第92期 #2

名付け親ゲーム

「今年の新人全員にあだ名をつけることにした」

毎度のことだが、先輩がまた何を言い出したのかまるでわからなかった。

「その前に洗井君のあだ名も考えておこう。ミッキー洗井。ドンドコ新之助。どっちがいい?」
「冗談のつもりかもしれませんが全く面白くないです」
「じゃあ、ドンドコ新之助ね」

新卒とは別に、事務アシスタントとして中途採用された29歳、佐橋佳代さんが私の部署に配属された。昼休み休憩室の隅で独りで弁当を食べてる佐橋さんに私は声をかけた。

「お疲れ様です」
「…………」
「仕事慣れました?」
「…………」

私はニッコリ微笑んでみたが、佐橋さんはうつむいたままサラダを食べ続けた。私は彼女を笑わせたい衝動に駆られたが、うまい手を思いつかなかった。

私は男なので、佐橋さんの黒目がちの瞳とか小さな手の指先とか、痩せすぎだけど形のよい胸、小柄だけど張り出した腰、スラリまっすぐな脚などを脳裏に焼き付けていった。

一方先輩は、エクセルに新入社員の勝手なあだ名を打ち込んでいった。先輩は違う部署なのにわざわざ佐橋さんに会いに来てコピーを頼んだ。

「隣の柿はよく客食う柿だ。生麦生米生タラちゃん。焼いたら死ぬやろ!」

先輩がそう言って書類を渡すと、佐橋さんは無言でコピーした。
その後も先輩は何度も彼女に会いに来てはあれこれ意味不明の挙動に及んだが、彼女はいつも冷静に自分の仕事に専念していた。

あるとき、普段は使わない部屋で先輩が書類を整理していて、緊急の仕事なので佐橋さんを貸してくれと頼まれ、彼女を先輩のいる部屋に案内すると、顔を白塗りにしてちょんまげをつけた先輩が振り返った。

「変なおじさん、変なおじさんっ!」

先輩は懸命に奇妙なダンスを踊ったが、佐橋さんは平静だった。
先輩は「プウ」とつぶやいて自分の尻に当てた手を鼻先に持ってきて匂いをかぐしぐさを繰り返した。

佐橋さんは書類を受け取り無言で出て行ったのだけれども、去り際にとうとう一瞬フッと微笑んだ。桜の花が開いた瞬間を目撃したような感動があった。

お笑いはユーモア、ユーモアの語源はヒューマン……先輩の奇妙な行動のテーマ、このたわいないストーリーの裏に隠された真の意味は――。

そんな私の思考を遮るかのように先輩が話しかけてきた。

「ああいう特徴のない貧乏くさい女が一番面倒なんだ。でも今のでようやく思いついた」

先輩は非常に満足そうに私にうなづいた。

「彼女のあだ名は、スジャータ幸子」



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