第82期 #18

『混沌の神の創り方』

 今もひっそり、その家の端に汲み取り式の便所は在る。人ひとりしか入れない窮屈な個室、紙一重で天国とも地獄ともなる密室に、口を開けた白い便器の、黒い穴。外に繋がる配管から入る風が逆巻き、悲鳴のような不協和音が聞こえる。
 毎日そこで用を足し、二、三か月で汲み取りを頼む。溜まった糞尿は排出され、またその奈落の底には、静かな暗黒が蘇る……はずだった。
 金曜の夜に、飲み会から帰り、便器の穴に向かって、嘔吐した。きらきらと宇宙の端に流れる星の河のように、つまみのたこわさびやフライドポテト、お通しのホウレン草、コースのもつ鍋、汁に浸かった焼きおにぎり、デザートのフルーツとバニラアイス……やらの、筋や皮、澱粉や油分、蛋白質が日本酒と渾然一体となり、生臭い瀑布が闇に吸い込まれていく。糞尿の臭いとアルコールの匂いが舞い上がり、胸糞悪くなりながらも恍惚感を得る。穴は何でも容易に飲み込んでくれる。
 ……分別に困ったビニールの包装紙、ペットボトル、鍋の残汁、水に溶けるティッシュに吐き出した自慰の屑紙、髪の毛が入っていた弁当の白飯、キャベツの芯、腐った卵、黴の生えたパン、蜜柑の皮、溶けた冷凍食品、のびたカップ麺、焦げたカレー、穴のあいた下着、教科書、ノート、参考書、ヘアヌードの写真集、VHS、ブスにもらったチョコレート、壊れたMDプレーヤー、ペットのハムスター、内定通知に卒業証書、給与明細、ネクタイピン、皺くちゃの上下のスーツ、お見合い写真、海外旅行のパンフレット、婚約指環と婚姻届、偽造の契約書、キャバクラの名刺、後輩のアパートの鍵、書き損じた辞表数通、なけなしの五百二十七円、宝くじ、へその緒がついた胎児、麻雀牌、母子手帳、小煩い姑、離婚届、履歴書、ロープ、カッター、LPSD、シンナー、ペットのイグアナ、手首から垂らした鮮血、幸も不幸も……。穴は全てを吸い込んだ。過去も未来も餌食となって、魔の化学反応。廻転する闇、呼吸するブラックホール。
 闇の底で、腐敗し、熱を生み、じゅくじゅくと泡を立てて、食材も生理物も、思い出も混沌に帰す。自分を便所の中に生み落とした独り身の母の記憶さえも……。
 消えた命、消えゆく命、生まれた命、その微かな命から神は生まれる。
 蠢く闇、寝返りを打つ闇、手招く闇、汚物の濁流、汚臭の嵐、暗黒領域……そして或る日、住人はその生贄となった。
 空洞に風が吹き、神の産声に白骨が嗤う。



Copyright © 2009 石川楡井 / 編集: 短編