第92期 #3

列車

 列車の中は閑散としていた。口を半開きにし、だらしなく眠っている背広の中年。ボックス席で談話している、着物の老婦人達。落ち着きなく、あたりをキョロキョロと見回している子供と、夢中で携帯電話を操作する若い母親。それは、数年前となんら変わりの無い風景であった。数年という月日は劇的な変化をもたらさない物なのだと、私は懐かしさと共に、少々の失望を感じた。
 カバンから文庫を取り出し、しおりの刺さったページを開く。どこの行まで読んだのか失念した私は、そのページを最初から読み始めた。車掌が、次の駅の名をアナウンスする。ふと窓の外に目をやると、無人駅にぽつんと、一人の女学生が立っていた。黒い学生鞄に、深い紺色のブレザー姿のその少女は、肩まで伸びた黒い髪を列車の風に揺らし、どこか悲壮な面持ちで、ぼうっと白線を眺めていた。
 ブザーが鳴り、ドアが開く。少女は私の真向かいに座った。私は幼児のような好奇心に囚われ、その少女を観察した。貧血気味な白い肌、袖から伸びる華奢な指、あどけない容姿とは裏腹に、女としての妖艶さが、そこには確かに芽吹いていた。電車が動き始めると、少女は静かに俯いた。そして、列車の騒音の隙間から、木々のざわめきのような、か細い声が漏れ出してきた。
 少女は泣いていた。
 垂れた前髪の隙間から、長いまつげがキラキラと輝いている。膝の上に置かれた手の甲には涙がにじみ、指先は徐々に赤みがましていった。その光景は、過ぎ去った月日の残酷さを、まざまざと見せつけるものであり、なんともいえない物悲しさで、私の胸中を襲うものであった。

私は静かに、文庫に目を移した。



Copyright © 2010 庭野 梅 / 編集: 短編