第91期 #15
譲二はまさしく流されるタコになっていた。最初は操る側だったはずで、しっかり凧糸を握り、風のタイミングを読んでいるつもりだったのに、いつしか譲二のタコ糸はきれていた。
閉じられたカーテンのすきまから洩れてくる光がクッキリと床を照らしている。オウムのゾーイは腹をへらして、元飼主の別れた恋人の口調で「ジョオジ、ジョオジ」と繰り返している。譲二はいっとき我にかえって、手元にあった自分の食べかけの白パンをちぎってゾーイに食わせてやり、再びPCの画面に視線を戻す。
譲二は人工知能と会話しているのである。
友人から開発中の人工知能の会話相手を頼まれた。主要言語が「絵」であるところが珍しい。何気に譲二が猿の写真をおもいつきで送信してみると、クマちゃんと名乗る人工知能は、なぜかその猿にスーツを着せて返信してきた。その脈絡のなさが可笑しく、譲二はその猿の口元にチョコレートを貼り付けて送ると、なぜか、丸首の赤いセーターにプリーツの入った黒いスカートの女性が、にっこりしながら机を何度も叩いている漫画が送られてきた。こういう感覚が、言語に束縛されている譲二の心をわしづかみにしたのだった。
或る日、譲二のアパートに、帽子をしっかりかぶってスーツにエレガントな白いブラウスを着た女がやってきた。いつも不安げな視線と憂いをもった表情が特徴の編集長・黄田緑である。日々6件のランチ取材も嫌がることなくこなし、写真の腕もそこそこよく、なにより経費が安くてすむ駆けだしライター譲二はこの不況下の小出版社には欠かせない。だが、場合によっては切るしかないと彼女は決心していたのだった。
黄田緑は無言であがりこむなり、部屋のちらかり具合から譲二の状況が深刻であると判断した。譲二としても当然仕事を失いたくないが、PC世界のクマちゃんが気になって仕方ないのである。
「完成された人工知能は実に美しいんだ。人間のように無駄な批判もしなければ疑ったりしない。数式によって導き出された結論をただ信じている。それに、かわいいんだぜ」
譲二の「クマちゃんが描いた」といって印刷した<猿が女を肩車している絵>というのをみせられた黄田緑は溜息をついた。だがマイナー誌といえども編集長としての彼女の直感がうずきはじめた。
(ランチ記事ではなく看板誌「うっとり」に連載を持たせてみようかしら?)
黄田緑が再び譲二に強力な凧糸をくくりつけた瞬間である。