第90期 #22

 泉が湧く。庭に。
 俺は叔母に訊ねる。
「どうしましょうか」
 縁側に立って庭を眺めていた俺は居間にいた叔母を振りかえる。叔母は俺に背中を向ける。腕組みして台所へ消える。叔母は困ると台所に逃げる。
 俺は叔母を追いかける。足元の畳は古いために踏みつけると沈みこむ。叔母が色あせた紺色の暖簾の向うに見える。黒いストレッチデニムに包まれた叔母の脚が見える。俺は暖簾をくぐる。台所に叔母が立っている。灰青の刺子の割烹着の背中が見える。叔母は俺に背中を向けている。顔をうつむかせている。乳白のうなじが見える。

 すべては俺の母親の杜撰が原因だった。
 俺は東京の大学に合格する。地方に住む俺は東京に住む子供のいない叔父叔母夫婦の家に下宿することになる。しかし叔父が家にいない。叔母が言う。
「よその女のところに行きました」
 三五歳の叔母は俺の叔父に嫁いできた人で血縁ではない。俺は母親に連絡すると言う。しかし叔母はそれを止める。俺を下宿させることによって幾許かの金がもらえるらしい。女の一人身には金が要ると叔母が言う。
 俺の母親はすべての取決めを電話で済ませた。それが原因だった。

 背後にある黄ばんだ障子の向こうの庭では泉が湧きつづけている。二人きりの夕食の最中に俺は落ちつかない。
 叔母は海老の白和えを俺にすすめる。真魚鰹の照り焼きをすすめる。里芋と蛸の味噌汁をすすめる。
「――さん、たくさん食べてね」
 俺は泉に怯えながら食事をする。
「健康な体で学校に通って良い成績をもらわなくちゃ、この生活は成りたたないんですから」
 叔母が口癖を言う。

 三日が過ぎて週末になる。叔母が泉への対処方法を俺に伝える。湧き出る泉の温度は入浴に適しているから、これは温泉だと教えられる。
「穴を広げて底に板を敷けばお風呂になります」
 俺の健康にも庭に温泉があることは望ましいことだと叔母は言う。
「ただし気をつけてください。温泉を掘る時には天然の致死性のガスが出ることもあるそうですから」
「そんなこと、どこで知ったんですか?」
「インターネットです」
「じゃあ」
「はい」
「死ぬおそれもありますね」
「お気をつけあそばせ」
 叔母は俺をからかう。
 掘削作業には手間がかかる。俺は穴を掘る。広げる。底をならす。昼になると叔母が塩結びを作ってくれる。添えられた赤い柴漬をつまむ。仕事をやりきれば、ご褒美になんでも好きな物を作ってあげると、叔母が俺に約束する。



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