしい。
小説に刺戟を求め、読み捨てるタイプの人には、この1000字小説はあきらかに物足りないと思うんですが、私のように、刺戟ではなく小説にながれる(無駄な)時間を好む人間には、おもしろかった。多分、文体がひきしまっているところもおおいに関係していると思う。余計なところを感じません。投票するとおもいます。
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影山影司「1000^63こきんこかんしょてん」(81期)感想
まず、全部ひらがなという発想が実験的でいいな、と思いました。
「 きそくが、ある。じぶんのげんこうをひとつもってはいれ。ただし、くうはくやくとうてん、だくてん、すてがな、ひらがな、ろくじゅうさんしゅるいのもじだけをつかい、すべてをいちじとかんさんしてせんじぴったりのげんこう。かんじやかたかな、いこくのもじはふきょかとする。」
という冒頭文も、なにやらこれから冒険がはじまるみたいで、その命令調なところにもワクワクさせられました。ただ、中盤から後半にかけてはいささか期待はずれの感が否めません。やはりひらがなが魅力的なのは冒頭の、いかにも犯人の犯行声明文みたいな箇所だから光ってくるのであって、中盤の室内の描写をひらがなでやると、ちょっと飽きてきます。むしろ、全篇ひらがな、という実験的な新しさよりも、ひらがなと普通の文章の緩急つけたほうが、締まってくる気がしました。
個人的にふと思いうかんだのは感想というより、書き換えたい衝動です。
「しつないには、びじんひしょがひとりいた。とおもつたらひしょのかつこうをした、いったいのまねきんだつた。まねきんのくせにびじんだな、とおもつたわたしはまねきんにヨシコとなまえをつけた。ヨシコ、ヨシコ! まつたくかざりけのないしつないがヨシコのなまえをよんでいるときだけ、ひかりかがやいてくるのだつた。いかんいかん、わたしは、たいぷらいたあでしようせつをかかねば、とおもつて、ヨシコとアヒルというだいめいのはなしをかいた。うちおわるときんこがひらいた。きんこにはうちおえたげんこうがせいほんされていて、わたしはしゅつぱんしゃにもつていつた。出版社で私に応対してくれた相手は小川好子と名乗った。とても幸先がいい、と私はあのマネキンのヨシコのことを思い出していた」
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高橋唯「ある晴れた夕暮れに」(81期)感想
ある日男物の鞄をひろってみると、自殺したいと書かれた手帳と、持ち主の男と妻の写真がでてくる。こんなに美人妻がいながら悩むなんて贅沢なやつだ、と思った主人公はその妻を犯しにいくと決めるという話だと読みました。
失礼ながら、いろいろと話の設定にも興味あるし文章も上手な作者だと思ったんですが、
「そしてこの女を犯す。そう決めた。」
という、一連の主人公の思考の流れについていくのが疲れました。というのも、これだと小説というよりも一人のキレた男の思考をたどっているようなものだからです。物語としてはもっといろんな声がききたいです。たとえばこの男はたしかに鞄を拾って女を犯そう、と思っているところに
「鞄を拾ってまもなく、こんどは突然、俺の目の前で前を歩いていた男が女を殴りはじめた。男は品のいいスーツを着て、女もさりげなく身に着けた胸元の宝石が光っていた。つまりは俺にとって羨ましいカップルであったのだが、男は女を堂々と殴っているのだ。俺はひろった鞄の持ち主の美人妻のことも忘れて、すぐに殴られている女を助けに入った。男は俺の一発でヒイイと泣き声をあげてどこかへ行った。腕っぷしで認められる世の中なら俺もいい先いってたのだが……、と振り向くと、女が俺をみている。ありがとう、と女は言ってきた。ああ。俺は今から、女を犯しにいくところだったのだよ。ありがとう、強いのね。女がくり返し言う。俺みたいなカス相手にすんなよ、犯されるぞ。俺が言うと、だって私助けてくれたじゃん、いきなり知らない人のなのに助けてくれたじゃん、それにあたしだってカスみたいなものよ、と女。カスじゃねえよ、きれいじゃないか、きれいだよあんた、美人じゃないか、すごいいい女じゃないか、と俺。……そんなこと言っているうちに、俺はこの女と歩いていた。女は離れないし、俺はまず拾った鞄を交番に届けにいくことにした。不思議なことにあのマグマのような性欲はどこかへ消えていた。俺はこの女を大事にしたいと思っていて、そのために明日仕事を探しにいこうと思っていた。そういう自分が不思議だった。」
と、中盤以降を自分なりに考えてみました。やはり、「女を犯しにいった」で終ろうとするラストというのは、私には主人公が残酷すぎる。というのも、小説とか物語というのは、「本当に俺がほしいのは一時的な欲望の発散ではなく、もっとあったかいものなんだ」という、本当はこうありたい、という精神的なものを掘り起こして形にする、そういう役目もあると思うから、落ちぶれた主人公を最後にそのまま落ちぶらせていく終り方にするのであれば、そんな小説を読んでも救われない……と私は個人的に思っています。
ですが、私なりにこのテーマで書き直していると、なんだか書くのが楽しかったです。
思うところを。
一番この掲示板について思うことは、「1000番とられたー。ひそかに狙ってたのにー」ということなんですが、二番目に思うところを。
〉たしかに、好き勝手に素人に感想書かれるのは嫌だ、という気持ちもわかるので
ということについては僕も気持ちはわかるので、そうしたいと思った方は希望者を募ればいいと思います。が、それが暗黙のルールになるというか、メインストリームになってしまうと僕はとても嫌です。
理屈を述べます。
例え粗探しでも見苦しくても、何言われたって文句言う筋合いは作者にはないと思います。いや文句言う筋合いはあるか。苦労して書いたんだから理不尽な感想をつけられたら文句は言わないと。しかし「書くな」という筋合いはないと思います。「書いてほしくない」と言うのは自由です。しかしそれを汲み取るかどうかも自由です。
作品を投稿している人全てがプロ志向ではないでしょう。プロ意識があるわけでもないでしょう。しかし作品を衆目に晒しているという点においてはプロとアマの違いは皆無なのだから、その点に関しては覚悟してよと思うんだ僕は。
自分の話をします。
僕が投稿を続けるのは僕の書いた作品を誰かにおもしろいと思っていただきたいからです。おもしろいという感想を頂けた時は筆舌に尽くしがたい喜びを感じます。マイナス評価から新しい発見をしたことも少なからずあったし、その時も興奮を覚えました。そういう喜びは、叩かれるリスクを負ってでも得ようとする価値があると僕は考えています。票だけではなくて、具体的な感想をもらった時の喜びって大きいですよ。だから感想を自由に書けなくなるのは寂しいことだと思う。
でぇ、僕が問題としたいのは、感想が希望制という風潮にこれからなっていったら嫌だなぁということなわけですが、何が嫌って、まず面倒くさいし恥ずかしい。クレクレ厨みたいだし僕は掲示板のような場で、「感想ちょーだい」と毎月触れ回ることはできません。いや、今回表明された方が無神経だと言っているのではありません。こうして自分のスタンスをたまに表明するくらいなら可能でしょうけど、これ、毎月できますか? 僕は無理だな。そりゃあ1002さんは察してくださるだろうから一度「書いて欲しい」と望んだ方の感想は言われずとも書いてくださると思いますが、新参の方も毎回増えるし、この流れが暗黙の了解になったら毎回希望を募らないといけないし毎回答えないといけないし。そうですよ、希望募らないといけないんですよ。上に述べたとおり、僕は投稿している以上覚悟はするべきだと考えているわけで、何が楽しくて覚悟もない人に配慮しなけりゃならんのか、と。とても不満。
そういう風潮になるとは決まってないし杞憂なんでしょうが、全部書きたい人は書いていいし、希望取りたい人は取ればいいし、好きにやっていいよね? という確認でーした。
というわけで今期初投稿者さんの、
〉今後の感想は、希望された作家さんの作品だけで、あとは三作品を厳選されての投票でお書きになってはいかがでしょうか。
というご提案があったわけですが、僕個人の意見としましては、「絶対嫌です」ということで。
今回は、「プロや編集者エライ>素人の感想イミナシ」という構図がちょっと気に食わなかったので、こういう形で投稿しました。感想希望を募ったのは、やはり「感想書かれるのいやだ」という気持ちもなんとなく(いや、かなり)わかるし、嫌がられるまでして書く必要はないと思ったからです。
別に今後全員そうすべきだ、とは思いません。感想というのも「短編」を盛り上げる役割があると思うし、私としては素人の感想のほうが読みたい気持ちは変わらない。あと、感想は自分のために書いています。読んでもらうとわかると思うんですが、感想を書くことで新しいアイデアがわくものです。
ブログに書け、という意見もあったかと思うんですが、一応、ちょっと距離感をとりつつも、「感想」を通じた作者と読み手のやりとり、というのはむしろコンテストよりよほど効果があるんではないか、と昔から思っています。なので、私はブログをつくって感想を載せるつもりはありません。「短編」の主旨にも違反していないと思います。
掲示板を結果的に見苦しくしてしまわないように、なるべくまとめてアップしたいと思います。興味ないかたは飛ばしてください。
始めるからには一度感想希望された作者の作品にはすべて目を通し、今後ともとくに意見がなければコメントします。盛り下げるつもりはありません。無限にいるネット小説家のなかで、縁あってここに集まっている人たちは母校の同級生や同窓生のようなものです。みんなで力をつけましょう。
こちらに書き込むのは初めてになります。
こちらではROMオンリーと決めていたんですが、そのスタンスを崩してでも書き込むべきかなと思い書き込みました。
僕がこのサイトに投稿してるのは、感想が欲しいからです(票にコメントが付くのも含めて)。コンテストでの優劣はとりあえず二の次です。
とは言っても、票が入る=感想が付くという事でもあるので、票が欲しい=感想が欲しいともなりますから、そこは準じてはいますね。
逆に言うと、感想が無かった場合は、僕にとってこちらでの投稿はハッキリ言って無意味になります。そして票は必ずしも入るとは限らないので、感想0という場合もありますね。
なので、全感想というのはそれに対していいフォローにもなっていると思います。
僕なんかはこれだけの数を全感想する余裕もないので(感想が出てこない時も多々あり)全感想する事はないと思いますが、それだけに全感想してる方は偉いなと思います。内容は別にして、全感想するというスタンスに対しては批判されるべきじゃないなとも。
僕自身が感想を求めて利用してるので、個人的意見としては今まで通りでお願いしたいですね。
感想に対して嫌なイメージがある方は、感想(掲示板)を見ないというスタンスで回避出来ると思います。
ブログでやればいい、という意見も見ましたが、ブログでやられてもこちらには解らないので(いちいち全部チェックする訳にもいかないので)、そういうのは作者には無価値な感想になりますね。よってなるべくは掲示板で出してもらいたいと思ってます。ブログのURLを張って報告というのもそれに準じますね。
感想の内容自体に対しても、その感想の価値は作者さんが判断すればいいだけですからね。取捨選択する事で概ね解決出来ます。
そもそも先ずは感想ありきでないと、取捨選択も何もないので、感想は大いに欲しい方です。
後は1012のわらさんの記事にある様に、新しい方が来ても問題になるので、今まで通りが一番問題ないんじゃないかと思います。
まあこの問題を議論するなら、全感想の是が非ではなくて、感想内容(仕方)なんじゃないですかね。
1002さんへ
〉どんな個人的なのでもいいから作品の感想書いてくれ、という作者がいれば返信下さい。
僕も宜しくお願いします。
〉
〉・読者の一人としての感想に徹したいのでHNは1002でいきます。よろしく。
〉・感想希望の反応を(直接・間接的に)この掲示板で確認した方のみ書きます。
〉・感想の基準は読み手である私が読んできた本や体験になってしまうと思います。
〉・問題がなければ感想希望された方の作品感想を継続的に書いていくつもりです。
〉・「短編」掲示板へは平日のみの投稿となります。
〉・感想への返信等はとくにのぞんでいません。
〉・よろしくお願いします。
〉
〉ーーーーーーーーーーーーーー
〉
〉●
〉
〉のい「恐怖」(81期)感想
〉
〉 かつて両親のセックスを目撃したことがトラウマになっていた女性が、いつしか自分も娘を出産することになって(この子も私と同じようにセックスを汚らしいと思うんだろうか……)と感慨にふける話だと読みました。
〉
〉 話そのものは結構深いテーマだと思います。みたくない親のセックスをみてしまうと、それがトラウマになって人間が獣に思えてしまう、という気持ちはわかるし、それが女だったらなおさらそうかもしれない。ただ、この作品は、作者の文体がちょっとポルノっぽい気がします。
〉
〉具体的には
〉
〉「耳を塞いでも聞こえる女の喘ぎ声、獣のような男の息遣い…あれは私の母と父」
〉「母の手は父の男根を握り」
〉「いつも私を撫でてくれる父の手は母の乳房へ」
〉「快楽を貪っていた」
〉「パジャマをぐっしょりと濡らし」
〉「母に隠された獣のような裏の顔」
〉「母が私のパジャマを脱がせようとボタンに手をのばしてきた」
〉「指に力が入らず結局は母に脱がされた」
〉「あ゛ぁー…んあぁーう゛ぁー」
〉
〉……たくさん抜き出しましたが、そう、たくさんありすぎるんです。たった1000字のなかで、これだけポルノ的な語彙がでてくると、ずばり作者は「母が父の男根を握る」シーンを書きたかったのではないか、と思えてならなくなってきます。そうすると、これはまた別の視点で、つまり、「ポルノとして」読み直すことになります。
〉
〉ポルノとして読むと、獣のような、男根、ぐっしょりと、裏の顔、といった言葉が直接的すぎて、それはそれでこっちの妄想を広げてくれない。たとえば私はホルモン焼きやモツ鍋が好きなんですが、そして、男だけでなく女性にも人気がある料理だと思いますが、それは最近のモツ鍋屋の内装や広告がモツのイメージを変えたことと関係があると思います。もしも、モツ鍋屋の看板に、生きた豚の内臓の写真が載っていたり、「その場で豚を解体する生モツ・デー」というイベントなどをやったとしたら、今のブームは終ってしまうんじゃないでしょうか。
〉
〉モツやホルモンにはコラーゲンがたっぷり、美容にいい、味もおいしい、とモツの臭いイメージをぬぐって、おいしいところを強調するからこそ、ブームにもなります。そして、皆、じゃあモツを食べるとき何も思わないかというと、やはり、心のどこかでモツが内臓であることを意識したりして、モツを恋人ではない女と食べたりすると、やはり隠そうとしても隠しきれないある種の気分がでてくるんじゃないでしょうか。デートで女が焼肉を食べたいというのは……とか。
〉
〉ポルノだって同じように思う。男根、ぐっしょり……とかかれて興奮してしまうほど、うぶな読者も少ない気がするし、なんとなくひいてしまう。そこはわざと隠すところだと思いました。抜書きした上記の箇所を削って、そういう言葉をつかわずに、書いてみるのはどうでしょうか。
〉
〉ちょっと興味がわいたんで、自分も書いてみました。設定は同じで、主人公は女です。
〉
〉「両親の寝室から聴こえるクラシックがうるさくて眠れない。一言いってやろうとノックもせずにドアをあけると、部屋から溶けたバターのような匂いがした。こっちをみた二人の目は猫のようだった。私は気持ちが悪くなって、すぐに自室にもどった。何かいってよ、と思った。今みたのを忘れようとしたけど、忘れられないかわりに汗がどんどんでてくる。大人は不潔だと思った。私はそのまま眠りにおちたみたいで、やがてまとわりつく汗が気持ち悪くて目が覚めた。母親がそばに立っている。母は黙ったまま私をみているようだった。手にパジャマの着替えを持っていた。「わたしお母さんのこと嫌いになるかもしれないよ」となげやりに口にした。母は起き上がった私の隣に座って「お父さんのこと、好きなの」といった。外はまだ薄暗く、夜明け前だった。私は母のとなりで、新しいパジャマに着替えた。母は不潔ではなかったと思った。でも私は何と言えばいいのかわからなくてやっぱり泣いてしまったので、パジャマがまたぬれてしまった。母は笑いながら私を抱きしめてくれたが、いつもの母だった。やっぱり母も父も不潔ではない、ともう一度自分に言い聞かせていると急におなかがすいてきたのだった。」
のいです。感想有難うございました。実はこれは私の実話です…9年まえ、私がまだ小学二年のときの話しです、幼稚園のときにも見たのですが何をしているのかまだ解らなかったので。感想を読んだとき、ポルノ小説だと言われていたので…一瞬凹みましたorz、ですが書き直して下さった小説を読んで、私が伝えたかったのは「こっち」だなって思いました、これから私に良い小説が書けるか分かりませんが、続けていこうと思います。お目汚し失礼しました。
■読者の一人としての感想に徹したいのでHNは1002でいきます。よろしく。
■「短編」掲示板へは平日のみの投稿となります。返信は遅くなるかもしれません。
・感想について
・のいさんへの返信
・81期感想を希望された方へ
・81期感想その2(アンドッドさん、石川さん)
・感想について
私は基本的に笹帽子さんの提唱する「全感想は早ければ早いほどいい」に賛成です。読者の一人として「全感想」くらい毎月楽しみなものはありません。投票の基準にもしますし、読解の手助けにもしてます。そして、わらさんや壱倉さんが書かれているように「現状を変える必要はない」と思っています。
ただ、私の「短編」についての基本スタイルは「○○は<みんな、絶対に、一律に>こうすべきだ」という、あるひとつの意見を、たとえそれがいかに正しかったとしても、全員にあてはめようとする考えには、基本的に同意できないです。
なので、「全感想はあるべきだ」という考えと「感想は書かれたくない」という希望の、両方のいいところのみを私は支持します。つまり、「感想書かれたくないという意見が私はわかるから、私の書く感想は希望者のみに限るけれども、すべての人がそのようにしろ、という意見ではない。やはり投稿するかぎり作品は作者の手を離れるべきだとも思う。だから全感想を支持する気持ちは変わらないが、しつこいが、気持ちはわかるから私は嫌だという作者に感想は書かない。ただし、この私のスタイルは私固有のものであって、これを誰にも押し付けるつもりはない」というものです。白黒つけずに灰色ですいません。
作者と読者はどちらが上か、という議論もこの考え方でいくと、作者はときには読者より上であってもよく、一方で読者が優位であるときもある。つまりは、波のようにひいたりおしたりしながら、うまくバランスを保っている関係だと思います。ま、都合よすぎですかね。
・のいさんへ(81期のい「恐怖」へのコメント返信)
のいさん、感想への感想ありがとうございます。あの感想は、素人の、アマチュア感想にすぎません。「私が書きたかったところを1002は全然読めていない」と思われたってかまわないわけです。「なにがポルノ小説だ」と反論なさってもかまわないわけです。感想の優れた点は、私とあなたが対等であることです。(ここからは笹帽子さんへのあてつけではないですからね、いちおうネットは誤解されやすいから……)たとえば「編集者と作家希望」の立場であった場合、「感想」といってもそれはどうしても編集者(文章のプロ)という力関係が発生してしまい、素人作家は、たとえ自分が編集者の「感想」に不満を持ったとしても、それを反論できない。反論したところで、
「私は今まで2000人の作家の文章をてがけてきました」
の一言で、素人作家は完全に自分が間違ってしまうように思わされてしまう。村上春樹だったか「やりにくい編集者は作家より文章がうまい編集者です」と書いていたと思うけど、力関係が生じると育つ人も育たない場合がある。
もちろん、一応誤解されないようフォローしておきますが、ある程度の文章力や創作態度が確立し、作家として自立した人にとっての編集者は、有能な秘書のようなものにちがいなく、その編集者とのやりとりでいい小説がうまれることは間違いないはずなので、編集者が悪いというわけではありません(前に「ある読者」あてにそんなこと書いたかもしれませんが、あれは私のコンプレックスによる強がりと読んでください)。
も一つ、逆に「素人の感想なんて意味ない、編集者の感想を素直にきくべきだ」という考えには私は疑問があって、素人の感想には素人なりの「スレていない実感」というものがたしかにあるはずで、文章なれした編集者の視線とはちがう<この小説はぼくの生活とどう結びついているのか>という自分の生活と結びつけて読む読み方からうまれる生きた感想、というのがやっぱりあると思う。編集者も作家も机の上で本ばかり読んで、文字の世界にいつでも遊びにいける人たちが感想を言うのと、ふだん小説なんて月に1冊読むかという人(小説なんかより楽しいことがいっぱいある!)の感想は違うはずだと思います。なので、素人の感想には、言葉が足りなくても実感のこもった感想というのがあるはずです。(そういう意味で私の感想はエセっぽくて実感がないかもしれないが……)
話を戻しますと、読者の一人としてのHN「1002」の私と、素人作家「のい」さんの間には権力関係はありません。私の感想に意見をいってくれると、「感想」といいながら創作の場のひとつとしてとらえている私にはとても役にたちます。
それからかくいう私の現在の課題は「1000字」ではなく20000字以上の小説です。なので、私の場合は短編でのバトル(というと大袈裟か)よりも、こういう感想を通じて、自分では思いつかないアイデアがどのように生まれ、どのように発展可能か、という小説を通じた細部のやりとりのほうがよほど役立っています。なので、のいさんの「両親のセックス」というテーマは、それまで私は考えたことがなかったので、このことについて「感想」を書き、交流できることで役立つことがありました。勝手に書き換えているのは自分メモみたいなところです。この書き換えに不満を覚え、さらに書き換えられるのもアリだし、「そうかこのアイデアがあったか」と奪うところはうばって、相互に、それこそさっきの波のたとえじゃないですけれども、互いがひいたりおしたりしながら二人ともうまくなれればいいのでは、と思います。
いただいた返信に具体的な返事をかくと「ポルノ的」というのは、必ずしも悪い表現のつもりではありませんでした。動画や写真など、どんなエロいシーンでも見られるようになった現代では、文章だけで読み手を悶絶させるポルノの文化的価値はかつてないほど高まっていくと思います。私は気分がのらないときは「官能小説用語表現辞典」(ちくま文庫)を開き、書き写したりしてますが、これはおもしろいですよ。
でも、この作品「恐怖」は、ポルノにしてしまうにはテーマが素晴しすぎるので、ポルノ的部分はカットした方がよいと、やはり今も私は思います。セックスを気持ちわるいと思うのは、誰もが一度くらい感じることかもしれないし、そしてそれがたんに快楽としてではなくて、「好きな相手とする」という時の、いわゆる「愛情」が加わったときのソレが、快楽以上のものであってけっして気持ちわるいものではない、ということを、娘に伝えたい母親、という話は、本来1000字で収める内容ではなくて、もっとふくらませていいはずです。自信をもって、卑下するのではなく私を「短編」の友人の一人として対等に思ってコメントを読んでくれれば、書いたこちらもうれしいです。
・81期感想を希望された方へ
感想を(直接間接)希望された方に書きます、と書いたのですが、ちょっと「間接」はわかりにくく、尚かつすべての掲示板記事をチェックできないかもしれないので、HN「1002」あてに希望してくれた方のみの感想となります。そのかわり、当初は「感想への感想はのぞみません」と書いたのですが、ここを変更し、「感想への感想をつよく希望します」に変更します。
また、今期希望された方は82期以降もやりとりできればと思ってますが、いろいろ検討した結果、私の感想は感想というより、内容の変更を提案したりだとか独自の書き換えをしたりしますので、次期は予選結果終了後に「感想」を掲示板に載せたいと思います。皆が予選を終えて、作品そのものの影が少し薄くなりはじめたころに、その作品に興味を持つ数人のみが作品をめぐって深い対話ができれば、なんとなく深夜番組っぽくていいな、と思ってます。また、全感想が最初に書かれて場に華やぎがうまれ「短編」が盛り上がっていくことと、私の感想は相互補完的であると思っているので、しつこいですが、全感想はすばらしいです。
よろしく。
ついでですが、「昔書いたこの作品は一票も入らなかったのだが、あなたはどう読むかききたい」という要望があれば、それを読み、そして私は私なりの解釈で再度希望のかたに感想をだしたいと思います。それもまた力関係があるわけではないので(感想書きがえらいとかどうとか……)えんりょなく。まあ、社交辞令という程度のあいさつくらいしてくれれば私もきちんと敬意をはらいます。
・81期感想その2(アンドッドさん、石川さん)
○アンデッド「タマネギ」(81期)感想
読みやすくてわかりやすい文章だと思いました。
< 見ると奇妙な生物が立っていた。白い肌の子供みたいな風貌で、腹と頭部が異常に肥大している。口はなく、目が大きい。
後頭部の半分は機械で中の空洞が見えていた。>
こういう箇所など、読んでいて映画をみているように想像できます。作者の思い描いてるものと、読み手の私の思い描く図が一致するかのようで、なにか読んでいてホッとするものがある。こういう。描写の安心感の積み重ねが作者への信頼感につながって、たとえばこれが1000字よりずっと長いものであっても、読み通したいという動機となります。
でも、物語は、私はあまり楽しめなかったです。機械が人間の脳を育てる、というテーマのようなものは、とくに作者が「これは面白そうだ、これを書きたい」と思いついたというよりも、たとえば映画マトリックスの影響だったり、なにかで受けた刺激を転化したもののようにしか思えなかったところがあります。
1自分が何かわからない
2ここはどこだろう
3機械がでてきた
4あ、ぼくは機械のためにつくられてる人間の脳だったんだ!
という展開に独自性を感じず、やはり、かりもののイメージをみてしまいました。
「『収穫ノ時』」
と機械がしゃべる部分以降、今まで誰も考えていなかったような予想外の展開へと話をもっていくのだったらどうでしょうか。1234と順番にすすむのではなく、12aDみたいな飛躍があると、私は個人的に面白いと思いました。アンデッドさんは描写が感傷的に流されないのでそのしっかりした文章で混沌ななにかを描くとか。
(しかし、それとは別に
私は自分の脳を育んだ青き故郷を眺めた。
遠ざかる美しい母に別れを告げる。
私の目から一滴だけ涙が零れた。
というラストの文章はなんだかいいですね)
私ならば、「機械が脳を育てている」というところを変えるだろうと思います。
「君ハたまねぎになりたいと志望した元・ニンゲンだ。忘れたか」
「覚えていない。私は今たまねぎなのか?」
「どうヤラ玉ねぎ脳が変換中に故障してシマツタようだナ」
機械はそういって、私に触れたようだった。触れたようだった? たしかに触れていると思うのだが確信がもてない。自分の肌であって肌でない気がする……と思っていると、あきらかにツルンと肌のようなものが剥けていく感覚が全身を貫いて、その瞬間に私はすべてを忘れてしまうかのような恍惚感に包まれていた。
「ドウダ」
「気持ちがいい」
「たまねぎの快感というヤツダ。これはニンゲンの雄の五億倍、雌の五十倍の快楽の波が君を襲うモノダ。君はカツテニンゲンのオスであつた。ニンゲンはロボットほど強くなく、環境に支配された奴隷的生物だと嘆いて、ココへきた。タマネギになりたいと言ったのだよ」
話を聴いているうち、私は意識がなくなってきていた。私は皮を剥かれたことで、どうやらようやく本当にタマネギとなっていくようだった。剥かれるたびに女の五十倍、男の五億倍! ならばタマネギとして剥かれ終るまで恍惚を味わおうではないか。さらば俗世間、さらばニンゲン、さらば会社よ、さらば、さらば、さらば!
★
○石川楡井 『脳を漬ける』 (81期)感想
石川さんの作品は今期のアンデッドさんの作品によく似ていると思いました。文章の硬質性について私はアンデッドさんの文体を好みますが、石川さんの話の独自性は最高によかったです!
この作品は今期の投票候補でした。とくに下部までが良かった。
< 父ちゃんは僕の脳を糠床に入れ、丁寧に糠と揉み込みながら容器に沈めた。
「ようく漬かれ、ようく漬かれ」
僕は夢を見ているような心地だった。糠床の海で泳ぐ夢。脳は離れているのに、そんな光景が瞼の奥に広がる。母ちゃんが糠床の蓋を閉めて、台所に持って行った。僕は自分の脳の寝床を見る為、着いていく。
「タク坊もお願いするのよ。ようく漬かれ、ようく漬かれって」>
……個人的に残念でならないのは、ここから話にオチをつけようと持っていったところです。まず、小蝿が数匹とんできた、というのがどこか生々しくて作品として、ここのところまで維持していた(と思った)ユーモア小説の雰囲気が、とたんに生々しくなってきた。
最後の「じっちゃんの脳じゃねえか」とオチを持ってくるのは、賛否両論ありそうなところだと思うんですが(というと感想は全部そうですが)、じっちゃんの脳だった、という展開は駄洒落のような笑いになってしまって、余韻が残りません。
ふと思ったんですが、「タク坊もお願いするのよ」からの下の部分は削りとってしまって、せっかくさっきまで主人公が「僕は夢を見ているような心地だった。糠床の海で泳ぐ夢。脳は離れているのに、そんな光景が瞼の奥に広がる。」と、小説的独白を始めていたんだから、これを続ければよかったんじゃないでしょうか。
前半、中盤と、「脳を漬ける」という独創的でユーモアな流れで、かなり読み手をひきつけているのだから、ここで小蝿やじいさんの脳、祖父が脳科学の論文をかきあげる、といった優等生なユウモア展開に突き進むよりも、ここから話の流れをまったく変えてしまう「だいどんでんがえし」を期待したい、と思いました。
僕は夢を見ているような心地だった。糠床の海で泳ぐ夢。脳は離れているのに、そんな光景が瞼の奥に広がる。母ちゃんが糠床の蓋を閉めて、台所に持って行った。僕は自分の脳の寝床を見る為、着いていく。
脳が漬かっている一晩のあいだ、サボテンのように全身が刺となって、身体から柔らかさや水分が抜けきったみたいだった。眠りたいのに、いつまでも眠ることもできなかった。誰なんだろう、僕は。今考えている僕は誰なんだろう。脳は漬けられてるのに、僕はここにいる。
「ようがんばっとるな」
ぼけてるはずのじっちゃんの声を感じる。なぜじっちゃんの声だけ?
「タク坊おきんさい」
翌朝、父ちゃんに起されて目が覚めた。
「脳どうなった?」
心配で聞いてみると「は?」と返事。「母ちゃん、僕の脳は?」と聞いても母ちゃんまで相手にしてくれない。じいちゃんだけが僕の頭を大きな手でゆっくりと撫でてくれたのだった。
僕は頭がおかしい子と思われたけど、きっと父ちゃんも母ちゃんも隠しているんだと僕は信じている。僕は、味噌につけられた脳を持った子供なんだ。
掲示板を単なる自作解説という無粋なことに使ってしまうことをどうかお許しください。
1002さん、感想ありがとうございました。独自のラストまでこしらえていただき感無量です。
やはり感想は偏るものですね。笹帽子さんにも同じことを言われましたね(多分)。
実は自分も気に入ってないのですよ(笑)
『脳を漬ける』は一年ほど前に書いたものですが、はじめてラストが2パターンとなってしまった作品です。
この作品は自分の思考/志向/嗜好から脱する目的で書いたものでして、その脱せた形がお読み頂いた『脳を漬ける』になります。
もう自分の中では取捨選択が決まっておりましたので、アナザーラストのものを選んでいたら皆様を満足させられたことが出来ていたかもしれません。
投票にも影響しなくなりましたので、詳しい解説を挙げました。
http://d.hatena.ne.jp/r0bot21th/20090701にて
興味のある方はご一読ください。
■読者の一人としての感想に徹したいのでHNは1002でいきます。よろしく。
■「短編」掲示板へは平日のみの投稿となります。返信は遅くなるかもしれません。
■私の基本姿勢は→http://tanpen.jp/bbs/nbbs.cgi/temp/1032 に書いてます
○のいさん、石川さんへの返信
・のいさん
感想への感想ありがとうございます。
ご自身の作品について「気持ち悪さだけを残したかったからです」ということですが、参考になるかわかりませんが、今期の作品28「布団の黴」はお読みになったでしょうか? あれはおそらく「気持ち悪さだけを残したかった」作品にちがいないと思うのですが、どう読みました?
ちなみに私は「布団の黴」に投票しました。この作品は「気持ち悪さ」を描いているのに読んでいて気持ち悪くならないのです。それなのに主人公の気持ち悪さが伝わってくるのです。この作品の作者は本当に「布団」や「黴」のことが書きたかったんだろうか、と想像がひろがっていきます。「布団」は何かのアナロジーではないだろうか? 本当はもっと直接的に書きたい喪失感があるのに、あえて布団と黴にたとえたんではないだろうか? と、いくらでも深読みできる一方で、単純に布団の黴の話として読んでも、カフカ的な奥行きがある。だって、布団の干し方わからない主人公っておかしくないですか? なにかありそうじゃないですか?
のいさんが今後とも、過去の「状況」(自分ではどうにもできなかった事情)への復讐として「実話」を「気持ち悪さを残すために」かくことについては、私はとくに介入できません。でも、本当にのいさんが書きたかったことをあえて、もっと単純ななにかに象徴させることができれば、より多くの読者を獲得できるのでは? 黒田さんの感想にもあったように、原石となりうる素材だと思うので、ご自身のなかで大事に作品を育てられることだってありではないでしょうか。
生意気な感想ですが・・・・・・。あと、作品を批判することはあってもみんな人格を否定しているわけではないので、もしもそれを混同されるならば、実話を書くのはもうちょっと「耐性」ができてからでもよいのでは。
・石川さん
ブログの解説を読ませてもらいました。正直なところ、本音でいいますと、
石川さんは天才ではないかと思いましたよ、ほんとに。
これは後からつけたした理屈ですか? それとも最初にこのメモがあって、それをもとに方程式をかくように小説にしたんでしょうか? 作品よりもこのブログの解説がすばらしかった。なんか石川さんってニーチェみたいですね。
ニーチェは神(主人)と人間(奴隷)という当時の一般的な構図に不満を抱き、人間ではあっても自分が主人(超人)ということを言った人でもあって、論文じゃつまらないということで物語みたいな哲学書を書いていくわけですが、石川さんのもその路線でしょうか。
つまり、まだ私はちょっと理解できてないところがあるのですが、この話は「人間 対 脳」なんですよね? 脳が人間のなかの思考する「部分」にすぎないのか、それとも脳こそが外部の状況さえシャットアウトすれば独自に数十枚の論文を書くほどに洗練された思考をする、ということなのかという戦いなんですね?
それで石川さんは1000字でこの問題に答えをだせずに2パターンつくった、と。つまり、石川さん自身が「問い」はつくったけれども「答え」がうまく導けなかった、と。
それって哲学者なみですね。哲学は答えを出すことよりも、その過程と問いを後世に残すことがなによりだと思うので、このブログ解説を読んで作品を読むと、「なにやらすごいものを読んだ」という気持ちになりました。
・・・・・・ただ、哲学として面白くても小説として「設計図」どおりに書く書き方がいいのかは個人的には、よくわからないです。のいさんの作品感想の返事にもかいたんですが、今期の「布団の黴」のように、「本当は脳についてこれだけの考察をあらかじめ考えておきながら、結局小説には<ハンバーグとステーキの戦い>をかいた」というほうが、読み手には
(なぜハンバーグとステーキが戦うんだろう・・・・・・)
と独自に解釈するすきまができて楽しめる気がしますが、これこそ素人の感想の勝手なところでもあって、私もわかりません。次期も楽しみにしています。
感想どうもです。
中盤以降で話ががらっと変わるというのは面白いですね。
僕にはそういった発想がないのでありがたく盗ませていただきます(笑)
ところで、女を主人公の妻と仮定した場合はどうでしょうか。
この仮定で書かれた『「ある晴れた夕暮れに」1002Ver』を読んでみたいと思いました。
〉高橋唯「ある晴れた夕暮れに」(81期)感想
〉
〉
〉ある日男物の鞄をひろってみると、自殺したいと書かれた手帳と、持ち主の男と妻の写真がでてくる。こんなに美人妻がいながら悩むなんて贅沢なやつだ、と思った主人公はその妻を犯しにいくと決めるという話だと読みました。
〉
〉失礼ながら、いろいろと話の設定にも興味あるし文章も上手な作者だと思ったんですが、
〉
〉「そしてこの女を犯す。そう決めた。」
〉
〉という、一連の主人公の思考の流れについていくのが疲れました。というのも、これだと小説というよりも一人のキレた男の思考をたどっているようなものだからです。物語としてはもっといろんな声がききたいです。たとえばこの男はたしかに鞄を拾って女を犯そう、と思っているところに
〉
〉「鞄を拾ってまもなく、こんどは突然、俺の目の前で前を歩いていた男が女を殴りはじめた。男は品のいいスーツを着て、女もさりげなく身に着けた胸元の宝石が光っていた。つまりは俺にとって羨ましいカップルであったのだが、男は女を堂々と殴っているのだ。俺はひろった鞄の持ち主の美人妻のことも忘れて、すぐに殴られている女を助けに入った。男は俺の一発でヒイイと泣き声をあげてどこかへ行った。腕っぷしで認められる世の中なら俺もいい先いってたのだが……、と振り向くと、女が俺をみている。ありがとう、と女は言ってきた。ああ。俺は今から、女を犯しにいくところだったのだよ。ありがとう、強いのね。女がくり返し言う。俺みたいなカス相手にすんなよ、犯されるぞ。俺が言うと、だって私助けてくれたじゃん、いきなり知らない人のなのに助けてくれたじゃん、それにあたしだってカスみたいなものよ、と女。カスじゃねえよ、きれいじゃないか、きれいだよあんた、美人じゃないか、すごいいい女じゃないか、と俺。……そんなこと言っているうちに、俺はこの女と歩いていた。女は離れないし、俺はまず拾った鞄を交番に届けにいくことにした。不思議なことにあのマグマのような性欲はどこかへ消えていた。俺はこの女を大事にしたいと思っていて、そのために明日仕事を探しにいこうと思っていた。そういう自分が不思議だった。」
〉
〉と、中盤以降を自分なりに考えてみました。やはり、「女を犯しにいった」で終ろうとするラストというのは、私には主人公が残酷すぎる。というのも、小説とか物語というのは、「本当に俺がほしいのは一時的な欲望の発散ではなく、もっとあったかいものなんだ」という、本当はこうありたい、という精神的なものを掘り起こして形にする、そういう役目もあると思うから、落ちぶれた主人公を最後にそのまま落ちぶらせていく終り方にするのであれば、そんな小説を読んでも救われない……と私は個人的に思っています。
〉
〉ですが、私なりにこのテーマで書き直していると、なんだか書くのが楽しかったです。
まさかニーチェと並べられるとは思いませんでした。恐れ多い(笑)
これはあくまでテーマでしかないんです。読者の皆様に伝わればそれに越したことはありませんが、伝わらなくてもひとつの物語として楽しめるそれが理想です。ですから、自分の解説抜きで、アイディアが奇抜であるとかただ単に面白いというような、物語としての感想を頂いても素直にうれしいんです。
ということで、返信をば。
連夜で自作解説に力を入れてしまいますが、今期ばかりは大目に見てください。
既出の解説とダブっている部分もありますが、そこも大目に見てください。
>これは後からつけたした理屈ですか? それとも最初にこのメモがあって、
確かに後付に見えるかもしれませんね。あえて否定はしません。ただ今思いついたわけではないですよ。自分の1000文字小説の創作方法は基本的に物語の軸となる発想とテーマを選んで、そこからリンクしそうな中継地点となるガジェットをつくることから始まります。
>それをもとに方程式をかくように小説にしたんでしょうか?
たとえば、本作ではまず最初に脳の保存と人間の無知というテーマがあって、その流れで保存方法に“漬ける”を思いつきました。では、“漬ける”という行為の意味合いは何だろうと考えて、“発酵”させることだと導きます。
では、“発酵”と人間の無知を繋げるにはどうすればいいか。
長期間漬け込まれた脳はどうなるのか、漬け込んでいる間の人間はどうしているのか、そもそも脳を取り出したときに“思考”はどうやって生まれるのかetc.を考えたときに、はじめて脳の“思考”≠人間の“思考”という式が生まれました。それに沿って論理的に話を詰めていったのです。
ただ、本作では特に顕著だったのですが、論理が物語に飲み込まれる瞬間というものがあります。つまり、テーマの軸と一緒に物語の軸も存在し、どちらの軸が主軸になるのか分からなくなる瞬間です。
本作でいう物語の軸とはそれこそ祖父ちゃんの存在になります。この祖父ちゃんの存在が結末を二つ作ることになる原因でもありました。
現在のラストは物語の軸に飲まれた結果です。だからどうにも気に食わなかった。
ですが本作では“思考の分断”というテーマで定めていました。脳が題材ですので作中の命題はそのまま現実の命題でもあると考えたのです。ということは、“思考の分断”をメタ的に用いて、作者としての自分の思考/嗜好/志向を分断することも表現としては間違いではないのかなと考えた次第。物語として楽しんでもらえれば……、というのはそれに則したものです。
物語の軸とは、それこそショートショートの優等生的なオチの形。もちろん、それを狙って作品を書くことがありますが、本作の場合はそうではありませんでしたので。
ですから、ブログに載せたものは最終的にまとまったテーマの全体像であり、最初からすべてのものが揃って書き始めたわけではありません。
大方、解説で言及している部分は当初から頭にあったものですが。
>それで石川さんは1000字でこの問題に答えをだせずに2パターンつくった、
確かにそのとおりです。自分で答えが見出せなかった。
>と。つまり、石川さん自身が「問い」はつくったけれども「答え」がうまく
>導けなかった、と。
ただし、二つのラストは「脳は考えるところにあらず」:「脳こそ考えるものである」という問いに対する別々の解答として用意したものではないんです。
「脳は思考する部分であり、記憶を貯蓄する部分でもある」
わざわざそこに踏み込んで、書いたものがアナザーラストです。つまり答えが見出せなかった問いは「脳は思考回路なのか、単なる記憶中枢なのか」という命題に対してでした。
脳という存在を“思考”に限定するのが腑に落ちなかった故のものですが、あえて“思考”に限定してしまったほうが分かりやすいと思ったのでした。
結局、脳が何なのかは今の今まで答えが出せずにいます。
>・・・・・・ただ、哲学として面白くても小説として「設計図」どおりに書く書き
ええ、おっしゃるとおりです。
>方がいいのかは個人的には、よくわからないです。
ですから自分の解説は作品を楽しむ上で、参考にしてもらいたくなかったのです。“脳を漬ける”というアイディア自体、(皆さんからありがたいお言葉を頂戴したように)自分でも面白いなと思って採用しましたから、純粋にそれを楽しんでいただければと思っていました。
それが投票終了後に解説を掲示した理由でもあります。いい意味でも悪い意味でも作品に影響を与えたくなかったので。
それ以前に自作解説ほど恥ずかしいことはないですね。
蛇足ですが、自分の1000文字小説観を。
1000文字小説は文字数が限られていますし、特に書き込める内容が少ない形式です。
だからといって、1000文字という枠に見合った内容で終わらすにはもったいない気がします。文字が少ないということはそれだけ、読者の想像が介入する余地も引き出せるということであって、奥行きは作者の思いと腕次第で無限に広げられますよね。自分が1000文字小説を書き始めたのは、そこに惹かれたからです。
ショートショートの大家・都筑道夫氏のショートショートの定義は《長編が長い棒の端から端、短編がそれを任意に切った端から端、ショートショートは棒を縦にして小口から覗かせたもの》だそうです。
つまり、見えているのは表面だけで、その奥には棒一本分の奥行きがあると自分は解釈しました。1000文字は短すぎず長すぎず、作品練成の手段としては最適かと思っています。
一種の実験ですね。短い文の奥にどれだけのものを封じ込められるか。
だから、1000文字小説はやめられないのです。
今後もまたお世話になるかと思います。
拙作をお読みいただく際は、奥行きに潜む作者なりの論理を想像してもらえたら、より一層楽しめるかもしれません。まったくつまらない作品の場合もあるかと思いますが、その時はまあ……大目に見てください(笑)
ふつつかな作者ですが、全作感想とあわせて、今後ともよろしくお願いします。
■読者の一人としての感想に徹したいのでHNは1002でいきます。よろしく。
■「短編」掲示板へは平日のみの投稿となります。返信は遅くなるかもしれません。
■私の基本姿勢は→http://tanpen.jp/bbs/nbbs.cgi/temp/1032 に書いてます
○高橋さん、石川さんへの返信
・高橋さん
感想への感想ありがとうございます。
<ところで、女を主人公の妻と仮定した場合はどうでしょうか。>
ということですが、これこそ、私は高橋さんの創作版で読んでみたいです。まあちょっと私も考えてみたんですが、話が広がってきて1000字以上で書きたくなる素材なのでこちらには掲載しません。
ただ、私が別に「女」を出してみたらいいんじゃないか、と思った理由を書かせてもらうと、やはり、話全体のバランスとして、どうも主人公の立場が悪すぎる気がしたんですよ。高橋さんとしては、これでよかったのかもしれないけど、私には、「主人公は今は社会的にみていい立場にいないけど、それは現実のある一面であって、もうひとつ別の現実がひょいと横からやってきたら、この主人公の立場はするっとひっくりかえる」という見方をもっと強めてほしかったです。
というわけで、主人公にとって財布の写真の女(犯したくなるくらいイイ女)とまた別にイイ女を登場させて、主人公に見せ場をつくることで、犯すという選択肢とは別の可能性をだしたほうが、より世界が広がるのでは、と思って登場させたのですが、ここで登場する女が「妻」だったとなると、またさらに話がひろがって・・・・・・。
今期の作品は初読は「ちょっとしんどかった」と感想書きましたが、こうしてやりとりを通じて作品に入り込ませてもらうと、別の面白さが味わえて個人的に楽しめました。私、実はこの作品ちょっと誤読してるんじゃないか、と思ったりもしたんですが、まあ、それは私の読解力の浅さとお考えください。
次期も楽しみにしています。
・石川さん
こちらの感想への丁寧な返信ありがとうございます。個人的にはこういう作者の話を聞きたかったので参考になります、これぞ創作サイトの醍醐味という感じがします。
<本作でいう物語の軸とはそれこそ祖父ちゃんの存在になります。この祖父ちゃんの存在が結末を二つ作ることになる原因でもありました。 >
なるほど、たしかに爺さんがカギだと私も思いました。というか、よくこのじいさんを考えついたな、と思いました。
あと、脳についての理論を(私は初読でダジャレと読んだけど)ユーモア満載で書けるということはよほど頭がこの件について整理されているのと、個人的には都筑道夫のことばがでてきたのに共感しました。
<長編が長い棒の端から端、短編がそれを任意に切った端から端、ショートショートは棒を縦にして小口から覗かせたもの>というのは書き留めておこうと思います。
ついでですが、私も都筑道夫の少年小説から引用して返信をおわります。なんとなく石川さんの今回のユーモア小説にちかく、私の理想的な軽みがあるなあ、と思っているのですが、参考になれば(あるいは反面教師としてでもよいです)。次期作も楽しみにしています。
<「あら、またおばけの話なの」
首にかけたくさりのさきの、小さなかぎをもてあそびながら、美香はわらいました。おかあさんのかたみの首かざりで、めったにはずしたことはないのです。
「和木(俊一)さんは、どうしてそんなに、おばけの話がすきなのかしら」
「民俗学といってね。伝説なんかを研究する学問があるだろう。それに興味をもっているせいもあるんだけど、だいたい科学が進歩したいまの世の中じゃ、なんでもわけがわかっちまう。それが、つまらないって気もあるんだ。話がむずかしいかな」
「むずかしいわ」
「つまりさ。おばけの話みたいに、りくつのとおらないことが、すこしはあってもいいだろう、というんだよ。そのほうが、世の中はのんびりする」
「ほんとにおばけがでたら、のんびりどころか、ふるえちゃうわ」
「ぼくも、そうかもしれないな」
俊一はわらいながら、われた氷のあいだから顔をだしている、つめたそうな水をみつめました。>
「都筑道夫少年小説コレクション1」P8より