第90期 #1
煙草をふかしながら図鑑をめくる男、楽しそうに語らう二人の中年女。一匹の動物が、午後のオープンカフェでくつろぐ人々を見た。過不足ない陽だまり、その調和と均衡を動物はじっと見た。柔らかな毛が、冬の気配を含む風にそよいだ。
動物は空いた椅子の一つにそっと近づくと、大きく伸び上がり腰掛けた。男は図鑑から顔を上げ、中年女らの声は途切れた。動物は周りが自分に注目しているのが恥ずかしかったが、機嫌よさそうに後足を交互にぶらぶらとさせた。
ウェイトレスは、動物を認めて顔をしかめた。美しい女だが、シニョンからは一筋後れ毛がこぼれ、ストッキングは小さく伝線していた。女は上手に笑顔をつくると、楽しそうな動物のもとにやって来た。
「失礼ですがご注文はお済みでしょうか」
「ううん、何も頼まないよ。ちょっと腰掛けているだけ」
女はうんざりしたが、努めて丁寧に言った。
「では、こちらでのご休憩はご遠慮下さい」
「えっ、なぜ」
「なぜって――ここはお茶にいらしたお客様の席ということよ」
「ふぅん、そうなんだ。じゃあ、お茶代を持たない僕の席はどこだろうか」
「そうねぇ、あの噴水の傍にあるベンチかしら」
「うん、あちらもなかなかよさそうだ」
動物がなお嬉しそうに言うのは、女を加虐的にした。
「あら、でもあなた税金は納めているの」
「税金」
「あれは東京都が税金で設置したベンチよ。動物が腰掛けてはいけないかもしれないわ」
「でも――あんなに小さな子供も利用しているようだけどね」
弱々しく口答えする動物に、女はますます意地悪になった。
「きっと彼の父親か母親は、勤労及び納税の義務をはたしてしているわ。それに彼だって、もう二十年すれば立派に社会で役立っているでしょうね」
つまり悪意とは娯楽の一種である。動物は俯き、ぽろりと涙をこぼした。
「動物が腰掛ける場所はないようだね」
うなだれて去る動物の、小さな縞々の尾。中年女たちは耳打ちしあった。女はやりたいままに無知な動物をいじめた自分が恥ずかしくなり、急いで動物を追った。
「がっかりしないで、これあげるから」
ポケットから黄金糖を取り出して動物に与える。動物はちいさな声で礼を言うと、ぎこちなくセロファンをむき、口の中で黄金糖をカラカラさせながら植え込みに消えた。動物一匹を吐き出し、過不足ない陽だまりが戻った。眼鏡の男はすっかり冷めた珈琲を一口飲むと、おもむろに図鑑で先ほどの動物を探した。